カテゴリ:師匠とわたし( 19 )

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梅の木から梅干しはならない

師匠は、いつも、おお真面目な話しをされているのですが、時々、その比喩表現が、面白くて、お電話中でも、吹き出してしまいそうなときがあります。この例えは何を意味しているか、わかりますか?

わたしはすごく単純ですから、最初は、本当に梅の木から、梅干しがなっている光景を想像してしまって、おかしくなってしまい。吹き出してしまうのを必死でこらえていました。でも、これはすごい深い例え話しだったんです。

よく師匠は、「ところで、知識と知恵の違いは何ですか?」と私に尋ねられたことがあります。わたしは、毎回、「うん待てよ、これは、前にも一度師匠から、訪ねられたことがあるぞ、何だったけ?」しばらく自問自答しますが、正直いって、いつもわたしは即答できません。

梅の木は、毎年春になると、梅の花が咲き、その花が終わる頃には、木には、丸い小さな実がなります.これが、梅の実です。でも梅の実がなったとしても、これを、そのまま、食べることはできません。想像しただけでも、口の中は、酸っぱくって唾液でいっぱいになり、思わず、吐き出しそうな光景が目に浮かびます。

ところが、あのおにぎりに必要な梅干しは、もとをただせば、この梅の実なんですよね。もうここまで、解説すれば、わたしのように鈍い方でも、もうおわかりだと思います。そうなんです。これは、「知識と知恵の違いは何ですか?」という答えでもあるわけです。

師匠にいわせれば、「いくら知識があったって、人の生活に役に立てるものでなければ、意味がない。人の生活に役立って、活かされてこそ、初めて知恵となるのだ」と言うことをわかりやすく例えてくださったんだなあって、わかるようになったんです。

世間では、頭のいい人と言うのは、山ほどいます。その人達の知識や情報量というのは、膨大で、どうしてこんなことまで知っているのか、驚かされることがいっぱいあります。でも問題は、それがどのように使われているかと言うのが、すごく重要な問題なのです。

もしその知識が、いい方に使われれば、人々の役に立ち、そのことで、楽になったり、幸福を呼ぶものであれば、それらは知恵です。でも、知識というのは、使いようで、悪い方に使われれば、人々を脅かし、不幸に導いてしまうということは、いくらでもあるのです。そうなってしまったら、もうそれは、知恵とは言わないのではないはないでしょうか?

梅干しについて、改めて再考してみました。おにぎりやお弁当に入った梅干しは、ご飯が腐らないような、防腐剤にもなりますし、あの風味は、日本人の食生活には欠かせない、昔から懐かしいお母さんの味です。それから、毎日、ひとつ食後に食べられる方は、それが、毒消しになっていることを、よく心得られている方なのです。

このように、ただの梅の実が、食品として、また、長寿を全うするお薬にもなること、それが、「知恵」なのです。医療も、それと同じなのです。人を生かすも殺すも、その人の心掛け次第、考え方次第で、活かすことも殺すこともできてしまいます。でも活かしてこそ、その知識は、知恵として生まれ変わるものなのです。

師匠の「梅の木からは梅干しはならない」という比喩表現は、それだけでも、すごく面白いお話なのですが、根底にそういう深い意味が隠されていたのです。でも、わたしは、このお話が、意味するところは、更に深く意味があるのだと思っています。

梅の実が、梅干しに作られるためには、長い年月という時間が必要です。特に、熟成された梅干しは尚更です。何でもそうですが、大切なもの、大事なもの、人々の役に立つものは、一朝一夕には誕生するものではありません。人物も同じなのです。苦労して経験を積み重ねられてこそ、誕生できるものなのです。多分、わたしの師匠は、そこまで意味を込めて、「梅の木からは、梅干しはならない」と仰られたのではないのかと思われるのです。
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「幸せって『知足』っていうことじゃないかな?」

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「幸せって何だろう?」何だか禅問答しているみたいなタイトルになっちゃいましたけど、その答えは、龍安寺のつくばいにありました。「吾、唯、足るを、知るのみ」たった漢字4文字に、幸せとは何か?その答えが示されているなんて、一体誰が考えたことなんでしょう?わたしが大好きな「老子さま」という説もあるけど、そんなことはどうでもいいですね。

それにしても日本人のご先祖さまって、本当にすごいですね。こんなことを考えていて、さらっとさりげなく答えに導いてくれるんですもん。こんなふうにさらりと言える人なんてそんなにどこににもいるもんじゃないですよ。本当に押し付けがましくなくって、さらりと導いてくれる。まるで、わたしの師匠さんみたいな人だって、わたしは思いました。

ところで、「吾は、ただ、足るを知るのみ」ってどういう意味なの?というあなたに、もう少し、言葉を添えさせてもらうことにしますね。あなたのまわりに、お金持ちがいたら、その人のことを、こころの中に重い浮かべてみてください。お金持ちほど、「お金がない.お金がない」っていいませんか?

