カテゴリ:こころと体( 10 )

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029.gif 身体は、神様からお預かりしている、最も大切なもの

わたしは、治療するときに、患者さんに対して、こんな言葉を発しているらしいのです。「治療させてもらう前に、体全体を診させてもらいますね」「今から、治療させていただきますね」「まず、左の首から診させてもらいます」

その言葉を受けて、ある患者さんから、こんなことを言われました。「先生は、いつも、「治療します」じゃなくて、「治療させてもらいます」って言いますね。また、他の患者さんからも、こう言われました。「先生は、何々させてもらいますって、すごい丁寧な、敬語を使いますね。何か、感謝の気持ちが、現れているみたいで、すごく気持ちがいいです」

こんな会話が、患者さんとの間に、たて続けに続いたので、わたしもちょっと意識してしまいました。患者さんて、いろんなことを、よく見たり聞いていたりするもんなんだなあって思いました。確かにわたしは、いつの頃からか、治療に敬語を使うようになっていました。

それは誰に対してとか、何に対してなのかと言いますと、皆さんには、お分かりになりますか?実は、わたしは、患者さんに対して、敬語を使っているみたいなんですが、実は、厳密に言いますと、「患者さんの身体」に対して、敬語を使わせてもらっているのです。

わたしは、専門学校で解剖学や生理学を勉強をしているときから、人間の身体の仕組みや働きに、すごくよくできているので、いつも感心していました。やっぱり、こんな仕組みや働きを考え、作られた人がいるとしたら、それは、神様以外に考えられないなって思いました。

よく太陽や月や地球などの惑星などを含めて、宇宙のことを「大宇宙」っていいます。それに対して、身体のことを「小宇宙」っていわれることを、皆さんはご存知ですか?そういえば、人間の身体も60兆の細胞からできており、その細胞が、絶えず、生まれてはなくなり、また、生まれてはなくなっていく。というように絶え間のない変化を繰り返しているのも、なんとなく、大宇宙と似てはいませんか?

でもわたしが、本格的に人間の身体に対して、感謝し、尊敬するようになったのは、師匠と出会ってからのことなんです。師匠は、出会ってからそうそう、わたしにいろんなことを教えてくれました。まず第一に、人間の身体は、神そのものなんですよ。神は、自分に似せて人間を作ったのです。長い時間と、失敗を重ねて、人間の身体を作ってくださったんです。そのことを決して忘れてはいけません。

人間は、所有欲が強くって、お金でも土地でも財産でも、なんでも自分のものにしようとしますが、自分のものといえるものは、何一つないんですよ。それが証拠に、人間は、誰も必ず、亡くなるときがきます。その時に、お金も土地も財産も、あの世に持っていけるものがありますか?何もないでしょう?人間は、何一つ、自分のものといえるものは無いんです。人間は、みんな裸で生まれて、裸で亡くなっていくんです。


わたしも、初めは師匠のこの言葉には、ショックを受けました。でも考えてみれば、その通りなんです。でもショックはこれだけではありませんでした。「あなたは、身体だけは、自分のものだって、思ってはいませんか?」実は、その身体だって、あの世に持っていけるわけでは、ありません。みんな最期には、お返しして、行かなければならないのですよ。

わたしは、師匠と出会う前は、そのように考えたことは、一度もありませんでした。特に、身体だけは、唯一、自分のものだって思っていましたし、もしかしたら、身体自体が、わたし自身だって思っていたかもしれません。でも、師匠のおっしゃることが事実だとすると、わたしという人間は、一体、どこから来て、どういう存在なんだろうって考えませんか?

ただ今は、その疑問は、別な時に考えるとして、「身体は、一体、誰のものなのか?」という疑問に戻させてもらいますね。あなたは、やっぱり、昔のわたしのように、自分の体くらいは、わたしのものだって思いますか?そうだとすると、どんなふうに使わせてもらっても、いくら傷つけてしまっても、壊してしまっても、まったく誰にも責められることはありません。これが自己責任というものです。

でも、わたしは、やっぱりそれでは、いけないなあって思うんです。というのは、「身体は、自分のものだって思う人」と、「身体は、神様からお預かりしているものだって思う人」では、まったく生き方が違ってきてしまうんです。じゃあ何が違ってくるかと言いますと、最初に戻りますが「感謝」の気持ちが、まったく違ってくるのです。

神様からお預かりしている、最も大切なものっていうふうに考える人は、自分自身の身体をすごく大切にするんです。普段から、こういう人は、感謝の心でいっぱいなんです。だいぶ前になりますが、こころと身体は一体だっていうお話をさせてもらったことがあります、「心身一如(しんしんいちにょ)」という言葉通り、こころと身体は、すごく深い関係があるんです。だから、身体を大切にする人は、こころも大切にする人なんです。自分にも他人にも優しい人なんです。

わたしは、よく親しいお友達には、治療のことを「神様のお手伝い」っていうことがあるんです。そのくらいですから、いつも神様のことが、頭のどこかにあって、こんな時は、神様ならどういうふうに考えたり、思ったりされるんだろう?っていう考え方をするんです。だから、少しは、わかる時があって、神様は、どんな人間を愛されているかっていいますと、「感謝」のある人なんです。理由を教えましょうか?

