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疑問は成長のための第一歩

 「人体」というのを「小宇宙」と考える見方がある。しかし、時には、「大きな山」と考えても面白いと思う。その大きな山には、いくつも上り道があって、山頂はひとつであっても、そこに続く道は一様ではない。治療はその何本もある上り道のひとつである。一本の道は、山の尾根づたいを登って行くかもしれない。またもう一本の道は、谷を沢登りして山頂を目指すかもしれない。岩肌を登るロッククライミングという方法もある。アプローチするものが、尾根であったり、また、谷であったり岩であったりするように、治療者がアプローチするものも様々で、それが筋肉や骨であったり、血管や神経であったりする。また登り方にもいろいろ流派があり、西洋医学流とか東洋医学流とかアーユルベーダ流というのもある。また登山用具も様々であってよい。注射や薬を使う流派の者や、ハリや灸を使う者もいる。または、まったく道具を使わない素手の手技派という者もいる。それぞれの登山家=治療家は100人いれば100人の違った登り方で、人体という大きな山を登る。それが、この治療の世界の面白さである。さしずめ「科学が万能と思われている時代」の現代社会においては、西洋医学は表山道を行く主流派で、東洋医学は、裏山道を行く非主流派になるかもしれない。「人体」を「大きな山」に例えてみたが、実はこういう見方をするのが「統合医療」の考え方なのである。

 私が尊敬してやまない山口先生は、「鍼灸マッサージ師」という資格の他に「医師」という資格を持っている。「Drホーホー」が先生のペンネーム。ということは、先ほどの考え方でいえば、ハリや灸そして指圧という手技を兼ね備えた、西洋医学流の登山家ということになる。しかも超一流の登山家で、この登山家からしてみると、どんな「大きな山」も、または、どんなに難しい「険しい山」も山頂付近にたどり着くことができそうな、そんな可能性を秘めた「登山家」が、山口先生だと思っている。しかも、この登山家は、いくつかの「臨床経験」という貴重な「登山経験」を持ている。だから、私たちのような「ニューフェイス」には、先生の山の見方、アプローチの仕方を見たり聞いたりすることは、何物にもかえがたいほど、いい勉強になるのである。しかし、まだ世の中には、山口先生のようなハリや灸や指圧といった道具やテクニックを持った西洋医学流の登山家は極めて数が少ない。もっともっと社会の人々は、先生の「臨床成果」を評価して先生のような登山者が増えてもいいのではないかと思う。

 今月から始まったマンスリーセミナー「診かた治しかた」は、「変形膝関節症」という難しい「大きな山」のひとつをどう登るか、そのアプローチの仕方を、私たちに教えてくれた。今日のセミナーに用意された「大きな山」は、45歳の女性。18歳の時にスポーツ中に膝の前十時靭帯を損傷した。その後、スポーツを止めてしまったので、治療も特にしていない。前からずっと、左膝の痛みとぐらつきに気になっていたが、3〜4年前から歩行時痛があった。整形外科を受診し、軟骨がすり減っていたと言われた。NSAIDを処方され、筋力を鍛えるように言われた。さあ、「Drホーホー」山口先生は、この「大きな山」をどのように登って行くのか。お楽しみの時間が始まった。普通の場合、この西洋医学流は、問診、検査、治療方針の決定。このパターンをとるのが、セオリーといえる。山口先生がアプローチするものは、「筋肉」と「神経」そして「血管(血流の改善)」に限定されている。私から見た山口先生のよいところは、本当に山が大好きで、山の見方に卓越しているところである。特に「筋肉」と「神経」の診かたは、これほど素晴らしい診かたができる人はそうざらにはいない。また、「教師」として見ても、これほど詳しくわかりやすい説明ができる「山岳ガイド」もそうざらにはいるまいと思う。

