合掌から治療が始まる

合掌から治療が始まる
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治療院の治

 わたしの師匠は、大変きびしい方で、5年前、開業するにあたり、治療院の名前をみていただきました。エネルギー的にみて「八倉治療院」がいいということになったのですが、そのとき、「治療院」の「治」について、このように言われたのです。「治療院の『治』は、治すという文字です。治療院と名乗る以上、看板に偽りがあってはいけません。患者さんが、訴えてこられた症状が、治せないようでは治療院と名乗るべきではありません」と言われるのです。専門学校を卒業して、まだ何も臨床経験がないわたしです。そのわたしに、「治せないようでは、治療院と名乗ってはいけない」とおっしゃるのです。それどころか、またある日はこのように言われるのです。「もし、患者さんが訴えてこられた症状が、治せないようなら、料金はいただいてはいけません」と言われるのです。この言葉に、わたしがどれだけプレッシャーを感じてきたことか、おわかりいただけるでしょうか?

 というのは、わたしにとって師匠というのは、「絶対の存在」なのです。師匠が「こうしなさい」と言われれば、いつも、わたしはなんのためらいもなく、「はい」の二つ返事です。ちょっと古き一昔前の「師匠と弟子」の関係だったのです。でも全く、師匠は、無理難題をわたしに要求しているわけではありませんでした。実は、開業にあたり、大変な力と技を伝授していただいていたのです。多分、一般の方からしてみれば意外なことですが、わたしたちの世界では、「肩こりが治せれば一人前」だと言われています。実際やってみると肩こりというのは、肩甲骨周辺のすべての筋肉のコリをほぐすことで、相当大変な作業であることがわかります。わたしはと言えば、専門学校時代は、全く優秀な生徒ではありませんでしたが、真剣に「治療」ということを考えていましたので、卒業する前に、なんとか、「肩こり」を治すことは出来ました。それに、師匠のおかげで、開業して1年目から、難しいと言われる「頸肩腕症候群」や「「腰痛」「座骨神経痛」「大腿神経痛」の治療が、全くためらいもなく治療出来ていたのです。しかし、「患者さんが、訴えてきた症状が治せないようなら、料金をいただいてはいけません」ということになると、話は別です。こういう無理難題をさらっと言えるのが、わたしの師匠のこわいところです。

矛盾が矛盾でなくなる日がくる

 ところが、案の定、いざ治療院を開業しはじめてから、わたしはさっそくつまずきました。患者さんが要求してくる様々な症状を改善できるだけの力量があるはずはありません。そこで困って、師匠に相談を求めました。「わたしは、今日、腰痛で見えた患者さんを、どうしても治すことが出来ませんでした」すると師匠は、「あなたは、根本的なことを間違えていませんか?、誰が、患者さんの腰痛を治すのですか?あなたはとんでもない勘違いをしています。腰痛を治すのは、患者さん自身なのです。あなたは、患者さんの自然治癒力が働きやすいようにするために、お手伝いをしているだけなのです。勘違いをしてはいけません。あなたが、『治す』なんてとんでもない思い上がりです」と、おっしゃるのです。でもこれって、矛盾しているように思いませんか?わたしは、師匠が、「症状が治せないようでは、治療院ではない」といわれ、「師匠に、一歩でも近づこうとして、一生懸命に、治療してきたのに、これでは、わたしの今までの努力はなんだったのか」と、思えたのです。

 それにしても、確かに「人が人を治す」という言葉には、とても語弊があるように思います。どんな患者さんの症状や病気でも治してしまう師匠でも、「治させていただきました」とは仰っても、「治した」とは、めったに聞かない言葉でした。ところがこれをからだで理解するためには、わたしは相当の時間と、莫大な犠牲を払うことになったのです。一昨年の夏、わたしは努力のかいあって、患者数は、日増しに伸び、毎月記録を更新していました。ところが、自分自身が、疲労に倒れてしまったのです。わたし自身、「患者さんの症状を治す」という意識で、相当無理をしました。以前から師匠に言われていましたように、「人のからだは、神そのものです。あなたが患者さんのからだを治しているのではなく、からだが、あなたに治させているのです」こんな、アドバイスを受けたこともあります。しかし、「治す」と「治させていただきます」という言葉には、すごい意識の差があるのです。

 そういえば師匠に、治療で一番最初に教えていただいたのは、必ず治療をさせていただく前に、患者さんのおからだに対して合掌することでした。「今から勉強させていただきます」という気持ちを込めて、まずは、手を合わせること。これが師匠の、最も大切な教えだったのです。相手は神です。もし患者さんのからだに対して、敬意がないとすれば、たちどころに、治療者自身にも災いが降り掛かってくるのです。医療に携わるものすべての人に該当することですが、よく「悪いものをもらってしまう」というのは、医療者の意識に、問題があるのです。わたしの場合もやはり、見抜かれていたのです。合掌をしても、形ばかりの合掌であることが、心のこもっていない合掌こそ、これほど醜いものはありません。

 それがわかってから、わたしのこころの中で、「治療院の治」と合掌から始まる「勉強させていただきます」「ご病気を治させていただきます」という言葉には、何も矛盾がなくなりました。
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by yakura89 | 2011-08-08 07:38 | 師匠とわたし | Trackback | Comments(0)
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