病気やどんなつらい症状で治療院へみえた患者さんでも、いつも「ありがとう。ありがとう。これも先生のおかげです」って言ってくださって、感謝のある患者さんは、いつの間にか、すぐに良くなってしまうんですよ。きっと、神様も「感謝のある人」が大好きなんですね。

だから、ここだけのお話にしますが、みなさんもお金や、物や財産や、仕事や名声なんかを、優先して考えてはいけませんよ。まず第一に身体を大切に、「感謝」の心を持って、お過ごしくださいね。そうすれば、きっとあなたも、神様から、信頼されたり、愛される人間になれるのではないでしょうか?いつの間にか治療のお話から、話題が大きくなってしまいましたね。差し出がましいようでしたら、どうぞお許しください。
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052.gif 身体はお借りしている一番大切なもの。粗末に扱ったらバチがあたるよ

昔、師匠からこういわれたとことがあります。「この世にあるもので、何ひとつ自分のものといえるものはありません。もしひとつ、あなたのものといえるものがあるとすれば、それはあなたの魂です。それ以外は、あなたがお借りしているか、あなたが一時的に所有しているだけのものです。すべてが無なのです」こういわれた時に、わたしは、はたと考えてしまいました。

確かに、そういわれてみればその通りなのです。もし仮に、わたしが大金持ちだったとします。いくら家や銀行に貯金がいっぱいあったとしても、それをあの世に持っていけるはずがありません。宝石も貴金属も同じです。家、もちろん長い目で見れば、仮の宿りです。やっぱり人間は裸で生まれて、裸でかえっていくのです。

じゃあ、「せめて身体だけは、自分のものっていえるんじゃない?」って考えますが、これも決して自分のものだとはいえません。第一永遠の生命(いのち)はありませんから、亡くなったら、この世にお返ししていかなければならないのです。でもこのお借りしている身体は、他の所有しているものの中で比べようもなく貴重なものです。

もちろん、所有者は、自分ではなくて「神さま」なのです。神様はいろんなものを創造されました。太陽や月や地球など大宇宙から始まって、自然や動物や人間を作られたのです。なんか昔、「天地創造」という映画がありましたが、そういうスケールの大きな話しです。でもその中でも、生物の中でも最高傑作は、人間です。師匠の話しですと、人間を作るのに172億年の歳月がかかっているのだそうです。すごい話しですね。

よく教科書には、「人間は、猿から進化して今の人間になった」と教わってきましたが、それはとんでもない誤りなのだそうです。だから、人間のルーツは、何代もさかのぼろうとしても猿と交差することはないのです。しかも、「人は神の化身」だともいわれています。それから、人体は60兆の細胞からなり、その細胞も、常に生まれ変わり、亡くなるまで変化しているのです。まるで小宇宙なのです。それほどすごいものを、誰が作れますか?っていう話なのです。

だから、所有者の気持ちになって、使わさせてもらわなければならないとわたしは思うんです。それにしても、わたしから見ると身体を大切に、感謝して使わさせていただいている人って、意外と少ないのです。まるで、下手な運転手が、車をあちこちぶっつけて、ボロボロにしてしまう。人の身体も物と同じように扱っている。やはり、神様からお借りしている大切なものという意識が、とても大切なんだと思います。
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029.gif「気持ちがポジティブなら姿勢はいい」

わたしが専門学校の試験を受けたのは48歳だった。その時に師匠から受けたアドバイスは、たったひとつ。「試験中は、特に姿勢に注意すること。試験をする先生方は、そこをしっかり見ているから、あなたも気をつけなければいけない」だった。

わたしには、その当時は、そういわれた意味が、あまりよく理解できなかった。とにかく師匠がそういう以上は、姿勢を意識した。試験官の先生方は、わたしの姿勢を見ている。だったら、「いつ、どこから見られているかわからないのだから、簡単に姿勢を崩すことはできない」そんなふうに意識しながら、試験を受けたことを覚えている。

