カテゴリ:ホリスティックな治療院( 27 )

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患者さんの身体は、治療者のスキルを見極めている

わたしはこれまでの臨床の経験から、患者さんの身体が、治療に必要ないろんな情報を見せてくれていることはわかっていました。姿勢、歩き方、表情など、観察すればするほど、いろんな、問診ではわからなかった症状が見えてきます。もちろん治療自体が、患者さんの身体との対話のような気がします。患者さんの身体が発する声は、治療には極めて大切なものです。

ところで、わたしは、まだ治療とはどういうものかわからなかった頃。師匠に「こういうことで困っている患者さんがいるのですが、どうしたら治すことができるのでしょうか?」と尋ねたところ。「誰が治すのですか?」とよく聞き返されたものでした。「病気や症状を治すのは、患者さん自身の身体、更にいうなら、患者さんが持っている免疫力なのです。私たち治療者は、患者さんの免疫力を引き出すお手伝いをさせてもらっているだけに過ぎないのですよ」こんなふうにご指導を頂いてきました。

それからよく師匠が、こんなことをいわれたのも印象深く覚えています。「わたしたちが患者さんの身体を治していると思ったら大間違いなんです。患者さんの身体が、わたしたちに治させているのですよ」って仰るのです。この言葉は、治療者であるわたしには、とても大きな疑問を投げかけました。師匠の考えは、通常のわたしたちの考え方と全く正反対なのです。

ところが、長く治療という臨床経験をされた方には、不思議だなあと思うことがよくあります。実はわたしもつい最近、脊柱管狭窄症で、手術された患者さんなのですが、様々な症状を教えていただきました。わたしは、患者さんがいわれる通り痛みを感じられているところを治療していくと、やはり、痛みの箇所にはそれだけの筋肉の拘縮が見られました。もし仰っていただけなかったら、今までのわたしなら見逃していた痛みでした。

わたしには、何年も前に言われた「患者さんの身体が治療者に治させている」という師匠の言葉を思い出しました。やはり、わたしたちの身体は神が創造された小宇宙であり、完璧なものなのです。

それからわたしは、他の患者さんにもそういう痛みがないか治療中に試したところ、他の患者さんにも同じような筋肉の痛みが拘縮をともなってあることがわかりました。長年通っていただいている患者さんが、一様に、腰や臀部のある部分に痛みを訴えはじめたのです。これは、長年治療させていただいてきたわたしには、とても不思議な出来事でした。

これはどういうことかといえば、わたしが、治療者としてスキルがあがったことの証明でもあるのです。ようやく、わたしが、腰痛や神経痛が治療できることが、患者さんの身体が見抜いてくれたのです。そう考えると、何かいままで、疑問を持っていた師匠のお言葉も何か、頷けるような気がしてきたのです。わたしは、微力ながら、これからは、今まで助けてあげられなかった患者さんをもっと助けてあげられると思えるようになりました。
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emoticon-0128-hi.gifプレジデント「医者自身が病気になったら治療拒否したいケース30」に思う

【4】拷問に近い・吸引
口の奥にチューブを入れて唾液や痰を吸引する。患者さんに苦痛を与えて咽せさせたところで痰を吸引する場合もある。「拷問に近い。絶対やりたくない」。


30のケースがある中で、わたしが一番目を引いたのは、このケース4。多分、多くの方はこれがどんなもので、どうしてこういうことが行なわれるのかその意味も知らないのではないかと思う。

吸引させるというのは、もはや患者さんに、唾液や痰を飲み込む力が失われているからである。つまり飲み込む力がないということである。ではどうして飲み込めないかといえば、嚥下筋(えんげきん)=飲み込む筋肉が働いていない。つまり、嚥下筋を働かせる神経や脳の働きがすでに失われているからである。

嚥下筋の機能を失うことは、直接、生命に関わることなので、おそらく多くの患者さんの家族は、拷問のように辛そうであることを分かっていながら、目の前にある生命の灯火を消してしまうことは、まず考えられないことではないだろうか。

しかし、このような患者さんは、たぶん、ほとんどが脳梗塞を起こしており、喋れないし、意志を伝えることができない。こうなると、多分、この患者さんは、嚥下筋だけではなく、全身他にもいっぱい、脳や神経の死が始まり、動けない、喋れない。もちろん食べれない。栄養も何にもない点滴だけが、かろうじて、生命の灯火を維持しているだけなのである。

