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しばらく日本を離れます

 今日は2月最後の定休日です。今日は、疲れていて朝8時半まで起きれませんでした。さすがに2月に入ってから、知らず知らず、一人一人の患者さんに少しずつ無理をしていたようです。というのは、今月もう後1週間もすれば、私たちは、ニュージーランドへの長い旅行に出発します。ようやく、私たち夫婦の10年来の夢が実現するのです。

 そんなわけで、なるべく今、治療院に通っていただいている患者さんには、少しでもいい状態にしてあげたいという気持から、ついつい治療時間も長くなり、治療メニューもかなりふくらんでしまいました。そのぶん、私の生体エネルギーは、いつもよりは確かに多く消耗していました。私はこの仕事が大好きでたまりません。だから、患者さんが、よくなって喜んでくれる顔を見るのが何よりも楽しみです。だから、普段の日でも、そのためなら、多少無理してでも頑張ってしまう傾向があるようです。今月は、長期間の旅行に旅立つということが、その気持に拍車をかけていました。そういう私を見ていて、ヒラリーさんがいつも、心配そうな顔をして私を見守ってくれています。しかし、私は大丈夫です。それよりも、私の患者さんは、私を信じて本当によくついてきてくれます。そのことに対して、いつも私は感謝しているのです。

お助けできない人がいる

 話は変わりますが、このお仕事をさせていただいていてから、私には、どうしても、「お助けできる人」と「お助けできない人」がいることがわかりました。ある日、患者さんが、私にこんなことを言ってくれました。「先生、私は悔しくてしょうがないんです。………私は、先生に診ていただく前は、痛くてどうしようもなかった腕をあげられるようにしてもらいました。今では、腰痛までこんなに楽になり本当に助かっています。だから、機会あるごとに、私と同じように困っている友達に、先生のところを紹介しているんですが、それが、なかなか思うように伝わらなくって悔しくって仕様がないんです」ということでした。私はこれを聞いて、有り難いやら、申し訳ないやらで、何ともいえない気持になりました。

 そういう私も、実は、普段同じような気持を味わっています。つい先日も、よく行く「田代の郷」温泉で親しくなった人で、明らかに大腿神経痛から左膝痛を起こしている人がいました。私はいつも見るに見かねて、この方が気になっていました。だからある日、おせっかいは承知で、「もしよろしければ、私にあなたの左膝の治療をやらせてもらえませんか?」ということをお伝えしてみたのです。しかし、その答えは、「いいえ、大丈夫ですから」という返事でした。左膝をかばって歩く姿から、大丈夫でないのは、誰が見ても、明らかでした。ところがこうして断られた以上、私にはどうして差し上げられることもできないことも明白でした。

 この世には、身体が不自由で困っていく人は山ほどいます。ところがほとんどの人は、もう既にあきらめてしまっています。きっとこれまで、いろんな病院でお医者様にもかかり、いろんな方法を試されている。そればかりか、身体にいいということは、既にいろいろ試されているのです。私が声をかけた方は、膝痛がよくなればと、もう10年以上も毎日毎日温泉に通われています。家には、30万円以上もする医療メーカーのマッサージの機械があります。膝にいいということで、何十万もするコラーゲンのような市販薬も試されています。しかし、正直な所お手上げ状態でした。もう心の底では、自分はこの痛みと一生つき合っていくしかないだろうと、覚悟を決めているようなのです。だから、私の申し出も、この方には迷惑以外の何ものでもないのでしょう。しかし、私には「よくなる」という自信がありましたから、その方の胸の内もわかっていながら、声をかけずにはいられなかったのです。だから、私の患者さんが「悔しい!」と打ち明けてくれた気持が痛い程よくわかったのです。

