<   2009年 04月 ( 18 )   > この月の画像一覧

 現代医療で困っている人が救えるのか?これは、医療の現場に関わっている人なら誰もが、持っている素朴な疑問である。私の知る限りでは、病院はいつ行っても人がいっぱいである。広い駐車場も、なかなかとめるスペースがない。待合室は、待っている患者さんであふれている。病院に行くとなれば、早くて半日、少し大掛かりな検査や、科をまたがって複数の科を受診するとなれば、一日がかりを覚悟しなければならない。どうしていつも、病院は、こんなに患者さんでいっぱいにあふれているのだろうか。昔に比べれば、病院はたくさん増えている。市立、県立の総合病院。専門の開業医だって比較にならないくらい増えているはずだ。医者はどうだろう。今では伝説の人になってしまった亡き田中角栄首相の時代に、医療の充実を目指して1県1医学部ということで、医学部がなかったすべての県に医学部をつくり、定員を一気に増やしたそうである。統計的に見れば医者は増えている。ところが「医者が増えれば増えるほど病気が増え、病院が増えれば増えるほど患者が増える」。これは一体どうしたことなのだろう。何かがおかしいのではないか。

 皆さんは、よく医療費が問題になっていることは、知っている。では実際殿くらいの医療費が毎年のように使われているかご存知だろうか。現在医療費は30兆円と言われている。国の予算の総額が90兆円で、およそ三分の一が医療費だと言われている。その膨大な医療費の打ち明けは、日本の場合は、どうなっているのだろうか。以前学校で勉強している時に、調べたことがあるが、新薬の開発。高額機械を使っての精密検査などによる検査費用などが、その中でも大きな、費用の割合を要することがわかった。最近では、病院での薬付け医療が疑問視されはじめている。それなのに、新薬の開発に余念がない。30代以上の方なら、大抵の人が体験済みかもしれないが、検査検査に明け暮れる病院。それらがすむと最後は、薬局で膨大な薬を処方される。とてつもない金額を払わされても、まだ国の医療費は赤字だと言う。何かがおかしい。何かが狂っている。そう考えるのは私だけだろうか。

 もし医療費30兆というお金が、有効利用されているのなら誰も文句はいわないだろう。しかし、これほど医療費が高騰していき、保険制度が改悪の一歩をたどるような現状では、だれも満足はしない。しかも、病院や医者が増えていくのにも関わらず。病気はいっこうに減ってはいない。むしろ病院や医者が増えれば増えるほど、病人が増える。これでは一体何のための医療なのかわからない。科学という名の下に高額な費用を投じて行われる現代西洋医学。もし、このまま今の体制を続けていくならば、近い将来、必ずいつか医療制度も国の経済政策も破綻を招くだろう。いや、破綻寸前なのが今の日本であるともいえる。何でもかんでも、現代西洋医学に頼ろうとすれのは大きな間違いである。ある人の説によればもし、「鍼灸マッサージ」をはじめとする「代替医療」を医療に取り入れるとすれば、今の7割位の患者が、「代替医療」でまかなうことができるという。考えてほしい、江戸時代までは、日本の医療といえば、「はり・きゅう・あんま・指圧」のことであった。それが明治の政府が、西洋医学一遍とうに政策を変え、東洋医学を廃除してきたことが、今日の事態を招いているといえる。

 先日、八倉治療院へ「メニエール病」で見えた患者さんがいる。「メニエール病」と言えば、現代西洋医学では難病指定を受けている病気である。私のところに来るまでは、いくつかの病院を何度も受診されて来たそうである。内科に耳鼻咽喉科などで、MRIなど高額検査機器を使って、隅から隅まで精密検査を受け、たくさんの薬を処方されたそうである。しかし、病状を改善することはできなかった。困った患者さんは、ネットを通じて私の治療院にたどり着いた。私が以前、受けた患者さんの中に「メニエール病」の患者さんが4人いて、4人が4にとも「難聴・耳鳴り・めまい」から解放されたことを知ったからである。そして、この患者さんも合計3回の治療で、症状が和らぎ回復の方向に向かっている。このように現代西洋医学では「メニエール病」のように難病の病気であっても、「鍼灸マッサージ」においては、適応の病気が、数えきれないほどある。だから、日本のこれからの医療も「現代西洋医学」にだけ頼っていてはだめなのである。全国にある総合病院も「統合医療」の病院にすべきである。考えてみてほしい。「鍼灸マッサージ」の場合、治療に必要なのは、「はり」と「モグサ」しかない。「マッサージ」の手技に関していえば、使うものは何もない。医療費は、医療を行う医療者の人件費だけを考えてやればいいのである。これほど安上がりで結果を出す医療が、世界にはまだまだたくさんある。どうして政治家を始め日本人の多くがそこに目を向けないのか、私には不思議でならない。


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 昨日は一日すごい変な天気だった。昼間は晴れてとてもいい天気だったのに急に雨が降ってきた。そうかと思うと、夕方頃から突然黒い雲が立ちこめた。これは一雨降るかなと思ったら、すごい大粒の雨が降ってきた。それがやがては、季節外れの雹(ひょう)を降らせた。その頃私は、「伊太和里の湯」にいた。ものすごい雷光が、ときおり空を走り、真っ暗な空に不気味な様子を漂わせていた。私は、普段は、気が小さくて臆病なのだが、なぜか時々大胆になる時がある。昨日も気持が高ぶり、サウナをでて、もちろん素っ裸で外の水風呂に浸かって、雨の感触を楽しんでいた。バケツのそこに大きな穴をあけたような大粒の雨は、容赦なく身体を打った。水風呂に頭だけを出していたら、まるで、荒い頭のマッサージを受けているみたいな感じだった。「バチバチ」「ボツボツ」そんな擬音語が、ぴったりするような感じの感覚に少し興奮を覚えた。バカな私である。やがて嘘のように雨がおさまると、露天風呂に入ってきたお客さんが、「いやー、今の雨はすごかったね。ここまで来る途中、雹(ひょう)が降ってきちゃってさ。一時はどうなるかと思ったよ。でも雨が上がってくれてよかった」ということで、雹が降ったことを知った。一昨日の、台風並の強い風といい。今日の雹といい、四月の天気の神様は、極めていたずら好きである。これでもかと言わんばかりに、いろんな天候の顔を見せてくれた。「晴れのち曇りのち雨のち雷のち雹のち曇りのち。少し晴れ」。露天風呂に浸かっていると、雲の割れ目から、少しだけ、三日月と2等星くらいの明るい星が、顔を出した。多分明日は晴れるだろう。また、笑い声が、露天風呂から夜空に響きわたった。