もし、医者が、このような事態をはっきり、患者さんの家族に伝えていれば、おそらく判断は変わっていたかもしれない。一体この時の医療の役割は、何なんだろうか?患者さんを苦しめ、見守るその家族を苦しめる。1ヶ月も、助かるという希望もない患者さんに点滴や、辛い吸引を施すことは、もはやそれは医療ではないだろう。

QOL(クオリティー・オブ・ライフ)という言葉が、浸透しはじめて以来、終末医療のあり方も見直されはじめている。でも現実は、まだまだで、ほとんどが、医療に未知な患者さんの多くは、事態が、よく分かっていないことが多い。だから、医師は、どんなに忙しくても、患者さんや、その家族に、患者さんの容態を詳しく、分かりやすく伝える必要がある。
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emoticon-0128-hi.gifプレジデント2013年6月17日号「医者自身が病気になったら“治療拒否”したいケース30」より

 医者は自分では絶対に避けるような多大な困難をともなう治療を患者に施術することがある。私たちは病気になって焦る前に考えておかなければならないことがあった。

 ※第一回「なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか」

■医者自身が病気になったら避けたい事例30

 ※複数医師への取材をもとにプレジデント編集部構成。「」内は、断りがない限り萬田緑平医師の発言。

 【1】余命数カ月で尿管ステント
尿管に入れるチューブ。挿入後、チューブが詰まってしまうことがあり、数カ月ごとに入れ替える必要がある。「数カ月単位の延命ならば検討する」。

 【2】話の要点がわからない医師
手術失敗など訴訟の俎上にのぼりやすい外科医と違い内科医は、治療・投薬と結果の因果関係が外科ほどはっきりしないので、治療の説明をより明確にすべき。

 【3】疲労を蓄積・人工透析
腎臓が機能しなくなったときには必要な治療だが、週に3回、4時間かけて行うので精神的・肉体的疲労が大きい。「1年以上延命できるならば検討する」。

 【4】拷問に近い・吸引
口の奥にチューブを入れて唾液や痰を吸引する。患者さんに苦痛を与えて咽せさせたところで痰を吸引する場合もある。「拷問に近い。絶対にやりたくない」。

 【5】90歳を超えたら病気を治さない
90歳で検査をすれば何かの病名がつくだろうが、治療のリスク、検査の負担も考慮し、よほどのこと以外は自宅でゆっくりしたほうが元気で長生きできるのではないか。

 【6】急性疾患でない胃ろう
お腹に穴を開けてチューブで胃に栄養を入れるが、チューブをぶら下げずに済む。「急性疾患などで意識がはっきりしている状態ならお願いするかも」。

 【7】軽い病気で大病院
少々の熱が出たぐらいで、大混雑する大病院にいくのは避けたほうがいい。近くのクリニックで十分だし、そこで何かが見つかればすぐに適切な病院を紹介してくれる。

 【8】検査大好き病院
患者負担を考えず、不必要な検査を繰り返す。少なくとも、「第一の検査では、この部分がわからなかったので、次の検査をします」(内科医)といった明確な説明が必要だ。

 【9】外科医の手が不器用、すぐキレる
全身麻酔をすると、手術室で何が起きているかはわからない。医者は自分が手術を受けるときは、信頼に足るか(手は不器用ではないか、すぐキレたりしないか)を下調べ。

 【10】薬の量が杓子定規
たいして詳しく診察したわけでもないのに、やたらと出す薬が多い内科医がいる。患者の年齢や体質、病歴は千差万別。患者を正視しない思考放棄医師の危険性あり。

☆以上の記事はプレジデント2013年6月17日号より抜粋引用させてもらいました。次回のブログに感想を述べさせてもらいます。
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emoticon-0128-hi.gif「欲をかかない。頑張らない」

あのね。この前本屋さんで立ち読みしていたら、有名なお医者さんが言っていましたよ。癌にかかりたくなければ、次のようなことを心掛けなさいって。「欲をかかない。頑張らない」って。なるほどなあって感心してしまいました。そういえば、わたしも師匠から聞いていたことですが、癌にかかりやすい人がいるそうです。タイプ的にどんな人かといえば、「頑固な人。頑張る人」なんだそうです。また、「ものやお金がいっぱい欲しい人」なんだとも言っていました。そういえば、この言葉同じようなことを言っているような気がしませんか?やっぱり、いわんとしていることは同じなんですね。