自分よりもよっぽどお金を持っているのに、どうしてこの人は、そんなことを言うのかなあって思うんですけど。こっちが聞かなくても口癖のように「お金がない」って言ってくるんです。それって、貧乏な私に対する当てつけかなって思う時もあるくらいなんですよ。でもね、よくよく聞いてみると、「私、もっとお金が欲しい」という気持ちの裏返しだったんですね。

お金のある人ほど、もっともっとお金が欲しくなるものなんですね。人間の欲って本当に、切りがなく限界がないんですね。お金のある人っていいなあって普通は思いがちなんですが、実際は、いくらお金持ちになったて、同じなんですよ。いくらお金持ちになったって、これでよし、って満足する気持ちがなかったら、やっぱりいつまでたっても、「お金が欲しい、もっともっと欲しい」になっちゃうんですね。逆に言えば、お金持ちほど、強欲なものはないんです。

こういったら、もう「知足」という意味がお分かりいただけたんじゃないんですか?でもこれは、わかりやすいように、お金で、例えさせてもらいましたけど。人間の欲望っていうのは、それ以外にもいっぱいあるものなんですね。

私もっと背が高くなりたい。もっとオッパイが大きくなりたいとか、もっと痩せてスマートになりたいって、誰もが思うでしょう?でもそれじゃあいつまでたっても満足ができないから、幸せにはなれないってことじゃないんですか?そういうことなんですよ。もしかしたら、あなたも、わたしと同じ強欲なところが、いくつか見つかりましたか?

そういえば、お釈迦様も同じことをいっていますよ。「人間はどうしたら苦しみから逃れることが出来るんですか?」ってお弟子さんが質問されたとき、「それは、欲望を捨て去ることですよ」って答えられたそうです。「人間には108つの欲望(煩悩)があって、その欲望を捨て去ることが出来たら、人は、本当の幸せを見つけ出すことが出来るんですよ」ってね。

つまり、人間は、今の自分に与えられたものに満足できたら、幸せになれるんですね。何でも神様に感謝して、ありのままの自分を受け入れられたら、幸せになれるんです。それが、つくばいの知足、「われ、ただ足るを知る」の意味だったんです。

つまり、「悟り」の意味が、このたった4字の漢字に込められていて、それをしかも美しいデザインにまとめたものが、龍安寺の「つくばい」だったんです。この画像を探す為にネットで調べてみたら、今は日本人より外国から見える外国人の観光客さんの方がずっと多いそうなんですね、時代も変わりました。

そういえば、わたしもむかし、師匠に「幸せって何ですか?」って質問したことがあったんです。そうしたら、師匠がなんて答えたかわかりますか?「それはね、自分には、雨や風から身を守ってくれる家があるっていうことですよ」って答えてくださったことを今でも昨日のように覚えています。

正直いってわたしの師匠の住んでいらっしゃるお家は、オセイジにも立派なお家とはいえないんです。やっぱり、わたしの師匠という人は、本当にすごい人なんだなあって、その時に、しみじみ思いました。
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わたしは身体を大切に考えている患者さんを尊敬します(2)

「人の命は、何よりも重い」

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「お金は、人の命よりも重い」なんて、口に出していう人はいません。でもこころのどこかでは、事実として肯定しているんじゃあないでしょうか?「世の中で一番大切なものはお金だよなあ」ってね。

子供の頃、母から「人の命は、何よりも重い」って教えられてきたわたしでも、大人になった時には、人間の社会は、世界中どこでも、現実的には「お金は、人の命よりも重い」ものなんだなあって思うようになっていました。何よりも、自分自身が、お金で、ものの価値を評価するように変化していたのがショックでした。

もしわたしが、ある人物に出会わなかったら、わたしも「新地球の法則」に従って、お金の価値観で動かされる人間の一人になっていたことでしょう。60年間、生きていろんな人と出会い、わたしなりにいろんな人を見てきました。でも、この方と出会うまでは、世の中に、お金に支配されないで生きて行動している人がいるなんていうことは知りませんでした。それがわたしの師匠だったのです。

