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 『自己責任の時代』の中にこんな一説があった。「ところで私がこういう仕事を始めてからは、だいぶものの見方、考え方が変わってきた。いつも師匠から、体の大切さについて聞かされてきている。師匠曰く『人の身体は、神様からお借りしているものです。それを、自分で、下手な自分勝手な運転をしておいて、身体である車をぶっつけたり、壊したりしてしまう。そして、なんのひとことのお詫びもなく壊れたから返す。これが多くの人のやり方だ』というのである。師匠はよく『人は皆、わからん人だ!』といわれる。私もいろんな患者さんを診させていただいて、失礼だが『本当にそうだな』と思うようになってきた。そして、いつかそういう自分も『わからん人だったな』ということがよくわかるようになってきた。それから、『身体が主、あとの問題は従だ』という考え方が生まれてきたのである。たぶんそれは、間違いではなかったと思う」

 私と師匠が出会ったのは、1998年3月24日。今から10年程前。私が44歳のときのことだった。以来、10年間、私は、いつも師匠の言葉に意識の変革をせまられてきた。この「人の身体は、神様からお借りしているものです」という言葉は、今でこそ私の意識に定着しているが、当初は、忘れかけては何度も反すうした。その時に、師匠から他にもいろんなことを言われている。師匠曰く「あなたは自分の身体は、自分のものだと思っているかもしれない。だけど、それは大きな間違いです。人の身体は、神様からお借りしているものです。考えてみてください。あなたがオギャーと生まれてから、この世を去るまで、あなたのものなど何ひとつないのです。あなたのお金、財産。あなたの家。あなたの住んでいる土地。その他、あなたが大切にしているもの。あなたはそれらを亡くなった時、持っていくことができますか?持っていけるものなどひとつもないでしょう。人は裸で生まれて、裸で死んで逝くんです。例外はありません」この言葉は、私にとっては、いろんな意味で大ショックであった。しかし、師匠の言葉を、どうしても否定することができなかった。

 私は歴史上の著名な人物を次々に頭に思い描いてみた。ジュリアス=シーザー、クレオパトラ、秦の始皇帝、豊臣秀吉、徳川家康、エルビス=プレスリー、JFケネディー、…。やはり、誰ひとりとして例外はなかった。かりにどんなに立派なお墓をこしらえてもらったとしても、「人は裸で生まれて、裸で死んで逝く」ことには変わりがなかった。春望「国破れて山河あり、城春にして草木深し。時に感じて花にも涙を注ぎ、別れを恨んで鳥にも心を驚かす…」。平家物語「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし…」方丈記「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の人も住処もまたかくのごとし…」なのである。つまり、自然の悠久さに対して、人為はあまりにもはかないのである。しかし、最後に残った自分の身体さえも、私のものではない。という師匠の言葉には、本当に考えさせられた。

 それからさらに師匠の言葉は続くのである。「あなたは、自分ひとりで生まれて、自分ひとりで生きてきたとは思っていませんか?もしそうだとしたら、それは大変な間違いです」師匠は、その時、目の前にあったテッシュの箱に目をやり、「あなたは、この紙一枚作ることができますか?」テッシュ一枚、この紙が、どんなに多くの人の手を煩わせ、原木から幾多の製造過程を経て紙としてこの私の目の前にあるかを想像してみた。それはとんでもない、気が遠くなる程、長い旅だった。テッシュ一枚がそうだとすると、私の目の前にあるものは、すべてが、目に見えない多くの人の、人の手から人の手へと繋がる連鎖の構造が見えてくるようになってきた。やはり、「私ひとりで生きてきた」なんていうのは、幻覚にすぎなかった。そしてこれからも「私ひとりで生きていく」というのもありえない現実であることを知らされた。あまりの言葉の重みに、私と妻の二人は、こころまでも重くなり、師匠の家を後にしたことを今でもよく覚えている。

 私は家に帰り、師匠の言葉を何度も何度も反すうした。私の家も、私のものではない。私の土地も、私のものではない。私の机も、私のものではない。このようにして、今まで当たり前だと思っていたことを、当たり前とは考えないで距離を置いて考えてみると、いま現にこうして、家があり屋敷があり、机があると言う現実が、実にありがたいことなのだという気がしてきた。そうするといつの間にか、そこに「感謝」の気持が湧いてきた。そうか、「当たり前だと思ってきたことも、当たり前のことなど何もないんだなあ…」そう考えると、今こうして、仮にも自分のものとして使わせてもらえることに「感動」を覚えた。これはありがたいことなんだ。家も土地も、車も、イスも。何もかも見方を変えると、私の目の前にあるすべてのものが、私を、やさしく取り囲んでいてくれるような気がして「感激」を覚えたのであった。私の父も、私の妻も、何一つ私のものなどないとすれば、私を息子として可愛がってくれた父も、私を夫として支えてきてくれた妻にも「感謝」の気持が自然にわいてくる思いがした。そして最後に、私の身体も、私のものではないとしたら…。それを私のものだと、当たり前のこととして、決めつけていた私は、何だったんだろう?そこに「感謝」の「か」の字もない自分を感じたのである。ああそうか、師匠が私に伝えたかったメッセージが何だったのか、わかったような気がしてきた。そして、いままで「生きてきた」と思っていた自分が実は「生かされて」きていることに気づかされたのである。