でもね。これはよく考えてみると、わたしが普段診させてもらっている患者さんにも、あてはまることだとも言えるんです。そうみなさん、失礼ですが、欲をかきすぎですよ。そして、頑張りすぎじゃないんですか?特に、日本人の気質って、まさに、「癌体質」そのものなんです。だから、八倉治療院に、肩こり腰痛くらいで来てくださっているうちに、気づいて欲しいのです。

そういうわたしも、これまでの人生を振り返ってみると、すごい欲張りで、一日が48時間くらいあればいいのになあって本気で考えていました。それから、くたくたになるまで働かないと、自分が怠け者のような気がして、必死で頑張るようにしていました。そんなある時、ある機会があって、「そんなに我を張って生きていて、あなたは楽しいの?」って、誰かに言われましてね。それから、わたしなりのスローライフが、始まったんです。そういえば、「頑張る」って、いい言葉だとは思うんですが、よく見てみると、「かたくなに、我を張る」って言う意味なんじゃないですか?そんなに我を張って、何がいいんでしょうかね。「自分も苦しいし、あなたのまわりにいる人まで、巻き込んで、まるで苦しみのガマン大会をやっているようなもの」ではないでしょうか?

そう思ったらね。わたしはやめたんですよ。もう苦しいだけの人生は。もっと、自分なりに楽に楽しく生きられないかなって、今では思っています。だって、みなさん。「楽しくやりましょう!」なんていいながら、無理なことばかりやっているんですよ。しかも、それに気づいていない人ばっかりなんです。だからね。わたしは、偉いお医者さんや、師匠から、こういうお言葉をいただくと、すごく嬉しくなって、みなさんにお伝えしたくなるんですよ。「欲をかかない。頑張らない」そんなふうに生きられたら、人間は、みんなしあわせになるんじゃないでしょうか?だって、人間以外の自然の生き物は、みんなそうして楽しそうに生きていますよ。考えてみると、自然界において、欲をかいて、頑張っているのは人間ばかりなんですよね。
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emoticon-0128-hi.gifこころと身体を病んだ人ほど良い治療家になれる

この仕事を長年やってきますと、いろんなことがわかってきます。もちろん、こころの観察、身体の観察、人間の観察、人生の観察。いろいろ見る目を養わないと、この仕事は務まりません。ところで、この仕事にはどんな人が向いているか、ご存知ですか?この治療の世界にいるわたしがこういうのもなんですが、やっぱり、「こころと身体を病んだ経験がある人」が、最も、いい治療家になれるチャンスがある人だと思っています。なぜなら、モチベーションが違うのです。

第一、考えてみてください。病気ひとつしたことがない人が、どうして、「こころと身体を病んで苦しんでいる人を助けてあげたい」という気持ちになれますか?やはり同じような苦しみを味わった人でなければ、病んでいる人の気持ちはわからないし、ましてや、助けてあげたいという気持ちにはならないはずです。そうじゃあありませんか?

わたしもこの世界に入って、いろんな治療家に出会ってきました。みなさん、いろんな問題を抱えていて、苦労されている人がなんと多いことか?結構この仕事を目指し学んでいる学生さんも、また実際、治療の世界に入られてがんばっている方も、一般的に言って、モチベーションは、非常に高いです。

例えば、同じ医療の世界にいるお医者さんと比べても、比較にならないほどだと、わたしは思っています。なぜなら、苦労して学び、そして、勤めても、全然お金にならないことは、はじめからわかっているのです。わかっていながら、この世界でがんばれているのは、やっぱり、最終的には、「世のため人のため」とか「困っている人を助けてあげたい」そういう純粋なこころが、有るか無いかの違いではないでしょうか。

それから話しは変わりますが、わたしが、「こころと身体を病んだ人ほど良い治療家になれる」と思ったのには、自分に、痛いとか、苦しいとか、つらいという経験があると、今度、治療していく時に、それが、その人の貴重な武器になるのです。つまり、どうしてあげたら、楽になるのか、もうすでに、その人なりに半分以上は、つかんでいるからです。

そういうわたしもはどうかといえば、実はわたしも患者さんとほぼ同じ痛みや、苦しさや、つらさがわかる一人の患者といっていいくらいの人間です。でも、これらは、すべて何んらかの意味があるからだと思っています。つまり、わたしが、更に良い治療家になるための、必須条件なのだなって、わたしは思っているんです。
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emoticon-0128-hi.gif 「気」ってなんだろう?