半信半疑の人が大半を占めている

 私がお助けできないと感じられる方の第一は、「あきらめてしまった人」です。しかし、それに近い人は、かなり多いと思います。現に私の患者さんであっても、「半信半疑の人」が多いです。いいえ「半信半疑の人」が、ほとんど大半を占めています。実は、先日も私に正直に、ご自分の気持を聞かせてくれた患者さんがいました。「先生、先日は、私の仕事の都合で、勝手に治療日を延期してしまい申訳ありませんでした。先生に叱られて目が覚めました。正直言いまして、今まで、この膝が治るなんて信じられなくて考えてもいませんでした。でも先生は、私が考える以上に私の身体のことを真剣に考えていてくれたことがわかり嬉しくなりました。これからは先生のおっしゃる通りにしますので、どうぞよろしくお願いします」という言葉で、私は、この患者さんがよくなることを確信しました。

 この患者さんは、70代の女性です。本当に八倉治療院に来た頃は、痛い右膝を引きずって歩いていました。ベットに横になっても、両膝とも真っすぐ伸びませんでした。寝返りを打つ時も膝が痛むらしく、そっと静かにゆっくりと寝返りを打っていたそうです。それが最近では、膝がほぼ真っすぐに伸びるようになり、お風呂の中でお湯に浸かりながらですが、膝を曲げて正座ができるようになったそうです。だから、本当に喜んで、いつも私に感謝の言葉をかけてくれました。そこまで順調に治療がすすんでいたのに、それでも、「自分の膝がよくなってしまうということがまだ信じられなかった」と、おっしゃっています。確かに、膝痛は、腰痛から来ています。だから、膝痛で見えた方は、大腿神経痛・閉鎖神経痛・座骨神経痛のほとんど神経痛症状を持っています。腰痛が重症な状態が膝痛の方なのです。また、身体中の体重を支えるところでもありますから、上半身の病気より治りにくいし、また、それなりに時間がかかることも確かなようです。そこに、この患者さんの迷いが生じさせる要因があったのです。

 しかし、その患者さんも今では、もうほとんど完治に近い状態にまで持っていくことができました。私は、治療に関していつも明るい見通しを持っています。「必ずよくなる」と信じて治療を行っています。もし良くならない状態であれば、はじめから正直に、伝えることにしています。だから、後は患者さん自身の問題になります。本当に治す気持があるのか、そうでないのか。その気持が、後の結果にかかわってくるのです。第二の「お助けできない人」は、「半信半疑の人」です。というよりも、「本当に治したい」という気持に関わっているというふうに私には思えます。本気で「治したい」という気持になれない以上、私には、どうしてもお助けすることはできないのです。

よくなる人はどんな人か

 反対によくなる人はどんな人かといいますと、「感謝」のこころが、人一倍おおせいな人です。こういう患者さんは、いつも、プラス思考です。だから、よくなっていく状態しか目を向けていません。だから、身体のほうもいつの間にか、よくなってしまうのです。それから、「素直」なこころの人です。これに勝る人はいません。こういう患者さんは、本当によく私の指示を聞いてくれます。「こうするといいですよ」といえば、必ず実行に移されます。「こういう点に注意してください」といえば、必ず守ってくれます。だから、病気にかかってしまったことが、まるでウソのように回復されてしまうのです。私が、「きっとよくなりますよ」といった言葉に対して、「本当によくなるんだ。きっと治るんだ」と確信した人だけが、最後まで病気やケガを克服できる人です。まずは、この世界は、「こころありき」なのです。それから、人間の身体というのは不思議なもので「100%よくなることを望んでいる人は、なかなかよくなりません」いや、絶対に、治りません。だから、そこでも、人間は「感謝」することがいかに大切なことか、試されているような気がするのです。

 私は、何回でもこのブログに書いていますが、あくまでも病気やケガを治すのは、私ではありません。あなた自身なのです。正確に言うと、あなた自身が持っている「治す力」=自然治癒力が、あなたを治してくれているのです。もしあなたが、ご自分の身体のケガや病気からあきらめてしまっているとしたら、決して病気やケガは治りません。あなた自身の「自然治癒力」を否定していることになるのです。またもし、あなたが、半信半疑な人であるなら、ご自分の自然治癒力についても疑いのこころを抱いていることになるのです。そうではありませんか?もし私のいうことが間違っているのなら構わないのですが、少しでも事実だと思われたなら、もう一度、あなた自身の考え方を問いただしてみる価値はありそうです。