「お金?汚れるから」って言って、治療中の時には、一切お金には触れようともしません。お金以外の目的で、仕事を全うしている人間を、わたしははじめて目の当たりにさせてもらったのです。師匠の日常をみさせてもらっても、長くお付き合いさせてもらっていますが、師匠には、全く欲という欲がありません。

「人はね、魂ひとつでこの世に生まれて、魂ひとつでまたあの世に帰って行くんです。ですからいくら、お金や財産があったって、それを持ってあの世に行けるわけではないから、意味がないのです」

「もしお金が大切だからといって、金貨をお墓に持って行っても、古代エジプトでそうだったように墓泥棒に荒らされて持って行かれるだけで、永遠に自分の財産になるものなってありません。じゃあ、自分の子孫に財産を残そうとしても、争いごとが起きるだけで、かえってこれなら何も残さないことが最良の道であることも、亡くなった後にわかることで、これも後悔のひとつとなるのです」

「じゃあ、自分の身体は、あなたのものかといえば、そんなことはありません。それは、生きている間、あなたが神様からお預かりしているものに過ぎないのです。それをあなた方は、勝手に自分のものだって思い込んでしまって、ボロボロになるまで壊して平気な人がいますが、それは、神様の目からしたらどのように見えるかわかりますか?」


このようなことを、師匠の口から聞かされたことがあります。わたしもこのようなことを聞かされた時、本当にショックでした。まるで、今までの自分の価値観が、音を立てて崩れ去っていくのが、耳に聞こえてくるようでした。師匠の言葉は、いつもそうですが、重くて、否定しようがありません。言い返そうと思っても、言葉が湧いてきません。

特に今わたしも師匠と同じように治療をさせてもらうという立場に立たされています。「身体」という概念が、全く患者さんや一般の人と考えが変わってしまいました。「壊す」方ではなくて「治させてもらう」方の立場からすると、いかに、患者さんの考え方が、ご自分を大切にしていないかがよくわかります。自分自身を含めて、本当にみなさん「感謝」が足りないのです。

感謝は、わたしたち治療をするものに対してではなく、大宇宙や小宇宙(人体)を作られた創造主である神様です。でも、そういうわたしもあまり患者さまに対してエラそうなことがいえないのです。第一、自分のこころや身体をボロボロに壊してしまったことがあるから、その尊さがわかるからです。

わたしは師匠からいわれたのです。「どのような道も、早い遅いはありません。気づいたときが、その人のチャンスなのです。ケガも病気も不幸現象も、すべては、あなたに気づいて欲しいから起きている神様からのメッセージだからです」

だから、こんなわたしでも神様のお手伝いが出来るなら、自分の人生のすべてをかけてもいいって思いました。でもごく稀に、患者さんの中でも、自分自身の身体を大切にしたい。またそれは、口だけではなく、それを実行されている患者さんがいます。わたしはそういう患者さんを見ると、心の底から、尊敬するようになったのです。

わたしの目からは、治療をする方も、受ける方もそういうことは一切関係ありません。みんな神様の分身ですから、ケガや病気や不幸を通して、どちらが先に気づかさせてもらうかが問題なのです。わたしは師匠と出会ってそのように考えが変わったのです。

(おわり)
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わたしは身体を大切に考えている患者さんを尊敬します(1)

「お金は、人の命よりも重い」
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わたしは子供の頃に母から、「人の命は、何よりも重い」っていうふうに教えられました。母は何を思ってかしりませんが、「この地球と同じくらい大切なものだよ」って教えてくれました。それを聞いた少年だったわたしは、それはすごいって思いました。

ところが、わたしが大人になった時に、わたしを取り巻く世界が、どうもそのようになっていないことに気づかされました。どうも生命(いのち)よりも、大切なものがあることに気づかされたのです。それが「お金』でした。どうもこの世では、お金で買えないものはないように思えるのです。実際、交通事故で裁判になったとしても、最後はお金で決着がつきます。何でもそうです。

この世で、最も縦横無尽にはばをきかせて、威張っているのは、実は人ではなくて、お金です。どんな人でも、お金のある人にはかないません。また逆に、どんな人でもお金がなくなれば、もう力はなくなるのです。わたしの知る限り、それは世界中どこでも同じです。余程文明とかけ離れ、孤立した社会でない限り、やはり、人を動かし世界を動かしているのはお金なのです。それを、わたしはこれから「新地球の法則」と呼ぶことにします。