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目で見たものしか信じない人には、東洋医学は、不思議な世界に見えるでしょう。東洋医学でいう「気」ってなんだろうって思ってしまいますね。もちろん、「目で見えるか?」といわれても、見えるわけがありません。「だったら、それってなんだろう?」っていうことになってしまいます。

「気ってなんだろう?」って、いろんな鍼灸師の方に聞いてみたら、おもしろいかもしれません。わたしだったら、どう答えるか、考えてみました。ひとことで言ったら、「気とは、エネルギーのこと」です。人間の身体は、目に見える部分というのは、「肉体」しかありません。ところが、人間の身体は、その内側には、何層にも「体」と呼ばれるものがあるのです。「エーテル体」「幽体」「霊体」もしかしたら、まだあるのかもしれませんが、わたしが知っているのはその3つです。しかし、これらの3つの体は、残念ながら、一般の人には見ることができません。ただ自分が見れないからといって、ないという証明にはなりません。ごくまれに、1000人に一人くらいの割合で、「幽霊」を見る人もいるわけですから、何とも言えません。

ちょっと話がうさんくさいと思われる人もあると思うので、その話はこれくらいにします。ただ、わたしが言いたかったのは、人間の体をどう見るかということは、「治療の世界」においても、すごく大きな問題です。実は、科学的といわれる西洋医学というのは、目に見える世界しか扱いません。ですから対象となるのは、「肉体」のみということになります。ところが、治療で難しいのは、肉体だけの問題ではないことが多いからです。

だから、わたしは、治療者というのは、できるだけ治療に使う引き出しは、多ければ多いほどいいと思っています。東洋医学で使う、「経絡経穴(けいらくけいけつ)」というのは、気の流れとか、気が出入りするところという捉え方のようです。経穴は、簡単にいえば「ツボ」のことです。ですから、指圧をすること、鍼をうつことで、気の流れ、あるいは、エネルギーの流れを変えるという考え方なのです。そんなこと信じられるかどうか。という考えもあるかもしれませんが、実際にわたしたちは、それなりの結果や成果を得ているので、疑うことはありません。

それから、わたしは、「チャクラ」。人間の体の正中線上にある、7つのエネルギーが、出入りするところです。これはインドの伝統医学、「アーユ・ベーダー」の考え方をもとにしていますが、これもしっかり成果が出ているので、いくら目に見えないものを扱っているといっても、わたしには疑いようもないことです。

それから、わたしは、ある人の影響から、「量子力学」も少し勉強しています。物体にはすべて「波動」というエネルギーがある。物体には、わたしたち生命(いのち)があるのもと同じように「意志」と「意識」があるということも、すべて、治療に取り入れています。少し話が大きくなりすぎて、しまいましたが、わたしが、一番いいたいことは、「気はエネルギーだということ」それから、「目に見えない世界」こそ重要であり、そうした世界が、また、わたしたちの生命や健康や生活をささえているのだということです。
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emoticon-0128-hi.gif指圧鍼灸治療がペットロスの患者さんを助けます!
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たぶん3年ぶりくらいでしょうか、めずらしい患者さんから電話をいただきました。でも電話口のAさんは元気がありません。聞いてみると1週間ほど前に愛犬をなくしたそうです。その愛犬ネネちゃんは、犬種はシーズーで、治療の時にAさんが、よくつれてきてくれたのでよく知っているワンちゃんです。とても可愛いワンちゃんで、Aさんに会えるのも楽しみでしたが、お供のネネちゃんに会えるのも、すごい楽しみでした。だから、その訃報には、正直ぼくらも、ショックを受けました。

愛犬は、人間にとっては、良きパートーナーであり、家族も同然です。そういうぼくらも7年ほど前までは、ゴールデンレトリバーを飼っていました。名前はパクといって人なつこい、おとなしい、いい子でしたから、患者さんからも人気で、よく治療の時には、治療室で横になっては、ぼくが患者さんを治療している様子をよく見ていました。その愛犬がなくなってからもう7年もたっているのに、パクのことは、忘れたことがありません。夫婦の会話でもどうかすると、パクのことがつい昨日のことのように出てきては、時にはたまらなく恋しいときがあります。

