<   2009年 09月 ( 29 )   > この月の画像一覧

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 今日は、20回目の結婚記念日です。20年前のこの日、ヒラリーさんは、角隠しに文金高島田の振り袖といった恰好でわが家に「お嫁さん」に来てくれました。その日はとても熱くて、熱中症にかかってしまい、最期の披露宴では、倒れてしまいました。何も食べられないで、披露宴の会場で横になっていたヒラリーさんです。今から思えば、それがヒラリーさんの苦労の始まりでした。小姑のいる家庭で、父親の面倒までみなければならなかったヒラリーさんでしたが、一生懸命最期まで父親の面倒を見てくれました。いつも父は、優しいヒラリーさんに甘えて「ヒラリー、ヒラリー」といって最期の最期まで、ヒラリーを頼りにしていました。

 20年というと結構長い年月です。私たちは今は、二人だけで生活していますが、いつもどこへ行くにも、何をするにもほとんどいつも一緒です。やっぱり、趣味が同じだったり、考え方や、性格もどこかに共通点があるというのは、強いのでしょうか。友達にもうまくいかなくなって離婚する人たちもいますが、そういうことは、一度も考えたことがありません。誰も将来のことはわかりませんが、多分このまま、二人とも、これからもいい「おじいちゃん」、「おばあちゃん」になっても仲良く、散歩を楽しんでいるのではないでしょうか。

 でも、そういう二人にもいろんな苦労や、つらいことがありましたが、いつも二人で乗り越えてきました。特につらかったのは、二人にとっては娘のよううだった愛犬の「パク」を亡くしてしまったことです。もう1年ちょっと立ちますが、「ペットロス」は、強烈で、まだ毎日のように「パク」の思い出話をしています。その喪失感といったら、余りにも強烈で言葉に表すことができません。特に私たちのような子宝に恵まれなかった夫婦にとって、「パク」の存在はかけがいのないものでした。私たちの落胆ぶりを見ている友達は、また、可愛いワンちゃんをかったらどうだと勧めるのですが、私たちは、とてもそんな気分になれません。やっぱり、私たちの子供はまだ生きているのです。

 今日は、あいにく小雨模様の天気になってしまいましたが、午前中は、お互いに最近は疲れているので、交互に全身のマッサージをやりました。僕は、特に今までプレゼントの習慣がないのでこういう日は、それで充分ですが、ヒラリーさんは、プレゼントのない記念日に、いつもちょっぴり不満そうです。何かいいプレゼントが思いつけばいいのですが、こういう機転は僕にはさっぱりです。多分午後はどこかのレストランでおいしい食事をして、夜はシャンパンを飲みながら、レンタルビデオを借りてきてみることでしょう。そんな感じの私たちの結婚記念日です。
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☆ここが伊太和里の湯の玄関です
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 今日は、「トランポウオーク教室」のあと伊太和里の湯に入ってきました。夏も何回か行ったのですが、山の中ですから、アブが入浴中に襲ってくるなど、ちょっと落ち着いてくつろぐことができませんでした。もちろん今は、アブもいません。季節はすっかり秋です。伊太和里の湯でむかえる「秋」が来ました。とはいっても、まだ9月ですから、紅葉が観れるわけではありません。ところが、吹き渡る風が違います。温泉に浸かりながら、ひんやりとした風を感じるというのは、とてもいいものです。日本人は、やっぱり「四季」に関して、とても敏感な感覚を持っていると思います。それはそうと考えてみれば、日本人は、ばどんなところでも、「季節」を感じ取れるセンサーのようなものを持っているのかもしれません。今日は、一番私の感性をくすぐったのは、風でした。秋を感じさせる風は、どこか、「凛(りん)」としていて好きです。伊太和里の湯もこれから、秋を迎え、きっと一番素敵な季節になっていくのではないでしょうか?どのような顔を見せてくれるのか、楽しみです。そういえば今日は、いつもより訪れるお客さんの人数が多かったような気がします。夏中はあんなに空いていたサウナ風呂も、久しぶりに、ぎゅうぎゅう詰めでした。今日は、平日だし、曜日も水曜日ですから、きっと空いていることだろうと、当て込んできた私たちですから、意外でしたが、こうして皆さんが、よろこんでここを訪れてくれるのなら、少しは、我慢できるというものです。今日は、久しぶりに多量の汗を流して、とても気持がよかったです。これなら今夜は、ぐっすりと眠れそうな気がします。
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☆「組長の木札」と「回覧板」と「集金袋」
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 みなさんの住んでいる町には、「町内会」とか「隣組」とかいう名称の「会」がありますか?私のところには、この「町内会」があります。町内を更に何組かにわけて「隣組」というものが存在します。私の家は、今年は「組長」ということで、いろんな仕事がまわってきました。「組長」というのは毎年持ち回りで、回ってやってきます。私たちの「14組」は全部で21軒=21世帯ですから、単純にいって21年に1回この役が回ってくるわけです。「組長」と聞くとヤクザの何々組なんていうのを想像してしまいます。ところが、実際、この「組長」の仕事はというと、回覧板をまわしたり、町内会費600円を3ヶ月に一度集金に回ったり、地域防災のときなどに出欠席を取ったりというふうに、「小間使い」のような仕事ばかりです。しかし、いざ「組」の中で「葬儀」などがあれば、「連絡・調整」といった大変な「役割」が、加わります。やっぱり、究極の「雑用係」といったところでしょうか。それが、「組長さん」のお仕事か、と思うと何か笑えてきます。