 話は変わるが、私は昨日で「伊太和里の湯」に行ったのは、ちょうど10回目である。「伊太和里の湯」がオープンして3日に1度の割合、仕事をぬってよく出掛けている方であると思う。そのように思っていた。しかし、それぐらいだと、あまりたいしたことはないみたいである。まわりには、毎日かかさず皆勤している人が何人もいる。温泉大好き人間からすると「まだまだですね」。ということになってしまうようだ。確かに温泉にはそれだけの魅力がある。多分、この人たちは、このGWにも、毎日、皆勤されることだろう。しかし、この人たちが、この「伊太和里の湯」に訪れるのは、午後4時頃を過ぎてから7時頃の間の時間帯。その頃になると、さすがに昼間にぎわっていた「伊太和里の湯」もお客さんが少なくなっている。後は、この「伊太和里の湯」が、自分の家の「お風呂」みたいに思っている人ばかりが集まってくる。「伊太和里の湯」は本当に山の中、回りには明るさを感じられるだけのあかりが、全くない。ここに辿り着くための外灯も、もう少しあればいいのにと思われるくらいの本数である。夜空にはいつも明るい満月のお月様がほしいくらいの情景。それが、ここ「伊太和里の湯」である。私はそれが、かえって大好きだ。今日はあいにくこんな天気になってしまったが、ここにいると、キャンプに出掛けた時のような開放感を感じる。もしこの「伊太和里の湯」が、夜はランプでもともしてくれたら、どんなに素敵であろう。もちろん「伊太和里の湯」は、宿泊施設ではないので、そこまでする必要はないのだけれど、もしそれが実現したら、ますます私は、この温泉のファンになってしまう。

 今日は少し「伊太和里の湯」の夜の様子を紹介させてもらった。このGWは今日から本格的に始まった。おそらく大半の人が、大型連休に入ったことだろう。多分、今日みたいな、よい天気に恵まれた日には、遠いところからもお客さんが見えるはずである。実のところ私は、人ごみが大の苦手で、GWの間は、ここ何年どこにも出掛けたことはなかった。静岡市くらいの地方都市でも、このGW中は、人の山ができるくらいで、ますます、どこにも出掛ける気がなくなってしまう。だから、先日グロブの中で「GWのお休みはご家族で『伊太和里の湯』でくつろぐのはどうですか?」という提案をさせてもらったのだ。でもよく考えてみると、それでは、この私が、GWに行く場所がなくなってしまうではないか?たくさんのお客さんに楽しんでほしい。その反面、あまり多くの人に来てほしくない。複雑な心境である。しかし、私は、「伊太和里の湯」の地元ファン。ここは、遠くからきてくださるお客さんのために「伊太和里の湯」の昼間の部を譲るとして、私は、昨日のように夜の部に来て温泉情緒を楽しませてもらうことにしようと思う。天気がよければ、「満天の湯」で気がすむまで夜空の満天の星を楽しみたい。それもまた、これからの「伊太和里の湯」の楽しみ方のひとつになるだろう。


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 島田市田代の郷温泉伊太和里の湯がオープンして、もう1月が経とうとしている。1日オープンの日には、八倉山にたくさんのサクラの花のピンクが見られたのがまだ印象に残っているが、もうあれから季節は確実に「若葉の季節」に変わってきているようだ。施設のまわりにはたくさんのツツジやさつきの花が見られるが、なんといっても周囲の若葉の緑が目をひく。ひとくちに緑と言っても、こんなにたくさんの緑があるのかと思われるくらいに若葉は、色とりどりである。山の自然は、町の自然に比べるとダイナミックでいい。1日オープンの日に、きっとこの「伊太和里の湯」は、四季色とりどりの変化を見せてくれるだろうと期待を持たせてくれた。やはり、その期待を裏切ることがないことを証明してくれた。またこれから少しずつ変化していく若葉の緑が、これからも私たちを楽しませてくれることだろう。

 ところで、最近は「伊太和里の湯」に行く回数が増えるたびにいろんなところに目がいくようになった。まずはこの建物、はじめは外観が真っ黒で、正直あまりぱっとしないかなと言う感じもあったのだが、それがまわりの自然の美しさを引き立たせていることに気づいた。「黒」は確かに地味な色。「光と陰」でいえば「陰」の部分、「光」である「自然の緑」の脇役である。だからこそ、この景観の中で調和が保たれるのであろう。また、すべて平屋にしたことも目立たせないための配慮がそこに働いている。もしここに、鉄筋の高いビルが建てられていたら、それでなくても際立って高い山がない里山の景観が、色あせてしまう。それでは、せっかくの「田代の郷」のイメージとしての雰囲気が、壊れてしまうことになる。そういえば、私は旅行が大好きで国内だけではなく海外旅行へもよくいく。特に気に入ったところは、何度も足を運ぶ。例えば、フォーシーズンなどの一流ホテルが建ち並ぶ、バリやタイにある高級リゾートなどでは、ある規制があった。それは、ヤシの実の木の高さより高い建物を建ててはいけないというきまりである。自然景観を損ねると言うことで規制されているのである。だからどんなに大掛かりなリゾートがあったとしても、海から島を見た時には、まったくと言っていいほどその存在に気づかない。これが、世界のエコリゾートの常識となっている。この「伊太和里の湯」もきっとそのような「世界基準」が働いているのではないかと思われる。

 エコと言えば、自然の素材を使うと言うのが常識である。ここ伊太和里の湯でも豊富な木材が使われている。柱や壁、床材も自然な天然木。だから、派手さはないが、大勢のお客さんを受け入れるだけの落ち着きと暖かさがあり、実に好感が持てる。きっと、この先何十年何百年とこの建物は、渋味をまし皆に愛される温泉施設となっていくだろう。また、この広々とした空間も多少の大口の団体が訪れたとしても、それらをすべて受け入れて、あまりあるだけの施設に仕上がっている。やはり大きなプロジェクトを成功させるためには、目立たないところにも多くの人の知恵がそこに働いていることがわかってきた。私は、最近になって、この「島田市田代の郷温泉伊太和里」の湯をすごく高く評価している一人である。

 でも温泉が温泉として評価されるには、やはり温泉の質が重要である。やはり近いと言うことでここは、もうひとつの島田市川根温泉擦れ合いの泉が比較の対象になるだろう。泉質は、川根温泉の方は、「ナトリュウム塩化物泉」。それに対して田代の郷温泉は、「ナトリュウム塩化物・炭酸水素温泉」というように泉質は似ているようだが、「炭酸水素塩」というおまけが、この温泉の特徴ともいえる。それが、いくらかではあるが、すべすべした肌触りとなって「美人の湯」の根拠になっているらしい。私は、あったまるという点では、川根温泉を勧めるが、この柔らかい肌触りは、川根温泉にはない。泉質はどれが良い悪いではなくて、最終的にはその人の好みによる。好みという点では、私は、この「田代の郷温泉」の泉質の方が好きである。ただ、湯量でいえば、圧倒的に川根温泉には負けてしまう。毎分864リットルという湯量は驚異的である。田代の郷温泉が毎分、116リットルは、決して少ないわけではないが、それは比べようがない。だから、どうしても施設の大きさの割には、温泉の湯船にあたる部分が小規模である。内湯は循環方式をとり、外の露天風呂のひとつだけが、源泉掛け流しになっている。私も、はじめは小さな湯船に不満を持ったことは確かだが、それはあくまで川根温泉と比較していることに気づいた。昔から、「山のいで湯をめでる」日本人の心から、かけ離れた自分自身のこころを反省した。このようなGWは別として、最近の普段の「伊太和里の湯」は、お客さん同士の会話が弾んでいる。それも、湯船のつくりが、人と人の距離を地締めてくれた。会話が生まれるのはそういう仕掛けが働いているかもしれない。だとしたら、それも素晴らしい利点といえよう。物事はすべて考えようである。最近になって、今まで気づかなかった「伊太和里の湯」の素晴らしさが、少しづつ見えてきたような気がする。


