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「痛み」は教えている

 今月は重症な患者さんが多く見えた。世の中が不景気になると、身体に異状があってもぎりぎりまで我慢して、どうしようもなくなると私たちのような治療院にやってくる。そういうパターンがここ最近なって目立っている。でもどうしてこんなに痛くなるまで我慢しなければならなかったのか、わからないと思うことがしばしばである。「痛み」といえば、今月、明らかに「腰椎椎間板ヘルニア」で見えた患者さんが二人いた。いずれも「ロキソニン」という解熱・鎮痛薬を処方されていた。それとおきまりの気休めの湿布薬。これでは、治るわけがない。もしこれで「椎間板ヘルニア」が治るなら誰も苦労はしない。この二人の患者さんは、かかった病院は違うが、処方は全く同じだった。

 「腰椎椎間板ヘルニア」というのは、きっかけはあるにしてもある日突然になるという病気ではない。はじめから「腰痛」があっても充分な休養をとらなかったり、それでも無理したりして起こる。腰椎は5つの椎骨からなる。その椎骨は、椎間板(椎間円板)というクッションのような働きをするものが椎骨の間にあるのである。しかし、無理をすると筋肉は収縮して固まってしまう。これが拘縮という状態である。特に腰を支えている筋肉は、たくさんあるが、中でも大腰筋や腸骨筋。脊柱を支えている脊柱起立筋などは、拘縮すると椎骨と椎骨の間に相当な圧力が加わる。そこで、今まではクッション代わりをしていた椎間板は、その圧力に耐えられなくなり、お餅が膨らんで飛び出すように、椎骨と椎骨の間から飛び出してしまうのである。この状況を「ヘルニア」とよんでいる。その飛び出した椎間板は、腰椎から出た大腿神経とか座骨神経などの腰神経叢といわれる神経の束になった神経根に直接圧迫するので、あの耐えられない程の「痛み」が発生するのである。これが「腰椎椎間板ヘルニア」の実態である。

 だから「ロキソニンのような鎮痛薬で『腰椎椎間板ヘルニア』が治りますか?」といわれても治るわけがない。といわざるを得ない。もちろん休養をとることは重要である。休養は、拘縮した筋肉を緩ませるので、これは治療に欠かせないことである。しかし、鎮痛薬が、「治療」になるとは、薬を処方した医師ですら思ってはいないはずである。残念ながら整形外科の治療の実態である。それがもっと高じて椎間板の飛び出しが大きくなってくると「切りましょうか(手術)?」ということになる。しかし、前にも何度か述べているが、人間の身体というのは、切ったところの細胞はもとには戻らない。だから、手術は、余程のことがない限り避けなければならない。スポーツ選手が、よく手術をするかしないか悩むのが、こういう問題があるからである。しかし、こうなる前に、人間の身体は、何回も「痛み」という信号を発して本人に警告を発しているのである。「手術」しなければならないようなところまで事態を悪化させたのは、間違いなく本人の自己責任である。

 私は、「痛み」を「鎮痛剤」のような神経を麻痺させるような薬で対処するような安易な考え方が、大変こわい考え方だと思っている。人間の身体は実によく作られてている。無駄だと思われるものが一切ない。この「痛み」という感覚神経の働きこそ、まさに自分を守る自己防衛システムの重要なメカニズムなのである。痛みは、はじめはやさしく始まる。そして徐々に目覚まし時計がだんだん激しさを増すように、「痛み」も激しさを増してくるのである。しかし、この時に「鎮痛剤」のようなものを使おうものなら、自己防衛システムは、この時を境に正常に作動することはない。また、必要以上に「我慢強い人?」がいて「痛み」を我慢していたとする。やはり、この場合も「鎮痛薬」を使っていたと同じ状況が生まれる。つまり、痛みは慢性化して身体のほうで「痛み」の信号を送ることを諦めてしまうのである。こうなると、次はどうなるかというと、必ずある日突然「病気」という状況が、待ち構えているのである。しかし、「ある日突然」と思うのは、本人だけの認識である。「痛み」は、以前からそうならないように、前々から本人には何度も信号を送り続けていたのである。

 この時の「痛み」の信号は、前の時のようなやさしいものではない。痛みもたえられない程の「激痛」を持って、そのひとに「警告」を発するのである。これが、例えて言うなら「椎間板ヘルニア」の発症である。もし、こうなる前に軽い「腰痛」程度の痛みで、身体の促す注意信号に耳を傾けていたとしたら、私たちの治療も簡単である。また治療を受ける本人も気持がいいくらいですぐ終わるのである。ところが、事態が「腰椎椎間板ヘルニア」という病名が診断されると、そうはいかない。治療も拘縮した筋肉を治療するにはそれなりの激痛を覚悟していただかなければならないのである。治療も「マジック」ではない。身体もいったん壊してしまえば、治療もまたおなじ過程を経てもとの身体に修復しなければならないのである。だから、重症な状態にはある程度の激しい「痛み」も覚悟しなければならないのである。しかし、「激痛」を伴う治療は、治療する側もやはり辛いのである。出来れば、そのような治療は行いたくはない。だから、そうなる前に少しでも早く手を打ってほしいというのが治療者のウソいつわざる気持なのである。
by yakura89 | 2009-11-24 11:33 | 治療方針