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脱ステロイド剤、転地療養編

 私が前に書いた花粉症①②③を読んでいただければ、「ステロイド剤」のおそろしさが、少しはわかってもらえるのではないかと思う。私がステロイド剤を服用しはじめたのは、子供の頃からだ。たぶんこの薬とは30年以上の長い付き合いだと思う。副作用を自覚しはじめたのは、40代になってからのこと。花粉症による諸症状を軽くするために行った鼻の手術が、「アレルギ性気管支ぜんそく」を引き起こす結果となり、かえってひどい状況におい込まれてしまった。「ステロイド剤」は更に増える一方で、後に残されてしまったのは、「ステロイド剤」による副作用。この「ステロイド剤」から脱するためにどれほど苦労したことか、少し書きとめておくことにする。師匠は、よく言われることだが「ステロイドは悪魔の薬。もし服用しているなら、少しでも早く断ち切りことだ」。しかし、わかっていながら簡単には断ち切れないところに、この薬のも持つ「摩性」がある。

 今更言うまでもないことだが、人間は、本当に「痛み」や「苦痛」に弱い。花粉の飛び交うこの季節ともなれば、「鼻が詰まって息も思うようにできない。苦しくて夜も眠れない。目も痒くて痛くて開けていられない」そんな日が何日も続くなら「苦痛」から解放してくれるものがあれば、誰でもすぐに助けを求めるだろう。多少のリスクがあると知らされたとしても、誰もが選びうる道ではないだろうか。それが、「ステロイド」のこわさなのだ。しかし、そのことで生命と同じくらい大切な「自然治癒力」が奪われる。「自然治癒力」が奪われることでさらにステロイドの本当の怖さを知ることになった。薬が効かない。ぜんそくの発作に何度も夜間外来に担ぎ込まれる。関節が突然細菌に感染し高熱にうなされる。胃や腸に潰瘍ができて「激痛」を起こす。あげくの果てには、闘病により身体も心も疲れ果てボロボロな状態。虚脱感、無気力なうつ状態に落ちてドクターストップ。長期にわたる休職。「このままでは、自分の人生は終わってしまう」そういう状態を自覚し感じるようになれば、道は二つにひとつ。人間はどちらかに腹を決めるしかない。私の場合も、そこから「脱ステロイド」が始まった。

 長い前置きとなってしまったが、もし私と同じようなステロイドの副作用から「脱ステロイド剤」を本気でお考えの方がいれば、私は「転地療養」をお勧めする。私が、この「転地療養」にいたる過程を述べると、きっかけはなんと、鼻の手術を2回にわたってやってくれた「耳鼻咽喉科のアレルギーの専門医」その医師にステロイドの副作用を話した。そして、ステロイド薬をつかわないですむ方法を訪ねたところ出てきた答えが、この「転地療養」だったのである。「もし薬をつかわないでアレルギー症状を回避するとしたら、スギ花粉のないところに行くしかないですね。日本にスギの木がないところを探してみましょう」といって探してくれたところが、「北海道と沖縄であった」。もし私に「海水で泳げるところ」という選択肢がなければ、たぶん候補地は、沖縄に絞られていたことだろう。ところが、この「海水で泳げるところ」というのは、私にとってものすごく大切な重要条件のひとつであったのだ。そういう面では、沖縄も条件から外れた。いくら南国の温暖な地とはいえ日本の2月3月は、まだ寒い。とても海水に浸かることさえ厳しい。そこで候補に挙がったのは、常夏の島「ハワイ」だった。もちろんスギ花粉も心配なかった。そして何よりもありがたいことに、意外にも実際に調べてみると滞在費が沖縄より安いことも大きな魅力があった。私がハワイに着いたのは、スギ花粉も飛散量もピークを過ぎていた。本当につらかった。実際のところ飲み薬のステロイド「セレスタミン」は意地でも避けた。しかし、耳鼻科で出してもらった飲み薬や点眼薬は、たぶん抗ヒスタミンか抗アレルギー剤を使用していた。しかし、ステロイドを長年使用してきた者には、効くはずもなく目は赤くただれや鼻も赤く腫れ上がり、鏡に映る顔は、もう自分の顔とは思えない程であった。私は、おもしろ半分によく雑誌やテレビで見るように「ビフォアー」「アフター」の写真を撮ったが、本当に自分でも哀れで絶対に人には見せたくない写真のひとつになった。

