カテゴリ:宇宙の法則( 10 )

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emoticon-0128-hi.gif 地獄ことばってなんですか?

わたしの大切な方から「地獄ことばってなんですか?」という質問をいただきました。わたしが師匠から教えていただいたのは「天国ことば」だけです。でも陰と陽の考え方からいけば、「天国ことば」があるなら、「地獄ことば」があっても不思議はありません。わたしも教わったわけではありませが、わたし自身が想像で考えた「地獄ことば」を今から、紹介してみようと思います。どうぞ、しばらくお付き合いください。

「地獄ことばとは何か」って考える前に、もう一度、天国ことばの8つを復習してみたいと思います。

・愛してます・付いている・嬉しい・楽しい
・感謝します・幸せ・ありがとう・許します


でしたね。この8つの天国ことばからは、神様のこころが感じ取ることができます。わかることは、神様って、すごく、愛に満ちた、やさしい人?なんだって思います。それから、すごく明るいというのも、もうひとつの大切な特徴です。

ということから、神様が存在するとしたら、きっと、師匠やみなさんがおっしゃるように「愛と光」の存在なんだと、わたしも思います。ですから神様は、わたしたち人間にも、そういうことが、人として最も大切な生き方なんだよって教えてくれていらっしゃるとわたしは思うのです。

誰にもやさしくて、光のように明るい人がいたとすれば、それは既に天国に召されてもおかしくない方なんだなあって思います。多分、わたしが思うに神様って、やさしさ寛容、そして明るさが大好きなのです。それが神様のこころそのものだからだと考えています。

だから、わたしたちは、いつでも天国ことばを使っていられるような、気持ちの持ち方、こころのあり方、が大切なのだと思います。さあ、これだけわかれば、「地獄ことば」も想像がつくのは簡単ではないでしょうか?

・憎い・苦しい・悲しい・つらい・心配・不安
・不幸・怒り・恨めしい・当たり前・許せない


こんなネガティブなことばが、次々に浮かんできます。実は神様もこういう暗いこころをあらわす言葉が、大嫌いなのです。それが地獄ことばなのです。どうでしょうか、少しは、わかっていただけたのではないでしょうか?あなたも、こころに闇をつくってはいませんか?つくられているとしたら、それは、もうこの世の地獄なのです。
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☆五臓六腑の働きを良くするスー肺、フー脾、とは何か?

・スー肺・フー脾・コー心
・チュイー腎・シー肝・シュイー三焦

「スー」と正しく発音すると、肺のあたりが響きます。つまり、波動が共鳴するのです。「コー」も同じです。「コー」と正しく声に出して発音すると、脾臓が波動で共鳴するのです。「三焦」とは聞き慣れない言葉ですが、内臓や器官の全体をいっています。したがって、このように人が実際、声を出して、これらの言葉を唱えると、自然に五臓六腑のすべての機能が元気になり、活発に働いてくれるのです。本当にすごいことですね。


☆「宇宙の無限の力が…」は、血液循環を良くするように働いてくれます

・宇宙の無限の力が、凝り凝って
・真(まこと)の 大和(だいわ)の み世(よ)が、 生(な)り成(な)った


この言葉を、わたしは、このように解釈しました。「宇宙の無限の力が、集まって固まって、真実の大きな調和のとれた、理想の平和な世界が、出来上がった」

実はこれこそ、神様が望んでいらっしゃる「天国」のような理想な平和な世界なのではないでしょうか?それを「大和のみ世(御代)」って、おっしゃられたのではないかなって思います。わたしはそのように解釈させてもらいました。

宇宙には無限の波動というパワーがあります。しかし、その波動には、「愛と調和」という意志と意識が存在しているのです。もしあなたもその波動に調和ができるなら、あなたも病気や不幸という苦しみから解放されることができるのだとわたしは思います。

宇宙の法則には、「真の大和の御代が生り成った」という現在完了形で、言い切ると、願いが成就するという法則があります。ですから、「生り成った」と言い切ることで、神様の願いが達成されるように、あなたもお願いしたことに成るのです。

不思議と、個人のささやかな願い出も、神様は、そういうお願いは聞いてはくれません。でも「世界が平和でありますように」とか「世界中の人々が幸せになりますように」と言う願いには、耳を傾けてくれるのです。こうした宇宙の波動に同調することで、あなたの運命も少しづつ好転してくるのではないでしょうか。

わたしの師匠は、俗にいう「チャネラー」です。何時も「世のため人のため、苦しんでいる人、困っている人を助けてあげよう」と考え実践されてきた方です。だから、師匠には、信じられないほどの「神通力」という神に通じるパワーがあるのです。

今21世紀の世の中は、宇宙規模での環境破壊があり、人々の暮らしも生命さえも危険な状態にさらされています。そういう中で、苦しんでいる人を、誰でも簡単に救ってあげられるようにって考えられた神様のメッセージが、この言霊を持った天国ことばには、込められているのです。まさに、わたしは「愛のメッセージ」なんだって思っています。