 師匠はこうもいわれている。「人の身体は、神様が作った最高の傑作なんです。神そのものなんです」その神様の愛に気づかないで生きている人がいたとしたら、それはなんと罪が深いことだろう。しかし、「神様には、そのことを人に伝える手段がない。だとしたら、後は、気づいてもらうしかないですね。病気は、気づきのためのメッセージだったんです」私には、実のところそこまではわかってはいない。ただ、もし師匠がいわれるように「病気」が「メッセージ」だとすると思い当たることがないではない。以前から感じていることではあるが、患者さんの中にも症状が早く治る人と、なかなか治らない人がいる。どうしてかなあと考えてみると、早く治る患者さんは、いつも「感謝」の言葉が絶えない。「ああ、よくなった。楽になった。これも先生のおかげです。ありがとうございます」こちらが恐縮するくらいに「感謝」の気持を表してくださる。それに対して、なかなかよくならない患者さんは、いつも、具合の悪い面だけをおっしゃって、良くなられたところには、何も目を向けようとはなさらない。それどころか、グチや不平や不満や人の悪口などを治療中ずっと言われている。「ああ、ご自分で不幸な種を蒔かれているんだなあ」と思われる人が圧倒的に多い。そういう人に限って、こちらのアドバイスをなかなか聞いていただけない。「わからん人!」なのである。やっぱり、師匠の言われるように病気は、「感謝」の気持を忘れてしまった人のための「気づきのためのメッセージなのかもしれない」ただ、もうひとついえることは、神様は、「気づいてくれる可能性のある人」にしか、このメッセージは届けない。そう思うと、「病気」に対する私達の考えも変わってくるのではないだろうか?
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 「天使が死神と取引をしたものは、何だったのだろうか?」それは、私の生命と同じくらい大切なもの。自然治癒力だったのである。「ステロイド剤」は、快適さと引き換えに、少しずつ少しずつ私の身体から自然治癒力を奪っていった。薬の副作用と言っているが、それらの現象は、すべて、自然治癒力が奪われた人が、たどり着く終着点だったのである。ところで、私の鼻炎は、2回も手術をしたのだが、治癒したのだろうか?答えは、治らなかった。「アレルギー性鼻炎」がよくなれば、「アレルギー性気管支ぜんそく」が悪くなる。「アレルギー性気管支ぜんそく」がよくなれば、「アレルギー性鼻炎」が悪くなる。ただそれだけのことだったのである。
 医者がヤブ医者だったわけではない。私の手術をしてくれたお医者さんは、「アレルギー」では、著名な方で、県立の某総合病院の耳鼻咽喉科の主任を任せられる先生だった。人格的にも立派で誰からも信頼されるお医者さんだった。呼吸器科のお医者さんにしても、某市の総合病院を独立して開業された、これまた人格的にも誰からも信頼されるような立派なお医者さんであった。なのに、私にしてみれば、「手術」も「投薬」も何も意味のないことであった。それどころか、薬の副作用に苦しむという現実がまっていた。その危機的状況の中からどれほどの苦労をして這い上がってきたことか、筆舌に尽くし難いものがそこにあったことは事実なのである。ということは、医療の世界では、万能に近いと思われている「現代西洋医学」、強いては人類の叡智、「科学」そのものに限界があることを、そこから感じ取らざるをえなかったのである。
 「抗生物質」や「ステロイド剤」の発見は、これまでの医学の常識を覆す程、画期的な発明であった。今でもこれらの薬は、医療の世界では、素晴らしい薬ということで評価が高い。私達のような専門学校で、体や病気についいて勉強する学生も、これらの薬の作用ばかりを学び、副作用については、「使い方の問題がわるければ…」ということだけで話題にのぼることすらなかった。しかし、臨床(医療現場)はどうかというと、受け手の患者さんの評価は、医療従事者とは異なる場合が多い。私のような場合が、ごくまれなケースではなく、ほとんどが、手術のあと、治療のあと、しかも私のように、術後何年かしてから、このような副作用で苦しんでいる患者さんが多いことも否定できない事実なのである。

 「ステロイド」という薬は、「副腎皮質ホルモン」という別名があるが、本来ならもともと人体に備わっている物質である。ところが、こうしていったん薬として処方されると、もう身体の中では作らなくなってしまう。糖尿病の「インシュリン」も全く同じ。人の身体というのは、バカではない。作らなくても、いいものならもう二度とは作ってくれない。薬を受け入れるということは、よほどの覚悟を持って決断しなければならないことなのである。それを、「苦しまないですむから」、とか「楽に快適な状態になれるから」というのは人間の勝手な言いぐさで、私達の身体は、そういう安易な勝手さが許されるほど、あまい世界ではないことをよく知るべきである。人間も人生も全く同じ。甘いことをいって誘う人こそ注意が必要だ。いい話ほど裏があり用心が必要である。人生の半ばを過ぎた人間なら、「人生そうそう自分にとって都合がいい話はあるはずがない」ことくらいはわかるはずだ。それから、そもそも薬というのは、本来、自然界にある薬草がもとになっている。その成分を分析して、それに近い働きをする化学物質を合成して作られている。だから、正確には薬は化学化合物質である。ところが、私達の大切な臓器、肝臓は、「化学物質処理工場」といわれている。つまり、この化学物質を処理するのがおもな働きなのである。だから、慢性病や、大病を患った場合は、大変なことになる。必ず、肝臓、腎臓などの臓器を痛めることになる。またそれだけではない。私達のように東洋医学を少しでもかじったことがある人ならわかることだが。「陰陽五行」といって、臓器というものは、互いに「相生相克」といってお互いに助け合ったり支配したりされたりというように、互いに関連し合って成り立っている。だから、ひとたび肝臓がやられてしまえば、他の臓器も必ず影響が出てくる。つまり、体全体がやられてしまうのである。そのことは多くの患者さんを見てきた臨床医なら誰もがわかていることである。私達の身体というのはそういう約束で成り立っているのである。だから、多かれ少なかれ、どんな薬でも、薬が人体に及ぼす影響は、必ず「天使」と「悪魔」が共存しているといえる。「投薬」を治療手段とする「西洋医学」についてまわる宿命のようなものと考えた方がいいかもしれない。