ですから、愛犬をなくしたAさんの気持ちは本当によくわかります。「家にいると、ネネちゃんの匂いと、手に触れたあの感覚が、忘れられなくて、とても悲しい」と言います。「ペットロス」というのは、経験したことがある人ならよくわかると思うのですが、本当に悲しいです。愛犬のことが、片時も頭から離れません。まるで全身の力が抜け落ちてしまったようで、ため息ばかりが出てしまい。その子の思い出話をしながら、自然と涙がこぼれてしまうのです。

かわいそうなAさん。でもこんな時よく、八倉治療院を思い出してくれたなって思いました。人間の体は、「心身一如(しんしんいちにょ)」つまり、「こころと体は、つねに一体です」こころがつらい時には、からだもつらいのです。ストレスの中でも、愛するものとの別れは、最高のストレスなのです。もう触診しなくてもわかっていましたが、Aさんのからだも、左右の足の長さが違っており、右足に比べ左足が1センチほど短くなっていました。もうこれは、本人からすれば、「からだがつらい」という自覚症状がうまれる段階であり、こうなると、自然治癒力も低下して、なかなか自分ではどうすることもできない状態です。

ですから、こういう「ペットロス」や「人との別れ」もこれと同じです。一段落ついたら、少し休養をとって、わたしたちのような治療者にからだをゆだねてほしいのです。「心身一如」の言葉が示す通り、もしからだを癒すことができれば、こうしたこころの問題も少しは楽になるからです。実は、悲しみながら、涙を流すことも、人間にとっては、かけがいのない癒しのひとつです。だから、四十九日の間は、なくなった子のためにも、おおいに泣いてあげてください。でもあまりにも、その悲しみが深い時には、なくなった相手も悲しみます。からだは亡くなって見えませんが、魂は、いつまでもあなたと共に存在するのですから。
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emoticon-0128-hi.gif 霊性を高めることで治療のパワーが上がる
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鍼治療ではツボをどう考えるか

 近年は鍼治療が、世界的に認められ、日本以外の国では、医療の現場で医者や鍼灸師が活躍し、臨床研究も盛んに行われています。ところが、最も進んでいるはずの「和鍼」がつくられ、使用されている日本では、まだまだ、医療としての鍼治療が一般的に評価されていません。最前線にいるわたしたち鍼灸師としては、とても残念なことに思いますが、まだまだ、わたしたちも、普及させるための努力が必要です。

 ところで、経穴のことをツボといいますが、「人間のからだには、いくつのツボがあるか」みなさんはご存知でしょうか?正解は、361個です。その361個のツボは、人間のからだのどこにあるのか。治療に使われるように、すべて共通理解がなされるように決められています。そして、それらひとつひとつには、「百会」とか「足三里」とか名前がつけられています。そもそも、「話のツボ」とか、「ツボにはまる」とかいわれますが、「ツボって、一体なんでしょうか」、「ツボ=大切なところ」というニュアンスはあることは確かですが、その辺は、実際に目に見えるものではないので、扱いが実にさまざまで曖昧です。それもそのはずです。鍼灸師の我々の仲間でさえ実態がつかめない人がいるくらいですから、素人のみなさんが、よくわからなくても、当たり前のことだと思うのです。

「目に見えるもの」だけが尊重され、「目に見えないもの」が軽視されている

 わたしは、「経穴(ツボ)」のことを「エネルギーが出入りするところ」というふうに考えています。科学一辺倒の現代では、「目に見えるもの」だけが尊重され、「目に見えないもの」を軽視するか、「認めることができない」という人がいます。しかし、世の中には、目に見えないものでも、確かに存在するものはたくさんあります。人間の身体も、骨・筋肉・神経・血管・内蔵・器官と実際に目に見えるものばかりが、研究の対象になりがちですが、実際には、人間のからだは、肉体・エーテル体・幽体・霊体というふうに肉体の中には何層にもからだが存在するということを師匠から教えられたことがあります。しかし、あくまでこれは、科学では証明されていない「目に見えない」お話です。「わたしは認めない」という人がいればそれだけのお話です。

「物体や人間のからだには、すべてエネルギーが存在している」

 ただ最近になって、「量子力学」という学問が盛んになり、これでノーベル賞をもらう学者がでてきましたから、「物体や人間のからだには、すべてエネルギーが存在している」ことは、理解されるようにはなってきました。物体をミクロで捉え、どんな物体でも分子や原子より小さな単位で捉えると、陽子や中性子でできた原子核のまわりを電子が回っている。「波動」とよばれているエネルギーが存在していることになります。そうすると人間のからだには、約60兆の細胞が存在するのですから、よほどたくさんのエネルギーが、まるで、都市の中を縦横無尽に走り回る車のように、たくさんのエネルギーが、からだの中や外を行き来している様子が想像されます。