 こういうものが、都会でもあるのでしょうか。私の妻は、カナダ人なので、こういうものがあるのか聞いてみたところ、やはりないそうです。何かそこに、「日本人」的なもの、あるいは「田舎」独自なものがあるのかもしれません。かくいう私は、このお仕事を4月に仰せつかってから約6ヶ月になりますが、始まる前と始まってからでは、いくらか考え方に違いが出てきました。始まる前と、始まってすぐの頃には、正直、面倒くさくて嫌でした。なんで、私が「集金」なんてやらなければならないのだろう。銀行振込にしてしまえばいいのではないかとか。特に、近くの「氏神さま」のお札の申し込みや、お札の集金などの仕事には、こんなことまでなんで「組長」が 、やらなければならないのか、疑問に感じてしまい。正直、嫌になってしまうこともあります。

 ただ、6ヶ月もそれを続けていくと、なにかといろいろ考えるものです。「こうして、私の両親もこれをやって来たのか」とか。「やっぱりみんな、自分と同じ気持でやっていたのだろうか」とか考えました。しかし、意外と自分の知らなかった町内のようすがわかったりして、自分の認識不足も知りました。しかし、何よりも大切なことは、この「組長」の仕事で一軒一軒のご家庭を回ることで、町内の人たちを知ることができたという経験でした。もし、この仕事をやることがなければ、おそらく、同じ町内の同じ組に住みながら全く、家の周囲の人たちのことに関心が持てなかったかもしれません。最近は、集金に回るにしても少し言葉を交わすようにしています。たいしたことではないのですが、やっぱり、前よりもずっと町内や隣組が身近に感じられるようになってきました。回った家の方から、「大変だね、ご苦労様」と声をかけられれば、「いえいえ、そんなことないですよ」という言葉が、自然に出るようになりました。

 もしこれが、「昔からの風習」だとしても、やはりそこには、「昔からの人の知恵」があるのでしょう。「めんどくさいから」とか「不合理だから」とかいっても、簡単にきってはいけないものも、まだまだたくさんあるのかもしれません。多分、もう6ヶ月、この「組長」の仕事を終えるころまでには、私も、もっともっと町内や隣組の一員として、認められるような人になっているのではないでしょうか。
                          