これから、みなさんももしよかったら、わたしと一緒に、あなたを取り巻く世界を、よーくご覧になってみてください。仕事でも教育でも科学でも宗教でも、仮に人を助ける医療であっても、その目的を突き詰めて行くと、最後は「お金」と言うことになりませんか?そうなんです。この世は、すべてお金という力が働いて、それで世界を動かしているのです。

そうなるとわたしたちの日常も、そのお金の力がはたらいて、お金の持つ価値というものが、日常的に計算され、人の価値観まで支配していることに気づくはずです。ビックリすることに、それは、身体の大切さ、いのちの尊さをはるかに越えているのです。

人は簡単に、身体と健康の大切さを口で唱えますが、じゃ実際にどこまで、その身体と健康を考えているかといえば、疑問です。人は、どのくらい疲労していたとしても、そう簡単には仕事を手放しません。義務とか使命という言葉で、自分を納得させようとしますが、やはり最後は、お金なのです。休むことで、給料が減らされることが、何よりも耐えられないくらいつらいのです。

そのくらいなら、個人の価値観の問題ですから、別に取りざたされされるほどの問題ではないかもしれません。でも世間では、お金のためなら、親や兄弟でも親友や恋人まで売る人は実際に大勢います。下手をすると魂まで売る。身体の臓器まで売ってしまう人だって、世界中には大勢いるのです。

こうなってくると、子供の頃、わたしが母から教えてもらった、「人の生命は、何よりも重い」という言葉は、一体、本当だったのかウソだったのか?自分でもわからなくなってしまいます。わたしがここまで、あからさまにしたかった事実は、実は、この世、この地球上では、「人の命よりも重い、大事なものが支配していて、それはお金なんだ」ということです。それは、経済社会となった現代のグローバル、スタンダード。新しい「地球の法則」なのです。だから、何よりもお金が優先されるということがよくわかってもらえたのではないでしょうか?

(つづく)
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029.gif「正しいことは言わないで下さい」

この前、師匠は、わたしとの会話の中で、こんなことを仰ったんです。「正しいことは言わないで下さい」もし、以前のわたしだったら、意外な感じを受けたとは思いますが、その時は、そうは思いませんでした。

師匠が次に仰ったことは、「争いがおこるからです」確かそうですよね。「正しいこと」というのは実に難しいです。それは、人によって「正しいこと」が、みんな違うからです。だから、「正しいこと」を根拠に、自分自身の考えを主張すれば、やっぱり、争いって起ると思います。これまでもそういう経験はいっぱいしてきました。それは個人であっても国家間の問題でも同じです。戦争ってそういうことから起るんでしょうね。歴史的に繰り返されてきた「宗教戦争」なども、実にこの最たる例ではないでしょうか。

でもわたしの師匠は、こういう例では例えることはしません。なぜならこういう例では観念的に理解することはできますが、それはあくまで頭レベルでの理解になってしまうからです。師匠はこのようないい方をされます。ある20代の若い人が、80代のおばあさんに向かって「おばあちゃん!」っていったとします。「おばあさんは、ちょっと不機嫌な顔をされて、何も返事をされなかったそうです」若い方は、「どうして?おばあちゃんは、おばあちゃんでしょう。おばあちゃんに対して、『おばあちゃん』って言ってはいけないの。わたしは間違っていないでしょう?」といわれたそうです。

そうです間違ってはいません。でも、この「おばあさん」の身になって考えると、「つらいんです。悲しいんです」わたしも今年つい最近「シニア」になりましてね。感じることがあるんですね。わたしは、ずっと若いときから、変わっていないなって思うんです。まだまだ若いつもりでいるんです。気持ちは20代くらいにね。でもやっぱり鏡を見ると、顔のしわやシミ、髪の毛の白髪が、やっぱり、老いたことを教えてくれるんです。だから、この若い人から「おばあちゃん」って言われた人の気持ちが、痛いくらいよくわかるようになりました。

わたしは、正確には、この20代の若い人の気持ちもわかります.でも、この80代のおばあさんの気持ちも両方がよくわかるんです。でも残念ながら、この20代の若い人には、80代のおばあさんの気持ちは、経験がないからわからないのです。わかるのは、これから30年か40年後なのです。