 最後に、私が手術後とステロイドによる副作用に苦しんだとき、感染症を起こした。このときも救急車で病院に運ばれたが、今思うと、このときは最高の治療をしてもらえたと思う。これもまた夜中の話。急に私の右足膝関節が痛みだした。関節は、ズボンをまくり上げると、見るからに腫上がっていた。あまりの激痛にこらえるのに精一杯。一歩も動くことができなかった。救急車で運ばれた私は、病院に着くなり関節にたまった水を注射器で抜き取ってもらった。もちろん水は検査に出されたと思う。ただこのとき検出された細菌は、感染力の高いこわい菌ではなかった。あとでわかったことだが「溶血性連鎖球菌」といって子供やお年寄りが感染するような細菌の中でも弱い部類のものだった。だからこそ、私の免疫力=自然治癒力の低下がまねいた結果だといえた。ただ本当によかったのは、医者が、薬をいたずらに処方しなかったということである。ただ安静にベッドに寝かしておいてくれた。痛みは水を抜いたことで落ち着いたが、次には、40度以上もある高熱に襲われた。私は夢遊病者のようにうなされた。そして、氷枕をしてもらったが、体は熱くて熱くて何度も汗をかき、何回寝間着を替えてもらったかわからないくらいだった。でも、この高熱は、私の体が、体温を上げることで、細菌と必死で戦っていたことが、後々、医療を勉強することでわかるようになった。私が自然治癒力というものを見直すきっかけになったのもこうした体験の一つ一つが、「一番大切なものは何か」を教えてくれたような気がするからである。病気とはどういうものか。自律神経の果たす役割。こころと身体の関係。いかに「こころ」が体に関与しているか。いろんな意味で教えられることが多い経験をさせてもらった。少なくても、40代を境に、10年間近く私におこった出来事は、私の意識を大きく変化させた。このことについて私の師匠は、「人間にとって何ひとつ偶然はない」という。問題は、「何が起きてもその経験を生かせるかどうかが問題なのだ」と、おっしゃられるのである。また、こうもいわれた。「人間は、体験しなければ、何もわからない。いくら本を読んで知識は豊富でも、一度体験することに比べたら遠く及びもしない」といわれるのである。「『体験体得』それが、私達の世界の鉄則なのですよ」といわれたことを、きもに命じて、私は、この世界に一生をかけてみるつもりで飛び込んでみたのである。(終わり)
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 はじめから手術のせいで「アレルギー性気管支ぜんそく」が始まったとは考えなかった。ただ、手術の効果は3年間とは続かなかった。私の鼻は、花粉の季節の訪れとともに、また、もとの症状にもどされていた。原因はいろいろ考えられるが、私の身体の内部環境は、あまり良好ではなかった。また、細菌におかされて鼻粘膜は劣悪なものとなってしまった。よせばいいのに、こともあろうに「レーザー治療」というものが注目され、簡単に手術が可能ということで、再手術に望んでしまったのだ。今思えば、何のためらいもなく再手術に望んだ思慮の足りない自分がおそろしい。ともかく、痛んだ鼻粘膜を取り除き、新しい鼻粘膜を再生するレーザーによる手術は、無事終了した。さて、次に私を待ち受けていた問題は何だったろうか?理解の早い方ならもうおわかりであろう。そう「アレルギー性気管支ぜんそく」の再発である。つまり、いつまでたっても、ただ繰り返しているだけ。何も、「手術」や「投薬」では、何ひとつ問題が解決がなされなかったのである。科学の最先端である近代西洋医学を持ってしてもだめだった。もう、ここまでくれば、いくら馬鹿な私でも、いやという程わかった。もう、近代西洋医学では、私の身体は治せないことが、はっきりと認識することができたのである。

 私は、やがて、もう最悪な状態をまねいてから、ステロイドが「天使」の顔をした「悪魔」だったことを知ることになった。前に私は、薬の作用と副作用について簡単に触れたことがある。作用でいうなら、ステロイド剤程、炎症によく効く薬はない。どんなアレルギーだろうとたいていの炎症なら、これさえあれば、たちどころに問題を解決してくれる。カードにも「切り札」というものがある。これに勝る「切り札」はないわけだから、これを実際につかわなくてもいいわけで、持っているということが相手に伝われば、勝負に勝てるという代物だ。ただ、この「切り札」を出してしまった以上、その勝負に負けは許されない。だから、呼吸器科の医者が、私の肺に炎症が認められた以上、投薬を中止することができなかったのは、仕方がない判断だったともいえる。少なくとも、西洋医学に携わる医療人としては、踏み外すことができないセオリーだったと言えよう。病院から出される薬の注意書きにも「医師の判断なしに自分の判断で中止することがないように」と書かれているのはそのためである。このブログの右側にある「ライフログ」にはいっている。「医者からもらった薬がわかる本」法研の本の中には「ステロイド薬」についてこんなふうに書かれているので引用してみることにする。


☆ステロイド薬(副腎皮質ホルモン)

 薬の中でも、使い方が最も難しいものの一つで、最近による感染症を誘発したり、胃・十二指腸潰瘍、糖尿病、副腎機能の低下、精神障害などを起こすことがあるので、次のことに注意します。