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☆ご近所からいただいたサボテン、この日は、ダブルで花を咲かせてくれた。このサボテンは、時々このように大輪の花を咲かせて、私たちの目を楽しませてくれる。ただし、この花の生命(いのち)は、一日しか持たない。ダブルで花を見せてくれたのは本当に珍しいことだ。
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 今日の為替の動きを見ると、1$89円また、90円台をきってしまった。アメリカドルが、このように90円台をきったのは初めてではないが、経済面でいうと、これは本当によくない。去年の10月くらいから世界は、不景気に陥ってしまった。アメリカのサブプライムローンから始まり10月に起こったリーマン証券の倒産は、世界に大打撃を与えた。これまで、世界経済は、アメリカ経済に支えられてきたが、これでは、ソビエトの共産主義からアメリカの資本主義まで倒壊してしまった。世界同時の不況は、この先どこまで続くのか?私たちの不安は募るばかりである。

 このような時代を迎えると、「お金」だけがたよりだ。という人が増えてきて当然だと思う。「たよりにしていた年金はどうなるのか?自分たちの老後はどうなるのか?信じられるのは、自分たちが、汗水流して蓄えた貯蓄しかない。また、これまで消費生活の見直しを計らなくてはならない。生活費として使っていたお金は、これでいいのだろうか?この際無駄は、思い切って削っていかなければならない。そして、今までの生活に、無駄はなかったか?もう一度切り詰められるものは切り詰めていこう」。これが、現代社会生活を送る私たち一般庶民の生活の知恵である。こうしていったん「生活費の切り詰め」が行われると、要不要を問わず、お金で物事を判断する傾向が現れる。そうすると削っていいものと、削ってはいけない大切なものまで、見境がなくなってしまうのかもしれない。

 残念ながら、この不景気がもたらしたものは、私たちの仕事にまで無関係ではなかった。人々は、このように不景気な社会になると、「痛み」があっても、我慢しようとする。余程我慢も限界になって、はじめて、私たちをたよって「治療院」に来てくれるのである。しかし、痛みが我慢できるくらいの状態になるとすぐにまた治療をやめてしまう。そういう人が、この不景気な世の中になってから増えてきている。残念ながら、「つらい症状から逃れたい」という患者と「よくなって健康な状態を取り戻してほしい」と願う治療者のこころの間には、考え方に少し隔たりが生じてきていることは確かである。

 私の治療術は、師匠を通して天から授かったものだと思っている。天から授かったものだから、世のため人のために役立たせていかなければならない。というのが私たちの考え方である。ほとんど今までの臨床例からいうと、肩こりや腰痛などの症状の軽い患者さんは、初回の治療でよくなられている。また、どんなの症状の重い患者さんでも、中枢神経の問題・悪性の内臓疾患・糖尿病・精神的疾患などの特別な疾患でない限り、ほとんどが3回ぐらいの継続的治療でよくなることが多い。だから、私の治療は、値段がつかない商品と同じである。値段がつかないといえば、このサボテンの花の美しさも同じである。1年を通してそんなに咲く花ではない。たった1日。たった1日のために。大輪の花を咲かせるまでに1年をかけて勢力を注ぐ。この花の美しさは、お金には換算することはできないだろう。私たちの生命も同じことである。せっかく人として生まれて、そのかけがえのない人生に、健康でいられるということは、何物にも替えがたいことである。「生命(いのち)の値段」それは、とてもお金の価値で判断できるものではない。患者さんに「もっともっと自分自身の健康と身体を大切にして欲しい」といつも私は願っている。

 
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☆八倉治療院にも看板があるが、内容はとても簡素である
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emoticon-0114-dull.gif「治療院の看板はどうして地味なのか?」今までずっと不思議に思っていた。八倉治療院の看板は、「鍼灸・マッサージ八倉治療院予約制☎0547−36−5300」としか書かれていない。玄関の裏の方にもたて看板があるが、内容は全く同じである。しかし、看板があればまだいい方で、場合によっては、何もないところもある。これでは、知らない人は、やっているのかいないのか、入ってみなければわからない。いうところだってあるくらいだ。でも、それは自分が開業することでよくわかった。

emoticon-0171-star.gifあん摩マッサージ指圧師……出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