師匠はこの会話の最後にこのように言われました。「相手が幸せになるようなことを言ってあげて下さい」って仰るんです。「このおばあさんには、『おねいさん』って言ってあげたらいいんじゃないですか?そうしたらきっといい笑顔と、いい返事が返ってきますよ」って付け加えられるんですね。いつもそうなんですが、この師匠との会話は、わたしにいろんなことを考えさせてくれました。でも、これが一番いい言い方なんだなってわかりました。

まず、言葉は「言霊(ことだま)」だと呼ばれます。とても大切な物です。ところが、自分が「正しいこと=事実」だと思っていることでも、それは、「真実」や「真理」ではないんだなって言うことです。それから、よく「相手の身になって」って言うけど、ほとんどの場合、相手のことがよくわかっていないのが、もうひとつの事実です。そういう場合が多いのではないでしょうか。だから、師匠は、わたしのレベルでもよくわかるように、わかりやすい例えを用いて教えて下さったと思うんです。
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029.gif 天国ことば

・愛してます ついている 嬉しい 楽しい
・感謝します 幸せ ありがとう 許します


「天国ことば」って、ご存知ですか?誰が言いはじめたのか、いろんな人がいろんなところで、「見たとか、聞いたことがある」とかおっしゃいます。私ももう亡くなわれてしまいました小林正観さん著書で、「うたしの会」があるというのを知っていました。「うれしい・たのしい・しあわせ」という頭の文字を取って、「うたしの会」なんだそうです。どれをとっても大切な言葉のひとつひとつです。

わたしは、今回師匠のところに勉強に行ってきて、この言葉を学んできました。もしあの世に天国があるとしたら、生前このような言葉を多く発する方こそ、天国に召されるのではないでしょうか?わたしはそう思って、この言葉の力にあやかろうと決心しました。

師匠は、日頃から、わたしによくこのようなことを教えてくださいました。「人間は、『分け御霊(わけみたま)』といって、生前は、魂はひとつだったものが、神様から分けていただいて、この世に生まれてくるのですよ」とおっしゃっています。分けていただく前の状態を「神我(真我)」といいます。わかれた後の一人一人の魂を、「自我」と呼んでいます。

だから、人間ってもしかすると、はじめは、みんな神様の大きな愛でいっぱいに満たされていたんだろうなって思います。でも、それが自我にわかれてしまったとたん、人が信じられなくなってしまったり、一人一人が、自我が強くなってしまい。ついには孤独な存在になってしまったのだということが、わかりました。

病気の人がよく「イライラしたり。すぐカッとなったり。クヨクヨ悩む」のは、もしかしたら、根底に神様のように広くて大きな愛が持てなくなってしまったからなのではないでしょうか?人がよく悩んだり病気の種として、言われるのが「ストレス」です。確かに病気の原因の大半は、ストレスというこころの問題です。

でも、もし、わたしたち人間の一人一人が、神様ように広くて大きな愛を持っていたなら、みんな孤独から解放され、ストレスや悩みが全部なくなってしまうものなのかもしれませんね。首こりも肩こりも腰痛も起こりません。

師匠がわたしに教えてくれました。「人間は、人の過ちや罪を許すことができないんです。でも神様は、その人が真剣に悪いと思い反省すれば、「ごめんなさい。許してください」のひとことで、罪を許されるというのです。そういう広い愛のことを、お釈迦様は「慈悲」といい。キリスト様は、「アガペー」といい。孔子様は「仁」といわれたのです。それは、つまり、その究極は「神様の愛」なのです。

何を隠そう、そういうわたしも、実は、自我がとても強くて、家の問題から、親戚や兄弟が許せませんでした。ですから、師匠から「大きな声で、天国ことばを、みなさんといっしょに読み上げて見なさい」といわれた時に、すごく抵抗があって、「許します」というひとことが、どうしても言えなくて、言葉に詰まってしまいました。

人はみな、自分が好きな人、愛している人には、「愛します」と言えるのに、どうして、嫌いな人、憎しみを持っている人には、「許します」と言えないのでしょうか?そこに神様と人間に大きな隔たりを感じます。もし天国に召される人がいるとすれば、すべての天国ことばをクリアーした方のみが、天国に召されていけるのではないでしょうか。

また、輪廻転生を繰り返し、また、人間として地球学校に生まれ変わってくるのか?最終解脱がなされるのか?やっぱり、その方のこころの問題がそこにあるような気がします。

わたしは、今は何も考えないで、一日に何回もこの「天国ことば」を声を出して唱えています。意味は、あまり深くは考えません。でも、言葉には「言霊(ことだま)」といって、魂があるはずです。ですから、何百回、何千回、何万回と繰り返していくうちに、自然に、言葉の魂が、わたしのこころを生まれ変わらせてくれるものだと気楽に考えて、この「天国ことば」を唱えようと、決心しました。