①他に適当な治療があるときは、副腎皮質ステロイド薬はなるべくつかわないようにします。

②本剤を使用しているときは、副作用の出現に十分に注意し、ストレスにさらされないようにし、服用 中に事故があった場合は、すぐに処方医に連絡します。

③急に服用をやめると、熱が出たり、頭痛、食欲不振、脱力感、筋肉痛、関節痛、ショック症状が起こ ることがあるので、自分勝手に服用を中止してはいけない。

★重大な副作用

❶細菌などに対する抵抗力が落ちて、誘発感染症や感染症の憎悪がおこることがあります。

②糖尿病や続発性副腎皮質機能不全がおこることがあります。

❸消化管潰瘍、消化管穿孔、消化管出血が起こることがあります。

④膵炎がおこることがあります。

❺うつ状態などの精神変調がおこることがあります。

❻骨粗鬆症、大腿骨や上腕骨などの骨頭無菌性壊死、ミオパチーなどがおこることがあります。

❼連用によって眼圧上昇、緑内障、後のう白内障、中心性漿液性綱脈絡膜症・多発性後極部網膜色素上 皮症がおこることがあります。

⑧血栓症がおこることがあります。

⑨心筋梗塞、脳梗塞、動脈瘤がおこることがあります。

⑩硬膜外脂肪腫があらわれることがあります。

⑪アキレス腱などの腱断裂がおこることがあります。

★以上の黒丸は、私に身体に実際に影響を及ぼした重大な副作用であった。


 もう「セレスタミン」をはじめとするステロイドは、「天使」のようには囁いてはくれなかった。いつの間にか、気づいた時には、「悪魔」の薬と化して私に襲いかかってきたのである。30代の後半から40代の前半にかけて、私は「アレルギー性気管支ぜんそく」以外にも、いろんな病気を経験した。そして、そのために何度も入退院を繰り返すことになった。胃潰瘍・十二支潰瘍。それから、強烈は発熱を伴う感染症。左膝関節感染症。本当に何度入院したことであろう。また、眼圧が高く眼底に異常があるということで緑内障を疑われ、眼科に3年間検査に通った。また左右の両肩を肩関節周囲炎も症状が重く。普通予後が良好なはずなのに左右合わせて6年間ひどい痛みに耐えた。また、胃・十二支潰瘍で入院した病院からの紹介状を持って精神科医を訪ねると、今度は、鬱病と診断された。その頃は、不眠がおこり、いつも身体は倦怠感とたたかっていた。当然、自律神経のどこかが失調していた。また、いつも身体のどこかに神経痛があり、肩、背中、腰、肋間、下肢と常に場所を変えての正体不明の痛みとたたかうことになった。まるで、「悪魔」に取り付かれているとしか思えない何年間を過ごしたことだろうか。しかし、それらはすべて、「悪魔」の薬。「ステロイド剤」の副作用がもたらした後遺症が原因だったことはいうまでもなかった。こうして振り返ってみると、どうして、今ここに私と言う人間が存在するのか不思議に思う程、おそろしい体験を何度も繰り返した。本当に、この恐ろしさは、体験したものにしかわからないことだろう。世にも恐ろしい、本当の話なのである。(つづく)
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 少年時代は、誰にもコンプレックスのひとつやふたつはあるものだ。私の場合は、「鼻が悪いこと」だった。父親ゆずりの蓄膿症。もう小学校の高学年の頃には嗅覚を失っていた。風邪をひいていなくても年中鼻声で、冬から春にかけて、はなたれ小僧。苦しんでいるのは自分だけ。他人から見れば、別にどうということはないのだけれど、私にしてみれば、誰にも知られたくはない。実に重大な問題。それらの話題は、誰にも触れては欲しくない。私にしてみれば、深刻な問題であり、立派なコンプレクスでもあった。
 それにしても私の少年時代は、花粉症なんていう言葉はなかった。だから、なぜ、冬から春にかけていつも長い風邪を引くのかわからなかった。クシャミは出るし、鼻水は止まらない。頭が痛くて、痛くて。それなのに体温計で測ってみると熱は平熱。なのに私は、風邪だと思っているから、後ろめたさもあったが、学校を休んだ。体育の時間やマラソンを見学をした。それでも私の風邪?は治らなかった。そんなときいつでも私を救ってくれたものがある。「セレスタミン」というお薬だ。それまでは、医者からどんな薬をもらっても治らなかった鼻炎が、この薬に変わってからは、まるで嘘のようにピタッと治ってしまう。どんなに苦しい鼻づまりも、この薬さえあれば大丈夫、何も問題はなかった。昔から「セレスタミン」は苦しい時にいつでも助けてくれる。魔法のような薬。まるで「天使」のような存在だった。それ以来私は、誰よりも「セレスタミン」を頼りにするようになった。耳鼻科の医者も季節がくれば、私には、すぐに「天使のお薬」を処方してくれた。このようにして、私と「セレスタミン」のなが〜いお付き合いが続いた。
 
 もし私にこんな問題が起きなければ、それまで通りずっと、現代西洋医学に疑問を持つことはなかっただろう。これまで通り科学の素晴らしさを信じて疑ったりはしなかった。ところで、大人になってからも私に、鼻炎の問題は無縁ではなかった。普通の人に比べて私の鼻は、見た目にも曲がっていた。だから、鼻の通りは悪く、少しでも風邪をこじらせるようなことがあれば、すぐに蓄膿症になった。ましてや花粉の飛び交う季節となれば、大変なことになってしまったのはいうまでもない。そこで、私のアレルギー鼻炎を治療していてくれたお医者さんの勧めで鼻中隔湾曲症と副鼻腔炎(蓄膿症)の手術をやることになった。私が38歳の頃の話である。手術は成功した。私の鼻は、まるで嘘のように通るようになった。こんなにすっきりするのならどうしてもっと早くに手術をしなかったのか悔やまれる程、私の鼻は生まれ変わった。それにもうひとつ、炎症を抑え、感覚神経を活性化させるというステロイド剤。「リンデロン」を点鼻薬としてつかったところ、私の何十年んと眠っていた嗅覚が、復活したのである。私は、天にも昇るようなよろこびを覚えた。また、そのよろこびは、花粉の季節になってさらに倍増した。花粉が舞い始めるようになってもいっこうに鼻炎の気配はなかった。手術の効果は、私の想像をはるかに超えていた。ところが、いいことはそんなに長くは続かなかった。なんと、鼻の通りがよくなった分、花粉は、今度は鼻腔を通過して気管支を直撃してしまったのである。今度は「アレルギー性気管支ぜんそく」という新たな問題が生じてしまったのである。手術は、ある問題を解決し、またさらにある問題を引き起こした。とにかく私は、40代を前後して6年間「ぜんそく」という新たな問題に直面した。

 「ぜんそく」の発作は本当に苦しかった。またそれは決まって、自律神経が交感神経から副交感神経に交替するはずの夜中に引き起こされた。私は、ぜんそくの患者の多くが苦しむように「呼気」は出来ても「吸気」ができず、何度もこれで最期かという苦しみを味わった。そして何度も緊急外来で点滴のお世話になった。それでも間に合わない時には、病院にそのまま入院した。やはりここでも私を救ってくれたのは「ステロイド」だった。ステロイド薬がはいった点滴は、まるで、さっきまでの「このまま死ぬのではないか」と思った程の重体から何度も私を助けあげてくれた。その時も「ステロイド」は私にとってはやさしい「天使」のような存在だった。しかし、それが何回も何回も回数を重ねるたび、私の中である疑問がわいてきた。その疑問というのは、漠然としたものであっが、「私の身体は、本当によくなっているのだろうか?」という疑問だった。私がいつも「助かった」と思う瞬間は、ちょうど、まるで生死に立たされた私を「天使」が「死神」と取引でもして決着を付けているかのように感じられたのである。退院してからも私は、呼吸器科の病院に通った。医師は、レントゲンで経過を観察しながら、肺に炎症の現れである白い影を見ていた。そして、それを私に見せながら「たとえ今、症状が治まっていても、この際完全にこの薬で炎症をたたいてしまっておきましょう」といって渡した薬が、あの「天使の薬=セレスタミン」だったのだ。私は医者のいうままに、恐ろしいと思う程、「セレスタミン」を常用した。私にとっては、「切り札」を普通の札をつかうように毎日のようにきってしまていた。それがその後どうなるかも知らないままに…。不安を感じながらも「セレスタミン」を飲み続けたのだ。(つづく)
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 ひとくちに花粉症といっても、症状は様々である。軽いクシャミや鼻水程度の人もいれば、目を真っ赤にして、夜も眠れないという人もいる。だから、同じ花粉症でも、話を聞いてみると、その違いに驚かされることがある。だから、花粉対策も当然違いがある。軽い人は、市販されている薬で間に合うだろう。しかし、重症ともなれば、そうもいかない。たいがい病院に行くくらいの患者さんは、だいたい処方される薬は、抗ヒスタミン薬か抗アレルギー薬がほとんどである。もちろん、目薬、なども一緒に処方される。しかし、それで治れば、重症とはいえない。特に鼻づまりがひどい場合は、点鼻薬といって、一時的ではあるが、粘膜の消炎することで、鼻づまりを解消する差し薬をもらう。薬も毎年、強さが要求されるようになる。抗ヒスタミン剤も抗アレルギー剤も効かないとなれば、最後に出てくるのがステロイド剤である。点鼻薬は血管収縮剤である。特にこの二つの薬が出たら本当に気をつけなければならない。薬というものは、必ず、作用と副作用の二つの側面があることを理解しなければならない。今回は、右のライフログで紹介した「のんではいけない薬」〜必要な薬と不必要な薬〜 浜六郎 金曜日の中からこの二つの薬について書かれているので、大切なところを引用することにする。