 正直なところ、本当には信じられなかった。ぜんそくの発作もついこの間まで続いていた。昼間も咳は止まらずに続いていた。夜もろくに寝ているわけではなく、慢性の睡眠不足。体力も限界がすぐそこまで来ている。そんな時、本当に、私はこのハワイの海で泳げるのか?まるで自信もなく。ただ、もう気持は、「ハワイで死ぬことができたなら、それもまた私の人生。本望だ!」と、割り切らざるをえなかった。着いたその日は、既に日没を迎え、次の日からワイキキの浜辺で泳いだ。目がしみるのも無視して夢中になって泳いだ。ビーチで一休みするとまた泳ぐ。といった具合に、本当に終日、我を忘れて泳いだ。そんな日が3日間続いた頃には、私の身体は、もうすっかり生まれ変わっていたのである。まるで信じられない話だが、たったの3日間で、咳は相変わらず続いていたが、あれ程ただれていた眼もあんなに赤く腫上がっていた鼻も、まるで何事もなかったように修復しているではないか!もちろん、鼻のつまりもないし、朝になると瞼が閉じたまま開かなかった眼が、涙ひとつでることなく治まっているではないか。本当に驚いた。「これはまさに奇跡だ!」心の中で大きく叫びたい衝動にかられたことを、まるで昨日のことのように覚えている。

 「海水」の効能については、もちろん師匠から聞いていた。海水に「浄化作用」があることは、おそらく日本人なら誰でも知っていることだろう。相撲の土俵も塩で清められている。ちょっと気の利いたお店なら、玄関に上がる両脇に「盛り塩」が置かれお清めになっている。お葬式や法事の引き出物にもお清めということで「塩」が付いている。そういう私も師匠のアドバイスから、治療室の四隅、車の中に海水をペットボトルに詰め常備している。以前、花粉症①に涙や鼻水などの生理現象を単なる抗原である「スギ花粉」を洗い流す目的だけではない。「解毒作用」がそこにも働いている。という師匠の教えを紹介したことがある。ただ、出てくるものが毒である以上、「浄化」してあげなければならない。それは、薬をつかわない。天然の浄化作用をつかう。私の「海水で泳ぐ」というのはまさにそういう意味が込められていたのである。私はまた数年後、再度必要からこのハワイに「転地療養」に訪れることになるが、状況は全く同じ、悲惨なアレルギー症状が、ハワイに着いて3日間の海水で泳ぐことにより、痛んだ身体を修復し、元気を取り戻すことができた。1週間もこのような生活を続けることができれば、間違いなく健康な身体を取り戻せることができることを確信した。

 「転地療養」は失われた健康を一時的でも取り戻すということだけでも意味のあることだ。ましてや、ステロイド剤の副作用に苦しむような状況では、離れることを最良の方法とする時もありえる。ただ、いつもこういう方法がとれるとは限らない。だから、家庭にポリタンクのようなものを用意して、夏の間に、「海水」を近くの海から、なるべくきれいな海水を常備しておく必要があるかもしれない。私が、一昨年くらいからはじめたのは、前にも紹介した「海水で眼を洗う」これをスギ花粉の季節には、何回も何回も実行している。この方法で、あのおそろしい「ステロイド剤」の点眼薬をつかわない大変に有力な対応策のひとつにしているのである。嘘だと思えば、実行されたらいいと思う。私は確実に一昨年も昨年もこの「海水」で花粉症を克服したし、今年もこれで乗り切ることを考えている。あれと思われた方もいるかもしれないが、今年つかっている「海水」は3年前に海から汲んできたものである。「エー」と驚きの方もいるかもしれないが、ホントの話。私が使用しているのは3年前からの海水である。水は、とどめておけば腐る。どんなものでも腐敗が始まる。ところが、どうして「海水」は腐らないのか?不思議に思い師匠にそのことについて質問をしたことがある。師匠に言わせると「海水ほど陰陽のバランスが取れたものはない」という。つまり、師匠曰く、「すべてのものにエネルギーが存在する」つまり、陰と陽は、簡単にいうとプラスのエネルギーとマイナスのエネルギー。その二つの相反するエネルギーがバランスが取れているということは、安定したもの「安定した液体である」。安定しているからあえて変化が必要ない。だから腐敗がおこらない。ということらしい。これは本当に私にしてみれば凄い助っ人が現れたようなものである。このようにして、わたしの「脱ステロイド」の第一歩は、「転地療養」から始まった。



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