果たして、わたしの大胆な試みは、この先どのように、発展していくことでしょう。もしかしたら、人を許し、わたし自身が、トラウマを克服し、孤独から解放されるかもしれません。わたしは、師匠と出会い、感化され、師匠と同じように「神様のお手伝い」を自負しています。

できたら、わたしも師匠と同じように天国に召されたいて願っています。でも、それも大切な目標ですが、まず、その前に今このわたしの生きているまわりの世界を、天国に変えてみたいと願う大胆な野心が、わたしのこころの中にはあるのです。師匠は、そうなることを「神人(かみびと)」とおっしゃっていました。
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029.gif「人間は規則正しいというのが一番よくないね」

またまたでました師匠のスーパー語録。わたしの師匠は、本当にやさしいひとです。こんなにやさしい人っているのかなって思うくらいやさしいのですが、普段の生活は、とても厳しい方で、時には冗談も通じないほど、厳粛な時もあります。

でもわたしは、師匠のお話が大好きです。何か、何時も誰にも教えてもらえないような中身の濃い、深い内容のお話を聞かせてもらえるので、緊張して疲れますが、どんな偉い先生のお話を聞くより、師匠のお話は、ためになるので、いつもすごく感謝して聞かせてもらっています。

でもよく聞いていると、時々、面白いことを言っていることに気がつきます。多分逆説なのだと思いますが、この前はこんな言葉に驚かされました。話しの前後がなくて、申し訳ないのですが。多分、食事療法の時だったと思います。世間では、「健康になりたかったら、きちんとした規則正しい生活をすることが大切です」ほとんどのみなさんはそう考えている人が多いと思います。これが普通だと思います。わたし自身も、そうありたいと願い規則正しくを実行しようとしてきました。

でも師匠は、それではダメだというんですね。食事は、時間や量や内容、回数などいつも決めて取るものではない。一番大切なのは、食べる人のお腹の状態に合わせて食事の回数や時間や量や内容を決めて取ることが望ましいといわれるのです。師匠は、1日3食という決まりはありません。特別なとき以外は、お腹がすかないと食事はとりません。これは、健康という観点から見ると、とても理にかなった食事方法なのです。

前にも紹介させてもらいましたが、胃や腸の消化器官は、食事後は消化活動を始めます。これは結構、長い時間をかけて行なうものです。でも消化が終わった後は、今度は排毒が行なわれるのです。よく、お腹がすくと、お腹がグーグーいって、ちょっと恥ずかしい思いをしたことがありませんか?実は、そういうグル音が始まる時は、大腸の中で蠕動運動(ぜんどううんどう)といって、排毒が行なわれているのです。

だから、一日の中で、「お腹がすいた」という時間を取ることが、とても大切なことなのです。よく師匠は「大切なことは全部、身体に聞きなさい。大切な情報は、すべてわたしたちの身体に表れている」とおっしゃるのです。治療も同じなのです。身体の状態を無視した治療は、はっきりいって危険です。かえって、よかれと思ってやったことでも、とんでもない過ちを犯していることがあるのです。

わたしたちの身体は、顔や体格が違うように一人一人全部違っています。それを同じように対処しようと思ったら大変な間違いを犯すことになるのです。これで、「人間は規則正しいというのが、一番よくない」といわれたのが、少し理解されたのではないかと思います。

それから、これもよく師匠がいわれることなのですが、「人間が書いた本なんか、教科書も含めて、間違いだらけだよ。下手に本を読んで洗脳されるより、自然をよく観察しなさい。自然の中にこそ真理があるのだから。あなたは今日から、自然を教科書にしたらいいのです」って、何度聞かされたかわかりません。

でも確かに、そうなんです。手つかずの自然というのは、実に調和がとれた世界だと思いませんか?そこに人間の科学や文明が手を染めてしまうと、調和が一気に崩されて、破壊や崩壊が始まってしまうのです。今地球規模で起こっている環境破壊の問題は、すべて人間が引き起こした問題であることは、誰もがわかっているのではないでしょうか?