やるかやらないかは、あなたの自由です。でも実践されてみると、いつの間にか、あなたの内臓の働きや心が元気になって、血液循環まで良くなってしまう不思議な言霊の力を実感させられると思います。
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emoticon-0128-hi.gif 言霊の不思議~内臓の働きや心が元気になって、血液循環まで良くなってしまう

言霊とは、言葉には魂があるということです。ですから、わたしは、日頃から、言葉には細心の注意をはらいます。愚痴や悪口やネガティブなことは、なるべく言葉として発することはしません。なぜなら、それをご自分の魂が四六時中、何時もあなたの発する言葉を聞いているからです。

最近もうひとつの理由を師匠から教えていただきました。人は「分け御霊(みたま)」と言って、この世に生まれてくる時に、神様の魂を分けていただいて生まれてくるのだそうです。ですから、わたしたち人間は、一人一人が、神様の分身であり、神様の子供なのです。

もし神様の立場に立って考えてみるとその理由はよくわかります。神の子である私達人間が、いくら孤独な存在とはいえ、お互いに悪口を言い合い、傷つくような言葉を発してほしくないのは当然だからなのです。

逆に師匠が、これが最も大切と言われた「天国ことば」は、まさに神様が、最も大切されている愛の言葉であり、こころなのです。わたしは、これらの8つの言葉は、人のこころや身体の健康と、生活の安定や改善までも実現してくれるほどの力があるものだと信じています。

時と場合にもよりますが、なるべくなら、肩幅くらいに足を開き立って「スー肺」などの言葉を声を発しながら、両方の中指・薬指・小指の3本の指で手刀を作って、鼠径靱帯(そけいじんたい)に、叩き込むような気持ちでリズムよく唱えながら打っていきます。魂に響くような気持ちでパワーを入れていただきたいのです。

でもおそらく人によっては、何でこんなことまでやらなければならないのかと思われる人もいるでしょう。そういう方のために、これらの言葉にどのような意味が込められているのか、ご説明させていただきますね。

ただしこれは、師匠に説明していただいたことをもとに、わたしが勝手に解釈させてもらったものです。大幅に違うことはありませんが、細かな解釈の点で、もしかしたら至らない点があるかもしれませんが、どうぞお許しください。(つづく)
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emoticon-0128-hi.gif「本当の宗教とは、宇宙の法則を示す教えのことをいうんだよ」

師匠は、「治療の世界は、極めていけばいくほど、宗教的、あるいは哲学的なものになっていくものだよ」とおっしゃっています。でも普段の師匠は、もとは僧侶だったこともあって、けっこう宗教に対して批判的であったりもします。

ついこの間も、師匠の口からこんな言葉も聞かれました。「修行のために、座禅しろ座禅しろって、人の顔を見れば、そういう坊さんもいるけど。何を言っているのかね。今時、誰が、座って修行なんかしていられるかっていうんですか。そんなことより、その人が生きている日常の生活そのものが修行なんですね。修行の目的が、何んにもわかっていないから、そんなことが平気で人にいえるんですよ」

また、「第一、仏教だってキリスト教だって、宗教は、もともと人間がつくったものなんでしょう。お釈迦さんだって、キリストさんだって、みんな人間じゃないですか。人のいった言葉をむやみに信じろっていったって、意味ないよね。それより、あなたが神様を信じるんじゃなくて、あなた自身が神様から信じられる信頼される人になりなさい」こういわれた言葉を、わたしはずっと忘れることができませんでした。

それにしても、わたしが師匠にご指導をいただいてから、もう20年近くなるのですが。鍼や指圧などの治療の技術的なことで、あまり、指導を受けたことがありません。いつも決まって、わたしが、日常生活の中で、悩みや困ったことがおきた時に、ご指導していただく。そういうことの繰り返しだったような気がします。

特に、わたしはいろんな症状や病気をすることが絶え間なくて、治療院へ来られる患者さんの症状のほとんどを、自分の身体で体験していました。でも、そういう機会を通して師匠から、それらは、すべて、自分自身のこころのあり方、気持ちの持ち方に根本の原因があることを教えていただきました。「病気は気づきのためのメッセージ」であると、その都度何度も教えていただいたように記憶しています。

師匠から、これまでにいろんな宇宙の法則を教えていただきましたが、その中でも最初に教えていただいたのが、この言葉でした。「求めるものは得られず」現実生活の中で、何度もそういう経験をさせてもらいました。ただ残念なことに、何度体験しても体得できていません。ごく最近では、「刈り取り」という言葉を教えていただきました。つまり、「自分でまいた種は、自分で刈り取らなければならない」という宇宙の法則です。