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 GWに入り今日で2日目、今日はとてもいい天気に恵まれた。このような天気には家族連れでいろんな行楽地は賑あうことだろう。でももし私が、子供連れの家族を持っていたとしたら、あまり遠出は考えない。高速道路の渋滞、行楽地の人ごみ、考えただけで足がすくんでしまう。そんな時、この島田市田代の郷温泉伊太和里の湯は、家族で楽しめるもってこいの場所ではないだろうか。つい先日、市役所に勤める友人と話す機会があったので、伊太和里の湯の評判を聞いてみた。すごい人気だそうで、4月1日にオープンしたばかりで、一週間くらいで1万人くらいのお客さんがあったと言う。市では、それほど宣伝をしているわけではないのだけれど、やはり、私のように、この温泉を待ちわびていた人は多いようである。そして、もうひとつ、こんなことも言っていた。伊太和里の湯のオープンで、もうひとつの温泉施設、島田市川根温泉ふれあいの泉の方はどうか、というと、こちらの方もお客さんは、あまり減ってはいないそうである。つまり、温泉を歓迎する人が確実に増えているようだ。

 昭和29年生まれの私が、子供の頃は、温泉と言えば、伊豆や熱海。それとも山梨や長野県など、少し足を延ばさないといけないようなところにあった。しかも、いくとなれば、日帰りではなく一泊しないとのんびりはできなかった。当然、温泉は、温泉旅行となり、旅行費用もバカにはならなかった。だから、私は、家族で温泉旅行に連れて行ってもらった経験がない。もっとも家族で旅行するということもなかった時代である。よほどお金にゆとりのある家でなければ、そのような経験をした人は、あまりいなかったのではないだろうか。少なくとも私のまわりでは、そういう家族は、ほとんど見当たらなかった。ところが、私が、伊太和里の湯に行くとよく家族連れを見かける。このように美しい自然に囲まれた環境の中で、家族や親子で時を過ごすことは、どんなに素晴らしいことか。とても羨ましい思いがする。こんなところでリラックスして親子で話ができたら、どんなに楽しいことだろう。また、もし話ができないにしても、家族や親子で、同じときを過ごせるだけでも、とても幸せなことだろう。行楽は、かけたお金ではない。家族がどのように過ごすか、その質が問われる。もしこのような施設が近くにあれば、少し、家族で出掛けてみたら、きっと楽しい思い出となる一日が過ごせるのではないだろか。そんなことを思った。

 それにしても時代は、少しづつ変わりつつあるようだ。私がまだ教師だった頃は、教師と言えども、お休みが増えることに対して不満を持つ人が多かった。週休2日制になった当初は、「こんなに休みばかり増えてどうすればいいんだよう。どうして時間を使えばいいんだ」と言っては、本気で困った顔をする人もいた。大抵はそういう人に限って、パチンコで余暇を楽しんでいたようだが、本当に日本人の多くは、「経済社会」にどっぷりと浸かり、お金を儲けることしか頭にはないような人が多かった。ところが世界中がこのように「不況」や「不景気」の嵐が吹き荒れると、いやがうえでも苦手な「お休み」の日が増える。世の中、週休2日どころか週休3日、それどころか週休4日のところさえではじめたいう。とんでもない時代が、訪れたものだが、やはり、ここらで「経済大国日本」を見直し、考え直さなければならない時代にきているのではないだろうか。世の中にはお金より、もっともっと大切なものはあるはずだ。また、お金では変えない豊かさもある。GWの休日は、ゆっくりと家族連れ立って、島田市田代の郷温泉伊太和里の湯にきて、素晴らしい自然環境の中でマイナスイオンをたっぷり浴びよう。そうすれば、きっと日頃の疲れを洗い流し、さっぱりとした気持で、明日からの再出発ができるというものだろう。またその機会を増やすことで、「人生、何が一番大切なのか」を見つけることもできるかもしれない。


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 「血管はしなやかに血液はさらさらと」このような状態ならば、ひとが病気にかかることはない。また、「肩こり」「腰痛」をはじめとする不快な症状を感じることもないだろう。ひとの「健康」を語るうえで、そのくらい、この血管と血液の問題は重要である。それでなくても日本では、「生活習慣病」が問題となり肥満や糖尿病について真剣に取り組まなければならない時にきている。そこで、今回は対策として具体的な食事療法について述べていきたいと思う。
 
 食事の面でいうと、どのような人が、肥満になりやすいのか、糖尿病にかかりやすいのか知っているだろうか?甘いものが好きで、脂っこいものが好きな人は、大体において肥りやすい。なぜなら、甘いものはすぐに糖になりやすいし、栄養素の中で一番カロリーが高いのは、「脂質」であるからだ。肉や魚は、「タンパク質」であるが、魚でいったら「トロ」は、脂質である。また、お肉の脂身、高級な霜降り牛などにもいっぱい脂質が含まれる。また「トロ」が話題にでたついでにいうと、「コレステロール」が含まれる食品は、うに・いくら・いか・海老などにたくさん含まれている。一般的にいって、いわゆる高級な食材は、カラダに悪い。「脂質」や「コレステロール」は、もっとも血液をドロドロにする。代表的なものである。もしこれらの食品を控えることができたら、それだけで、肥満や糖尿病の防止対策になる。昔から、日本人の多くは、「タンパク質」は、カラダを作るために大切な栄養ということで、肉や牛乳などを積極的にとるように心掛けてきた。しかし、これらの食品には、「脂質」が多く含まれるために、とりたくない脂肪まで一緒にカラダの中に取り込んでしまう、ということが大きな問題になっている。しかし、問題はそれだけではなさそうである。実は、「脂質」の中には、カラダに有害な「毒素」がたくさん含まれている。だから、カラダにたくさんの脂肪を蓄えているひとほど、「毒素」をたくさん持っているということになる。考えてみてほしい、皆さんが好きな、ステーキやハンバーグ。牛乳などは、牛が、大量の草を食べて、それらを栄養として私たちに与えてくれている。しかし、その餌となる草は、汚染されているとは考えられないだろうか。最近は、放牧されている牧場でさえ害虫の被害から無縁だとはいえない。餌となる草に仮に少量の消毒がまかれたとしても、牛は多量の草を食べる。そしたら、カラダの肉、その中でも脂肪の多いところでは、多量の農薬を取り込んでいることになるのは、誰が考えてもわかることだ。だから、なるべく肉はとらない。牛乳も同じ理屈である。では「タンパク質」が不足してしまうではないかと思う人は、同じ「タンパク質」でも良質なタンパク質がある。「豆類」がそうである。ご存知のように、「豆腐」や「納豆」は健康食品であるが、これらの食品を生み出しているのは、「大豆」である。そのようにして「タンパク質」を摂取していくことが、健康につながる。