 八倉治療院はもうすぐ4年目をむかえます。今まで重症だった患者さんがよくなっていく姿を、私自身も、もう何人も見させていただいています。しかも「メニエール病」「胸郭出口症候群」「頸肩腕症候群」「肩関節周囲炎」「大腿神経痛」「座骨神経痛」「膝関節炎」などなどです。普通なら、よくならないといわれている重症の症状ですが、ほとんど何ヶ月とはかからない短期間で見る見るうちによくなられていくのです。あくまでも、治療は、自然治癒力を引き出すためのサポートです。人の身体をよく知っている人は、そのあまりにも緻密な構造と働きに驚嘆して、よく人体を「小宇宙」に例えます。しかし、そこに働く、自然治癒力に対してあまり高い評価や価値をおこうとはしません。しかし、この自然治癒力の力を知り信じている人にだけ、いつもそれは、奇跡のような力を与えてくれます。私たち治療者は、あくまでその力を引き出す、お手伝いをしているだけに過ぎないのです。

 特に八倉治療院では治療方法は、何か特別なことをやっているわけではありません。もし違いがあるとすれば、私が、専門学校以外に、「師匠」という特別に立派な、先生についてご指導いただいていることです。もうかれこれ、師匠にご指導いただいてから10年以上になります。しかし、その内容のほとんどは、「技術」的なものではなく、「こころ」のあり方の問題でした。私は、その考え方にしたがって、それを実行しているだけに過ぎません。しかし、やはり、それは、正しいのです。間違っていることには、間違った答えしかでません。でも反対に、それが正しければ、正しい答えが還ってくるのです。ここには、間違いなく「宇宙の法則」のひとつである「因果応報」という仕組みが働いているのです。だから、あなたも絶対にあきらめないでほしいのです。そして、もっともっとあなた自身の身体を大切にしてほしいのです。

「決して、あきらめてはいけません!」
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☆たろべえじゅの薪ストーブ
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 前々から一度は行ってみたいレストランがあったのですが、先月ようやくその夢が実現しました。レストランの名前は、「たろべえじゅ」、私の前々からのブログ仲間「たろベえじゅ通信」さんのお店です。私のブログ「八倉治療院日記」と「たろべえじゅ通信」とは、お互いにリンクしています。ですからブログ上は、よく遊びには出かけていましたが、本当にお客さんとしておじゃましたのは初めてです。でもいいですね、こうしてお互いのブロブを通じてお友達になり、そうして実際に出会えるなんて、本当に素晴らしいことです。今日は少し、「たろべえじゅ」さんにおじゃました時の感想を書いてみようかなと思います。

 バイパスの谷稲葉インターから車で20分。ですから、私の家から計っても40分以内で行ける計算になります。そんな近くにこんな素敵なレストランがあるなんて、まるで夢のようです。「谷稲葉インター」を降りてから道中がとても楽しいです。「上滝沢」「滝の谷不動峡」「滝沢八坂神社」「龍雲寺」「水車村」こんな感じで名前からして民話の世界にはいり込んでしまったような感じです。これらの看板を目印に山間の道を奥に奥に「たろベえじゅ」に向かっていくのです。途中、滝沢川でしょうか。車越しに見える谷川の水がとってもきれいで、こころまで浄化されていくような気がしました。「水車村」に着くと、川を隔てて向かいが「たろべえじゅ」です。木造の家が落ち着いていて、周囲の環境に調和しています。全く私が、こころの中で思い描いていた「たろべえじゅ」そのままです。とてもいいたたずまいで、本当にお店に入る前から気に入ってしまいました。