{第七条 あん摩業、マツサージ業、指圧業、はり業若しくはきゆう業又はこれらの施術所に関しては、何人も、いかなる方法によるを問わず、左に掲げる事項以外の事項について、広告をしてはならない。

・施術者である旨並びに施術者の氏名及び住所
・第一条に規定する業務の種類
・施術所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項
・施術日又は施術時間
その他厚生労働大臣が指定する事項

2. 前項第一号乃至第三号に掲げる事項について広告をする場合にも、その内容は、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならない。(あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律より)}
 
emoticon-0136-giggle.gifつまり、法律よるこのような規程があるからである。前に「業務独占法」という法律。例の「名称の如何に関わらず、マッサージを業とできる者は「医師」と「あん摩マッサージ指圧師」のみ(業務独占)であり、無免許でこれらの行為を業として行ったものは処罰の対象となる。」という法律である。要するに、「あん摩マッサージ指圧師」というのは国家資格である。国家資格というのは、法律を根拠に、法律で守られている職業であるとも言える。ということは、その逆に、法律によって、規定され、法律を守らなくてはならない義務が生じるのである。この法律は、1947年(昭和22年)に施行されている。だから正直言って、判例が古い。とても今の時代にはそぐわない。だとしても法律である以上、それを無視することはできないのである。

  ところが、問題は、経営上ライバルである「整体院」は、どこをみても表看板は、広告文字でいっぱいである。前にも私のところにきた患者さんが、「ぎっくり腰」をやってしまい困ってタクシーを使って治してもらえるところを探していた。そこで、看板に「ぎっくり腰」でお困りの……を見たそうだ。それが、「整体院」へ飛び込んだ原因だったという。このように、「広告効果」というものは、実際問題として大きいといえる。ちなみに「整体院」の看板や広告は、大変にすごい。「肩こり・腰痛に始まって、ぎっくり腰・五十肩・更年期障害・生理不順・胃腸障害・全身疲労・倦怠・虚弱・疳の虫などなど」本当ににぎやかである。「本当に治せるのかなあ」と思うけれど。これでは、とても私たちのような「治療院」は、太刀打ちできない。これも法律の拘束があるかないかの違いなのである。では、同じように「業務独占法」に守られている「医師」や「病院」はどうかというと、やはり、私たちと同じような制約があるのだそうである。

 ところが現代社会は、「インターネット」の時代である。それでは、「ホームページ」や「ブログ」などに、施術者の技術、施術方法や経歴などを載せる場合はどうであろうか。その場合は、まったく制約はない。何を書こうが、何を載せようが、「個人情報」をむやみに公開するようなことがなければ、問題はなさそうである。つまりそれは、「インターネット」が民間に普及し始めたのは、最近のこと20世紀の終わりごろ。であるから、それを規制する法律以前のことで、「情報化社会」の到来以前の話である。つまり、「インターネット」を規制する法律が存在しないのである。もしこのような「情報社会」において「鍼灸マッサージ」などを規程する「法律」は、これからどのように変わっていくのだろうか。少し興味のあるところでもある。ただ、これから患者さんが、「治療院」や「整骨院」や「整体院」などを選択する際に、そういうことを理解したうえで選択して欲しいのである。
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 もうだいぶ前のことになるけど、家に下水道の工事にきた水道屋さんがいた。昔から家に出入りしていた水道屋さんなのでお互いに親しい間柄である。「肩こりがひどくて、右肩がどうも調子が悪い。困っているのは右肩だけなんだけど……」と右肩のこりを強調されるように腕を上げてみせてくれた。そこで、休憩時間に、肩こり症状を診てあげることにした。確かに、その方は、右肩肩甲骨の背部に拘縮の箇所がみられた。すこし、場所を確認するように座位のまま硬結のある部分に5分ほど指圧を試みた。意外とあっという間に硬結のあった部位は弛緩した。面白かったのは、その翌日のことである。「あんなに痛かった右肩のこりが、うそのようになくなったかと思えば、今度は、なんでもなかった左肩が痛くなってしまった。先生、私の左肩に、なんか変なことをしませんでしたか?」私は、治療のつもりはなかったので、左肩は、軽く触れたくらいで全く手をつけてはいなかった。しかし、私には、水道屋さんの訴えがすぐに理解できた。