 皆さんはこういう言葉を知っているだろうか。「山を見て木を見ず。木を見て山を見ず」。それを登山家に例えるなら、どちらかというと西洋医学流の登山家は、「木を見て山を見ない」そして、東洋医学流の登山家は「山を見て木を見ない」傾向がある。しかし、患者さんという「大きな山」に向かい合う時には、その両方の診かたが大切である。時には、顕微鏡を使って診たりまたある時には双眼鏡を使って、登山家は、よく登ろうとする山を観察する必要がある。また、両方の診かたができるようでないと、目指す山頂には辿り着くことができない。これが、山登りの鉄則である。やがてはこの診かたが、「治療方針の決定」に結びつく大切な要素となるからである。「Drホーホー」は、山を眺めたり、語りかけたり、時には、木を曲げたり、伸ばしたりして、直接木に触れてみたりして、登山ルートを考えている。大切なことは、山や木をただの山や木として見ないで、自然が生んだ大切な生命として、どれだけ「尊重」できるかである。それによって、山から引き出せる「情報」量が違ってくるのである。人は山を見ているつもりでも、実は、山が登山者を見ているのである。それにしても、「Drホーホー」は、根っからの「山バカ」である。こうして、山を見たり聞いたりすることは、医療の世界では、「問診」「検査」というのだが、「Drホーホー」が、問診したり検査したりする。この風景を見たり聞いたりしていると、それだけで、自分が勉強不足で今まで知らなかったことがよくわかり、目の前が霧が晴れるようにパッと開けてくる。

 おそらくこれまでの自分だったら、ここまでの診かたしかできなかったろう。ただ今回は、見方がこれまでとは少し違っていた。よく学校の教室にも先生が一生懸命に説明してくれている時に、冷めた視線で何を考えているのかよくわからない生徒が、一人か二人いる時がある。ちょうど昨日の私は、そのような少年に似たような眼差しで「Drホーホー」のセミナーを受けていたかもしれない。「疑問」がいっぱい頭の中に浮かんできた。少年の私が考える疑問だから、あまりたいしたことではないかもしれないが、見方もアプローチするものも同じだが、その順番や方法が少し違っているのである。私が思った疑問は、この膝関節症を持った45歳の女性は、18歳の時にスポーツ中に前十字靭帯を損傷したが、どうして27年間もの歳月が経つのに治らなかったんだろう。痛めたきっかけを突き止めることも大切だが、それと同じくらい、治らなかった理由を考えることも大切なことだと思われた。そうではないか、人間には、「自然治癒力」という天からあたえられた自然治癒システムの働きがある。それなのになぜこの女性にはそれが働かなかったのか。それはこの女性に限らず、「フルキズ」が何十年と残る場合がよくある。そういう私にも、グレードは違うが「変形関節症」である。これもそのフルキズのひとつだ。考えられることは、人体を損傷した時に一番いいことは、とにかく「休むこと」。痛みが去るまで安静にしていたりすれば、このように27年間もフルキズを引きずることはなかった。そのことが、医療者をはじめ患者さんの多くに欠如した考え方である。