こうして、具体的な例を挙げていくと、何かとても倫理的な感じもしないでもありませんが、師匠の教えは、決して狭い意味での道徳的なものではありません。むしろ根本は、お釈迦様の「慈悲」であったり、キリスト様がいうような「愛」の教えなんだって思います。よく師匠は、宇宙で最も大切な法則は、愛と調和なんだっていわれます。宇宙には全体的にそういうエネルギーが意志や意識となって流れているのだそうです。そういう波動エネルギーに同調できないと、気づきのために病気や不幸な現象が起こるのだそうです。

わたしは、最近、ようやくそういうことが、少しづつわかってくるようになってきました。だから、治療にとっても、一体何が必要なのか?やっぱり、これも師匠のスーパー語録ですね。「宗教のウかんむりは、宇宙のウです。その下に示すという字がきていますね。それは、宇宙の法則を示す教えということですよ」これは誰でもいえる言葉ではありません。
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emoticon-0128-hi.gif 治療者として波動(パワー)を高めていくことの大切さ

わたしは、何年か前に師匠から本を読んだり講演を聴きにいくことを止められていた時期があります。それまでのわたしはどうかといいますと。紀元が21世紀を迎える前は、精神世界の本が隆盛で各地にいろんな方の講演もあって、それらの知識や考え方を頻繁に吸収し、ためになることは何でも取り入れていた時代でもあります。そういう時代だったからこそ,あえて師匠は、わたしに本を読むことや、講演を聴きにいくことを禁じられたのではないかと思うのです。

師匠の理由は、このようでした。「あくまで本に書かれたことや講演は,人の考えです。そうしたものに洗脳されてはいけないのです。特にあなたには、その危険性が高いように思われます。もしあなたが勉強がしたいのであれば、『自然』を見なさい。『自然』があなたの教科書です」補足させてもらうと、どんなに肩書きのある立派な人であっても、やはり人間である以上、間違いは付き物です。それに対して、神が作った自然は、間違いがないというのです。自然をよく観察し、そこからえた知識や知恵は、絶対に正しいものなので、それをあなたの糧としなさい。という教えだったのです。

だから、わたしは、これまで大切に読みあさり集めてきたたくさんの蔵書を捨てました。それから、これまでのように本を買いあさったり講演に聴きに行く習慣もなくなりました。確かに、師匠の言うとおりなのです。やはり、本や講演は、「言霊(ことだま)」というものがあり、そのパワーにどうしても心や魂が揺り動かされてしまいます。だから、無意識のうちに、魂が洗脳されて、「真我(神我)」から、かけ離れてしまうような気がするのです。

でもどうしても捨てきれなかった本もあります。ここに紹介する足立幸子さんの「あるがままに生きる」という本も、もう出版されてから20年以上もたちます。でも、わたしの心に残る一冊ということで手放すことが出来ませんでした。特に波動を高めていくことで、人は自我から、真我(神我)に近づいていくということが、とても共感できるような気がして、捨て去ることが出来なかったのです。基本的には、これは治療の世界でもいえることで、真我に近づいていくことが,治療者としても大切なことなのです。

足立さんの書かれた「あるがままに生きる」という本のなかには、自我をより真我に高め近づけていくには,大切なことが、いくつかあるようです。少し、それをこのように整理してみました。

1、自分の中にあるあらゆるこだわりというものをどんどん取り除いていくこと。

2、ひらめきや直観を信じて、すぐに行動を起こすこと。

3、深い部分の自分が望んでいることをやる。


以上が、足立さんがいわれる波動をあげる3つの条件になるようです。

そういえばわたしも前々から、師匠から同じようなことを言われ続けてきました。「あなたは、頭でっかちで、考えることが好き。だから、一番大切な行動が伴わない。『ああでもない、こうでもない』と考えているうちに、顕在意識にじゃまをされて、神我に近づけないのです」やっぱり、足立さんも同じようなことを言われているような気がします。本当大切なのは「行動する」というこの一点なのです。気づきも大切なことなのですが、人は考えているだけでは何も意味はありません。そのことが,とても分かりやすく書かれているので,この本は、わたしはどうしても手放すことができないものなのです。

最後に、足立さんは、「尊徳と損得」という章でこのようなことを書かれています。わたしの大好きな章のひとつで、その文章を、引用させてもらい,わたしのブログをひとまず閉じることにします。

「とにかくお金は目的ではなく結果で、『徳』という見えないエネルギーで返ってくることもあるということですね。
こんなふうに考えてください。
『得』の方は地球上の銀行の方に貯金しますが、これは肉体が消えた時には持っていけませんね。
ところが『徳』の方は、宇宙銀行に貯金するとお思いになればいいのです。これが肉体がなくなっても、持っていけるのです。
ですからこれからは出来れば、宇宙銀行の方に貯金された方がよろしいのではないかと思います」

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emoticon-0128-hi.gif 感謝が自然治癒力をひらかせてくれる