時は流れ、今わたしが、臨床で意識していることは、患者さんの姿勢である。治療をはじめる前も、治療が終わった後も、見ているのは姿勢。そこが重要なポイントだからである。もし治療が終わった後に、患者さんの姿勢がよくなっていたら、それは、わたしの治療が、そこに結果として現れている証拠。もし、あまり変わっていなかったとしたら、わたしか患者さんのどこかに問題がある。

「心身一体」とか「心身一如」と言う言葉がある以上。人間のこころと身体は、一体である。としたなら、「気持ちがポジティブなら姿勢はいい」「姿勢がよければ、気持ちはポジティブである」つまり、「姿勢を見れば、相手のこころがポジティブかどうかがわかる」ということである。

わたしが常々、師匠から指導されていることは、身体の問題は、80%が、こころの問題である。後は、身体の扱い方の問題が10%。そして、食べ方の問題が10%。それで、その人が健康か病気がちであるかの問題が、すべて決定される。ということであった。

治療をすれば、患者さんは、こころも身体も健康になる。「ビフォアー、アフター」という言葉が、よく聞かれるが、まさに治療院に見えた患者さんは、その言葉通り、こころも身体も姿勢も表情も、治療後にすべてが変わる。

わたしの臨床経験からいわせてもらうと、日本人より外国人の方が、姿勢にこだわりがある。彼らは、治療の後、姿勢がよくなったことに敏感に反応する。いつも「姿勢が変わった。姿勢がよくなって嬉しい」そんなふうに素直に反応してくれる。それは、もしかしたら、外国人である彼らの方が、「姿勢」を意識している。そうである以上、「心身一体」や「心身一如」という言葉を、日本人以上に理解しているのではないだろうか。そう思うのは、わたしの考えすぎだろうか?
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029.gif 認知症予防の5つの対策
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 以前、帯津良一先生の「達者で。ポックリ。」という本を読んだ時、「やっぱり、人間こういうなくなり方をしたいものだ」というふうにつくづく思いました。人間は、最後の最後まで、人に迷惑をかけないような生き方をしなければならないと思います。よくいうではないですか、「死に様は、その人の生き様なんだ」って。その人が、どういう生き方をしてきたか、そういうことって、きっとなくなり方にもあらわれるような気がします。とはいっても、なかなかそんな、潔いなくなり方は、そう誰にもできるものではないですが。

 この前、わたしが行っているトランポ教室で、友達が「認知症予防の5つの対策」なるものを教えてくれました。さて、ボケ防止にわたしたちはどのようなことをしたらいいのでしょうか?さあ5つ考えてみてください。といいながら、その友達から教えてもらった「認知症予防の5つの対策」をあげてみることにします。


1、毎朝、散歩をすること。

2、人間関係を大切にし、積極的に友達を作り、人とふれあうこと。

3、何か楽しめる趣味を見つけること。

4、家でペットを飼ってペットとふれあうこと。

5、おしゃれに気を配り、身だしなみを整えること。



 以上だそうです。なんとなくわかりますね。1、の散歩って健康づくりでしょう。もちろん「朝」というのはわたしが補足しました。朝日に当たりながら、歩くと、脳でセロトニンがつくり出されるんです。特に中年男性は「キレやすい」という傾向がわかっていますから、特におススメです。2、の「人とのふれあい」は、まさにこれに勝るものはないでしょう。孤独が、ボケや認知症を引き起こすきっかけになることは確かなことです。3、「趣味」は、人間、何かに夢中になれるものがある人は、ボケる暇がなくなります。4、「ペット」は、文字通り、アニマル・セラピーです。わたしも愛犬をなくしてしまってから、少し老けてしまったような気がします。5、「おしゃれ」これが一番意外で、感心してしまいました。わたしのようにいつも、同じ服ばかり着ているような人はダメですね。もっともっと、おしゃれをしなくちゃ。これらで充分でしょうけど、わたしなら、もうひとつ、「秘策」を知っています。何かわかりますか?こっそり教えてあげることにしますね。

「恋をすることです」
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029.gif 散歩とヨーガと指圧鍼灸治療をライフスタイルに!
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 わたしは若いときからスポーツが好きでいろんなことをやってきました。ジョギング・水泳・山登り等少し過酷なほど肉体を酷使した時期もありました。この3つに共通していえることは「鍛える」です。ところが最近のわたしは、「鍛える」というテーマから「楽しむ」に変わってきました。本当のところを申し上げますと「慈しむ」が、わたしのめざす究極のテーマだと思ています。

 最近は、講演や歩道を歩いている方をよく見かけます。それより人口は少し下がるかもしれませんが走っている方もよく見かけます。見かけるというのは、多少自分もそれらに関心があり、実践したことがある証拠です。もしまったく無関心なら、自分の目の前を、誰かが走り去っていったとしても、まったく、目に映らないかもしれません。