 もう既に、カラダの中にたくさんの脂質やコレステロールを吸収してしまっている人は、どうすればいいだろうか。そういう人のためにひとついいことを教えよう。カラダの中の特に、血液中に含まれる脂質やコレステロールを取り除く方法がある。昔から「目には目を、歯には歯を」というけれど、「油には油を」用いるのが有効な手段である。しかし、この場合の「油」は限られた油である。「サンマやイワシ」などのカラダが青光りするような魚。これらの魚には、「油やコレステロール」を溶かす働きがある。だから、お肉はやめてなるべく魚を多く捕るように心掛けてほしい。日本人は皆さんも知っているように世界一の長寿国である。しかし、その日本の国を長寿国にした高齢者と、今の日本人、特に現代の若者の食生活とは、大変に違っている。昔の日本、今のおじいちゃんやおばあちゃんが、若い頃には、もっともっと野菜を食べていた。そして、タンパク質といえば、魚が中心であった。だから、食生活がよかったから、これまで長生きすることができた。いくら医学が進歩したからといってそれだけでは世界一の長寿国にはなれないはずだ。その証拠に今までずっと、医学がすすんでいた欧米諸国の人々より日本人の方が長寿である。ということは、食生活が、よかったということ、昔ほど、食をめぐる環境が汚染されていなかった証拠でもある。このように、ただ単に「栄養学」だけの知識をうのみにするのではなく、現代の社会に応じた知識が必要である。

 それから、「血液がさらさらと」を考えると、食品添加物や食品保存料などの毒素の問題も考えていかなければならない。食品を買う時には必ず廉価な商品ばかりを探すのではなく。後ろにある表示も見てよく吟味して選ばないと賢い消費者とはいえない。また、今までも私が、ブログにも書いてきたように、なるべく「薬をのまない」女性は、妊娠した時には、真剣に薬を避けるのは、胎児の「生命の安全」を考えてのこと。しかし、大人のカラダも胎児と同様、薬に汚染される。それが好ましくないことは、感覚的にも気づくはずである。むしろ、この「投薬」の問題が、もっともカラダを汚染する最大の「毒素」であることを声を大にしていいたい。まだまだ日本人の多くは、この点に関して、意識が低いように思う。だから私は、学校で勉強した「栄養学」の知識をうのみにするようなことはしない。必ず「本当はどうなんだろう?」という気持で、いろいろ自分なりに研究していこうと思う。そういう意味で私が最も信頼しているのは、アンドリュー・ワイル博士が書かれた「ナチュラル・メディスン」が最も信頼性が高い。なぜなら、アンドリュー・ワイル博士も私と同様に、現代医学や栄養学などから得られる知識をそのまま信頼してはいない。ご自身でいろいろ試されて彼の体験をもとに「ナチュラル・メディスン」が、書かれているからだ。「体験体得」それが、単なる知識をもとに書かれた「医学」や「栄養学」と遥かに違いがある。もし関心のある方は、ぜひ彼の書いた本を参考にして、自分なりに勉強されていくことを勧める。
 
 最後にもうひとつ、「血液はさらさらと」にするためには、こうした物質的な問題だけではない。とかく現代医学は、「こころと身体の問題」を切り離して論じられてきた。しかし、こころの問題も、実は大きな影響があることは明白な事実である。私たちがよく問題にする「ストレス」は、こころの問題である。このストレスが、血管の中の「血液」に「活性酸素」を生み出しそれがまた、「毒素」として私たちの血液を汚している。「ストレス」で人が病気になるのもそのためである。私たちは、よく平気で人の悪口や不平不満を言う。また、そうでなくても一人で愚痴をこぼすこともある。しかしそれを言葉として発する時、私たちのこころはその言葉をはっきり聞いている。言葉は、「言霊」といって、目に見えないエネルギーとなり、人のこころやカラダに作用する。しかし作用するのは他人に対してだけではなくご自分のこころや身体にも影響があるということを覚えていてほしい。そして、こころの問題はご自身がカギを握っているのだということも忘れないでほしい。昔、師匠がよく私にこんなアドバイスをしてくれた。「ここに一升瓶があります。ここにはおいしいお酒が入っています。これをあなた方に差し上げましょう」と言われて、もらった人達は、喜んでこれを持ち帰った。そして大切に少しづつ、毎晩楽しみながら飲んでいった。やがて何日か立つと一升瓶のお酒は、半分くらいになってしまった。そこである人は、「もう半分しか残っていないのか」といってこれを惜しんだ。しかし、もう一人の人は、「まだ半分も残っている」といってこれを喜んだと言う。師匠曰く「いいですか、人のこころは、その人の持ち方次第で、どのようにも人生が変わってゆくのです。これまでのあなたは、どちらかと言うと、前者の人のような考え方をしていたのではないですか?そうだとしたら、あなたは、いつまでたってもしあわせをつかむことはできません。その点を、もう一度考え直してみては如何ですか?」とおっしゃられたことがある。それから、今日まで、こころの問題が、どれほど大切な問題であるかがわかるようになった。そしてまた、どれほど難しいかを実感した。これが私の今までの課題であり、これからも改めなければならない問題としてあり続けている。
 

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 私はこの仕事を始めるようになってから「健康」についてよく考えることがある。「健康」って何だろう。どこからどこまでが「健康」で、どこからどこまでが「病気」なのか。人にとってどういう時が、一番よい「健康」状態と言えるのか。そんなことを、頭の中でよく考えている。答えは、いつも見つからなかった。そもそも100%「病気な人」がないように100%「健康な人」もこの世にはいない。「ない」ことを求めることが、無理なことである。だから「人間は、100%を求めてはいけないんだ」ということもわかってきた。しかし、もしあえて「健康な人」を定義するなら「しなやかな血管にさらさらとした血液が流れている人」。これが、私が考える一番の「健康な人」である。