 そして、ケガや病気は、「山火事」と同じである。最初は小さな火種であっても、それが原因で第二次、第三次の火の手が回るのである。この女性は、靭帯が損傷したことで、それをかばうために、歩行が悪くなり、腰の筋肉を痛めている。腸腰筋が拘縮することで大腿神経や閉鎖神経、それに座骨神経を痛めてしまっている。山火事が、左下肢全体に及んでいる。またこれが加齢がすすむことで、さらに広範囲に広がると、左下肢から、右下肢全体にも及んでくるはずである。「火元」の確認も必要であるが、火事は広がっている。その火事を食い止めることが、ひいては「火元」の「左膝前十字靭帯」、「左膝変形関節症」を「改善」していくことに繋がる。私なら、まずは、左腰の「腸腰筋」の治療から始める。それから大腿部、下腿の筋肉の拘縮をとるような治療をはじめて最後に、「関節部」へと治療していく。45歳という若さなら、高齢者の「変形膝関節症」と比べ問題なく症状のグレードが違う。決めては、「自然治癒力」。「治す」のではなくて、「自然治癒力」が、働きやすい環境をつくることに主眼をおくだろう。やはり少し「Drホーホー」とは、治療の考え方や、順序が違う。それに、「検査」についてだが、何のためのというか、誰のための検査なのであろうか?本当に「検査」という方法が必要なのだろうか、目の前の患者さんにとって、指圧という手技があるならどこを痛めているかは、治療過程であえて触診しなくても大抵のことはわかるだろう。それをあえて膝関節屈曲何度とか、関節周囲何センチ上は、周囲何センチかを計ることは、症状の経過過程を記録する上で大切なことではあるが、そんなことは患者さんにとってはどうでもいいこと。では誰のため、やはり、医師をはじめとする医療スタッフのため、ひいては、研究発表のための貴重なデーターとして残すためのものではないのか?それよりも、治療時間が必要とされた私たちのような「鍼灸マッサージ師」は、治療にかける時間というものが大切になってくる。それは、「治療」に主眼をおかない西洋医学の医師に比べて、さらに重要になってくる。はじめは問診に時間をとることは大切だが、2回目以降は、時には、問診も検査も治療と同時進行でやっていかないと話にならない。

 最後にもう一度、最初に私が感じた疑問に戻ることにしよう。「どうして膝関節症を持ったこの女性は、27年間もの歳月が経つのに治らなかったのだろう?」「27年間も自然治癒力という身体の中のシステムが働かなかったのはなぜか?」その原因を私はこう考えている。医師は患者さんを診察して診断を下す。そこで「変形性膝関節症」という病名が就く。医師は、病名を考えて診断を下した瞬間から、そこでほっとするだろう。病名が診断されれば後は、治療方法も自然と決まってくる。ところが患者さんの立場で考えると、病名がついて診断がくだされた段階から苦しみが始まる。「自分は、膝が悪いんだ。骨が悪くて関節がおかしくなっている」こう言うふうに考えるようになったとたんに、自然治癒力はストップしてしまう。脳でいったん悪いと決めつけると、もうそこには、治す力が働かなくなる。思ったことがそのまま実現されるという現象が身体の中に実際に起こってくる。この女性の場合も、ずっと27年間、「私は、膝が悪い」と決めつけていた。そのことでずいぶん不安も抱かれてきたことだろう。だから「治らなかった」のである。特に西洋医学では、「こころ」の問題が、身体の問題と切り離されて考えられがちである。これが私にはどうしても納得いかないことである。西洋医学流を学んだ「鍼灸マッサージ師」は「医師」と同じように問診し理学検査をして、医師と同じように病名に当てはめて診断のようなものを求める。もし、医師と同じように「ああ、やっぱり『変形性膝関節症』ですね」とこの「鍼灸マッサージ師」言われたとしら、この患者さんはなかなか病状が回復していかないだろう。そのくらいの「マイナスの力」が、この診断には働く。本当に「こころと身体」の問題が、西洋医学には切り離されて考えられがちである。ところが、あらゆる病気は、「こころ」の問題と相関関係にある。つまり、病気と「こころ」の問題は切り離して考えることができない。私が「こころ」を大切にする「治療院」を目指しているのもそういう意味からだ。「自分の身体には治す力がある」だから、「私の膝は、大丈夫なんだ」こういうことを山口先生のような治療家に言い聞かせてもらった患者さんは、きっとそれだけでどんどん身体のほうがよくなっていくはずである。

 何か最後は西洋医学に対する大きな疑問をそのまま、私が尊敬してやまない「Drホーホー」山口先生にぶっつける形になってしまったが、先生は既に私が抱いている疑問など、とうの昔に気づかれているはずであることはよくわかっている。それを合えて先生にぶっつけてみたい気持が私のどこかにあった。「疑問は成長するための第一歩」であると私は考えている。そういう意味で、私の「治療家」としての第一歩は、もう既に始まっているのだろう。


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by yakura89 | 2009-04-13 11:34 | 治療方針