 では、「散歩」と「ランニング」ですが、あなたはどちら派でしょうか?わたしは、もう15年ぐらい前から「ジョギング」から「散歩」に転向しました。50代のわたしには、「走る」という運動が少しきつくなってしまったのです。一時期は、ジョギングや山登りで「ランナーズ・ハイ」まで経験したことがありますから、走ることの爽快感は、よく理解していますが、それを今わたしがやろうとすると、足腰を痛めてしまいそうで、自重していることも確かです。

 よく散歩中に、ランニングで苦しそうに走っている高齢者の方を見かけることがあります。ランニングホームからすると、足の運びもまっすぐではなく、あごを突き出し、後ろから見ても左右に身体が揺れて、明らかに素人の走りです。でも最も気になるのは、顔の表情が、あまりにも苦しそうな点です。それってはたして身体にいいことなのでしょうか?たぶん、健康のために、走られていると思うのですが、実は身体には大変な負担を強いているだけで、いっこうに、健康増進にはつながっていません。少し言い過ぎかもしれませんが、「やらないほうがまし」ということになってしまいます。

 わたしたちの脳は、「うれしい。楽しい。気持ちがいい」が大好きです。そのような気持ちの状態の時には、身体の自律神経をつかさどっている間脳や脳幹は、生き生きと活性化します。だから、楽しみながらやるスポーツは、健康かつ身体にとっても活性化となるのです。ところが、負荷がかかりすぎると、ストレスと同じです。やっぱりそれは、からだにとっては、マイナスそのもので、無理をして続けることで必ず大きな故障につながっていくのです。

 最近は何かというと、運動を勧めるお医者さんが多い中で、やはり自分の年齢や健康状態にあったスポーツをえらぶことが重要になってきます。でも基本的には、高齢者の運動は、若いときのように「鍛える」という感覚は、意識の中から排除する必要があるかもしれません。本当にいいのは「楽しむ」スポーツです。また更に理想からいえば、身体を大切に、いつも、ご自分の身体のコンディションに目をむけていけるような心構えが必要です。そういう意味で、散歩やヨーガや指圧鍼灸治療は、大切な身体を「慈しむ」という点で、とてもいいライフスタイルだと思っています。
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☆バンクーバーといったら、このガスタウンの蒸気時計を忘れてはいけないかな。
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029.gif 不定愁訴ってなんだろう?


 「よく使われている言葉だから、みんなよく知っているのかな」と思っていました。ところが、この前、ある患者さんと話していると、「ところで不定愁訴ってなに?」って聞かれてしまいました。そこでこんなふうに説明させてもらいました。

「みなさん、いろんな症状があって病院に行きますよね。例えば。頭が痛い。おなかが痛い。腰が痛い。何となく疲れやすい。気分がユウツで何となくやる気が起こらない。とか人それぞれですが、本人にとっては、症状があるわけですからとてもつらいわけです。助けてもらいたいと思って、病院にやってきます。お医者さんは、それに対して、いろんな病気を想定して、検査をします。オシッコをとったり、血液を検査したり、レントゲンを撮ったりしていろいろ調べます。ところが、病気と診断するには、数値が足りなかったり、決定的な症状が見つからなかったりすると、病気とは、診断を定めることが出来ないのです。それを『不定』というわけです」

「え、つまり、不定ということは、病気の診断がくだされないというわけですか?」

「ええ、実はそういうことなんです。いくら患者さんが、痛くて、つらくて、夜もろくに眠れない。絶対にわたしの体はへんだ。と思っていたとするでしょう。それでも、病気とするのには、決定的な証拠になる症状が、見つからない限り、やっぱり病気とは認められないのです」

「『愁訴』というのは患者さんのつらい訴えということですよね?」

「そうですよ。いくら患者さんにとってはつらいことであっても。お医者さんが、病気を見つけられなかったり、病気として認められない場合はよくあることなのです。例えば、女性の更年期障害であったり、交通事故などのむち打ちなどです。理由はわかっていても、何かしら器質的な異状が見つからない場合は、全部「不定愁訴」として、扱われるのです」

「それでは、病名がつかないと、薬も出してもらえないのですか?」

「いいえ。そういうわけではないですが。出してもらえたといっても、鎮痛剤であったり。精神安定剤。といった。一時的に、訴えのあった痛みや、つらさを緩和するための薬が処方されるというのが、一般的です。もちろん、それでは、患者さんの訴えに対してなんの解決にならないのは、お医者さん自身もわかっているわけですが、やはり、病気というのは、科学的な診断があってこそ、はじめての治療がはじまるというわけですから」