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 「宇宙の法則」久しぶりにこのテーマで書かせてもらいます。最近、「治療」をやっていてわたしが意識しているのは「脳の働き」と「エネルギー」のことです。いままでのわたしはどうかと言えば、「骨」「筋肉」「神経」一辺倒でした。自分自身の治療も、かなりそれらを意識して、行なってきました。患者さんに説明する時にも、「運動器系」は、わかりやすいですから、そのように部位を明らかにして説明させてもらいました。いまでも基本的には何も変わっていませんが、やたらと「エンドルフィン」という言葉が多くなったことや。いままでは、「筋肉繊維」とか疲労物質の「乳酸」とかいって、説明させてもらいましたが、「痛みはすべて、脳で感じているのではないか」というようなことを考えるようになってから、治療は「脳」を意識するようになっていきました。こんなことをいきなり書き出しても、治療家ではないみなさんや、たとえ治療家であっても、言おうとしていることが、あまりに突飛で何を言っているのかよくわからないという専門家がほとんどではないかと思います。

 わたしは、1年ぶりに師匠にあってから、師匠の言葉が、頭から離れなくなってしまいました。すこし、自分の頭を整理する意味でも、復習をしてみたいと思います。「物体には、すべて波動というエネルギーが存在する」なぜなら、どんな物体でも、小さく小さく、これ以上小さくすることができないくらい小さくしていくと、「分子や原子」という物理学で対象となるようなミクロの世界に、たどり着きます。少なくとも見えるか見えないかを別にして、物体がそこに存在する以上、「陽子」と「中性子」でできた「原子核」というものがあり、そのまわりを「電子」が回っている。その微細な振動を「波動」といい。動き続けている以上、それは明らかにそこに、「エネルギー」が存在している。ということを認めないわけにはいきません。人間の身体も物体である以上、代謝によって得られる「栄養」意外の「エネルギー」が存在することを認めていかなければならないのです。

 さらに厄介なのは、師匠は「エネルギーには、『意志と意識』が存在する」といった言葉です。「量子力学」事態が難解なのに、この「意志」と「意識」は、ますます持ってわたしの頭の中を混乱させました。「科学」と思っていたことが、どうもそうではないらしくなってきました。もしこれも科学というなら「超科学」です。ただ、わたしは、もともと「ホリスチィック」な考えを持っていまして、「人間のからだそのものが『脳』を中心に全体がすべて繋がっている」というような考え方を持っていました。実際にそうなのです。頚と腰が繋がっていたり、右腕と左足が繋がっていたりというように、身体自体は、「ひと繋がり」というのがこれまでの臨床から得られた成果だと思っています。とすれば、「こころと身体も、ひと繋がりだ」と、一気に、論理の飛躍もあっていいのではないかと思えるのです。

 「病は気から」という言葉を、みなさんはよくご存知です。あの言葉の中の「気」というのは、「エネルギー」のことなのです。漢字には意味が存在します。「気」という字が出てきたら、それは、すべて「エネルギー」のことだなと理解すると、いろんな謎も解けてきます。この「病は気から」というのもそうです。「病は気のせい」というふうに解釈するのではなくて、「その人の『エネルギー』が病んでいるから『病気』になっているんだ」というような解釈が正しいのかと思います。前々回、わたしのブログに「宇宙の波動がめざしているものは『愛』」というようなタイトルで書かせてもらいましたが、その中に「足立育朗さん」という立派な「科学者」なのですが、「超能力者」が登場してきます。この足立育郎さんが、師匠と同じようなことをいっているのです。「物体には、すべて『意志と意識』がある」というのです。そして、さらにその「意志と意識」とは何かというと、足立さんは、「意志は愛、意識は調和」だといわれるのです。

 わたしは、足立さんと師匠が、同じようなことをいっていても別に驚きません。どちらも「超能力者」だからです。どうもわたしのまわりの、知っている人間の中で超能力者といえる人は、ただ一人、師匠しかいませんが、人間は、どうも人間が誰でも持っている「欲」や「エゴ」の部分をどんどん削っていくと、「真我=神我(しんが)」という部分に到達するようです。そうすると、宇宙からのメッセージが情報として入ってくるらしいのです。わたしも、よく宇宙からのメッセージをいただくのですが、残念ながら、わたしの場合は、すべて師匠を通して教えていただいたものです。すべてというのは語弊がありますが、わたしの場合は、まだ、明確に確信を持って断言できないあやふやなところがあるのです。まだまだ、「欲とエゴ」が強すぎるのです。本当に、それらがなくなれば、こんなわたしでも、宇宙からのメッセージや「超能力」をいただけるのではないかと信じています。師匠は、普通の人間では考えられないような力を、「超能力」とも「神通力」ともいわれます。どちらにせよ、わたしたち人間はもともと、「神の分身」ですから、誰にもそのような能力はあるのだと思います。ただ、それを妨げているものがあるとすれば、先程から述べている通り「有り余る欲と、これまた有り余るエゴ的な考え方なのです。本当にわたしの知っている師匠は、まったくといっていいくらい、「欲とエゴ」がない方なのです。たぶん、むかし話題になった足立育郎さんもそのような方なのでしょう。

