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emoticon-0128-hi.gifcafe 「 みらど〜る」に行ってきました

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昨日は、治療が終わって時間があったので、島田市のバラの丘公園にある「カフェ みらどーる」にい行ってきました。このカフェはわたしが見つけたのではなくて、ヒラリーさんが今月のはじめくらいに見つけてきました。「みらど〜る」のおススメメニューは、バニラシフォンケーキということですから、やっぱりヒラリーさんの目のつけどころがわかります。このチラシのタイトルに「スローライフを楽しむ」と書いてありますが、まさに、わたしたちに波長がぴったりのお店でした。
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わたしが、ホットコーヒーを飲んだあとたのんだのは、イチゴのかき氷。トッピングは、ミルクかアイスクリームとなっていたのですが、少しサービスしてもらったかもしれません。おいしかったです。わたしは、夏、かき氷を食べると、季節感を感じるだけではなく、子供の頃を思い出します。こんなに立派なかき氷ではなかったですが、少年時代を幸せにしてくれたもののひとつです。
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バニラシフォンケーキを食べているヒラリーさんの向こう側に、大きな窓があります。「カフェ みらど〜る」のよさは、湯日ののどかな田園風景が一望できるところです。このカフェ自体が高台にあり、遮るものが全くないので、それはそれは素晴らしい景色です。コーヒーを飲みながら、この景色を楽しむだけでも、十分満足できるはずです。
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「カフェ みらど〜る」の店の奥はこんな感じです。木の床、特別に環境にやさしい天然の土壁。ご主人が、お世話している観葉植物。わたしが大切にしている陰陽五行の5つのエネルギーがほとんど満たされている感じです。わたしは今回初めて訪れたカフェでしたが、スローライフの人にはぴったりのくつろげる雰囲気でした。やっぱり、お店に流れているこの空気、これが大切です。
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「いいことと正しいこととは違います」

わたし「先生、わたしの患者さんは、みなさん献身的で、やさしい立派な方たちばかりなのですが、どうしてつらい症状に苦しまなければならないのでしょうか?以前、先生は、病気は気づきのためのメッセージだとおっしゃいました。患者さんが気づかなければならないメッセージがそこにあるのでしょうか?」

師匠 「やっぱりあなたは、まだよくわかってはいないのですね。いいですか、いいことと正しいこととは違うのです。いいことというのは、◯◯◯さんにとっていいことなのです。正しいことというのは、100人が100人、誰が見てもいいこと。それが正しいことなのです。あなたの患者さんたちは、確かにあなたの言う通り、献身的と言えないこともありません。ただそれは誰に対してですか?もし夫なり、息子さんなりに献身的かもしれませんが?本当にそれで、みなさんの夫や息子さんたちは、喜ぶのでしょうか。身体の調子が悪いのを隠していて、あとでそれが悪化したり、それがもとで大きなケガをされたり。それで、夫や息子さんたちは喜ぶのでしょうか?そんなはずはないでしょう。だとしたら、だれのために、何のために、ご自分を犠牲になさろうとしているのですか?」

わたし「確かに、先生の言われる通りだと思います。もしわたしが、患者さんの夫であったり息子さんであったりしたら、それがもとでケガをしたり病気が悪化するようでは、かないません。大切な人が苦しむ姿を見たくありませんから。むしろ、病気や症状を自分に対して隠していたということがあとになってわかったとしたら、逆に怒ってしまうかもしれません」

師匠 「でしたら、あなたのいう患者さんの献身さは、ひとりよがりの献身さで、誰にとってもいいことではありません。それにしても、そういう患者さんを治療している、あなたの気持ちはどうなんですか?」

わたし「もちろん、やりきれない気持ちでいっぱいです。治療者なら誰でもそうだと思いますが、早く患者さんに楽になってほしい。少しでも楽にさせてあげたいと思い、一生懸命やっているのですから、なかなか良くならなかったり、ましてや、悪化を繰り返すようですと。自分がやっていることは何だったのか。むなしさを感じるときがあります」

師匠 「だとしたら、患者さんの判断は、いいこととはいえないのではないですか。少なくとも、自分に対して、『いいことをしているのだ』と、思いたいだけなのではないですか。正しいことというのは、夫や息子さんにとってもいいことであるし、治療するあなたにとってもいい。そして何よりも患者さんご本人にもいいということが、正しいことなのです。いいことというのは、◯◯◯さんにとっていいというだけにすぎません。正しいことというのは誰にとっても、正しいことなのです」