「でもわたしたちの指圧鍼灸師の治療はそこが、とても具合がいいのです。わたしたちは、仮に病気を見つけたとしても、『診断』は下しません。もちろんお医者さんではないので、『診断』は、法律的に下すことが出来ないのですが、わたしたちの治療に、『診断』は必要ありません。どんな病気であれ、かならず『症状』があります。それが、痛みであったり、硬結であったり、痺れだったりするわけです。そうした、症状を緩和してとっていくと、後は、患者さんのからだから『自然治癒力』という大親分がでてきて、病気を退治してくれるからです。だから、安心して、患者さんのつらさに向き合うことが出来るのです。脳の問題や、癌などの大きな病気に対しては、とても無理ですが、無理な時には、病院で診てもらうことを勧めることが出来ます。そうして癌などの大きな病気が見つかったりする場合がとても多いのです。しかし、それは特別な場合で、後は、たいていの西洋医学では、難病といわれる病気でも、たいていは、薬も使わず治ってしまうことが、たいへんに多いのです」

「それはすごいですね。ところで『不定愁訴』って多いんですか?」

「多いですよ。というより、不定愁訴から病気は始まるといってもよいのです。はじめはみんな不定愁訴です。ところがそれをほっておくと、知らぬまに本物の病気に変身していた。ということがほとんどです。だから、肩こりも腰痛も、病気にはいらない。なんてタカをくくっていてはいけないのです。大きな病気になる前に、病気のもとを断たなくてはいけないのです。これを東洋医学では『未病治』っていっているんです。特に、現代人の多くは『ストレス』という大きな敵と毎日のように闘っています。それでなくても、『こころと身体』の問題は、とても繊細です。よく知らなかったためにとんでもない過ちを犯したり、知らない故に深みにはまっていくことが実に多いのです。あなたも一度、専門の指圧鍼灸師のいる治療院に相談に訪ねてみたらいかがでしょうか?きっと親切に相談にのってくれると思いますよ」
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☆バンクーバー・スタンレーパーク付近でみたおもしろい建物。屋上に大きな木が見える。
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029.gif めずらしい咽喉頭異常感症「梅核気(ばいかくき)」


072.gif咽喉頭異常感症(いんこうとういじょうかんしょう)「Wikipedia」より

咽喉頭異常感症(いんこうとういじょうかんしょう)とは、咽喉頭部や食道の狭窄感、異物感、不快感などを訴えるが検査値の異常や器質的病変がみられないものをいう。耳鼻科領域では、咽喉頭異常感症と呼ばれるが、内科領域で「ヒステリー球」(英:Globus hystericus、あるいはヒステリー球症候群(英:Globus syndrome))と呼称される疾患と概念的に同じものである。他に「咽喉頭食道異常感症」、「咽喉頭神経症」と呼称される場合があり、また、東洋医学・漢方医学的な「梅核気」(ばいかくき)、「咽中炙臠」(いんちゅうしゃれん)の疾患概念とも重なる。

072.gif症状「Wikipedia」より

患者によって感じ方が異なるが、以下のような症状を訴える。
喉に何かつまっている感じ/喉に何かがひっかかっている感じ/喉に塊りがある感じ
喉が塞がる感じ
喉の奥がはれている感じ
喉がイガイガする
胸がつかえる感じ


 最近、治療院に見える患者さんは、年齢も多種多様で、性別も男性が増え半数に近づいてきた。そうなると、訴える症状も多種多様である。珍しいところでは、「咽喉頭異常感症(いんこうとういじょうかんしょう)」東洋医学では、「梅核気」(ばいかくき)」と呼ばれるものである。わたしがこの病名とであったのは、専門学校時代の「東洋医学」の授業であった。病名がとてもおもしろいので、一度で覚えてしまいそれから忘れることが出来なかった。そして、数年後、とうとう「わたしは、『ヒステリー球』、東洋医学では、『梅核気』というらしいのですが、それで困っています」という患者さんが見えた。

 「ヒステリー球」というのもいいネーミングだと思うが、やはり、おもしろさの点では、東洋医学でいう「梅核気」に軍配を上げたいと思う。「ちょうど梅の種くらいのものがのどに挟まった感じで、吐き出そうとしても吐き出せず、そうかといって飲み込もうとしても飲み込めない」それが、「梅核気」である。やはりこちらも、器質的な病変ではなく、実際に梅の種は存在しない。あくまでも、症状にすぎない。これは、ストレスやイライラが原因であることが多い。そのために病院に行くと、精神安定剤や抗不安薬を処方される。多分、最初は、喉にある異物感として自覚するので、耳鼻咽喉科を受診するのが普通であるが、検査してもらった結果、異物は見つからない。そこで、医者は、「こころ」の問題ということで、心療内科や精神科・神経科の受診を勧める。そこで、はじめて「ストレス球」「咽喉頭異常感症」という診断名がくだされる。やはり、治療院に見えた患者さんもこのような経緯をたどられていた。