 そのエネルギーのことを東洋医学では、「気」という呼び方をします。ところが、わたしたち鍼灸師の仲間にも、それでも「気」を認められないという鍼灸師もいます。それは、西洋医学的に鍼灸を考えているからです。確かに、血管や筋肉と神経、内蔵や器官、それに脳が存在すれば、鍼のもたらす効果を説明できます。また、実際に気とかエネルギーとか、目に見えないものを患者さんに説明するより、よほど科学的ですから、その方が説得力がありますので、患者さんによっては、西洋医学的な観点から説明させてもらうことがほとんどです。

 では東洋医学の「気」と先程の「量子力学」的なエネルギーの関係とは、また性格を異にします。東洋医学では、経絡経穴といって、「経穴」が「点」だとすると「経絡(けいらく)」は「線」です。まるで「山の手線」とか「京浜東北線」というように「肺の経絡」とか「腎の経絡」というように関連しあった五臓に関連したところに気が出入りする「◯◯線」や「◯◯駅」が存在するのです。これらを駆使して治療に当たるのが東洋医学なのです。あまりにも簡単で申し訳ありませんが、簡単にわかりやすくすると、ざっとそのような感じなのです。

 このようにひとくちに鍼灸師といっても大雑把にいって西洋医学的な考え方の鍼灸師や、東洋医学的な考え方の鍼灸師や、またはそれ以外の考え方の鍼灸師といったふうにいろんなタイプの鍼灸師が存在するのです。ですから、西洋医学と違って鍼灸は、科学的な根拠をよりどころにする派と、科学以前の哲学的な考えを尊重する派の人と様々です。ですから、シンプルを求める人には、なかなか、厄介な存在であるということがいえるものなのです。それだけに、また、とても深い世界なのです。ただ、わたしは、鍼灸師は、何をよりどころにしてもいいのですが、できたら、引き出しは多ければ多いほどいいと思っています。実際臨床に当たってみますと、患者さんのからだは、十人十色で、体質も症状も、一筋縄ではいきません。そういう時に、たくさんの引き出しがあることは、患者さんを助け自分も助かることが多いからです。

「自分が患者さんのからだを治療しているのではなくて、患者さんのからだが、治療者を選び、治療させている」

 わたしが、師匠から教えて頂いた治療というのは、とても変わったいて、学校の授業ではとてもあり得ないようなことばかりでした。例えば、「自分が患者さんのからだを治療しているのではなくて、患者さんのからだが、治療者を選び、治療させている」とか「経絡経穴の決められた位置には、経穴は存在しない。人のからだあたかも神のように万能なので、治療者を力量を見て、その治療者に応じて経絡や経穴をみせる」といわれます。わたしは、はじめはまったくその言葉の意味が分かりませんでした。ところが、開業して臨床が始まったら、それでもいくらかわかってきたことがあるのです。

 学生時代は、経穴は手首から3寸といって実際に指を何本か使って経穴の位置をはかります。ところがさすがに臨床にでると、このようなやり方は、患者さんの前ではできません。だいたいの目安で経穴に当たりを付けます。ところが、3年間も毎日毎日経穴を探し、そこにはりをうってきているのですから、そうそう間違っているわけではありません。ところが、人によってまったく効果のあらわれ方が違います。いくら鍼灸師といっても効かない人だと、「ひびき」もなく「効果」もあらわれないということもあるくらいです。ところがこの世界でも「名人」といわれる人がいて、何も考えなくても、導かれるようにして、経穴を突き止め、あっという間に、痛みや症状を抑えてしまう人がいます。特に全盲の鍼灸師にそういう方が多いのです。

 実はこれが、からだが治療者の力量を見抜き、治させているということなのです。あるいは、経穴は探すものではなくて、からだが、そのひとの力量にあわせ経絡経穴を見せているということなんです。そういう観点からすると、いろんな不思議な治療が理解することができるようになりました。これはとっても不思議なことですから、これを読まれている方は、無理に理解しようとされなくても結構です。でもこれが、前回のブログで書かせてもらった「鍼治療は、うつところではなくて、うつ人によって決まる」というタイトルの答えの半分に相当するものです。これは、鍼治療に限りません。指圧でもマッサージでも治療のすべての世界に関わっていることです。つまり、人が人を治している世界では、最終的には、人そのものが、問題であり、人そのものが、解答でもあるのです。