☆注意すべき薬剤は?

★ステロイド剤

 アレルギーの原因となる抗生物質・アレルゲンを、すぐに取り除くことができる動物や食品等によって起きた重症の反応の際、一時的にだけステロイド剤を用いるのならやむおえないし、それほど害もありません。しかし花粉は何ヶ月か続きますから、その間ずっと使用すると危険の方が大きくなる可能性があります。ステロイド剤の効果は強力ですが、感染症や、製剤によっては局所使用でも副腎機能の抑制などが心配です。
 よほど重症でないかぎり、花粉症に内服のステロイドを処方する医師はあまりいないはずですが、ステロイド剤(長時間作用型で依存になりやすい。一般名・ベタメタゾン)と、抗ヒスタミン剤を組み合わせた製品「セレスタミン」を、抗ヒスタミン剤と思い込んで、気軽に処方する医師がいます。セレスタミンが処方されたら断りましょう。

★血管収縮剤(点鼻薬)

 血管を収縮させると充血や腫れが軽くなり、鼻が通りますが、傷ついた鼻粘膜の修復に必要な酸素をはじめ、さまざまな栄養分の供給が滞り、かえって鼻炎は悪化します。鼻の粘膜だけではなく全身の血管を収縮させますから、当然ながら血圧が上がり、若くして脳出血を起こしたり、心筋梗塞、心不全や腸管の壊死を起こすこともあります。
 その代表例がかっての市販薬「コンタック600SR]などに含まれていた成分。フェニルプロパノールアミン(PPA)は、アドレナリン系のエフェドリンという薬剤の仲間ですが、なかでも血管収縮作用の強い成分の混合。これが特に危険と、2003年8月、国が指導して順次プソイドエフェドリン(PSE)含有の新製品に切り替わっていますが、これも似た作用があります。
 漢方薬の「小青竜湯」もアレルギー性鼻炎の適応で発売されています。米国では、野球選手が急死した事件をきっかけに、その成分「麻黄」(別名「エフェドラ」もエフェドリン系物質の混合物)含有のサプリメントが規制の対象となっています。
 血管が広がるのは、修復に必要な栄養成分や酸素を多く送り込む必要があるからで、回復するには通らなければならない現象です。薬剤で収縮させるのは逆効果です。
 花粉症やアレルギーの患者さんはここ20年くらいで非常に増えてきました。さまざまな原因が考えられますが、食べ物をはじめ生活や環境中のいたるところに存在する科学物質にさらされ、身体が過敏になっていることが関係していると考えられています。睡眠不足や精神的ストレス、栄養バランスの崩れにも関係あるでしょうから、まずはその点に注意してみましょう。究極の予防法はできるかぎり避けられる化学物質を避け、アレルゲンを避けること。薬より予防が大切です。


※血管収縮剤については、よく出されているので「逆効果」を体験された方も多いことであろう。ただ、ステロイド剤についてはどうだろう。私は、長い間、「処方する医者はあまりいないず…」の「セレスタミン」を長い間使用してきた。毎年毎年、苦しくて困った時に飲む、この「セレスタミン」は、私には、「天使のような薬」だった。ところが、いつの間にか「悪魔の薬」に姿を変えていたという経験がある。副作用を体験して、始めてこの薬の本当の姿が見えたのだ。しかし、この薬を断ち切るためには、多くの歳月。そして、大変な勇気と努力が必要だった。だから、今はもう、この悪魔の薬から一切、縁をきったが、完全に縁をきったのは、まだここ3年くらいの話である。まだ時々、この花粉が舞う季節になると「天使のような」声で私に囁く声が聞こえるのである。
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TARZANターザン527号(2009年2月11日)特集「肩こり腰痛」より抜粋

①姿勢

☆立ち姿、座る姿勢の悪さが凝りと痛みに。

 頸椎は前に向かってカーブを描き、胸椎は後ろ側に引っぱり、腰椎が再び前側にカーブを描く。このS字のアライメントがあってこそ、ヒトはまっすぐ立つことができる。
 脊柱本来のアライメントが崩れる最大の原因は、不良姿勢。正しい姿勢は横から見たとき、耳、肩、腰、膝、足首を一直線に結ぶことができる。これが立った姿勢で猫背になり首が前に出ると、肩から背中の部分が引っ張られて凝りにつながる。また、座った状態で前傾姿勢になると腰椎にかかる負担は倍増する。
 さらに。猫背姿勢で首のカーブが崩れると、それを補正しようとする腰に負担がかかる。また、腰が反りすぎてアライメントが乱れると、その乱れを調整しようとする首に、やはり無理がかかる。不良姿勢による肩こりが腰痛の呼び水となり、腰痛が肩こりの引き金になることは、決して少なくないのだ。