 しかし、この患者さんのように診断名がつくということは、まだいいほうである。普通の場合、精神疾患には、不定愁訴といって、検査の結果、病名として診断されないが、患者さんが明らかに身体的な異常を訴えられている場合がよく見られる。この場合も、決まりきったように、処方させるのが、以上のような薬、抗不安剤であたり精神安定剤であったりする。ところが、このような薬が、症状の改善に効果を現したということはあまり聞いたことがない。やはり、不定愁訴の多くは「こころ」の病気であるといってよい。正確には、病気と診断されなくても身体にも症状があるのであるから「こころと体」の病気であるといえる。こうした不定愁訴や「梅核気」、このような病気には、わたしたちのような指圧鍼灸というのは、まさに、最適な治療手段である。

 「こころ」と「からだ」は、密接な関係にある。心が病んでいる時には、必ずといっていいほど体は苦しいのである。これは「逆も真なり」で、どんな難しい病気であろうと、患者さんの話いを聞いてあげたり、つらい症状を取り除く治療が出来れば、後は、「自然治癒力」という大きな力が働き、いつの間にか、病気のつらい症状は消え、またもとの元気な体を取り戻すことが出来るのである。ただ、問題は、肝心の患者さんがそこまで素直な気持ちで治療に取り組めるかどうかに、かかわっている。「素直」とは、読んで字のごとく。こういう気持ちになると人間は自然に「直(なお)っていく」のである。
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029.gif地球の軸がゆがんでいるから地震が起きる
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 わたしは、患者さんのからだを治療する前に、必ずからだの軸を見させてもらっています。具体的にどうするかといいますと、ベッドに仰向けになってもらい。からだの力を抜いてもらい、両方の足首をつかんで引っ張ります。そして、内くるぶしに指をあて、両方の足の長さの違いを見ます。そのどちらかが、違うとどちらかの骨盤が上がっていて、必ず、脊柱(背骨)か骨盤にゆがみがあるという証拠です。足の長さが、1センチでも違うと、からだの重心は、どちらか一方にズレてしまいます。そうすると一生懸命に、首か腰でそれを修正しようとするので、首や腰の筋肉が疲れてしまい、首こり、肩こり、腰痛が起こります。

 この事実は、「整体」などを行う人もよく知っていて、「あなたの肩こりや腰痛は、あなたの背骨や骨盤が歪んでいるからですよ」といって、背骨や体中の関節をボキボキとやっていくわけです。でもよく考えてみると、どうして背骨や骨盤のゆがみが生じるのでしょうか?はじめから、頸椎(首の骨)や腰椎(腰の骨)は、曲がったりゆがだりしているものなんでしょうか?そんなことあるはずはありません。首なら、それを支える筋肉、例えば、胸鎖乳突筋とか斜角筋が左右についていますが、どちらか一方の収縮が強くて左右のバランスがとれなくなった状態です。腰痛も同じで、腰椎を支えている筋肉で重要な、大腰筋が左右についていて、やはり、どちらか一方が、収縮が激しいために左右のバランスがくずれて腰痛が引き起こされるのです。ですから、問題は、脊柱(背骨)や骨盤自体に問題があるのではなく、やはりそれを支えている神経や筋肉に問題があるのです。だから、いくら、背骨や骨盤に歪みがあるとしても、絶対に、人間にとって大切な関節をボキボキならせるような治療は行ってはいけません。それははっきり言って「医療過誤」につながる危険があるからです。

 ではいったい、どうして、左右のバランスを崩すほど、筋肉は、コリを生じるのでしょうか。それは大変に難しい問題です。わたしはこれまで、患者さんのからだを診させてもらってきてわかったことがあります。それは、からだの痛みやコリ、筋肉の拘縮は、どうも筋肉疲労から起こるというよりも、こころの問題やストレスから引き起こされることが多いようなんです。さらにいうなら、からだをコントロールしているもう一人のあなたがいて、もしあなたが、間違った考えをしていたり、間違った生き方をしていると、からだの痛みを引き起こして「NO」と、言っているみたいなのです。簡単に言えば、これが、からだの痛みやコリを引き起こしてしまっているらしいのです。それが、高じてくると、背骨や骨盤のゆがみとなるのです。それを、わたしは、「からだの軸がずれる」と言っています。ところが、こうなると、もうそれを治そうとする「自然治癒力」が働きません。だから、人間のからだには、治療が必要になってくるのです。