 「わたしがいま本当のことを教えると、国家試験には合格できなくなってしまうから、わたしは、あなたが国家試験に合格するまで、あなたには会いません」といわれて専門学校時代の3年間は、一度も師匠にあって直接ご指導をいただくことはありませんでした。ただ、会うことは許されませんでしたが、電話では、考えられないほどの時間を割いていただきご指導を受けるこができました。それが次にお話ししなければならない「霊性を高める」ということの内容になるはずです。(つづく)

 
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emoticon-0128-hi.gifさよなら、ありがとう小林正観さん
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 昨日、家の近くにある温泉「伊太和里の湯」に行ってきました。そして何気なく新聞を見ていると、広告の書籍の覧に、小林正観さんの本の紹介に遺稿と書かれていました。実は小林正観さんが亡くなったことをそのときはじめて知りました。わたしが知る限りでは、ここ数年集中的に正観さんの本が出版されていました。ものすごく意欲的に出版されていたようなので、「すごいなあ。どうしたらそんなに精力的に出版活動ができるのだろうか」と、感心していました。でも、今から思うと、正観さんは、自分の天命をご存知でいたのかもしれません。小林正観さんの公式ホームページを見ると、2011年10月12日に62歳で永眠と書かれています。「いやあ〜」本当にショックでした。

 わたしと正観さんの出会いはもう15、6年も前のことになります。当時、中学校の教員をしていたわたしは、もう毎日が、悩みと迷いが連続の毎日でした。そして、精神世界に足を踏み入れたのもちょうどその頃でした。正観さんとは、浜松の「生命のシンフォニー」というサークルが主催してくれた講演が、はじめてのきっかけでした。正観さんは、見かけは、スラッと言うより、どちらかというとヒョロヒョロとした弱々しい感じの印象を受けました。ところが、いったん彼が話だすと、会場の聴衆は、巧みな話術に引き込まれます。ユーモアのセンスも抜群です。わたしもあっという間に、正観さんのファンの一人になってしまいました。

 上にある写真の3冊の本は、「出会いに感謝 八倉秀夫様 1998・6月28日 小林正観(寛)」と書かれていたので、おそらくはじめて、小林正観さんの講演を聴かせてもらった日に購入したものです。それ以来ずっとわたしは、小林正観さんの大ファンになってしまいました。この本はもちろん、正観さんの本は、わたしのブログでもおすすめのライフログとして紹介させてもらっています。何がそんなに気に入ったかと言えば、正観さんの考え方です。彼が主催する「うたしの会」は、心の底から賛同できました。「嬉しい・楽しい・しあわせ」の頭の3字をとって「うたしの会」です。また、彼の幸福論が大好きです。「世の中には、幸福も不幸もない。人が幸せか不幸かは、その人、本人の考え次第で決まる」そういわれてみれば、確かにその通りでした。

 わたしも、教師を辞めて今は、治療の世界にいますが、小林正観さんのわたしたちに送ってくれたメッセージは、教師をしていた時も今、指圧鍼灸師という治療の世界にいても、まったく同じように役立ちます。わたしは、今やっていることは、自然治癒力の源である「エンドルフィン」という物質をどうして引き出しかをいつも考えています。普通みなさんは、脳内モルフィネと言われている「エンドルフィン」を引き出すには、鍼(はり)や灸(きゅう)が、刺激物として絶対に必要なものと考えがちですが、必ずしもそういうわけではありません。人が「気持ちがいい・嬉しい・楽しい・しあわせ」と感じた時に脳から「エンドルフィン」が多量に噴出しているのです。だから、「気持ちがいい+うたし」は、立派に治療の世界でも通用することなのです。わたしが突き詰めていった臨床の世界も実は、「うたしの会」の延長線上にあったことを知り、思わず感動してしまいました。