 話題がそれましたのでもどすことにします。足立育郎さんは、「意識は、調和」とおっしゃいましたが、なにも限定的に考えることはないと思います。わたしは、「意志の愛」と同じくらい、大切に考えていることがあるのです。それは「感謝」です。実はこの「感謝」のこころは、「愛」に匹敵するくらい大切な「キーワード」なのです。感謝があってはじめて、宇宙の波動エネルギーに調和できるのです。むかしから、「治療」を行なっていて、はやく病気が治る患者さんと、なかなか治らない患者さんがいることに気づいていました。その違いはなんだと思いますか?もうおそらくほとんどの方が気づかれたと思いますが、やはり「感謝」だったのです。こんなにまだ、治療家として経験の浅いわたしのようなものでも「ありがとう。ありがとう」と感謝の言葉を連呼してくれる患者さんがいるんです。そういう患者さんは、たとえはじめの状態が、「重症だなあ〜」と思っていても、あれよというまに治られていくのです。

 その反対で、あまりよくならない。経過が悪いわけではないけれど、長引いている患者さんは、それなりの理由があります。こういう患者さんは、タイプとしては二通りあります。ひとつは、いつも、文句や愚痴や他の人の悪口ばかりを言っている人です。もうひとつのタイプは、完璧主義者です。よくも悪くも完璧を狙う人です。ではこの異なるタイプに共通点はあるのでしょうか。実は、ヒントとなるカギは、「欲とエゴ」なのです。前者は、明らかに「エゴ」が強い人です。自分のことばかり考えているので、まわりが見えていません。だから、病気を治す前に、ご自分で「文句・愚痴・悪口」を慎む訓練を行なわなければならないのです。そしてもうひとつの完璧者タイプの人にいえることは、欲です。どうしても完璧を狙おうとする人は、欠けている部分に目をやりがちです。気になるのです。こうなると悪いところしか目がいかないのです。そうなると、なかなか、宇宙を支配している波動エネルギーとは、「調和」できません。ですから、エネルギー的に干渉を受けることになります。それが実は「病気」の実体なのです。

 人間の「脳」は実は、宇宙という大コンピューターがあるとするとそれを受ける「端末機」のようなものです。そして、人間の「脳」は、もともと「愛と調和」というテーマで動いていますから、「ポジティブ」な考え方が大好きなのです。特にわたしの知る限りでは、「楽しい・嬉しい・気持ちがいい・しあわせ」こんな感覚感情が大好きなのです。「ありがとう。ありがとう」といっている人には、よいことしか見えていませんから、その通り、よい方向にしかむいていきません。ところが「心配」や「恐れ」を抱いている人には、やはり、そのように悪い方にしかむいていかないのです。よく師匠がいうことには、「10のうち1つでもよくなれば、そのことに感謝できれば、あとの9は、自然に神さまが、この人はよくわかっているからといって、さっと残りの9を治してくれる」とおっしゃっています。やはり、「感謝が自然治癒力をひらかせてくれる」ことに間違いないようです。それが今回の「宇宙の法則」のひとつです。
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☆カナダ・ウエストバンクーバーからバンクーバー島にむかうフェリーボート。
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emoticon-0128-hi.gif 「健康になりたい」という気持ちが強すぎる

 どういうわけか、患者さんは、わたしたちのような治療院をやっている人は、「みんな健康だ」と思っている人が多いようだ。ところが、決してそんなことはない。むしろ自分が、健康上の何かの問題を抱えていて、それをなんとか克服しようとしてこの世界に入ったという人がほとんどだ。そうでなければ、病気で困っている時に、いい治療者に出会い、そのおかげで自分の病気が治り、「自分もそういう仕事について困っている人を助けてあげたい」そう考えでこの仕事を選んだという人も実に多い。

 実は、そういうわたしもその両方のタイプである。自分のことを、あまり、告白する気持ちはないが、わたしの半生を振り返ると、本当に多くの病気な悩まされた。いろんな病気を体験した。いつも医者や病院にお世話になっていた。そして、自慢ではないが、今もよくなったとはいえ、ケガか病気か、いつも身体どこかに問題を生じている。また、そういう人でなければ、この世界では、大成しない。なぜなら、全くの健康体の人では、本当の意味で、病気に苦しむ患者さんのこころや身体の痛みの状態がわからないからだ。だから、いい治療者になるためには、自分が、病気を体験して、それをある程度「克服」した経験がなければ、いい治療者として大成することは出来ない。それがわたしたちのこの世界、この道の大切な条件なのである。

