失いかけて見えた一番大切なもの

 「天使が死神と取引をしたものは、何だったのだろうか?」それは、私の生命と同じくらい大切なもの。自然治癒力だったのである。「ステロイド剤」は、快適さと引き換えに、少しずつ少しずつ私の身体から自然治癒力を奪っていった。薬の副作用と言っているが、それらの現象は、すべて、自然治癒力が奪われた人が、たどり着く終着点だったのである。ところで、私の鼻炎は、2回も手術をしたのだが、治癒したのだろうか?答えは、治らなかった。「アレルギー性鼻炎」がよくなれば、「アレルギー性気管支ぜんそく」が悪くなる。「アレルギー性気管支ぜんそく」がよくなれば、「アレルギー性鼻炎」が悪くなる。ただそれだけのことだったのである。
 医者がヤブ医者だったわけではない。私の手術をしてくれたお医者さんは、「アレルギー」では、著名な方で、県立の某総合病院の耳鼻咽喉科の主任を任せられる先生だった。人格的にも立派で誰からも信頼されるお医者さんだった。呼吸器科のお医者さんにしても、某市の総合病院を独立して開業された、これまた人格的にも誰からも信頼されるような立派なお医者さんであった。なのに、私にしてみれば、「手術」も「投薬」も何も意味のないことであった。それどころか、薬の副作用に苦しむという現実がまっていた。その危機的状況の中からどれほどの苦労をして這い上がってきたことか、筆舌に尽くし難いものがそこにあったことは事実なのである。ということは、医療の世界では、万能に近いと思われている「現代西洋医学」、強いては人類の叡智、「科学」そのものに限界があることを、そこから感じ取らざるをえなかったのである。
 「抗生物質」や「ステロイド剤」の発見は、これまでの医学の常識を覆す程、画期的な発明であった。今でもこれらの薬は、医療の世界では、素晴らしい薬ということで評価が高い。私達のような専門学校で、体や病気についいて勉強する学生も、これらの薬の作用ばかりを学び、副作用については、「使い方の問題がわるければ…」ということだけで話題にのぼることすらなかった。しかし、臨床(医療現場)はどうかというと、受け手の患者さんの評価は、医療従事者とは異なる場合が多い。私のような場合が、ごくまれなケースではなく、ほとんどが、手術のあと、治療のあと、しかも私のように、術後何年かしてから、このような副作用で苦しんでいる患者さんが多いことも否定できない事実なのである。

 「ステロイド」という薬は、「副腎皮質ホルモン」という別名があるが、本来ならもともと人体に備わっている物質である。ところが、こうしていったん薬として処方されると、もう身体の中では作らなくなってしまう。糖尿病の「インシュリン」も全く同じ。人の身体というのは、バカではない。作らなくても、いいものならもう二度とは作ってくれない。薬を受け入れるということは、よほどの覚悟を持って決断しなければならないことなのである。それを、「苦しまないですむから」、とか「楽に快適な状態になれるから」というのは人間の勝手な言いぐさで、私達の身体は、そういう安易な勝手さが許されるほど、あまい世界ではないことをよく知るべきである。人間も人生も全く同じ。甘いことをいって誘う人こそ注意が必要だ。いい話ほど裏があり用心が必要である。人生の半ばを過ぎた人間なら、「人生そうそう自分にとって都合がいい話はあるはずがない」ことくらいはわかるはずだ。それから、そもそも薬というのは、本来、自然界にある薬草がもとになっている。その成分を分析して、それに近い働きをする化学物質を合成して作られている。だから、正確には薬は化学化合物質である。ところが、私達の大切な臓器、肝臓は、「化学物質処理工場」といわれている。つまり、この化学物質を処理するのがおもな働きなのである。だから、慢性病や、大病を患った場合は、大変なことになる。必ず、肝臓、腎臓などの臓器を痛めることになる。またそれだけではない。私達のように東洋医学を少しでもかじったことがある人ならわかることだが。「陰陽五行」といって、臓器というものは、互いに「相生相克」といってお互いに助け合ったり支配したりされたりというように、互いに関連し合って成り立っている。だから、ひとたび肝臓がやられてしまえば、他の臓器も必ず影響が出てくる。つまり、体全体がやられてしまうのである。そのことは多くの患者さんを見てきた臨床医なら誰もがわかていることである。私達の身体というのはそういう約束で成り立っているのである。だから、多かれ少なかれ、どんな薬でも、薬が人体に及ぼす影響は、必ず「天使」と「悪魔」が共存しているといえる。「投薬」を治療手段とする「西洋医学」についてまわる宿命のようなものと考えた方がいいかもしれない。

 最後に、私が手術後とステロイドによる副作用に苦しんだとき、感染症を起こした。このときも救急車で病院に運ばれたが、今思うと、このときは最高の治療をしてもらえたと思う。これもまた夜中の話。急に私の右足膝関節が痛みだした。関節は、ズボンをまくり上げると、見るからに腫上がっていた。あまりの激痛にこらえるのに精一杯。一歩も動くことができなかった。救急車で運ばれた私は、病院に着くなり関節にたまった水を注射器で抜き取ってもらった。もちろん水は検査に出されたと思う。ただこのとき検出された細菌は、感染力の高いこわい菌ではなかった。あとでわかったことだが「溶血性連鎖球菌」といって子供やお年寄りが感染するような細菌の中でも弱い部類のものだった。だからこそ、私の免疫力=自然治癒力の低下がまねいた結果だといえた。ただ本当によかったのは、医者が、薬をいたずらに処方しなかったということである。ただ安静にベッドに寝かしておいてくれた。痛みは水を抜いたことで落ち着いたが、次には、40度以上もある高熱に襲われた。私は夢遊病者のようにうなされた。そして、氷枕をしてもらったが、体は熱くて熱くて何度も汗をかき、何回寝間着を替えてもらったかわからないくらいだった。でも、この高熱は、私の体が、体温を上げることで、細菌と必死で戦っていたことが、後々、医療を勉強することでわかるようになった。私が自然治癒力というものを見直すきっかけになったのもこうした体験の一つ一つが、「一番大切なものは何か」を教えてくれたような気がするからである。病気とはどういうものか。自律神経の果たす役割。こころと身体の関係。いかに「こころ」が体に関与しているか。いろんな意味で教えられることが多い経験をさせてもらった。少なくても、40代を境に、10年間近く私におこった出来事は、私の意識を大きく変化させた。このことについて私の師匠は、「人間にとって何ひとつ偶然はない」という。問題は、「何が起きてもその経験を生かせるかどうかが問題なのだ」と、おっしゃられるのである。また、こうもいわれた。「人間は、体験しなければ、何もわからない。いくら本を読んで知識は豊富でも、一度体験することに比べたら遠く及びもしない」といわれるのである。「『体験体得』それが、私達の世界の鉄則なのですよ」といわれたことを、きもに命じて、私は、この世界に一生をかけてみるつもりで飛び込んでみたのである。(終わり)
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by yakura89 | 2009-02-26 09:54 | 花粉症 | Trackback | Comments(0)
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