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私の過去と現在、そして、未来

 私は、いまから8年前の2001年に「妻の名はヒラリー、娘の名はパク。」というエッセイの本を東洋出版から出版した。もういまから10年程前の話だが、ここに、過去と現在、そして未来の私を見つけた。本の中から引用してみることにする。

四十代になってふと思うこと

 中学校教師になってから私の肩凝りや腰痛は慢性的なものになってしまい、一年中マッサージや接骨医院にかかっていた。特にマッサージは、自分の凝り方の状態、凝る部分によって、何人かマッサージ師を替えて治療してもらっていた。
 その中の一人にAさんという、ハリ、灸、マッサージと何でもこなす方がいて、ひどい時には毎週のようにお世話になっていた。Aさんは、むかし父が勤めていた会社で設計技師をやっていて、四十代の始めの頃会社をやめてこの仕事を始めたという。いわゆる脱サラの一人である。Aさんの話には、私の心境と共通する何かがあり、面白いと思った。私は治療してもらっている間、彼が脱サラを決意し、この仕事につくまでの経緯を興味深く聞いた。
 彼はこう言う。「三十代の後半、ちょうどあなたくらいの年齢から、仕事のこともわかってくるし、会社のことや自分自身のこれからの将来のこともみえてくる。その時、ふと、これでいいのかなという気持ちになった」
 会社社会というのは学校社会以上に、組織の人間関係は複雑であろう。だから、仕事のことや職場の人間関係で悩んだ、というAさんの気持はよく理解できた。むかし、大学受験で倫理社会という教科を選択したため、「人間疎外」という言葉を習った。文明の進んだ社会であればあるほど、この疎外感は強く、このままで人生を終わってしまっていいのかという疑問を抱える。しかし、もう一方で家族を抱えて養っていかなければならないという立場もあって、ずいぶん悩まされたというのもよく理解できた。
 そんなふうに悩んでいると肩が凝り、背中が痛くなりマッサージによく通ったという。いっそ自分も、自分と同じように悩んでいる人の凝りを解消させて、楽にしてあげられる仕事をやってみよう、ということで三年間、専門学校に通い、資格を取るための勉強をしたという。Aさんのマッサージは、自分も凝りをいやというほど経験しているだけに、本当に痛いところが手に取るようにわかると見えて実によく効き、気持がよかった。
 私より年上のAさんだが、いつ合っても生き生きしていて年齢を感じさせない、ハツラツとした何かがあった。いまは治療に来る患者さんの数も増え、忙しいらしいが、週のうちの水木曜日を休業日として、シーズンになると、川や山奥の上流に行き、ヤマメや鮎など、趣味の釣りを楽しんでいるという。土曜日は、日本国中どこも人がいっぱいで出掛けるだけで疲れてしまうけど、平日はまるで嘘のようにすいていて、充分に自然と触れ合い、自然の恵みを満喫できるらしい。また、夏にはバイクの後ろに奥さんをのせて北海道に旅行に行ってきたという。そんなことを生き生きと話しているAさんがつくづく羨ましい気がした。
 私も時々自分や家族の幸せということを考える。人によって幸福に対する考え方が違うのは当たり前だが、やはり、今が幸せであること、そして、それが将来にわたって幸せであるような生き方をしていかなければならないという思いがある。
 よく人は定年がくるまで何かやりたいことがあっても我慢し、石にかじりついても頑張り、晴れてその時がくるまで辛抱を重ね、第二の人生に希望を託す。それも確かにひとつの生き方である。日本人の多くのサラリーマンは、誰かに強いられているということもなく、ひたすらその道を歩んでいる人がほとんどではなかろうか。しかし、よくよく考えてみると、人が生きるということは、人生に目標を持ってそれに向かっていくことであったり、自己実現を図ることであり、それが人を幸せに導くことにつながっていくのではないだろうか。
 最近は、あまりに第二の人生ということが強調されすぎるために、今を生きることの意義が逆におろそかに考えられがちになっている。よくサラリーマンの過労死、または、定年退職と同時にその次の日から、安堵感からか、体はがたがたになり、病院通いを余儀なくされるといった例は、意外に多い。人はよく健康の大切さを口にするが、自分自身の健康については一番疎いといったことが往々にしてある。
 私はこれからの人生を考えた時、どうしても母のことを考えてしまう。長い労働の毎日の生活を終え、これからが自分の第二の人生だ、といって楽しみにしていたはずの人生が、たったの二年で終わってしまった。やはり、そのことの無念さはいつも心のどこかにあった。
 若い頃からの夢である父と二人での国内旅行を楽しんだり、また、娘時代から踊りが好きで、夢であった日本舞踊を本格的にならってみようかしらと、いつだったか母の口から聞いたこともあった。しかし、それらは全部夢ではなく、実現可能を直前にして無惨にも果たされぬ夢と化してしまったのである。
 人生はまさに賭けである。一寸先が誰にも見えない以上、そこで立ち止まり逡巡するのはやむを得ないないとしても、自分自身の気持には正直に、目標に向かって努力する姿勢だけは失いたくない。
 私の夢は何だろう。そして私の目標は、時々我に帰ってそんなことを考えてみることがある。正直なところ、四十を過ぎてこんな心境になるなんてことは想像もしてみなかった。答えは、そんなに容易に見つかるものではないことはわかっていながら、模索はこれからも続けられていくことだろう。
 ただその先に行き着く最終的な目標は、はっきりしている。自分にふさわしい自然環境に住居を構え、移りゆく四季折々の変化にとっぷりと浸かり、心ゆくまで自然とともに生きる暮らしがしてみたい。「自然に帰れ√」という言葉があるが、それは私の生きるテーマでもあり、最も私らしい生きざまである。そんな生活を夢見ていることは確かなのである。幸い妻は、私と同様、自然が大好きなナチュラリストであり、生活のどこかに自然を求めて生きる人である。果たされなかった母の夢のひとつである日本国中や海の向こうまでも、夫婦そろってこれからも旅を続けて行くつもりである。