 わたしは、何年も治療家として治療院をやっていけているのは、師匠のおかげである。わたしは、本当に何年も何年もこころと身体を病んだ病人だった。そのわたしを見放さないで、何年も何年もつき合って、指導してくれたのが、わたしの師匠だ。だから、わたしは一生師匠には頭が上がらない。師匠なくして、今のわたしという人間や、今のわたしの人生はあり得ないからだ。そういう経緯があるので、わたしは、「師匠から受けたご恩を、わたしをたよってきてくれる患者さんに返したい」という気持ちがあるのである。

 「『健康になりたい』という気持ちが強すぎる」というのは、実はわたしが師匠からいわれた言葉である。「あなたは、『健康になりたい』という気持ちが強すぎるんですよ。だから、病気が、ちっともよくならないんです」わたしは確かにそういわれた。その言葉が、ある日、患者さんを指導させてもらっている時に思い出された。わたしが、師匠からこういわれた時には、もしかしたらあまりその意味がよく分かっていなかったかもしれない。しかし、何年かたって、立場が逆になり、患者さんに向かい合って、はじめてその言葉の意味が分かるようになった。

 「『求めるものは得られず』これが、宇宙の法則です。そのことをあなたは、よく理解していなければなりません」これが、よくいわれる師匠の口癖である。この十何年の間に、わたしは、この言葉を、何百回と聞かされたような気がする。だから、「求めすぎる健康は、結局は、得られない」しかし、なぜなのだろう。「健康になりたい」その気持ちがどうしていけないのだろうか。当時、わたしは自問した。だから、患者さんの気持ちがよくわかる。病気は、様々であろうが、精神的な疾患をともなったものは、そうは簡単に克服できるものではない。ところが、本人に「治そう」という気持ちが強すぎると、返ってそこに焦りが生じ、なかなか良くなるものもよくならないケースが多い。

 病気が長くなると、どうしてもこころにゆとりがなくなる。自分では、おかしくはないと思っていても、こころが後ろ向きになっていることが多い。ネガティブな発想もそこから生まれる。確かに、病気が長くなると、あちこちと症状が現れる。だから本人にしてみれば、ここもあそこも、みなかしこも悪いという気持ちになる。どうしても悪いところにフォーカスされ、ちっとも、よいところ、よくなっている症状には目がいかないのである。ところが、病人がよくなっていくためには、このよくなっていく症状にこそ、フォーカスして、見ていかなければならないのである。「健康になりたい」気持ちが強すぎる人は、それが出来ない。

 よく患者さんを診ていると、早くよくなっていく患者さんと、なかなか良くならない患者さんがいる。よくなっていく患者さんは、すごく前向きで、「先生のおかげで、頭が痛いのがウソみたいに楽になりました。痛かった肘が、こんなに曲がるようになりました」という感じで、よくなっていくところに、意識がフォーカスされている。だからどんどんよくなっていく。ところがなかなか良くならない患者さんというのは、いつも、「どうしてよくならないんだろう。首はつらいし、腰は痛くてしょうがないし、昨日も、その前の全然眠れませんでした。わたしは、本当によくなるんですか?」とこんな感じなのである。確かにつらいのはわかるのではあるが、悪いところばかりフォーカスされていくと、絶望だけが先行し、希望が見えてこない。ウソでも、「自分の身体は、すこしづつ良くなっていく」という暗示がかからない限り、わたしたちの脳はエンドルフィンも出てこないし、健康回復への免疫力システムが働かないのである。

 本来病気は、メッセージ性が強い。「病気は気づきのためのメッセージ」でもある。何かその人にかけている点があるからこそ、病気というかたちとなって、その人に知らせることが多い。しかし、身体と同様、こころまで病んでいると、どうしてもそういうところまで、気づくことが出来にくくなる。だから、わたしたち治療者は、大変なのである。本当にその人の病気を少しでも解放に向かわせてあげ、ようとするためには、根気よく励ましてあげる。よくなっていく症状に目を向けさせてあげることが大切なのである。でも人間は、欲が強いから、完璧な健康を手に入れたいと思う。そのために、そこには、「求めるものは得られず」という宇宙の大原則が働く。

 だから、はじめから完璧な健康なんてあり得ないことを悟った方がいい。そうすれば、少しでもよくなれば、「有り難いなあ」という「感謝」の気持ちが働く。そうなれば、しめしめといったところだろう。これは「病気」だけの問題ではない。どんなことにも当てはまる。やはり、「求めるものは得られず」は、宇宙の法則なのである。
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☆ニュージーランド南島、ミルフォード・トラックから見た山。山が好きな人にはたまらない、山頂部は三角に切り立った素晴らしいピークである。
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emoticon-0132-envy.gif病気の人(幸せでない人生)とemoticon-0102-bigsmile.gif健康な人(幸せな人生)

 師匠は、「『不幸』『病気』『健康』の三つは、同じ法則が作用しているに違いありません」と、言われました。また、「病気の原因は、心の持ち方、自分の生活態度、食事、排せつの習慣、毎日の運動をしないため、過労などで発症するものです」とも言われています。では、「病気の人」と「健康な人」では、「心の持ち方」や「生活態度」にどのような違いがあるのでしょうか。その辺をもう少しはっきりさせるために5つの観点から、それぞれの違いを対比していこうと思います。5つの観点というのは私が付け加えた補足ですが、後は全て師匠の見解です。