 さあ、いよいよ本日の本題に入ります。では、地球に災害をもたらす「地震」はどうして引き起こされるのでしょうか?急にテーマが大きくなってしまったような気がしますが、実はそんなに変わっていません。なぜなら、地球や太陽や月など「宇宙」をつくった方も、「人間のからだ」をつくった方も、実は同じ方がつくられているからです。ところが少しだけ違うことがあります。それは、地球自体が、間違った生き方をしているわけではないのですが、そこに住んでいる人間が、間違った考え方や行いをしていると、地球の軸が狂ってしまうのです。ちょうど人間のからだの軸がゆがんでしまうのと同じ理屈なのです。ところが地球という自然は、「自浄能力」がありますから、その地軸のゆがみを修復修正しようとしています。だから、「地震」というものが発生するのです。

 だから、地球上に地震が起こるということは、そこに住んでいる人間の考え方、生き方にどこか問題があると言えます。もし日本に地震がある時には、そこに住んでいる「日本人」が考え方や生き方に大きな間違いが生じているからなのです。そのせいでしょうか、わたしは、よく近くに出来たばかりの温泉に行くのですが、湯船につかっていると、べつに聞きたいというわけではないのですが、自然にお話が耳に入ってきます。そうすると、お年寄りの方も、お若い方も、「文句」ばかり言っているのです。やれ「湯船が小さい」とか、「お湯がぬるい」とか、「従業員が、怠けている」とか、てんでに好き勝手なことばかり言っているのです。つまり、温泉に対して、「感謝」のこころが、ほとんどと言っていいくらいないようなのです。それを聞いていると「ああ、日本人のこころも変わってしまったんだな」と思わずにいられません。それはそれで、感じ方も考え方も、人それぞれですからしょうがないのですが、問題は、人間は「感謝のこころ」がなくなると、必ず「ストレスフル」になるものなのです。そうすると、自分でストレスをいっぱいつくり出しているようなものですから、必ず、からだは、「NO」のサインとしてからだに痛みやコリを生じさせるのです。

 だから、八倉治療院には患者さんがいっぱいきてくれるようになるのです。ところが、八倉治療院では、人間のからだの軸は治すことが出来ますが。地球の軸までは治せません。そこに住んでいる人間のからだの軸がずれると、今度は地球の軸がゆがんでずれるようになります。それを修正しようとして起こされるのが「地震」ですから、それを防ぐためには、やはりそこに住んでいる人間のこころが「正常」になるしかないのです。どうですか「地球の軸がゆがんでいるから地震が起きる」というお話がわかっていただけたでしょうか。
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☆地上の楽園に沈む夕日は感動的。でもわたしの写真テクニックでは、いまいち表現できていない。
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029.gif こころのあり方はからだに影響をあたえる

 わたしはどちらかといえば、西洋医学より東洋医学びいきである。というのは、西洋医学というのは、分析型の学問なので、どんどん切り刻んで、こころと体まで切り離して考えてしまう。ところが人間のからだというのは、こころと体は、切っても切っても切り離せない関係にあって、とことん影響し合っているものである。だから、「病は気から」というし、病気の人は、元気がない。残念ながら、東洋医学を学んだ医者はまだ、数の上で大変少ない。だから、患者さんの病気ばかりに目が向いているために、こころの問題は、二の次におかれてしまう。そこえいくとわたしたちのような指圧鍼灸師は、問診をしながら、治療をしながら、とにかく患者さんの話をよく聞く。患者さんが、せっかちだったり怒りっぽかったりすれば、肝臓はやられていないかとか。家族にご不幸があれば、肺は傷んでいないかとか。いろんなことに気を回し、治療にあたる。そのような観察が、治療にはとても大切になってくる。そこで、東洋医学を学ぶ学生がどのようなことを学んでいるか少し、紹介することにしよう。


037.gif 内蔵と気持ちの関係

1、肝臓………怒(怒りすぎ・ストレス)

2、心臓………喜(喜びすぎ)

3、脾臓………思(思いすぎ・考えすぎ)

4、肺臓………悲・憂(悲しみすぎ)

5、腎臓………恐(恐れすぎ・怖がりすぎ) 

       驚(驚きすぎ)


