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ちょっとそれは違うんじゃないの?

 この仕事をしていると、「ちょっとそれは違うんじゃないの?」って思いながら、いうのをぐっとこらえることがある。でもやっぱり、おかしなことはおかしい。あまり、このようなことが度重なると、やはり、これもストレスになるので、せめて自分のブログで正直な気持をいわせてもらうことにする。これらはすべて、私の患者さんではなく、私の治療院へ「行く。行く」、といいながらお見えにならなかった方々のお話である。

 座骨神経痛を抱えながら、公園を足を引きずりながら歩いていたAさん。あまりにひどい歩き方だったので、見るに見かねて声をかけさせてもらった。Aさんがいうには、「私の知り合いの医者は、自分で運動して治さなくてはダメだ」といわれたそうで、それ以来、運動不足であることを自覚し、歩きはじめるようになった。Aさんは、患側である左足を痛そうに引きずるようにして歩いていた。Bさんは、膝痛を患っていた。私の目から見ると、腰痛から座骨神経痛を経て膝痛が生じている。脚の筋肉の拘縮もひどく、膝が伸びていない。「膝が痛そうですけど、大丈夫ですか?」と声をかけたところ、Bさんは、整形外科に通っているらしく、お医者から「プールで歩くことを勧められている。いま、一生懸命にプールにかよって歩いているから、きっとよくなります」と言われた。膝は、明らかに関節炎を起こしている。
 
 私は、正直言って「つらい!」このような時、切り返す言葉を失ってしまう。確かに、運動はいい。運動して自分で治そうとする姿勢は大切である。プールで体重をかけないで歩くことは、膝痛を抱えている人にとって、理屈にかなった運動である。どれも、正しいに違いない。しかし、既に神経に痛みを感じていて、支配領域にある筋が拘縮している場合、運動はかえって、マイナスの効果しか生み出さない。お医者さんなら、もっと患者さんの様子を見て欲しい。と言いたくなる。いくら座骨神経痛も膝痛も加齢による運動不足がもたらした結果といえども、治療無くして運動することが、どんなに症状の悪化を招くことになるのか。そこのところが、お医者さんも患者さんも全然わかっていない。まずは、「治療」が大切。治療によって筋肉や関節から炎症を取り除く。そうして健康な状態になってから運動を始められたらいいのである。まずは、治療ありきなのである。

 「ちょっとそれは違うんじゃないの?」もし、私の所へ来てくださる患者さんならそこのところを、しっかり説明させてもらうが、やはり、症状はありながら、彼らは、私の患者さんではない。そこには、両者を隔てる「境界線」が、しっかりと張り巡らされていた。AさんもBさんも共通点は、私の近所にお住まいで、それほど親しくはないが、声をかけれるくらいの間柄である。だから、その後も時々ではあるが、お姿を見かけるときがある。こちらは、職業柄どうしてもいつもの癖で、「健康観察」といって相手の症状などを観察してしまう。お二人とも、いっこうによくなっていく様子はない。心の中では、「どうしてお見えにならないのだろう?」来てくれれば、なんとかして差し上げられるのは、こちらにはわかっている。わかっていながら、もうそれ以上治療を勧めることは、差し控えなければならないのが、この道の「掟(おきて)」というものだろう。 

 「鍼灸マッサージ」というのは、国家資格を要する。仮に「手技」といって「按摩マッサージ指圧」のように「はり」や「灸」を使わなくても、「手技」を行うことを法律上、許されているのは「医師」と「按摩マッサージ指圧師」だけである。どちらも国家資格の「医療」であるのだが、私たち「鍼灸マッサージ師」の場合は、「自由診療」といって「保険診療」は認められていない。保険がきかない以上、どうしても治療費の負担は、すべて患者さんが負うことになる。それが、私たち「自由診療」で、「治療」を行う者のつらい泣き所である。いいことはわかっていても、その点からも、患者さんの意向を尊重しなければならない。それが、おかしてはならない、この道の「掟(おきて)」というものだ。だから、私たちの場合は、名実ともに患者さんに主導権がある。「治る」も「治らない」も患者さんの意向次第なのである。でもそこに、今の私は、いつもジレンマというか、軽いストレスを感じていることは確かである。
by yakura89 | 2009-08-21 11:40 | 腰痛