【1:存在という観点】

emoticon-0132-envy.gif 自分と他人は別々の存在であると思っている。

emoticon-0102-bigsmile.gif 肉体は別々であるが、(超)意識ではつながっている存在であると思っている。
他の人は自分の一部分、自分は他の人の一部分、よって他人を非難したり、悪口は言わない。



【2:行動という観点】

emoticon-0132-envy.gif 自分個人の考えで行動。 自分で生きている。 人生の罠にかかった感じ。

emoticon-0102-bigsmile.gif 創造主を自分の中に見て行動。 創造主に生かされている。

       
【3:発想という観点】

emoticon-0132-envy.gif マイナス思考。 出てくる現象を追いかけてそれに左右されている。

emoticon-0102-bigsmile.gif プラス思考。 どんな現象からも学ぶという姿勢でとらえる。


【4:フォーカスという観点】

emoticon-0132-envy.gif いつも足りないところにフォーカスしている。

emoticon-0102-bigsmile.gif いつも足りているところにフォーカスしている。


【5:日常生活の出来事という観点】

emoticon-0132-envy.gif 日常生活の小さな出来事は無視してしまう。

emoticon-0102-bigsmile.gif 日常生活のどんな(毎日の)小さなことでもメッセージだと受けとめて見逃さない。



 以上が、師匠が、言われる「病気の人」と「健康な人」の違いです。確かに私も治療院を始めてから、どんどんよくなっていく患者さんと、なかなかよくならない患者さんがいることを感じていました。確かに、両者の違いですが、「心の持ち方」に著しい違いがあることがよくわかります。ですから、患者さんを治療するのは、身体面だけに、気を配っていてはダメだということがわかってきました。よくなられていく患者さんは、特に3の「プラス思考」や4の「足りているところにフォーカスしている」というのは、本当によくわかります。つまり、「身体が、がこういうふうによくなっている」ということをよく言われては、「先生のおかげです。ありがとうございます」と、いつもいつも、こちらが恐縮するくらい感謝の言葉を繰り返されるのです。よくならない患者さんは、やっぱりこの反対なような気がします。

 1、2、5というのは、とても不思議な点です。かなり難しいことだと思いますが、その中でも1の「(超)意識」というのは、もちろん「無意識」「深層意識」「潜在意識」の領域です。よく「自我」に対して「神我」という言葉を用いることがあります。まさに、この「(超)意識」というのは、「神我」の領域に入るものです。「肉体は別々であるが、(超)意識ではつながっている存在である」というのは、今まで私が述べてきた「ホリスティック」な考え方そのものです。他にも例えて言えば、環境運動で有名な地球村の高木善之さんがよく言う「ワンネス」という言葉で表現されている言葉と同じだと思います。また、地球交響楽ガイヤシンフォニーの監督、龍村仁さんの言うように「私たちは、地球(ガイヤ)という生命体に生まれた。ひとつの存在である。全ての物がつながっている」というふうに考えられるのです。そういう風に思えるということが、こころが健康であるという、まず第一の証拠なのだと思います。
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☆ニュージーランドの南島ティアナウからミルフォード・サンドにいたる119㎞の区間は、深い山間を縫って進む変化に富んだ山岳路。こんな素晴らしい景色に出会えた。
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emoticon-0128-hi.gif宇宙の法則(不幸と病気)

☆師匠の教えをそのまま転記させていただきます。

「もちろん、私たちの生命現象にも法則があって、まだまだ知られていないことが数多くあります。心の性質も、その作用も、法則に則って行われています。
 もし私たちが、今、不幸ならば、その原因が必ずあるはずです。もし私たちが病気になったら、その原因が必ずあります。突然、マジックのように、私たちに不幸や病気が現れるはずがありません。マジックさえも、キチンと、法則を法則どおりに働かせています。

 要するに、病気には、必ず原因があります。また、人間には健康に生活する法則があり、治す法則があるのは当然です。そして、この三つは、同じ法則が作用しているのに違いありません。そこで、病気なんか、治るのがあたりまえなのです。治らない病気なんてこの宇宙にあるはずがありません。
ただし、治ってはきてはいるのですが、食欲がなくなり、体力がおとろえて、寿命のほうが先につきてしまう場合がありますが、これは寿命という別の法則が私たちを支えていてくれているのですからしかたがありません。