 人間の身体は、面白い共通点があって、痛みに対して優先順位をつけるのである。水道屋さんの例で言えば、本当は、最初からこっていたのは、両肩である。しかし、どちらかといえば、右肩の方が、より強い症状がみられた。この場合、痛みは、右肩しか感じない。この水道屋さんに限らず人はほとんどこの傾向を持っている。だから、仮に5分間のクイック治療ではあっても、右肩のこりが解消されると、今度は優先順位が変わり、今まで潜伏していた左肩のコリが痛みを訴え始めたのである。このように人間の身体は、痛みに優先順位をつけて、私たちにもっともつらい箇所を訴えているようである。だから、治療者は、いくら、右肩や右腕が痛いという訴えがあった患者さんに対して、片側だけの治療をしてはいけないのである。もし右側が痛いといえば、左も同じように潜伏した痛みがあるのだな、というふうに解釈すべきなのである。

 そういえば、昨日も患者さんからこんな電話相談があった。この方は、1週間ほど前に首こり肩こりがひどくて見えた患者さんである。「先生、先日は、どうもありがとうございました。おかげさまで首や肩のコリは治り、大変楽になりました。でもやっぱり、先生がおっしゃられていたように、今度は腰が痛くなってしまいました。今度は腰を診ていただけないでしょうか?」という電話口の患者さんを前に「でもやっぱり」という言葉に、思わず反応しかけてしまった。「私は、もしかしたら『予言者』になれるかな?」そんなつかの間の優越感を味わった。「そうですか、わかりました。今度は、腰の治療をやりましょう」ということで電話を切った。これもまた、臨床上よくあることである。肩こりで見えた患者さんは、治療していくと、腰痛も併発されていることが多い。症状が、重い患者さんは、ほぼ間違いなく肩こりがあれば、腰痛もあるとみていい。これまでも、そのような場合がほとんどといっていいくらい、今までの例からいくと多かった。この患者さんのように肩こりがひどい場合は、肩を中心に、ほとんど上半身に治療を集中して行うが、腰部を治療した時、異様に筋の拘縮がみられた。だから、「もしかしたら、肩こりが解消すると、今度は、腰に痛みを感じるようになるかもしれませんね」という予言をしてしまったのである。

 これも「身体は、痛みに優先順位をつける」という原則にぴったりあてはまる。つまり、肩こりがひどければ、腰痛は、潜伏する。その逆の場合もある。腰痛がひどければ、肩こりのつらさや痛みは、潜伏するのである。面白いのは、「私が悪いのは、腰痛だけです。私は肩こりなんて一度も感じたことがない」といって、八倉治療院にみえた患者さんである。では、ということで腰痛を治療する。完治すると、「先生、今度は、肩がこって仕方がないんですけど、今度は肩の方も治療してもらえませんか?」とくるのである。「あれ、Bさん。Bさんは、肩はこったことがないっておっしゃっていませんでしたか?」と言いたくなるのは、私の「イジイジするのが大好き」な性格からくるものなのだろうか。


 
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☆昨日は「秋分の日」近所に彼岸花があちらこちらに咲いていた
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  emoticon-0157-sun.gif「曼珠沙華 ひとむらもえて 秋の陽つよし そこを過ぎたる 峠の小径」



 この短歌は、誰が詠んだ歌か、もう忘れてしまったが、高校の教科書にのっていた歌である。生徒だった時に、教えてもらったのか。教師の時代に、教えた歌なのか。もう、遠い昔のことで忘れてしまったが、毎年、お彼岸をむかえる頃になり、彼岸花を見ると、なぜかこの歌を思い出す。

 だけど、自然は素晴らしい。何も時計を持たなくても1年に二回。春と秋、決まったようにお彼岸になると咲く「彼岸花」。「彼岸花」のことを「曼珠沙華」とも言うのだそうだが、どちらの言葉も、私は好きである。自然のサイクルがこれだけ狂わされてしまった世界で、このように正確に時を刻み、季節をとどけてくれるこの花に感謝したい。
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emoticon-0103-cool.gif「あん摩マッサージ指圧師」と「整体師」の違いは何か?