 人の「健康」は、見た目ではわからない。どんなに健康そうに見える人でも、意外と弱い人もいる。そうかと言って、いかにもからだが弱そうに見えても意外と長生きな人も、この世にはいっぱいいる。だから人の「健康」は見た目ではわからない。私が若い頃「夏目雅子」さんというとても人気のある女優さんがいた。彼女は、「健康美」にあふれた、とても美しい女優さんだった。しかし、20代の若さで亡くなってしまった。死亡原因は「白血病」だった。「美人薄命」と言うが、それは、まさに彼女のような人のことをいうのだと思った。人が健康であるかどうかは、「血管の中を流れる血液がきれいなもの」であるかが実に大きい。私は「鍼灸マッサージ師」として、今まで「筋肉」と「神経」のことばかりを考えてきたが、これからは、そこに「血液」が注目の対象として加わることを予感している。なんで今まで「東洋医学」の治療家が、「診察」に「脈診」を取り入れてきたかが、最近になってよくわかってきた。私もこれからは、今まで以上に「血(けつ)」(東洋医学では、これを「けつ」とよむ)に注目して、これまで以上に「血液循環の改善」に心を配ることだろう。それでは前回「血管はしなやかに」ということで「血管」について書かせてもらっている。そこで今回は後半「血液はさらさらと」ということで、「血液」について書かせてもらうことにする。

 「血液」がきれいかどうかは、「血管」の中を流れる血液が「どろどろ」の状態か、「さらさら」の状態かで判断する。正確には「血液検査」で検査をすれば、数値として表すことができるが、治療の熟練者が「脈診」をとれば、検査をしなくても健康であるかないかの大体の様子がわかるはずである。「どろどろ」の状態で考えられることは、血糖値が高かったり、コレステロールの値が高い。「赤血球」の値が少ない。そうすれば自ずから流れが悪くなって、老化させる物質「活性酸素」が発生しやすい状態が予想される。だから、ますます「血液循環」が悪くなる。実は、皆さんがよくお困りの「肩こり」や「腰痛」その他の「冷え性」や「神経痛」などもこうした「血液循環」の悪さが原因なのである。それがやがては「糖尿病」や「痛風」という病気とも関わってくることになる。さらに大きな病気として「脳梗塞」「脳溢血」「心筋梗塞」「狭心症」といった脳や循環器の病気に発展していく。この悪循環をしっかり覚えておいてほしい。血液がきれいでなくなると、血液循環が悪くなる。血液循環が悪くなると、凝りによる痛みや炎症が起きる。それが発展していくと人は病気になるのである。そして、さらに血は汚れる。この悪循環をしっかり頭に入れておいてほしい。

 もうだいぶ前になるが、私は、妻と二人で「エジプト」を旅行したことがある。ナイル川を上流から下る「ナイルクルーズ」も経験した。船がナイル川の上流につくられた「アスワンダム」に近づく頃に、通訳ガイドは、こんなことを私たちに話してくれた。「ナイル川もこのダムができてからは、人々の暮らしがすっかり変わってしまった。ダムができてからは、洪水が亡くなった変わりに豊かな土が亡くなり農業ができなくなってしまった。昔はこの川では、魚が捕れたのにもう今は、川に魚が住めなくなり漁業で暮らしが立たなくなってしまった。そして、もうこのナイル川では人が泳げなくなってしまった。泳ぐと人が病気になる」というのである。私はその話を印象深く覚えている。つまり、ダムによってせき止められた水は、腐ってしまうのである。水は動いていてこそ生きている。動きが止まってしまうと水は死んでしまうのである。私は師匠から、「自然が私たちの教科書なんですよ」と何時も言われている。通訳の話と同じようなことが、私の日常でも起きている。日本もダムが多いことでは、アフリカの地よりはるかに勝る。私の住んでいる島田市にも「大井川」が流れている。私はここでよく夏にを愛犬を泳がせた。しかし、あまり頻繁に泳がせると必ず「皮膚病」にかかってしまった。見かけはきれいでもやはりこの川も汚染されている。上流のダムでいったんせき止められた河川の水もやはり、生きた水ではないのである。これと同じことが私たちの血管を流れる血液にもおこっている。

 人が「健康」であるためには、いかに血液とその流れが大切かを知って頂くために、あえていろんな例を出させてもらったが、私たちが行っている「治療」というのは、このせき止められた水を腐らせないようにする。そのために一生懸命、せき止める原因になっている「ダム」を取り除くことである。それをすることによって、本来の川の水の流れを取り戻し生き返らせるのである。そんなふうに私は考えるようにしている。人の身体はあちらこちらに、このようなダムをつくる。それらを取り除くことも容易なことではないが、汚れた水をきれいにする方法は、それだけではない。私たちが、普段から「適度な運動」や「食事療法」などの日常にできることを同時に行っていかなくてはならない。それにはご自身の努力が必要になってくるのだ。次回は、その点についてもう少しお話を続けていこうと思っている。


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 最近では「血圧」がよく話題になるけど、「血圧」って何のことだろう。血圧には「最高血圧」と「最低血圧」があるけど、あれは何のことだろうか?そんなことを少し考えてみた。「血圧」というくらいだから、血管にかかる圧力。もちろん血管に圧力をかけているのは、心臓だから、心臓の運動と関係がある。心臓には、収縮期と弛緩期(拡張期)がある。収縮期に血液が送り出されるから、この時が「最高血圧」。心臓の拍動によって受ける血管の圧力といえる。では「最低血圧」は、弛緩期の時に心臓の拍動と関係ない。血管そのものの圧力。ということが言えそうだ。一応言っておくと、最大が130以下で最低が80以下が、「正常血圧」である。それよりも高ければ、「高血圧」ということになるし、それ以下であれば、「低血圧」ということになる。それぞれご自分の血圧には、よく注意して健康管理をされたらいいと思う。よく病院や薬局、温泉などの施設などに「血圧計」が設置されているので機会がある時には、積極的に計測してみよう。

 現代日本人の多くは、「高血圧」に悩まされている。私の治療院に見えてくださる患者さんも高齢者が多いので、血圧も高い方が多い。しかし、私が困るのは、すぐに皆さんが「血圧を下げる薬を飲んでいます」ということだ。しかも「降圧剤」を飲んでいる割には、血圧が上手く下がっているというわけではないような気がする。いろいろこちらも根掘り葉掘り聞いてみると、そういう方に限って「塩分」のとり過ぎが原因であるようだ。聞き方は、こんな具合。「食べ物は、濃い味と薄い味とどちらが好きですか?」「みそ汁など味が濃すぎると言われたことはありませんか?」「お酒はよく飲まれますか?」「結構、晩酌にお刺身なんかをよく食べますか?」という具合である。「YES」という答えがよく続くようであれば、間違いなく「塩分」のとり過ぎである。また、意外や意外、甘い物好きな人でも塩分を取り過ぎの場合もある。たとえば、「お汁粉」。これなどは、「甘み」が強い食べ物であるが、甘みを引き立てるために「塩」をたくさん使っている場合がある。また、気楽に若い人たちがよく食べている「ポテトチップ」や「ラーメン」の汁などに含まれる「塩分」の量は、比較的多い部類に入る。こうしてみると「みそ」「醤油」「塩」を好んで味付けに使う日本人の食生活には、多くの「塩分」が使われる。そのことが「高血圧」を引き起こす原因になっていることがわかる。かといって「降圧剤」を長く飲み続けると「肝臓」にとっては、すごい負担になることは間違いない。しかもいったん「降圧剤」を服用した患者さんは、ほとんど薬を手放そうとはしない。一生飲み続けるのが普通だ。そうなれば、肝臓からはじまって、すべての臓器や器官を痛めることになる。これが私には恐ろしい。ではなぜ血圧が高くなるのか考えてみたい。血圧が上がるということは、身体が、血圧をあげなければならないと判断したからである。その原因の多くは、身体の中のどこかに痛みや炎症があるからである。血圧が高い人は、普通の人に比べて「痛み」が強い。だから、降圧剤を飲めばそれでいいかというと、それでは、身体の中の問題は何も解決されたことにはならない。逆を言えば、「降圧剤」が、なかなか効かないのは、身体の方でそれを拒否しているからだということがわかる。