わたし「はい、よくわかりました。そういうことをご本人にわかっていただくために、病気や痛みということで、身体がメッセージを送っているのですね。『あなたは大きな勘違いをしていますよ。早く気づいてください』それが、身体からのメッセージなのですね」

師匠 「そういうことです。原因のない結果などは、この世には何ひとつありません。あなたが今、病気や痛みに苦しんでいるとすれば、必ずそこに原因があるのです。あなたが気づかないでやっていたことには、もしかしたら大きな間違いがあるのかもしれません。病気や不幸も同じなのですが、もしあなたが、病気に苦しんでいたり不幸だと思っているのなら、必ず、原因は、あなた自身の考え方や行いにあるはずです」

わたし「先生、それは厳しすぎはしませんか。わたしは、思い違いは結構あると思いますが、わたしがやってきたことに、そんなに『大きな間違い』があるとは思いません。いや、思いたくないのかもしれませんが………」


「あなたの身体は、あなたのものではない」

師匠 「あなたは、相当理解力がないので、はっきり言うことにします。いいですか、人間は、裸でオギャアと生まれてから、裸で亡くなるまで、何ひとつ、あなたのものはないのです。いくらお金持ちでも、貧乏人でも、お金をあの世まで持っていくことができますか。家にしてもそう。あなたが身につけている衣類もそうでしょう。あなたは、あの世までそれを持っていくことができますか。それらは、すべて、あなたがこの世に生きている時間だけ。制約的にあなたの所有物となっているだけなのです」

わたし「そういわれれば、確かに、この世にわたしが所有するものは、何ひとつないのかもしれません。『無にうまれて、無に帰す』なのか。(残念ながら、師匠のいうことには、反論する余地はなかった)」

師匠 「それだけではないんですよ。あなたが、つかわさせていただいているものの中で、最も価値のあるものですが、それが何かわかりますか?それは、あなた自身だと思っている『身体(からだ)』なのです。身体も、実はあなたのものではないんです」

わたし「え、待ってください。わたしの身体は、わたしではないんですか?」

師匠「そう思いたければ、思えばいいですが、あなたもよく知っているように身体は、永遠の命とはいえません。いつかお返ししなければならない時が来るのです。ところで人間の細胞の数は、いくつくらいあるのか知っていますか」

わたし「確か、60兆ぐらいだと記憶していますが」

師匠 「そうです。約60兆。これほど、精密で複雑多岐に及ぶ仕組みを、誰がつくれるというのでしょうか。これから人類の科学がどんなに進もうと、これ以上、精密で優れた身体をつくり出すことは、絶対に不可能です。だから人間のからだは『大宇宙』に対して『小宇宙』と呼ばれているのです。というより、わたしからいわせれば、人間のからだは、かみそのものなのです。その身体を、わたしたち人間は、期限付きでお預かりさせていただいているだけなのです」

わたし「確かに、わたしたち医療に携わるものは、人間の機能と仕組みを知れば知るほど、そのすごさに感動する。やはり師匠のいう通り、これは人知を超えた何者かが、大宇宙をつくったように、人間の身体を作ったのだろう。それを『神』と呼ぼうが、『サムシング・グレート』。呼び方は何でもいいが、それはすごいことであることは事実だ。多分、生命の誕生を考えると、精子と卵子の結びつきがすごい天文学的な確率であったように、わたしたちが身体という高貴なものを授かる確率は極めて低く。まさに奇跡のようなできごとである。それなのに、わたしたち人間は、そのお預かりしている身体に対して、その大切さを、理解している人はほとんどいない。もし神様が、この事実をどのようにご覧になっていることだろうか。あらためて、ぞっとした」

師匠 「人間は、神の化身である『身体』を、まるで車を乗るくらいのように平気であちこちにぶつけておいて、簡単にだめにしてしまいます。車が壊れたのは、車が悪いからですか。それ以上に、あなたの運転が、乱暴であったり、使い方が荒かったりしたからではないのですか。すべては、運転手であるあなたの責任です。ぼろぼろにしておいて、平気で返すというのが、多くの人間が平気でやっていることなのです。というよりは、天寿(寿命)を全うする前に、『感謝もなく、そんなに乱暴に扱うのなら、貸したものを、返してもらいます』ということになってしまうのです」