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で「あん摩マッサージ指圧師」と「鍼灸師」と「整体師」について調べてみた。そこで「業務独占資格」という言葉を見つけた。この言葉は、違いを知る意味でとても大切な言葉である。この問題に関心のある方は、是非、覚えておいて欲しい。

 どうしてそのような資格にこだわるかを説明しよう。人体に関する知識と安全に対する教育が余りに成されていないために、「医療過誤」があまりに多いということだ。私が、この仕事を始めてから「医療過誤」で被害に遭われている患者さんが、余りに多いことに驚いた。その多くは、どうしてこのような事故が起こるのか、事実を理解されていない。しかし、間違いなく、被害に遭われているの患者さん自身である。そのほとんどは、訴えるすべもなく泣き寝入りをされてきていることがほとんどのようである。私は、「医療」に携わる者として黙って見過ごすことができないような気がした。

 患者さんとは、治療時間が長い関係上、いろんな話を聞く。ある時、患者さんは、私にこんな話をしてくれた。ある日、「ぎっくり腰」をやってしまい、見てくれる治療院を探していた。その日、たまたま、見つけた「整体院」の看板に「ぎっくり腰」と書いてあるのを見つけた。「背骨の歪み」に原因があるということで、施術を受けた結果が、全く動けなくなりそのまま、病院で、1ヶ月の入院することになった。後でわかったことだが、骨にひびが入っていたということである。私たちも、よく治療院では、「ぎっくり腰」で困った患者さんから電話をもらう。その時は、動かないで安静にするように勧める。一人で、治療院にこれないようでは、筋肉は急激な強縮状態にある。炎症も起こしているかもしれない。したがって、安静状態にして、なるべく動かさないことが、ベストである。3日間くらい安静状態を保持するなら、筋肉は、少しずつ弛緩していき、はじめて治療ができる状態にまで回復するのである。

 それを、無理に矯正しようとしたら、どのような事態が発生するか?また、それがどんなに危険な状態であるかは、その後の事実が物語っている。このように、治療と危険は、常に隣り合わせである。そのために、医療者は、人体の身体の構造(解剖学)や人体の身体の働き(生理学)、また、病理学などを勉強する。そして、安全さを最優先に、臨床実習を積み重ねていかなければならない。そうしてはじめて認められて、人の身体に「治療」を行わせてもらえることができるのである。先に述べたのは一例であるが、それ以外にも、骨にひびが入ってしまった患者さんもいた。そうしたことを念頭に置いて次に私が調べたことを読んで欲しいのである。


emoticon-0171-star.gif「鍼灸マッサージ師」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

・名称の如何に関わらず、マッサージを業とできる者は「医師」と「あん摩マッサージ指圧師」のみ(業務独占)であり、無免許でこれらの行為を業として行ったものは処罰の対象となる。……

・鍼灸術に関する医療行為に関しては、はり師は「はり業」について、きゆう師は「きゆう業」について、あん摩マッサージ指圧師は「あん摩マッサージ指圧業」について、という形での(業務独占)が規定されており、……

emoticon-0171-star.gif業務独占資格…………出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 業務独占資格(ぎょうむどくせんしかく)とは、特定の業務に際して、特定の資格を取得しているもののみが従事可能で、資格がなければ、その業務を行うことが禁止されている資格。名称も独占する。
一般的に業務独占資格の語は、医療や技術における特定の職に使用されるための資格について用いられることが多い。
医療系においては、大学や専門学校などの学科を卒業後に受験資格が与えられ、合格してから実務に就く場合が多い。技術系も大学や専門学校の指定学科を卒業後に与えられる場合と卒業後に実務経験を積んで取得可能の資格がある。

emoticon-0171-star.gif整体………出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