 だから、わたしは小林正観さんという人を今でも尊敬しています。そして今でも、小林正観さんや、小林正観さんが書かれた本に出会えたことを感謝しているのです。でもまだ正直いうと小林正観さんが死去させたということが実感としてピンときません。日本国中そういう人はいっぱいいるのではないかと思います。ですから、あえて湿っぽいお別れなどする気はまったくありません。小林正観さんは、これからも、わたしや皆様のこころの中に、ずっとずっと永遠に生き続けるに違いありません。現に今もわたしのこころの中にいて、「気持ちがいい+うたしの会」を継続してこの運動の継続と推進を実践しているのです。
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☆カナダ・バンクーバーのスタンレーパークで見かけた野生のリスくん、わたしの足下まできてくれたので、このアングルから写すことができた。
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emoticon-0128-hi.gif医療におけるコペルニクス的転回

 コペルニクスというのは、16世紀の天文学者。それまでは、人間は、地球が宇宙の中心で太陽やその他の惑星は、地球を中心にそのまわりを回っていると信じていた。これを「天動説」というが、コペルニクスの登場で、現在のような、地球が太陽のまわりを回っているという「地動説」に変更されるようになった。これまでも「地動説」を唱えたものがないわけではなかったが、1543年に彼が思索をまとめた著書『天体の回転について』は、地動説の測定方法や計算方法などが記されており、「地動説」が正しいことを人々に認識させる有力な手がかりとなった。それ以来、コペルニクスは「地動説」の創始者となった。

 これまでの認識を、180度変えさせることを「コペルニクス的転回」というが、これは本当にすごいことである。特に人間の認識方法は、「見たものがすべて、見たものしか信じない」おそらく科学が今日のように発展する以前から、人間の本能的な習性としてそういう認識方法が備わっていたことだろう。もし今のように科学の発展がなかったら、「地球が動いている」なんていうことは、誰にも簡単に受けいられることではない。どうしたって、人間の目で見る世界は、太陽や月や惑星が、地球を中心に動いているとしか見えないことだろう。それを地球が動いているというふうに認識するには、ものの見方考え方を、これまでとはまったく180度転回しないと認識は不可能である。だから、「地動説」が天文学史上、最大の発見であるといわれているのは、誰もが認めることであろう。

 しかし、「コペルニクス的転回」というのは、なにも科学や天文学上の世界ことだけのことではない。医療の現場にもコペルニクス的転回といえるものがある。わたしは、開業以来、師匠から、「あなたが患者さんを治しているのではなく、患者さん自身が持っている治す力(自然治癒力)を引き出すお手伝いをさせていただいている」という自説の「治療の主体」に対して認識を改めなければならなかった。これも「コペルニクス的転回」のひとつかもしれない。普通は、「医者や治療者が患者の症状や病気を治す」というのは、世間一般の見方であろう。ところが、「症状や病気を治すのは患者さん自身であり、治療者は、そのためのお手伝いである」というように、「治療の主体」が、明らかに違うのである。でもそのように認識を改めることは、わたしにとってそんなに容易なことことではなかった。師匠から何度も注意をいただいても、どうしても、「治療」に体する思い込みなのか、「わたしが、患者さんの症状を治している」という認識からはなれることができなかった。

 しかし、最近、臨床経験を積むに従って、人間が本来持っている治る力(自然治癒力)というものに注目するようになってからは、意識が変わっていった。人間の脳はすごい力を持っていて、エンドルフィンというまるで魔法のような物質を分泌することで、痛みや症状を消し去ってしまう。そういう偉大な力が働く様子を治療の過程で自分の目で確かめてくると、「これはとうてい、人の力が及ぶところのものではないな」ということが、わたしにもはっきりと理解できるようになってきたからだ。師匠がいうように治療者は、その偉大な力のメカニズムが上手く働くようにお手伝いさせてもらっているだけなのだ。そんなふうにいつしかわたしの考え方や認識がコペルニクス的転回を始めたのである。

 まさに今わたしが考えていることは、「人間の体は完璧そのもの」であり。師匠のいわれるように「人のからだは、神そのもの」なのかもしれない。師匠はまた、さらにわたしに、こういうふうにいわれたこともある。「あなたは、患者さんのからだを治しているような気持ちになっているのかもしれませんが、それは大きな誤りです。実は、患者さんのからだが、あなたという治療者を選び。あなたに治させているのです」という言葉は、まさに、「コペルニクス的転回」そのものであるといえる。最高に高度な医療があるとすれば、「人が患者さんを治す」というのではなくて、「自然治癒力」という神の偉大な力が働くようにしむけていくことをいうのではないか。そのような「コペルニクス的転回」に認識転換がなされた医者や治療者が増えてくることが医療革命の第一歩のように考えているのはわたしだけであろうか。
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