わたし「確かにこのたとえ話は、わたし自身師匠から何回もことあるごとに、聞かされていた。しかし、実際に身体の仕組みを勉強し、この仕事に就くまでは、いや、師匠からその話を聞くまでは、『自分の身体は、自分のものではない』という認識には、なかなかなれなかった。だから自分が大きな間違いをおかしているという自覚に立てなかったのだと思う」

師匠 「人は病気するのにも、不幸な問題に直面するのにも、それなりの理由があるのです。人間はうまくいっているときは、何も考えようとはしません。何かうまくいかないことがあってはじめて、ふと我にかえるのです。ですから、病気や不幸なことにであった時には、そのことにも感謝しなければならないのです」

わたし「今回の師匠との対話は、とても難しい内容だったと思う。わたし自身、こう書きながらも時々、認識が曖昧になり、師匠から、また同じことで指導を繰り返し頂戴している。だから偉そうなことはいえないが、本当に、この『あなたの身体は、あなたのものではない』ということが認識できた人間は、あらゆる病気からも不幸な現象からも解放されるに違いない」
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大きな間違い

 わたしの治療院へ来てくれている患者さんは、とてもやさしい方が多く。みなさん、このような感じなのです。

Aさん「先生には、無理するなと言われていましたが、この間の日曜日のお休みに、主人が一人で一生懸命に庭作業をやっているのを見て、見ていられなくなって、ついわたしも、それを手伝ってしまいました。腰がつらいのはそのせいだと思います」

Bさん「先生、息子がやっている工場が、今年からようやくうまくいきはじめて、ようやく、製品加工の発注がくるようになったんです。ここでわたしが手伝ってあげないと、息子一人では、どうしても無理なんです」

Cさん「わたしの主人は、平日も仕事が忙しくて毎晩遅くまで働いています。そして、土日の休日も出勤が多くて今日もお仕事をがんばっていてくれます。がんばっていてくれる主人のことを考えると、先生が言うように、わたしばかり昼寝なんて、とても悪くてできません」


 と、こんな感じです。みなさんとても立派で、とても気持ちがやさしい方ばかりなのです。ところが、わたしは治療している側からすると、「ああ、そうですか」と、聞き流してばかりいられません。例えば、…………

 Aさん。60代前半の女性です。糖尿病があって、腰椎は、脊柱管狭窄症で、腰の手術をされています。また、膝痛もあり、左膝を手術しており、いつも無理をなさる方で、よく転倒され、よくなるたびに骨折されたり、脱臼したりと、ケガが絶えません。2年前のわたしなら、初診の時点でお断りしていた患者さんでした。

 Bさんは、60代前半の女性です。背骨と骨盤のずれは当然ありました。それどころか、慢性的な腰痛に悩まされながら、重い鉄を持ち上げ運搬するという鍛冶屋の仕事を現役でやってられました。座骨神経痛、大腿神経痛がひどく、症状が悪化すると、腰は曲がり、仰向けに寝ていても両足が開いたままで、どうしても閉じられなくなってしまいます。治療をすると、なんとか正常な状態の身体になるのですが、毎週毎週、息子さんの仕事を手伝い。お孫さんのお世話に追われ、休日、休養はありません。従って、毎週治療に通ってくれるのですが、何度治療しても、治療前と同じ身体に、戻ってしまうのです。

 Cさんは、30代前半の女性。3人のお子さんの子育てに追われている専業主婦です。ご主人の実家に嫁がれ、同居家族は多いのですが、必ずしも甘えられる状況ではなく。子育てから家事まで、ほとんど自分が自由になる時間はありません。「少し手を抜いて、身体を休められるときは、休んでください」と、アドバイスするのですが、その方には、それが、罪悪感のように感じられるようです。

 全員が、共通して言えることは、初診時は、背骨と骨盤は、歪みがあり、足の長さが違っていました。また、慢性的な肩こり腰痛があり。腕には、頸肩腕症候群で痛みやしびれなどの症状があり。腰痛どころか、座骨神経痛や大腿神経痛があり、現在、当院に治療中の患者さんたちです。