最後に、食事ひとつとっても、わたしたちがずっと正しいと思って信じてきた規則正しい食事って、何なんでしょうか?自然界の動物を観察してみて、規則正しく食事をとっているのは、人間だけではないでしょうか?お腹がすいてなくても、わたしたちは、3度3度食事をきちんとります。でもそれでは、消化も中途半端で、ほとんどの方が、排毒が身体の中で行なわれず、免疫力が低下してしまいます。

現代人の多くが、糖尿病やガンなどの疾患で苦しんでいます。やっぱり師匠がおっしゃる通り、わたしたち人間は、食生活や生活習慣ひとつとっても、何か大きな過ちをおかしているのではないでしょうか?わたしたち人間は、みんな一人一人が違った存在です。それを無視すると、大変な間違いを起こしかねないのです。医療も教育も政治もみな同じです。だから、師匠は、いわれたと思うのです。「人間は、規則正しいというのが一番よくない」って、そういわれた言葉が、わたしには、何か意味のあるとても大切な言葉なのではないのかなって思いました。
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029.gif 「世の中には当たり前なんていうことは何ひとつもありません」

久しぶりに会う師匠に、こんなことを言われました。そのひとことで、はっとしてしまいました。そうですね。わたしも、オシッコがでれば、でたで当たり前。ウンチがでればでたで当たり前。そんなふうに考えていました。そういう人間ですから、最近、薬による身体の変調で、大変なつらいめにあってしまったのです。

すごい便秘になってしまって、トイレに1時間以上入っていても、何もでません。途中まででかかるのですが、焦れば焦るほど、かえって事態は最悪な方向にむかいます。直腸から肛門付近でつまってしまって、額から脂汗がでるほど苦しい思いをしました。

いっそのこと、救急車でもよんでもらおうかと思うくらい、痛みと苦痛が重なります。やっとの思いで妻を呼んで、薬局に浣腸を買いにいってもらいました。苦しむこと1時間半。激闘の末。死ぬ思いで、なんとか無事に排便をすませることができました。あのとき、もしわたしが独り住まいの老人だったら、果たして無事だったかどうかわかりませんでした。

そういう経験の直後でしたから、師匠が、「オシッコがでたら、ださせていただいてありがとうございました。ウンチがでたら、ありがとうございました。って手を合わせて、感謝して当たり前なんですね」っていう言葉が、人ごとには思えませんでした。

それにしても、わたしを含めて、人間てなんて勝手ないんでしょうね?物事が思ったように進んでいかないとイライラしたりします。自分はよかれと思い。親切でやったことが裏目にでて、迷惑がられたりすると、すぐにカッとなって激怒したりします。実はそういうことの一つ一つが、わたしたちのストレスの原因なのです。

もし、師匠のいわれるように「世の中のことがすべて当たり前なんていうことは何ひとつないんだとわかっていたら」イライラすることもないし、すぐカッとなることもないし、クヨクヨ悩んだりすることもなくなるのです。

そういえば、わたしが師匠から教えていただいた最初の「宇宙の法則」は、こういう教えでした。「求めるものは得られず」人は自分の都合のいいようにしか考えようとはしません。はじめから自分が望んでいる結果を求めてはいけないのです。

世の中には当たり前なんていうことは何ひとつないのですから、すべては無なのです。もし、運よく願いが叶えられたなら、それは神様に対して「有り難いことだ」と思って感謝するしかないのです。
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029.gif 「幸せとは、雨や風を防いでくれる家に住めること」

今日外出先で何気なくみていた海外ドキュメント番組の中で、ある修行僧が小僧さん達にこういう話しをしていました。「幸せってなんだと思う?」「それはな、雨や風を防いでくれる家に住めることなんだよ」

わたしは、この言葉を聞いた時、いや〜ビックリしました。いやホントに驚きましたよ。「この言葉、初めてではないな、どこかで聞いたことがあるぞ」って思ったんです。ちょっと考えてみましたが、すぐにそれが、誰の言葉だったのかを思い出しました。

それは、もう何年も前の話しですが、わたしが師匠から聞かせていただいたお話の中で、師匠がいった言葉と、全く同じだったんです。わたしは、今夜は、その言葉の印象が、あまりにも強烈で、何度も何度も繰り返し、しばらく頭の中を離れませんでした。

確かにかにそうなんです。普段は「これで当たり前」って思っていますから、忘れてしまっていて、これっぽっちも感じていないことなんですが、昔を思い出しました。若かった頃、山登りをやっていたことがあるのですが、どうかすると、日程の都合で、どうしても一泊は山小屋におじゃましなければならないときがあって、そういう時だと、一番よく分かりますかね。