②筋力

☆もともと少ない筋力が常時酷使され硬くなる。

 平成16年度の国民生活基礎調査によると、「気になっている症状」の男性の1位は腰痛、女性の1位は肩こりなんだとか。ちなみに、男性の2位は肩こりで女性の2位は腰痛。男女ともに肩こり・腰痛のセットに悩まされているわけだ。
 その原因のひとつは筋肉量にある。重い頭を支えたり、少々出っ張り始めたお腹を抱えて歩くためには、肩や腰にそれなりの筋肉が必要だ。欧米人に比べ筋肉のボリュームが少ない日本人は、もともと不利な状況にあるといってもいい。
 そこに不良姿勢という要素が加わると、筋肉が年中一定方向に引っ張られ、筋肉を包む筋膜が炎症を起こしたり、筋肉自体が硬くなって血行が滞り、慢性的な肩こり・腰痛に陥ってしまうのだ。ちなみに肩こりを訴えている人の割合は、日本人の7割にも至るという。日々の運動やエクササイズはやっぱり重要なのである。

③ストレス

☆密かにたまったストレスが症状の悪化の原因に。

 肩こり・腰痛は、骨や筋肉の物理的な異変ばかりが原因ではない。最近ではストレスというキーワードが注目されている。一説には、ストレスによって自律神経のバランスが乱れ、筋肉が不要に緊張したり血行が滞って症状が悪化するという話もある。
 実際に整形外科に訪れ、特に強く症状を訴える患者には、メンタル面が弱っている場合が多いと、聖路加国際病院の整形外科医、田崎篤さんは言う。
 「腰痛はとくに、メンタル的に弱い人が多いということは事実です。同じ座りっぱなしでも、仕事中はひどく感じるけれど、週末映画を観ているときは何でもないという人もいますよね。ならばこれはストレス生の可能性があるだろうと。また、肩こりを訴える人に多いのは、自分は重労働を強いられていると感じていること。小さな痛みでも精神的な疲れがあると強く感じてしまうという傾向がありますね」 


※どうだろうか、なるほどなあ、と思われた方が多いのではないだろうか?

 ①姿勢は、ご家族や友人に、一度ご自分の立ち姿を、横から見てもらったらいいかもしれない。自分でも気づかなかった姿勢を、見直してみる必要はないだろうか?
 ②筋肉は、患者さんでも、ご高齢者の先輩が、よく痛みを訴えるが、運動がほとんどできなくなるとやはり、肩こり・腰痛の問題が出てくるのがよくわかる。まだ若いといっても男も女も「お父さん」「お母さん」になると子供には、スポーツをやらせるが、自分の運動は、皆無といったことがよくある。その点をよく考えてみる必要があるだろう。
 ③ストレスは、やっぱりなあ、結構この問題が大きい。前にも書いたが職業的にも身体を使ってする職業より、意外と事務職や接待業などの仕事の方が、患者さんに多いこと等からも、ストレスが原因だというのは、よくわかっていた。こうして、この雑誌で取り上げたことで、確信を持った。
 雑誌は「三大理由」としてあるので、この問題が、外れてしまったが、「四大理由」としたら、次に入るのは、間違いなく「体重」であろう。最近ダイエットに成功したら腰痛が少しよくなったことからも体重と腰痛の関係は、容易に理解できるようになった。
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 お母さんの身体がぐあいが悪いということで、先月の23日から、カナダのトロントに帰っていたヒラリーが、今日帰ってきました。もう成田からこちらに向かっています。約3週間の不在でしたが、その間、全部をやっていた私は大変でした。これで少し肩の荷が下ります。やっぱり、家に主婦がいないのは困ります。また、いつも明るいヒラリーの顔を見に来る患者さんもいますので、お待たせしました。これで明日から、八倉治療院は、通常運転となります。でも、トロントから日本まで、乗り換えありで、18時間だって、明日くらいは、ゆっくり休ませてあげなければいけませんね。やはり明日の朝ご飯も私が作ることになりそうです。
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 今年も花粉の季節がやってきました。もし八倉治療院の前回の記事「温泉にいこう」を読んで、「今年は、耳鼻咽喉科に行くのはやめてみようかなあ」という気持が起きた方に何も具体的な、対応策を示さないのは、不親切なので私が今現在やっている方法ということで紹介させていただきます。私は、飲み薬としては、漢方薬をつかっています。どんな薬がいいのか?「ツムラ漢方スクエア」というメールマガジンが出ています。それを参考にしてください。ちょうど通巻89号が花粉症の特集をしていますので参考になると思います。ただ、漢方薬でも「本治」(完全に治る)というわけではありません。あくまでも、花粉の季節の始まりは、大変つらいものですから、その時、あまりひどい状況になって、困らないようにするためだ。と、思ってください。
 それから、目薬は、つかいません。そのかわりに、海水で目を洗っています。海水は、夏のうちに、近くの海で汲んできた物です。それを、アイカップ、といって、これは薬屋さんに打っている物ですが、それをつかって、目をパチパチして洗います。もちろん最後は、お水できれいに洗い流します。とてもすっきりしていいですよ。何もお薬をつかわないところがいいんです。
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 世の中には、「知っていると思っていて知らなかったこと」がよくある。私は、この世界にはいって身体のことに関して勉強しているが、毎日が、この新しい発見の繰り返しである。だから、ここは少し老婆心を働かせ、皆さんにぜひ知っていてほしいことを書かせていただく。温泉に入ると血液循環がよくなることは、誰もが感じることだ。ではなぜ血液循環をよくすることが大切なのかご存知だろうか?