 食事は、地元でとれる野菜がメインの自然食です。「自然食かふぇ」「玄米野菜」「シェアリングランチ」それがキャチフレーズの「たろべえじゅ」です。朝取り立てのほうれん草のサラダ・ふかした里芋・可愛いくてとってもあまいにんじん・何ともいえない味のかぶ・あずきが入った玄米の雑炊・白菜やしめじのさっぱりとした煮物。ハーブ茶。そして、デザートに、嬉しいではないですか、紫芋の玄米もち。まだまだ美味しいメニューがいっぱいでした。「たろべえじゅ」のシェアリングランチというのは、バイキングのことですから、これらの美味しいメニューが食べ放題です。全く遠慮なんていりません。「八倉治療院」と同じスローライフのお店ですから、時間をかけてゆっくりとこころゆくまで楽しむことができました。

 楽しいといえば、お料理も健康第一に考えた素晴らしいものなのですが、それと同じくらいありがたかったのが、薪ストーブです。私は、昔から「薪ストーブ」の大ファンで「薪ストーブ」がないのに「薪ストーブのカタログ」を持っているくらいです。遠い昔「八ケ岳の麓で薪ストーブの別荘生活」を夢見ていました。残念ながら実現は出来ませんでしたが、こんな近くの「たろベえじゅ」さんでゆっくりお昼をいただきながら、薪ストーブを楽しめるのですから、世間もまんざら捨てたものではありません。それにしてもこのぬくもりたまりませんね。石油ストーブの暖かさとも違うし、エアコンのそれとも違う。まるで温泉に入っているような暖かい「ぬくもり」が、この薪ストーブにはあるんです。だから私は、この薪ストーブが大好きです。そして、夜は夜で、この薪の炎を見るのが大好きです。それだけで、こころが安らぐし、何かとてもやさしい気持になれるのです。こんな静かな自然環境の中でまきストーブが楽しめる「たろべえじゅ」さんが、なんだか羨ましくなりました。

 最後に、今回初めてお会いした「たろベえじゅ」さんですが、笑顔がとてもきれいな素敵な女性でした。ブログ「たろべえじゅ通信」は、誰に紹介されたわけではありませんが、私のテイストにピッタリな内容なのです。それに写真もいつも「センスあるなあ」と思います。私のブログは、写真は、ごらんの通り全くおかまいなしです。ピントがずれていようが、なにが写っていようが、あまり気にしません。だから、今回も、「たろベえじゅ」の素晴らしい「お料理」は写してきませんでした。なぜなら「たろベえじゅ通信」に、いつもきれいに紹介されていることを知っていたからです。もしこの「八倉治療院日記」をご覧になって「『たろべえじゅ』てどんなところかな。いつか家族や友達といってみたいなあ」と思われた方は、リンクしてありますので、いつでも「たろべえじゅ通信」をご覧になってみてください。

 今回は、私だけではなくヒラリーさんも大変気に入ってしまったようです。「次はいつ行こうか?」とか、「今度は誰を誘っていこうか?」とか、いつも楽しそうにプランニングしています。そういう私もまた、「たろべえじゅ」さんに行けるのが楽しみで仕方がありません。あの薪ストーブに、あたれるくらいの季節に、是非またもう一度、おじゃましようかと思っています。
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 昨日の早朝のことだった。80代の患者さんから、お電話をいただいた。「昨日、片方の耳が急に聞こえなくなってしまい耳鼻科に行ったところ突発性難聴といわれました。お医者さんから日赤病院に入院するようにいわれましたので、急ですが今日から入院することになりました。先生にもお知らせしようと思って………」「そうですか、それは、大変ですね。お電話ありがとうございました。どうぞお大事にしてください」。電話を切った後、Tさんの病気の回復を祈ると同時に、電話してくれたTさんの心遣いに深く感謝した。