一日中、山道を歩いてきて、暗くて寒くなった頃に、くたくたに疲れて、山小屋をにたどり着いて、ホッとした時のあの安堵感。着替えをすますと、すぐにインスタントラーメンを作って、食べて身体を温めて、サラミをつまみにウイスキーでまた体を温める。やがて空腹が満たされ、アルコールでほろ酔い加減になった頃。後はこれで、シュラフにくるまって寝るだけだなって思ったころ。感じるんですよ。

すごく、幸福に満たされるんですよね。「これで、今夜は助かったな。ここは、風もなく雨にも濡れない。寒くもないし、空腹感もない。もう大丈夫。これで助かったな」って、すごく安堵感で満たされ、信じられないくらい、薄暗くて、質素な山小屋の中で、ものすごく幸福感に満たされることって、あるんですよね。

そういう時なら、本当に僧侶や師匠の言葉って、よく分かるんですね。でも今夜のわたしは、本当に素直な気持ちで、その言葉が、そのままこころの中に響いてきました。その時、「やっぱり、わたしは、感謝が足りなかったんだな」って、つくづく感じることができました。
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029.gif 60歳までにやっておけばよかったこと

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日本経済新聞2012年3月31日

60歳までにやっておけばよかったこと←この記事を読みたい方は、ここをクリックしてください。


 2012年3月31日。わたしは、ハワイに旅行に出かけていました。現地でたまたま手に入った日本経済新聞に、このような記事が載っていました。ものすごく印象に残ったので、新聞を大切に日本に持ち帰りました。5月4日、またこうしてパソコンでこの記事に出会えたことに感謝します。

 わたしは、むかし師匠にご指導をいただいている時に、師匠が、わたしにこういったことをよく覚えています。「しあわせの3原則ってわかりますか?この3つのうち1つでも欠けていると、わたしたちはしあわせになることができないんですよ。それは、精神的な安定。肉体的な安定。そして、経済的な安定です。このうちのどれ1つ欠けても、いけません。しかもこの3つは、互いに関連しあっているんです」そんな師匠の言葉を思い出しました。

 わたしは、もうすぐ58歳になります。もうそろそろ、年金のことが気になりだすころです。でもわかっていることは、支給年齢が、もう60歳ではなくて、希望も何もなく61歳に繰り上がってしまったということです。その額も推定で、支給されるまで、確かな額かどうかもわかりません。しかし、これだけは確かなようです。年金額だけでは、これから食べていくことができません。だから、早速、「経済的な安定」というのは、どこかで、補足していかなければならないことになります。

 しかし、幸いなことに、わたしには、生涯働き続けられる資格があります。健康な肉体的な安定さえあれば、充分にそこは補うことができるのです。だからそこは、たとえこれから、政権が変わって、どのような世の中になろうと心配してはいません。むしろ、心配なのは、精神的な安定と肉体的な安定です。わたしたちのような仕事をしていると、こころと身体が密接な関係にあることがよくわかっています。ですから、「50代以下は『笑って前向き思考』」というのが、同世代として、なんて素晴らしいことかと共感してしまったのです。もしよろしければ、この記事を読んで見てください。


日本経済新聞

072.gif 50代以下は「笑って前向き思考」

 「50歳代以下に「60歳代までにやっておきたいこと」を聞いたところ、特に健康に対する考え方で、上の世代とはっきりとした違いが出た。

 健康維持のためにやっておきたいことの1位は「よく笑い、くよくよ悩まないこと」。「ポジティブに考える」(38歳男性)、「心身の健康のため、バラエティーを見たり、家族や友人と会話で笑う」(42歳女性)など、笑いを心の栄養として重視している。「現状に悩んでいることの裏返しでは」(西理事長)。

 人間関係の面では、夫婦や子どもなど家族を最優先しているのは60歳以上と共通している。ただ、仕事や義理だからといって交友範囲を無理に広げようとするのではなく「本当に心許せる友を大切にしたい」(31歳女性)と、より身の丈の幸せを大切にする傾向が強い。

 倹約志向も鮮明だ。「年金は当てにならない。今のうちに貯蓄しておく」(39歳男性)、「老後は介護や医療費などまとまったお金が必要になる」(40歳女性)と蓄えの必要性を認識している。だが、「今は、日ごろの生活でいっぱいいっぱい」(35歳女性)というのも現実のようだ」

☆以上は、日本経済新聞2012年3月31日の記事より抜粋しました。
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