 また、それ以外に血管だけの問題として「高血圧」を考えてみることにしよう。「血管」というのものを知るために、「ビニールホース」のようなものをイメージしてほしい。「ホース」は、はじめ買ってきたばかりの頃は、とても柔らかくてしなやかである。それが老朽化してくると、硬くて傷つきやすくなる。そのキズができたところに白血球のひとつ「マクロファージュ」(鈍食細胞)が、キズを防ごうとしてやってくる。ところが、この「マクロファージュ」は、それだけならいいのだが、血管内を通過する「コレステロール」も食べて吸収してしまう。そうなると、つぎつぎに食べ物がやって来て「マクロファージュ」は次第にふとる一方でやがては、血管の通り道を狭くしてしまうことと同じことになる。そうするとどうなるか。「ホース」は、つかんでいる指で押さえて一時的に細くなるように圧力を加えてやると、すごい勢いで水を噴き出すことだろう。その時の圧力は非常に高い。それと同じことが、「血管」にも起こっている。人はどうしても年齢が高くなれば高くなるほど、「血管」という「ホース」は、老朽化してくるものである。「血管」のどこかに傷がついてもおかしくはない。大切な「血管」は、柔らかいしなやかさが必要である。そのためにも私たちは、つぎのような努力が必要である。それが実行できるかどうかが、「健康に生きられるか」という問題にかかわっている。

☆《高血圧予防のための10か条》

 1、 減塩を心がける
 
 2、 ふとりすぎに注意

 3、 バランスのとれた食生活

 4、 ストレスをためない

 5、 適度な運動を定期的に

 6、 日常生活は規則正しく

 7、 アルコールはほどほどに

 8、 禁煙(節煙)の実行

 9、 便秘解消

 10、定期的に血圧測定


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 以前にこのブログに「病気は気づきのためのメッセージ」である。ということを書かせてもらった。しかし、これは、そんなに多くの皆様に理解して頂けることではないと思っている。人生には幾多の試練が待ち受けている。それらを乗り越えていくのが、私たちに与えられた使命である。出会った困難は、起こるべくして起こった運命。成るべくして成った必然。私たちを成長させるための試練である。逃げることなく立ち向かい、それを乗り越えた時に、人としての魂の成長がそこにある。「病気」も乗り越えなければならないひとつの試練のような気がする。しかし、私には、まだ、それを語る資格はない。私自身が人生における課題の克服という修行の途上にあるからだ。ただ、これまでに人生における幾多の大きな問題の山々を乗り越えてきた時に、これは、私を成長させるために必要な、乗り越えなければならない試練であったことを自覚させられた。だからこそ、師匠が言う「病気は気づきのためのメッセージ」である。ということが私にもわかるようになってきた。

 この前の「糖尿病という病気の実態」を読まれた方は、糖尿病がどんなにおそろしい病気であるか、わかっていただけたことだろう。ところが、私がどんなに正しい情報をお伝えしようと、わかっていただけないのが、この糖尿病の患者さんである。残念ながら私は、まだ人をご指導させて頂けるような「先生」ではない。ただ、医療に携わる者として、事実だけはお伝えしておかなければならないと思っている。私の知る限りでは、この「糖尿病」という病気は、そう簡単に克服できるような、なまやさしい病気ではない、と思っている。一度、「糖尿病」という診断が下されたなら、そうそう簡単に「治る」病気だとは思われないからだ。しかも、この病気は、自覚が何よりも必要で、本人の自覚なくしては、克服できるはずがない。しかも、それをしないと、みるみるうちに病気は進行して、身体を蝕んでいく。気づいた頃には、もう遅かったということが、山ほどの事例としてある。ただ、多くの人はそれを見ようとしないだけである。世間の人は、「見ざる。聞かざる。言わざる」なぜかこの「糖尿病」を前にして、そのようなお猿さんのような態度にしか私には見えない。医療者は、自分の患者に対して、そのような態度であってはならないと思う。

 私は先ほどから、「糖尿病」の患者さんに対して本当に失礼なことを言わせてもらっているが、やはり、傾向として、「糖尿病」の患者さんは自覚が薄い。「食べてはいけない」高カロリーな食事を決して止めようとはなさらない。また、あまりに周りの者が口うるさく言おうものなら、隠れてまでも食べようとする。リスクを少なくするためにも、「お酒の飲み過ぎを控えましょう」といっても、やはり、隠れても飲みたいという人があまりに多い。かといって、「歩く」といった簡単な運動さえもなさろうとしない、という人が多いのも事実。過剰な「栄養」だけが、うなぎ登り、「代謝」は、それに見合うだけのものがほとんど見当たらない。そういう人が、実に多いのではないだろうか。どうしてもっとご自身のことを大切にできないのだろうか。また、どうして、やがては、ご家族や多くの身の回りにいる方々にお世話になる、という自覚が生まれてこないのだろうか不思議である。私も自分の身の回りにいる、「糖尿病」を患う方々にアドバイスをさせていただいた。話は、いちおう聞いては頂いたが、それを実行された方は、皆無であった。食事制限を実行すること、自分にできる運動を心がけること、それはそんなにたやすいことではないだろう。しかし、それを実行していかないと確実に、この病気の術中にはまってしまう。

 私のブログ「30インチのブルージィーンズ」に最後に書かせてもらったが、師匠は、「本人の自覚と努力次第で、この『糖尿病』は治る」とおっしゃられた。しかし、「食事療法」と「運動療法」が全体の30%。後の残りの70%は、「メンタル的な問題」だ。とおっしゃられている。しかも、できるだけ早いうちに「気づき」が必要である。「メンタルの問題」は、簡単なことではなく、本当に難しい。ただ、あえて言わせてもらうと「糖尿病」を患う人は、一般的に「わがままな人が多い。人の忠告を素直に聞こうという人が少ない。また、決してご自分の生活を改善していこう、という面倒くさいことが大嫌い。頑固でかたくなな人が多い」そうした、ご自身のこころの問題が、克服できるだろうか。それらのメンタル面が、改善できた時、膵臓のランゲルハンス島から閉ざしていた「インシュリン」が、パーと吹き出すそうである。いくら近くにいるご家族の方が、どんなに心配されても、ご自身の強い自覚なくしては、この病気の克服はあり得ない。非常に過酷だが、「自己責任の時代」の主役は、あなた自身なのである。