 また、病気の原因があっても、身体が症状を現すまでには長い長い年月がかかる場合もあります。そんな病気を治すには、やはり、長い長い年月がかかるのもこれまたあたりまえのことです。
 さらに、よくある話ですが、病気は心の持ち方、自分の生活態度、食事、排せつの習慣、毎日の運動をしないため、過労などで発症するものです。ところが、自分の以前の生活態度を全く何一つ変えようとしないで、治せといっても困ります

emoticon-0171-star.gif「不幸」「病気」「健康」、この三つは、同じ法則が作用している

emoticon-0171-star.gif「病気なんか、治るのがあたりまえなのです。治らない病気なんてこの宇宙にあるはずがありません」


 普段何げなく過ごしている私たちには、「病気なんか、治るのがあたりまえなのです。治らない病気なんてこの宇宙にあるはずがありません」という師匠の言葉は、大変に刺激的です。ところで「不幸」「病気」「健康」の三つに作用している「宇宙の法則」とは、何なのでしょうか?それらを考えることは、私たちにとって大変に有益なことではないでしょうか。次回は、「病気」と「健康」についてもう少し、師匠の教えに踏み込んでみたいと思います。
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 今年は、2日の日に妻と二人で初詣に行きました。島田市の氏神さまは、大井神社です。毎年、除夜の鐘がなりだす頃から多くの人が、参拝に訪れます。今年は、2日の午前中でしたが、やっぱりすごい人手です。神社の境内では、いつものように出店が一杯並んで、正月らしいにぎやかな雰囲気をもり立てています。それにしても、毎年のことではありますが、新年を迎えると、これだけ多くの人間が、神社に参拝に訪れるというのはすごいことです。しかもこの初詣参拝という行動は、日本では、何千年と昔から続いてきているのですから、脅威としかいい様がありません。そういう私も、その脅威の中の一人ですが、ただ師匠と出会い、ご指導して頂くようになってからは、参拝の仕方が変わりました。
 師匠曰く、「神社の鳥居は、何かのシンボルなんですが、何かわかりますか?」そういえば、どこの神社でも「鳥居」を見ることができるが、それがなんなのか、なんて考えてみたこともありませんでした。「女性の性器なんですよ」意外な答えに驚いた。師匠は、続けて、「神社のことをお宮さんなんて言うでしょ。神社は、女性の子宮なんですね」師匠のその一言で、いろんなことが、頭の中にひらめいてきた。師匠は、いつも私に、「重箱のひと隅を明かしたら、後の三隅が、次々に理解できるようにならなくてはいけない」と言われています。私の頭の中にパッと、ひらめいたこととは、次のようなことでした。確かに、鳥居から、お宮さんの本殿までの長い道を「参道」というけれど、もしかしたら「産道」から来ているのかもしれない。それに、お宮さんは、どこもたくさんの木で覆われていることも多く、特に参道などは、どこでも小高い木々が沿道に沿ってあるのが普通、何となく成人した女性の性器を彷彿させる。そう言えば、氏神さまは、この地に生まれた私たちにとっては、母親みたいな存在である。だから、この地に生まれた人が、新年を迎えるにあたり、母親である、氏神さまの母体に、訪れるというのは、一種の既成(帰省?)本能のようなものかもしれない。そういうことが、次々に理解できるようになった。
 私は、「面白いですね。」と、つい正直な気持ちが、とっさに言葉について出てしまった。師匠は、少し憤慨されたように、「面白いって何がですか?」と、強い口調で言われてから気を取り直されたように、話の本題を切り出してくれた。「神社にお参りに行きますね。その時、何か願い事をしませんか?」「「ええ、もちろん、願い事があって参拝しているような、ものですから、お願いしますけど」「それは、全然神様には届きませんよ。だって考えてみてください。そんな人間の虫のいい話、誰が聞くものですか。いくらお賽銭を奮発したって、ダメなものはダメなんですね」いつも師匠のひと言には、驚かされる私です。「ええ、それでは、何をお願いすればいいんですか?」「お願いしたってダメなんですよ。神社は、お願いするところではなく、ご報告させて頂くところなんですね」「では例えば、『今年は、不況の年でしたが、おかげさまで何々という会社に、就職が内定しました。どうもありがとうございました』そんな具合ですか?」「そうです。もしどうしてもお願いすることがあれば、あなたのことではなくて、世界が平和でありますようにとか、世の中の人が、みんな幸せになりますようにとか、そういうことならいいですよ。これは、神社でなくても、お寺でもどこでも同じです。そうすれば、神様は、ああこの人は、わかっている人だなということで、その声が神様に届くんです」なるほどなと思いました。それ以来、私たちの参拝の仕方が、変わりました。どんなに回り道をしても、正式な参拝の時には、鳥居をくぐって参ります。どんなに困っている時でも、願い事をするようなことはなくなりました。事実の報告と、それに対する感謝の気持ちをなるべく簡潔な言葉であらわすようにしています。
 
 それにしても、いつも私は師匠から言われていることがあります。「あなたは、弱いから、いつも何かを神様に求めようとしている。神様は、信じるのではなくて、あなたが、神様に信じられる人間になることです」その言葉が印象的に、いつも私の心の中に残っています。
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