 この患者さんは、もう2年ほど前から見えている患者さんで、月平均しても1・2回は、必ず訪れてくれている。もう長いお付合いになる。だから、当然、私がTさんのことを理解しているように、Tさんも私のことをよく理解してくれているのがよくわかった。次回の予約もなくしばらく、治療をお休みすると、私がどんなに心配するかよくわかってくれていたからである。私は他の治療家のことはよくわからないが、私は、半年くらいまえに治療した患者さんでも、治療内容や患者さんのその時の身体の状態などしっかり記憶している。ついこの間も、半年ぶりに1度だけ見えた患者さんに、身体の様子を、半年前の状態と今の状態を比較して話をしていた。自分の指先を通した感覚が、はっきりと私の記憶のどこかに残されていたのである。その記憶があまりに鮮明だったので、そのことに対して自分自身も驚きを感じた。特に症状が重ければ重いほどその感覚は記憶に残る。それが治療家としての私の特質である。だからと言う訳ではないが、人一倍、患者さんのことが気になる性分であることも確かである。

 だから、治療途中で中断された患者さんがいると気になって仕方がないのである。「あの患者さんはどうしているだろうか?」時々、思い出しては、ヒラリーさんと日常の会話に、患者さんの名前を出しては話題にする時がある。もしかしたら、これは「治療家の宿命」なのかもしれない。自分が治療を手がけさせてもらって、よくなっていった患者さんは、どんどん記憶からはなれていくのに対し、治癒する手前で中断された患者さんのことがいつまでたっても頭から離れない。これも他の人とは比較できないかもしれないが、私は、本当に真面目なところがあって、いつでも患者さんのことを考えている。特に治療が改善されない患者さんに対しては、「どうして効果が現れないのか?」その原因を徹底的に究明しないと性分として気がすまないのである。そして次から次に治療方法を考えては頭の中で何度も何度も治療方法を模索しているのである。それが、開業以来、今日現在までずっと続いている。しかし、訪れることのない患者さんに対していつまでも気にとどめておくことは、正直言ってとても辛いのである。

 余程気になる時は、患者さんお名前が頻繁にでるらしく、ヒラリーさんが「そんなに気になるなら、電話して様子を聞いてみたら?」というのだが、それはできない。いくら気になっても、「患者さんの意思を尊重しなければならない」。それは、治療家として侵してはいけない領域なのである。だから、絶対に私のほうから、患者さんに電話で来院することを促すことはない。しかし、私は、症状が改善されないで中断した患者さんを永遠に思い続けることは、できたら避けたいことである。そこで浮かび上がってきたのが、治癒していない患者さんには、必ず次回の「予約制」を促してみることであった。あくまでも提案ということで、決して無理にお願いすることはしない。しかし、現在の症状とこれからの見通しをお話した上で、続けられるようだったら、次回の予約をお願いしている。もしそれで予約してくれる患者さんがいれば、私は、精一杯の治療を考え治療に専念できる。しかし、予約してもらえなければ、私は、その患者さんに対して考える必要はない。もしかしたら、キレイさっぱりに忘れることができるかもしれない。そのように私自身、割り切るようにしたのである。

 こうすることで、私は、私の性分にけじめをつけることにした。できることなら、私の治療を信じてついてきてくれる患者さんだけを精一杯大切にしていきたい。私には、困っている患者さんをなんとかして助けてあげたいという気持がある。しかし、残念ながら、全ての患者さんを助けることはできない。そういうことが、少しずつわかるようになってきた。私には、助けてあげられる患者さんと、助けることができない患者さんがいる。そういうことも含めて、最近では、病気を克服できるのは、患者さん自身の問題だと思うようになったのである。しかし、これはあくまでも私と患者さんとの「契約」である。私の治療を信じてついて来ていただけるのか、そうでないのか?これは、患者さんの感性と判断に任すしか他に方法はない。だから、私は、毎回毎回の治療に全力を傾ける。これが、もしかしたら私の最後の治療になるかもしれない。そういう気持で治療にあたらせてもらっている。もし、それで次回の治療の予約をいただけるなら、私にとって、これほど治療家としての喜びはないと思うからである。もしそれでも予約をいただけなければ、やはりそれまでなのだと思うようにしている。これが八倉治療院の「予約制」をとっているの本当の意味なのである。
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