 血液の主な成分を3つ覚えてほしい。赤血球・白血球・血小板それらはどんな働きをしているのか。まずケガをした時に、傷口を押さえていれば、たいていの傷はすぐに止まる。これは、止血作用といって、血小板の働きである。血管に傷や破れた箇所があると血小板は、すぐに見つけて駆けつける。そして、そこを塞ぐようにして修復する。血小板によって、私達の血管や身体は守られているといっていい。
 次に赤血球。血液の主な働きは、体中、全身の細胞に酸素と栄養を運ぶ働きである。これを行っているのが赤血球である。人間の身体は、60兆という途方もない数の細胞で出来上がっている。しかし、人間は生物である。動物と言うのは、酸素と栄養がなければ生きていけない。60兆の細胞とて同じこと、いかにこの赤血球のもたらすはたらきが大きいものか想像がつくだろう。ところが、それが上手くなされない場合を考えてみよう。  
 うっ血状態とは、血液が上手く流れていかないそこに止まっている状態をいう。血液が止まっていればどうなる。酸素も栄養も他の組織や細胞に流れていかない。飢えに苦しむ細胞達は、まさに瀕死の状態といっていい。酸素と栄養があって始めて細胞は、働いてくれる。しかし、それがなくては、細胞とて動くことができない。働くことができないのだ。血液循環をよくすることの大切さが、わかっていただけただろうか。
 最後に、白血球。人間の身体は、常に外敵と戦っている。外敵というのは、ばい菌や細菌やウイルス等、病気のもとになっているもののこと。人間が生きていくためには、常にこの外敵と戦わなければならない。身体の中でも同じ、毎日平和に生きていられるのも実は、この白血球のおかげなのである。身体の中に炎症が起きているのは、そこはまさに戦場を意味している。白血球が外敵と戦っているから炎症が起きているのである。また外敵ばかりではなく。外敵によって痛んだ細胞を修復するのもこの白血球の重要な働きなのだ。この白血球の働きのことを人は、「免疫力」とか「自然治癒力」といっているのである。これらを含めて、血液というものが、いかに私達のからだに重要な働きをしているかが、再確認できたのではないだろうか。

 温泉に入っていると、額から顔を伝わってあごの先端から汗が滴り落ちるのがわかる。全身から落ちる汗の量は、相当な量だろう。温泉の働きには、この代謝をよくするという働きがある。「新陳代謝」という言葉がある。古くいらなくなったものが外に出て、新しいものがそこに入ることをいう。古くいらなくなったものを老廃物という。大便、小便、アカ、汗、涙、鼻汁などである。私の師匠がいうには、これらの老廃物は、ただ単に古くなっていらなくなったものというだけではないらしい。それらには、「廃毒作用」が働いているというのである。
 つまり、私達の食生活を考えてほしい。ほとんど口に入ってくる野菜や果物、お米等は、農薬におかされている。どこの農家でも、農薬は人体に悪影響を施すことは知っている。しかし、現代社会において、いかに農薬を使わないで、お米や野菜などの農産物を収穫することの難しさは、作ったものでなければわからないというのである。「農薬も少しくらいは使わないと」いうのが大半の意見のようだ。それだけではない、加工された食品にしても、人工添加物、人工保存料、人工着色料など多くの薬品が使用されている。それらは、人体にとっては毒素にほかならない。師匠は、それらの現実をふまえて、「『花粉症』で目から涙が出たり、かんでもかんでも鼻から多量の鼻水、鼻汁が出てくるのは、それらの毒素を廃毒しているからだ」とおっしゃていたのをいつか聞いたことがある。
 とすると、いままで耳鼻咽喉科で私が受けてきた治療は、何だったのだろう。鼻水をとめ、涙が出ないように押さえる。それが本当に身体のためになっていたのだろうか?答えは「NO」その証拠に、病気は治っていない。だから、次の年も、また、次の年も同じように耳鼻咽喉科に行き同じ治療を、永遠と繰り返しているにすぎない。そのことからも、病気が治らなかったことが証明されている。むしろ、使用した薬が、実は人体には新たな毒素となり、永遠に悪循環が続けられていく。私が、もう現代医学の力には頼らないと決意したのは、そういう背景があるからだ。こうして、花粉症を起こしたのは、スギ花粉が悪いわけではない。むしろ、日本人の食生活が変わったことで身体の中に蓄積された毒素が、免疫システムを狂わせ「花粉症」という現象になって表れているだけなのではないだろうか。

 私は、せっかく老廃物に「廃毒作用」があるのなら、温泉やサウナで思いっきり汗をかいて「廃毒」しようと思っている。さいわい私の近くにある川根温泉は、身体の芯まで暖まるというありがたい温泉。ここで半身浴をすれば多量の汗が出る。また、瀬戸谷温泉には、私の大好きなサウナがある。これまた多量の汗がかける。おそらく花粉症にも効果が期待できるのではないかと密かに期待しているのである。まだ期間が短いので何ともいえないが、少なくとも、「散歩」「湯たんぽ」「温泉」を実行しているここ数日間は、鼻づまりが楽で、朝までぐっすり寝ていられる。今のところ私のたてた仮説は正しいといえる。

 最後に「湯たんぽ」について、患者さんからいわれたことを考えてみた。「私は、湯たんぽでなくて、『電気毛布』を使用しています」と言われた患者さんに対して、言葉に詰まってしまった。今までの話に全部お付き合いしていただいた方はわかると思うのだが、「湯たんぽ」と「電気毛布」は違う。「湯たんぽ」は、足下を暖めるだけで全身が暖まる。つまり、血液循環を促進したからだ。循環がよくなったから、全身が暖まった。つまり、暖めただけではなく、血行を促進したのである。水は下から上へと流れる。火は下から上へと燃える。熱も火と同じように、下から上へと伝わっていく。この性格を利用して。人間の身体に作用をもたらすのである。温泉も、半身浴を勧めるのも、実は、この原理が働くからだ。水は動かないと腐ってしまう。機械は動かないと壊れる。「物事は、動くから、変化するから、そこに生命が生まれる」大切なことは、「変化する」「動く」ということだ。だから、「ゆたんぽ」も身体を健康にするのである。それが、「電気毛布」で体中を同じ温度にしてしまったら、身体は、どう反応するだろうか?むしろ自律神経のコントロールが利かないということで反って苦しむのではないだろうか。機械に任せてしまい、体温調節が上手くいかないでつらい思いをしたことはないだろうか?それに、電気は電磁波の生体に与える影響も考えなくてはいけない。やっぱり、どちらを選ぶかは、ご自分で判断していただきたい。