☆医療・医業等との関連、法規上の解釈、制限 [編集]

整体師(士)は、医師でないため、医師の名称は使用できない。ドクターの名称についても、医師との紛らわしさを防ぐために、医療系のドクターでない旨、専門分野を明らかにして表記しなくてはならないと、厚生労働省の通知がある。
整体師(士)は、医師法に定める医師ではないので診断を伴う診察を行うことはできない。つまり具体的には医学で使用されている病名を判断してはならない。(「胃潰瘍である」とか「腱鞘炎である」等)。また外科的手術、注射、はり、灸、麻酔、レントゲン撮影、さらには血圧を測ることも医師法など医療関連法により禁止されている。
整体師は、薬剤師ではないので医薬品を調合出来ない。
整体師は、医師でないので投薬や服用の指示は出来ない。
整体師は、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師及び柔道整復師ではないので、当該国家資格を持たない限り、あん摩、指圧、マッサージ、はり(鍼)、灸、接骨、整骨等の用語を使用してはならない
認定資格がある場合でも、整体師は国家資格ではなく、法的根拠のない民間の資格にすぎない。人の体に触って行う治療類似行為(体重をかけて痛みを伴う場合)を行い、それが著しく好ましくない結果をもたらした場合は、刑法の定める業務上過失傷害罪等に問われる場合がある。また、医療機関への受診が必要であるにもかかわらず、これを妨げて相手が死傷した場合に、保護責任者遺棄致死傷罪や、不作為による殺人罪にも問われる可能性もある(ライフスペース主宰者によるシャクティパット事件参照)。
整体師は、「接骨」「整骨」「〇〇療院」「〇〇治療院」という用語は、医師法で認められた病院と紛らわしいため、使用が禁止されている。
治療実績などの広告を出すこと、効果のある病名を掲示すること、「○○流□□派」などの流派の誇示は、「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」の第七条によって禁止されている。〔最高裁判例(S36.02.15 大法廷・判決 昭和29(あ)2861)〕
「あん摩マッサージ指圧師#無資格者問題」も参照
「あん摩マッサージ指圧・はり・きゅう・柔道整復」以外の狭義の医業類似行為については、「当該医業類似行為の施術が医学的観点から少しでも人体に危害を及ぼすおそれがあれば、人の健康に害を及ぼす恐れがあるものとして禁止処罰の対象となる」とされている(厚生省医務局長通知)。
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☆散歩中に出会った「カルガモ」、挨拶したら、この後すぐに飛び立ってしまた。
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 よく歩く散歩コースには、このように「カモ」に出会えるコースがある。そこで、「カモ」コースという名前をつけた。「カモ」はほとんどが、「冬鳥」である。だから、冬から春にかけては、このような水路に多くの種類のカモが姿を見せて楽しませてくれる。それを、「今日は何匹のカモに出会った」といって数えるのもこのコースの散歩の楽しみだ。今の季節は、あまりカモの姿を見かけない。ところがこの「カルガモ」は、「留鳥」といって1年中、姿を見せてくれる鳥である。何ヶ月か前にはちょうどこの場所で「カワセミ」を見た。ご存知の方も多いかと思うが、「カワセミ」の緑とも青とも付かない鮮やかな色は、見た瞬間に息をのむくらい素晴らしい。でもこの「カルガモ」の素朴な姿かたちは、とても可愛くて親しみが持てる。つい「おはよう」とか「こんにちは」ってあいさつしたくなってしまう。しかし、彼らは、なんといっても野生。人の気配だけでも警戒するのに、声をかけたら、もちろん逃げてしまう。やっぱりこの「カルガモ」もこの後すぐに飛び立ってしまった。その姿も可愛くて写真に撮りたかったのだが、とても間に合わなかった。せっかくこの日は、デジカメを持って歩いていたのに残念だった。私にとっては、このように自然に触れ合う時間がとても大切である。1日のうち、ごくわずかな時間があったら、こうして、散歩に出かけよう。いつでも自然は私たちのこころを癒してくれる。
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 今日は敬老の日。八倉治療院も今日は、「敬老の日」ということで、高齢者の患者さんが見えてくれるのではないかと、朝からスタンバイ。ところが、待てど暮らせど、今日はまだ、一人の患者さんもお見えにならない。でもよく考えてみれば、今年は、隣り組の「組長」をやっているのでわかるのだが、今日は、午前中から「老人会」などの催しが組まれていて忙しいのかもしれない。また、世の中は、皆さんが待ちに待ったSW(シルバー・ウイーク)のまっただ中である。きっと、家族や友人とお出かけという人も多いのだろう。それはそれで、「天下泰平」ということでとてもいいことだ。あまりに退屈な一日なので、日頃、高齢者の患者さんを診させてもらっている関係から、「敬老の日」を自分なりに考えてみた。