 このようなやさしい方ばかりなのですが、わたしは、あえて3人の方に「あなたの考え方や、生き方には、大きな間違いがあります」と忠告させていただきました。特別に、この3人の方を例に出させてもらいましたが、実は、治療院に通われる方々の多くは、程度の差はありますが、ほとんど、大変な思い違い。大きな間違いをされている方ばかりなのです。(次回、また、そのお話のつづきをさせていただきます)
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emoticon-0128-hi.gif治療院に休養室を用意しました!
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これは、八倉治療院の特徴のひとつですが、患者さんが、本当によく寝てしまわれるのです。人間のからだはよくできていて、凝りがほぐれると眠気が襲ってくるのです。しかも、その凝りが、強ければ強いほど、いっそう眠気が強力なものとなります。特に、頭のマッサージ・頸肩腕症候群・大腿神経痛の治療を行うとほとんどの患者さんは、間違いなく、眠気に教われます。目がトロンとなって、朝、無理やり起こされたときのような顔になりますから、本当に気の毒になります。しかも、これから、車の運転で遠い道のりをかえられる方など、「運転大丈夫かな?」と、心配になります。

 実は、これは、脳内に「エンドルフィン」が分泌した証拠なんです。治療をやっていると本当に面白いことが見られます。とても深い凝りを感じている患者さんは、普通の人以上に痛みを感じます。もちろん最近は、「痛くない」治療を心掛けているので、前のようには、患者さんを苦しめることはなくなりました。が、それでも、やはり、痛みを感じる患者さんはいます。ですから、わたしは、患者さんに「痛い時には、痛い。とおっしゃってください」と言っています。だから、その患者さんが、痛みを感じると「痛い。痛い」というのですが、それが、凝りが解消し、なくなったと同時に、気持ちの良さそうな「グウ〜グウ〜」という大きないびき声に変わるのです。これって、すごいですよ。本当にその余りの変化に、こころの中で笑いをこらえるのに大変なくらいです。これは間違えなく脳内ホルモン「エンドルフィン」のなせる技なのです。

 そういうことで、なるべく早く、患者さんが治療後、時間が許せる患者さん。その日のスケジュールなどにもよりますが、「ちょっと、このまま帰えしたら危ないな!」と、思われる患者さんには、少し仮眠をとってもらうように、「休養室」を用意させてもらうことにしたのです。さて、この「休養室」患者さんに気に入ってもらえるでしょうか?

 
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☆私は花が好きでよく写真に撮っているが、野に咲くこのような花が、とても可憐で美しく感じる。
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emoticon-0128-hi.gif人間だけが自然の法則に反している

 昔から気になっていたことだが、体の不調や故障をを運動不足からだと思い込み、運動やスポーツで治そうと思っている人が多い。はたしてそれは正しいのか?考えてみる必要がある。ついこの間も、わたしが通っている体操の教室に、高年齢の女性が、体の不調があるのにやってきた。「わたし、今日は足が痛いんですけど。がんばります」というのだ。わたしが通っている体操の教室は、確かに体の負担が少なく。ある程度体に疾患や症状を抱えている人でも行うことができる。だから、高齢者も多く、年齢層もどちらかというと高めである。でもこの方は、明らかに膝に疾患を抱えている。同じ教室のよしみで、体を診させてもらったこともあるが、腰痛が顕著で症状的には、座骨神経痛や大腿神経痛がみられた。特に大腿神経痛がひどく、それが原因で膝痛を引きおこしていることは明らかであった。

 わたしの目から見ると、明らかにこの女性は、その日、教室を休んで、家で安静にしていることが望ましいと思われた。指導している先生たちも、「あまり無理をしないでください」とは、いっていたがさすがに、「今日は、お休みにしてください」とは、いえないようだ。しかし、この「痛さ」は、「休養をとりなさい」という「体からのメッセージである」痛みの症状がある時には、体は、どのような状態になっているかというと、首や腰などの主要部位が、筋肉は、収縮して固まったような状態になっている。これを「拘縮(こうしゅく)」といっているが、すべて、運動やスポーツは、筋肉を収縮させることである。「ストレッチ」は違うといわれる方もあるかもしれないが、「伸ばしている筋肉」がある時は、「拮抗筋」といって、その反対の筋肉は「収縮」されていなければならないのである。だから、「痛み」を感じている時は、スポーツは、痛みをさらに誘発し、筋肉にダメージを与えることはあっても、それでよくなることはない。「治療」と「休養」が必要なのである。