 この表は、学生時代から、何度もテストされ頭の中にたたき込まれれる。でもこの表からいろんなことを学んだ。わたしの父は、肺炎を患いなくなった。母に先立たれ、晩年は、悲しみに暮れることが多かった。だから、肺が弱い人やぜんそくに苦しむ患者さんには、できるだけ笑わせてあげたいと思う。脾臓が陰だとするとその裏の陽は、胃である。だから考えすぎの人は、いつも消化不良になって胃が痛むんだな。とか、腎臓の裏に「腎兪」という腰痛に効く有名なツボがあるが、そういえば、人は大きい問題をかかえると自分で支えきれなくなる。そうすると腰痛になるんだな。そんなことをいろいろ考えながら勉強した。ただ、よくわからなかったのが、心臓。人間は喜びすぎると、本当に病気になるのだろうか。確かに「狂喜」とか「狂気」という言葉もあるくらいだから、人間喜びすぎても狂いが生じてくるものかもしれない。何事もバランスの上に成り立っているのが人間のからだなのだろう。東洋医学は、そういうバランス感覚がとても重要視される。

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☆地上の楽園タイのランタ島にあるエコリゾート「ピラマイ」のプール。ここでよく泳ぎました。
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029.gif 体の細胞レベルで元気になる

 良いしらせと悪いしらせは交互にやってくるものです。実は、3日前の8日の日に師匠から電話をいただきました。1日の日には、「だいぶ良くなっている、もう少しだ」と励ましていただいたのもつかの間でした。8日の日には、「正直いって、これなら大丈夫と言ってあげられるような状態ではない」とはっきり言われてしまいました。

 わたしも正直な気持ちを言いますと、2月1日に師匠からお電話をいただいたときには、「もう大丈夫。治療を再開してください」と言われるのだとばかり思っていたのです。だから、正直いって、こころは複雑でした。「だいぶ良くなっている」という言葉には無条件で嬉しかったのですが、「あと少し」と言われたことに対しては、「まだダメなのか」と思ってしまいました。去年の11月からお休みして、1月でちょうど3ヶ月になります。さすがに、2月の声を聞いたとき、こころは少しあせりだし始めました。わたしの治療再開を待っていてくれている患者さんからは、時々、「治療はまだですか」というお電話をいただきます。また、そろそろ。つらくなりだした患者さんの様子が、風の便りでわたしの耳に入ります。そうすると、自分が元気になっているだけに、プレッシャーを感じます。

 師匠は言います。「やはり、一度内蔵を壊してしまうと、機能的には回復しても細胞レベルでは、なかなか回復するのに時間がかかるものです」そうなんです。いくら元気になったわたしでも、まだ正直言って、万全の状態とは言えません。まだ、特定の部位に、部分的ではあるのですが、かゆみを伴うところがあるのです。特に肝臓腎臓という臓器は、人間のからだの部分でも「肝心(腎)要(かなめ)」の部位です。肝臓は、「解毒」の臓器。腎臓は「廃毒」の臓器なのです。いったん肝臓が傷みだすとその毒は全身に回り、血液で栄養されている臓器はすべて損傷します。だから、「回復に時間がかかるのは仕方がない」というのが、師匠の説明の大まかな内容でした。確かに、治療を再開すれば、今度は、患者さんのお体を治療するのにまい進しなければなりません。そうなると、どうしてもまた、無理をしてしまうような気がしてしまいます。それでは、ここまでお休みをして、改善できた意味がない。ここまできたら、もう万全を期すしかないのだと決心しました。

 ただ、師匠は、もう一つ大切なことを指摘されました。それは、一週間前にくべて明らかにわたしの健康状態は悪くなっているというのです。その原因は、実は、「焦りといらだち」にあったのです。肝臓というのは、東洋医学を学んだ人ならよくわかるのですが、「ストレス・いかり・イライラ」が、最もよくないのです。実は、わたしが肝臓を痛めたのもこれが原因だったとも言えるのです。つまり、患者さんのからだを治そう治そうと思うばかり、無気になってしまったのです。ところが、いくらこちらが一生懸命になったとしても、それに応えてくれる患者さんばかりではありませんでした。そうすると、どうしても、わたし自身にイライラやストレスがたまってしまうのです。実は、今回の私の病気はそういう点から始まっていたのではないかと反省するようになったのです。

 ですから、わたし自身治療を再開するようになっても、そういうこころの面を改善しなければ、また同じことを繰り返すことになりかねません。それでは、治療者としてのわたしは「失格」です。やはり、人のこころと体は密接にかかわり合っているのだという気持ちを改めて強く感じるのです。わたしは、少し「非情」かも知れませんが、これからは、患者さんとわたしの関わりを整理して、割り切って考えるようにしたいと思います。わたしがもし今までのような気持ちでやっていくとしたら、治療者としての限界が見えています。どこかで「非情」な部分も必要になってくるかもしれません。それはもう既に始まっているのです。ここはつらいのですが、今できる一番大切なことに専念するつもりです。わたしはこれから、細胞レベルで元気なからだに回復していきます。
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