 日本は、高齢社会の国になった。ところが、高齢者のおかれた状況は、必ずしも幸せな状況とは言えない。町内にも家族とは、同居しないで一人暮らしをされている75歳以上の高齢者が極めて多い。いくら介護施設が増えたとしても、とても需要に追いつかないのが現状である。また、入所できたとしても、それを望まない高齢者が多いと聞く。確かに、私も何度も介護施設や特別老人養護ホームにも訪れたこともあるが、施設は素晴らしくても、あまり進んで入所したいという気分にはならなかった。やはり、家族と一緒に住みたいと願うのが、本音ではないだろうか。しかし、その希望が実現にできるかどうかは、また別の話である。おそらく、今の日本社会においては家族と最期まで同居できる高齢者は、極わずかな人に限られているように思う。やはり、日本も西欧諸国のように、親子独立の社会にほぼ完全に移行しつつあるようだ。そうすると、家には年老いた夫婦が、二人で暮らしている家庭が多いが、必ずいつかどちらかが先立つことになるのが普通である。そうした時に、やはり最終的に「一人暮らし」の高齢者が多い状況が必然的に生まれてくるのが、今の日本の高齢社会の実情のようである。

 わが家でも5年前に父を見送ったが、母を亡くしてから何十年と妻を亡くした父の様子は、寂しそうだった。家族と一緒に住んでいる家庭であっても、その寂しさは、息子である私にも伝わってきた。だから、最期まで父を手放すという気持は、全くなかった。同居できるかできないかは別として、やはり、子供として最期まで親に寂しい気持にならないように手を差し伸べることは大切ではないかと思う。それは、誰にも強制できないし、また、強制されてもできることではないが、もう少し、日本社会も高齢者に優しい国であって欲しいと祈る。いずれ私たちも、もうすぐ、今の後期高齢者が、直面している現実を味合うことになる。そういう時に、過去の親に対する行いを後悔しないためにも、今おかれた高齢者問題を、決して人ごとのように扱ってはいけないと思う。

 話は変わるが、私は高齢者の治療にあたらせてもらっているが、やはり誰もが、病気や怪我を克服することは困難である。しかし、自分の身体を大切にするように心掛けている人と、そうでない人では、身体の健康状態がまったく違う。いつも、家族に迷惑をかけないように、自分の足で治療院に通われてくる人。「寝たきりになるといけないから」といって、せっせと、治療院に通われている人。そういう高齢者たちを目の当たりにすると、本当に頭が下がる。私は、このような心遣いから、自分の身体を大切にする人を心から尊敬する。高齢者の問題は、決してどちらが悪いとか、そういう単純な問題ではない。双方に何かしらの問題はあるから、生まれてくることも確かなのだ。高齢者は、高齢者で今から「家族や配偶者のお世話にならない」そういう決意で、これからの時代を生き抜いていく心構えが必要である。私も高齢者の味方として、そういう高齢者が一人でも増えて欲しいと願う。そういう高齢者の生きる姿勢を敬うのが、今日9月21日。「敬老の日」である。

 
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