 以上「そうだ温泉にいこう」は、3回にわたり書かせていただいた。師匠が、前に私に言われた言葉を、少し補足させていただいたが、これで、私がいいたかったことは、ほとんど述べることができたと思う。もしこの点について知りたい、ということがあれば、コメントや質問をお受けしたいと思う。それにしてもこの記事を書きながら、私は、何度も温泉に行って浸かった。地下何百メートルから吹き上げるこの温泉は、まさに、自然が与えてくれた恵みだろう。それ以上に神様の深い「ご慈悲」のような気がしてならない。師匠が前に私に言ったことがある。「神様は、金持ちであろうと貧乏人であろうと、誰に対しても分け隔てをしない。それが、『天の恵み』である」と。日本中に、こうして手軽に日帰り温泉ができて、みんなが楽しめられるようになったのは、もしかしたら、神様のプレゼントかもしれない。そうだとしたら、皆さんも思う存分に温泉を楽しんできてはいかがだろうか。そして、みんなで病気を克服して健康になろうではないか。<終わり>
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 もう6年前のことになるだろうか。一度だけ、師匠に温泉に連れて行ってもらったことがある。その年は、私が教員をやめて専門学校に合格した3月のことだ。だから、師匠からしたらお祝いをしてくれたのかもしれない。私と師匠の関係はもう20年にもなるが、私は、いつも電話でご指導していただいている。しかし、直接お目にかかったことはあまりない。だから嬉しくて、嬉しくて、忘れられない一日となった。露天風呂に浸かりながら、師匠は、このように言われた。「温泉は、どうして身体にいいのかわかりますか?」たぶん私の答えは、「温泉は、身体の代謝をよくします。それに、血行が良くなることで、血液循環もよくなると思います」まるで私達の会話は、いつも先生と生徒そのものだ。いや実際には、それ以上の差があるのだが。私は、少し緊張まじりに答えた。そうしたら、師匠は、もう私の答えの先を読んでいたように、「そうですね。でもそれでは、家でお風呂に浸かっているのも同じですね」と言われた。確かに、そういわれてみれば…。しかし、私にはそれ以外の答えは、考えられなかった。私の顔をよく見ていた師匠は、「降参ですか?」と、さも言いたそうな感じで、こう言われたのだ。「温泉は、マイナスイオンなんです。だから、気持がいいんです。だから身体にもいいんですよ」それ以来、私は、いつも温泉に入るたびに、師匠に言われたその言葉を思い出すようになってしまった。

 日本人なら温泉が好きな人はたいへん多い。多くの集団に起こる、こうした行動には、きちんとした理由があるものだ。身体にいいことは、みんな頭のどこかでわかっていても理由を説明できる人は、そんなにはいないだろう。日本全国、どこに行っても、いつも温泉は人でいっぱいだ。理屈抜きに温泉って気持いいからみんな入りにくる。でもなぜ気持いいのかって聞かれたら、こんなにわかりやすく答えられる人はいない。マイナスイオンって言うのは、最近よく耳にする。電化製品でもマイナスイオンを売りにしている製品も多い。例えば、エアコン、扇風機、ドライアー、掃除機。一瞬あれと思ってしまうものばかりだ。と言うのは、マイナスイオンと言うのは、もともと自然界のもの。例えば、よく注目されているのは、緑いっぱいの森の中の森林浴。水しぶきを上げる滝つぼの淵近く。本当に気持がいいところ。そんなところに、マイナスイオンが、発生するからだ。電化製品は、そのマイナスのイオンに似せて、似たものを作り出しているだけにすぎない。ところで師匠が言うように、マイナスイオンは、「気持がいい」のはわかるけれど、どうしてそれが身体にいいのだろうか?

 それは、「環境」の問題になるけれど、私は、昔学校にいる時に環境について勉強して、生徒達に教えていたのでよくわかった。オゾン層って知っているだろうか?地球は、46億年もこのオゾン層によって守られてきた。それは、悪疫をもたらす紫外線Bを、オゾン層がバリヤのような働きをして、私達地球に住む生物を守ってきたのだ。ところが近年、人間がフロンガスと言うものを使いだすようになってから、オゾン層は破壊されるようになってしまった。フロンは、少し前までは、ヘアースプレーやエアコンの冷媒ガスとして用いられた。安いコストで、便利なこのガスは、始めのうちは、重宝がられてきたのだが、やがて環境破壊の原因になることがわかった。しかしその時は遅く、無配慮に処理されてきたために、空気よりも軽いフロンは、やがて、地球の上空。何千メートルのところにある、もともと薄い空気の膜であるオゾン層を、破壊する結果になってしまったのである。そのために所々に、あいてしまったオゾン層の穴の間から、人体に有害な紫外線が、ほぼ地球上全域に降り注ぐようになってしまった。この紫外線Bは、特に皮膚ガンをもたらすことがわかった。つまり、ひとの身体から、免疫力を奪い、皮膚がんから体中の細胞に転移して、様々のガンの発症率を引き挙げる一因となったのである。それから、免疫力の低下から感染病等も増えるようになった。

 環境問題はそれだけではない。電磁波のことをご存知だろうか?送電線の中には、高圧線と言ってかなり高電圧の多くの電流を流している。ところが、送電線の近くに住む住人の発ガン率が高いと言うことがデーター的にわかってきた。電磁波も、同じようにひとの身体から免疫力を奪っているのである。しかし、電磁波が有害と言うことがわかると、家庭にある電化製品はどうなのか?例えば、電子レンジ、照明器具、TV、ラジオ、携帯電話、ヘアードライヤー、電気ひげ剃り機、など同じように電磁波をだしている。それらの安全性はどうなのか。疑問視され始めてきているのである。このように私達を取り巻く環境が、安全なものだと言えなくなっている。そして、発ガン率や疾病率の高さが、それを証明するかのように、上がっていることも私達の不安をなお一層かき立てているのである。

 少し長くなってしまったが、マイナスイオンと言うのは、そうした私達の身体をきれいに洗い流して、免疫力=自然治癒力を引き出してくれる働きがあるのである。まさに天からの恵み。「温泉にいきたい。ゆっくりのんびりとお湯につかって、ひごろの疲れた心や身体を癒したい」そう思って来る多くの人のために見事に、温泉は、自然の恵みを与えているのである。思えば、もしかしたら昔の日本人以上に、現代に生きる私達は、こうした自然の恵みが必要なのかもしれない。子供から大人からお年寄りまで、それを知ってか知らないかはわからないが、日本国中の日帰り温泉は、平日から週末にかけていつでも人でいっぱい。いつも多くの人でにぎわっているである。しかし、私のこの記事を読んで、改めて温泉に行きたくなった人は多いのではないだろうか。<つづく>
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