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 私には開業当初からの師匠との約束がある。それは、「治療院」と名乗る以上「治す」ことができない患者さんは、最初からお断りすること。治すことができない以上、患者さんからお金を頂くべきではない。そういうふうにも言われたことがある。だから、中枢神経(脳神経など)の問題があるとか、骨の変性からくる疼痛などは、私の治療の限界である。また、「治す」ことできないという点では、この「糖尿病」が該当する。糖尿病による疼痛。腰痛、肩こりは、治すことができない。だから、本当に、「糖尿病」がある患者さんが、治療に見えられた時はつらい。しかし、またそういう方ほど「按摩指圧マッサージ」のような治療が必要なのである。そこで私は大変に迷った。そのあげく、師匠の指導に反することを承知で、症状の程度が軽い方のみを治療することにした。しかし、大切なことは、はじめに、この病気を説明した上で「治す」ことができない。ということをお伝えすることだと思う。説明したした上でそれでもよければ、本人の意思に任せることにしている。そういうことで師匠との約束の折り合いをつけている。 

 食べ物にはいろんな栄養素がある。代表的なものでは、タンパク質・炭水化物・カルシウムなど。これらのすべての食べ物は最終的には「糖」に変わる。これが身体を動かしている各器官の栄養になる。運動で身体を動かす時にもエネルギィーの源となる。この「糖」は、血液の中に混じって各器官に運ばれるわけだが、食べ物で蓄えられた「糖」が、すべて消費されるわけではない。余るとどうなるかというと、肝臓や筋肉に「グリコーゲン」という栄養素に形を変え、蓄えられるわけである。また、血液中の「糖」が不足してくると肝臓からこの「グリコーゲン」が、また「糖」に姿を変え、必要な器官に運ばれるのである。この「糖」を「グリコーゲン」に変えるのには、あるホルモンが必要になる。それが皆さんよくご存知の「インシュリン」である。インシュリンは、膵臓のランゲルハンス島という細胞からつくり出される。この「インシュリン」の出かたが悪くなったり、まったく出なくなってしまったのが、「糖尿病」なのである。

 この病気には、2つの型があると言われている。1型といって、遺伝からくるもの。これは両親や祖父母などが「糖尿病」であると、その可能性が高く、若い時に発症するので「若年型の糖尿病」と言われている。また、1型の場合は、インシュリンがでないということが問題なので、生涯にわたりこのインシュリンを注射か薬で服用しなければならない。一般的なのが「2型」の「糖尿病」である。若い時には「代謝」といって、「糖」がエネルギーとして消費されるので、この問題は起こりにくい。問題は、中高年になってくるとエネルギーの代謝が悪くなってくるところに持ってきて、「インシュリン」の出かたも悪くなる。そのために血液の中の「糖」があふれ、血液がドロドロの状態になってしまう。昔の日本の社会は、現代のように「飽食の時代」ではなかった。だから、「糖尿病」といったら、お金持ちがかかる「贅沢病」のひとつだった。ところが、このように戦後、世界で1、2位の経済大国になっってからは、「生活習慣病」ということで誰もが、簡単にかかる病気になってしまった。テレビの宣伝にもあるように、40歳以上の日本人の3人に一人がこの「糖尿病」にかかっているか、その「予備軍」であると言われている。そのくらい、私たち日本人に身近な病気になっている。2型の糖尿病の方は、「栄養」と「代謝」のバランスが悪いわけだから、食事を制限することで抑え、「栄養」の吸収を抑える。また、規則正しい生活をし「運動」をよくすることで、「代謝」をよくする。この二つの問題を改善することで病気を克服することができる。特に大切なのは、厳しい食事の質と量の制限である。

 もしかしたら私もそうかしら、と心配になる方のために「糖尿病」ガイドラインとして特徴や基準をお話ししよう。「糖尿病」であるかどうかは、空腹時の血糖値を測る。血糖値が120以上であれば、「糖尿病」という診断が下される。110以上であれば、「境界線型」ということで、その「予備軍」ということになる。「糖尿病」の患者さんの特徴は、「多飲・多食・多尿・多汗」省略型で示したが、よく喉が渇いて水分がほしくなったり、暴飲暴食をよくやってしまう方は可能性が高い。また、トイレが近く、特別に熱いわけではないのによく汗をかくなど。自分の生活から、このような傾向がないか、よく注意することが大切である。また一般的には、体内の血液が、糖質でドロドロしていることは、サラサラの状態に比べて、抵抗があるので血圧は、ほとんどの人が高くなる。また、一般検診で、血糖値が高い。コレステロールが高い。ということをいわれたら、これもまた要注意である。

 さてそれでは、なぜ糖尿病はこわい病気なのかを「鍼灸マッサージ師」の観点からお話したい。糖尿病は、「血液性疾患」であると同時に、「神経性疾患」である。血管は末端に行けばいくほど細い毛細血管になる。また、血管が細くなればなるほど詰まりやすくなる。人体で毛細血管があるところといえば、目や指先である。糖尿病が進行すると、最終的には失明する。また、特に血液循環が悪い足の指先が、腐敗してくるのは、このためである。実際に、それで「白内障」や「緑内障」などの病気になり進行していくケースが多い。足の指も、血液がいかないことで腐ってくるために、切断するしかなくなる。それ自体も大変こわいことだが、糖尿病でもっとこわいのは、「合併症」である。では、どのような合併症があるだろうか?もとは体内をまわるドロドロの血液が原因である。そのドロドロの血液の固まりが、心臓を栄養する冠状動脈でつまれば、「心筋梗塞」。脳を栄養する冠状動脈がつまれば、「脳梗塞」ということになる。血圧が高すぎると、つまった血管が破裂して「脳溢血」ということもある。これらが、一般的な、糖尿病による「合併症」である。ほとんどが死に至る病気である。なんで「脳梗塞」「脳溢血」「心筋梗塞」などの病気が増えてきたのか、それほど「糖尿病」を患う人が増加したからだ。ということにもつながっている。もしそのような合併症が、起こったとする。悪くすれば即死の場合が多いが、「運良く?」助かったとしてもほとんどの場合、「麻痺」が起きて半身不随となったり、一生手足が動かないといった状態を引き起こすことになる。こうなればご家族の方にも大きな負担となる。

 私は、そうならないために「糖尿病の薬」をちゃんと飲んでいるから大丈夫という方にひとこといいたい。糖尿病で処方されるのは、血糖値を下げる薬。「降圧剤」といって血圧を下げる薬。「抗高脂血症剤」といって脂肪を燃やす薬。「抗コレステロール剤」といってコレステロール値を下げる薬などである。しかし、私の患者さんの実態から診ても「血圧を下げる薬」を飲んでいても血圧が高い人が多い。薬の力でコントロールできないのが、血圧のようである。だから、「合併症」のリスクは、解消されることがない。しかも糖尿病は、薬を飲み始めると終わりがない。また、食事療法が上手くいかず血糖値を下げるために「インシュリン」を使用したとしよう。しかし、いったんこれを使用すると、人の身体は、もう自分の力で二度とインシュリンをつくろうとしない。そのように人の身体はつくられているらしい。そしてこれからが大切である。前にも書いたが、「薬」というのは、化学合成化合物である。人の肝臓は、別名「化学処理工場」とも呼ばれている。肝臓からしてみれば、どんな薬も「化学合成物」という名の「毒」なのである。「解毒」する臓器。肝臓としたら、これこそ処理する対象物なのである。だから、一生懸命、これらを処理しようとして、明けても暮れても頑張り続けようとする。しかし、やはり肝臓にも限界があるから、どうしても処理しきれないものは、不完全なままの毒素として体内のいたるところに、ばらまくことになる。だから必ずいつかは、身体のどこかを壊して、いずれかの病気を招くことになる。

 そうでなくても、なんで「糖尿病」と呼ばれるか考えてほしい。糖はそもそも身体にとって大切な栄養である。その栄養は、腎臓という血液を濾過する器官では、糖のような大切なものは再吸収する。そして、アンモニアなどの不要物を尿として体外に廃出する。それが糖を再吸収できないということは、腎臓という「廃毒」のための大切な臓器も壊れてしまったということである。だから、糖尿病にかかった人の身体は、はじめは、太っている人が多いが、やがては痩せ細って亡くなってしまうのである。特に終末期には、肝臓か腎臓をやられてしまうのが一般的である。特に腎臓を壊してしまうと、自分の身体で血液を濾過することができないので、「人工透析」といって、いったん自分の身体から血液を体外に出して機械で濾過することになる。それがたまらなく痛くて本当につらい苦痛を味わうのだそうである。そうなった時には、とき既に遅しといえる。そうでなくても、糖尿病を患うと、身体は普通の人より疲れやすい。また、神経も血液で栄養されているため、それができにくいと体中の神経が痛む。糖尿病の人こそ、肩こり腰痛に悩まされる人である。と言ってよい。しかし、またはじめに戻るが、原因が「血液と質」と「血液循環の悪さ」にある。だから、そのために、結局は、治療により痛みが軽くなることはあっても、「治る」ということはないのである。残念ながらこれが、糖尿病のおそろしい実態である。(つづく)


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 Aさんがはじめて八倉治療院に見えたのは、去年の8月25日。友達(親友)のBさんの紹介で、一緒に当院に見えてくれた。Aさんは、77歳。ハキハキとしたとても元気な方でした。主訴は肩こり。問診でわかったことは 、糖尿病で、4年前から「インシュリン」の注射を打っている。1年前から、脳梗塞で麻痺になってしまったご主人の介護をされているということだった。肩こりの原因は、この介護疲れによるものらしい。糖尿病の薬の他に降圧剤を飲んでいて、最大血圧は130。最低血圧は90だった。本当に、私の治療が気に入ってくださって、毎月のように訪れてくれた。このAさんが3月に亡くなられた。死亡原因は、心筋梗塞。しかし、糖尿病が原因であったことは間違いない。心筋梗塞は、糖尿病の典型的な合併症のひとつである。ご縁があって八倉治療院に見えられた患者さんの一人であるが、私が手がけた患者さんの中で、亡くなられた最初の患者さんであった。

 その知らせを、よく見えてくれる親友のBさんから聞かせてもらった。Bさんがいうには、ご主人を2月に亡くされてから、ずっと私のところに治療に来たがっていたそうだ。しかし弔問客が後を絶たず、なかなか来れない状況にあったらしい。ところが、そんなある日、親友のBさんにAさんからの電話があった。「明日以降、八倉先生のところに行きたいけれど。Bさん、私の変わりに先生のところのに予約を入れておいてくれない?」と、電話でたのまれたそうである。その電話があって受話器を置いてから2時間後、家族からAさんの訃報の知らせを聞いたのだという。Bさんは、親友の突然の訃報の知らせに大変なショックを受け、私にその気持を打ち明けてくれた。しかし、その話を聞いた私も同じようにショックで返す言葉も見つからなかった。私の手の中に、この指先に、まだ、Aさんの身体を治療している時の感覚が残っている。Bさんの治療をしながら、Aさんのご冥福を祈り、心の中で手を合わせた。

 私は、八倉治療院を始めてからこころとこころのふれ合いをすごく大切にしてきた。患者さんはただの患者さんではなくて、きっと何かのご縁があって八倉治療院に来てくださったと思っている。だから、たとえ「一期一会」のご縁であったとしても、そのご縁を大切にしようと思っている。ましてや、Aさんのように、お元気で前向きな考え方をする患者さんは、私にとっては貴重な存在である。Aさんから頂いた言葉のひとつひとつは、とても大切な思い出となることだろう。それにAさんは、妻のヒラリーのことも凄く気に入ってくださり、ご自分でおられたという折り紙の作品を、ヒラリーにプレゼントしてくれた。また、Bさんの話だと、亡くなる前に、「今度、先生の家の家紋を刺繍にしてあげたい」といってくれたそうである。こんな素敵な人と人のこころのつながりが、あっという間に断ち切れてしまうなんて、私も信じられない気持で、Bさんのお話を聞かせてもらっていた。

 天国にいるAさんに「Aさん、今まで本当にありがとうございました。Aさんのお話を聞かせて頂くことが、何より私の楽しみでした。それが、もう聞かせてもらえず。その元気なお声も聞くことができなくなり本当に残念です。今までご主人の介護に献身的にご尽力なされ、身もこころもお疲れになられたのでしょう。これからは、天国で、また元気になられたご主人と、お幸せにお暮らしください。心からご冥福をお祈りいたします」その日は、いいご供養になると思い、Aさんの親友であるBさんの身体を、丁寧に、こころを込めて治療させて頂いたのである。

 私は、少し落ち着いた頃、Aさんが、Bさんに連れられて一緒に見えたときの8月の初診の日のことを思い出した。私は初診の患者さんに必ず訪ねることがある。それは、「糖尿病はありませんか?」という質問である。正直な話、糖尿病の患者さんほど、治療しがいのない患者さんはいない。治療をやってもやっても、そのかいもなく治療の効果は薄い。それがこの病気の患者さんの共通した特徴といえる。その理由は次回にするとして、もしこの患者さんが、高齢であり、その症状が大変重いものであるならば、治療を辞退するしかなかった。Aさんは、すこし不安を感じながらも、はっきり「治療によって症状が『治癒』することはありませんが、もしそれでよろしければ、治療をしばらく続けて様子をみてください」と言った患者さんであったのである。(つづく)

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