 ではなぜ、このような間違えが世の中には充満しているのだろう。わたしのところへ来てくれている患者さんには、「医師」もいるのだが、腰痛が治る前から「先生、何か、いい運動がありましたら紹介してください?」といわれたことがある。わたしは、慌てて「いずれ紹介させてもらいますが、今は、運動という運動は控えてください。少なくても、わたしが『いい』というまでは、運動はやらないでください」と、お願いした。実は、体の専門家である「お医者さん」でさえ、このような思い違いをされている方が多い。ましてや、「素人」である多くの方は、大半が、「スポーツ運動信仰」に取り付かれ、取り返しのつかない「過ち」をおかされることが多いのではないだろうか。実に不安な状況である。

 一方、自然界の動物はどうだろうか。動物も生きている限りは、ケガもすれば、病気もする。たぶん「痛み」を感じることもあるだろう。こういう時は、どうするのだろう?家で飼われているワンちゃんや猫ちゃんなら、獣医さんにみてもらうのかもしれないが、自然界に生きる野生の動物は、どのようにしているのだろうか。とても興味があるところだ。医者も薬もないかれらは、そのような時には、ひたすら自分のすみかから一歩も動かないで、じっと「休養」に専念しているのである。つまり、自然治癒力をが最大限に引き出されるのには、じっとひとつの場所にとどまり、動かないことが、一番いいということを知っているのである。一律に自然界の動物がそのように休養をとることを実行している。それが「自然界の法則」であるからだ。誰に教わったのか、知らないけれど、生まれたときから、「自然の法則」に従い、最善の方法をとっているのである。人間だけが、なぜか、愚かにも自然の法則に逆い、結果、取り返しのつかない過ちを犯している。それは、いったいなぜなのだろうか?とても疑問に思うことがある。
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emoticon-0128-hi.gifパクに教えてもらった散歩の楽しみ
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 わたしたちは、かつてパクという名前のゴールデン・レトリバーを飼っていました。この娘は、散歩が大好きで、14年間、毎日3回、1日も欠かさず、散歩をしました。特に朝の散歩が大好きで、近くの河川敷にある緑地公園を一周散歩が日課でした。ただ歩くだけではなく、ボール遊びをしたり、夏は、川で泳いだり、いろんなにおいを嗅いでは、自由に朝の散歩を楽しんでいました。歩くだけなら、多分20分もあれば十分なコースでも、たっぷり、遊んで自然を楽しんだり、ゆっくり休憩をして、自由な時間を満喫していました。わたしたちのスローライフが始まったのも、この頃だったような気がします。そう、ただ歩くのではなく、楽しむ散歩。パクは、わたしたちのスローライフの手本であり、先生でした。だから、今日も散歩中に、素晴らしいものを見せてもらえたのです。

 これらの写真は、今朝の散歩で撮ってきた撮れたての写真です。はじめ紫の花がきれいに咲いていたので、例によってわたしは、花に引き寄せられるようにしてようにして写しました。そうしたらどうでしょう。今度は同じ木にオニヤンマでしょうか。トンボがサナギから成虫に脱皮したあとを見ることができました。あまりの美しさに目を奪われ、わたしたちは、何枚も何枚も同じところで成虫の様子を写真に撮り続けました。写真に写っているかどうかわかりませんが、透き通った羽の美しさと言ったら例えようがありません。朝日があったって輝いて見えるのです。そして、しばらく観察していると、前の2枚の羽だけ、ぴくぴくと小刻みに揺らしているのです。多分これは、飛ぶための準備運動なのかもしれません。透き通ったきれいな羽が、揺れるその様子は、この世のものとは思えない美しさです。そして、トンボさんに別れを告げて、20メートルもいかないところで、今度は、きれいな蝶に出会いました。この蝶は、これまたきれいな花根を、わたしたちに何度も何度も見せてくれていたのですが、わたしが、興奮してしまい。手ぶれを起こして、ベストショットを逃してしまいました。最後は、「もういい加減にしなさい」と、いわんばかりに、田んぼの方に飛んでいってしまいきれいに羽を開いた状態を撮ることができませんでした。でもわたしには、十分満足のいく宝物のような写真です。どうですか?これらの写真から、どのくらいわたしたちが、毎日の散歩や人生を楽しんでいるか、わかっていただけるでしょうか。
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emoticon-0136-giggle.gif犬猫2原色、鳥は4原色の世界

☆朝日新聞・2011年7月9日 be in saturdayより
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 昨日ヒラリーさんが、朝日新聞の記事から貴重な記事を持ってきてくれました。わたしがいる部屋に入ってくるなり、「ヒデさん、違うよ。ワンちゃんは、赤と青が見えるんだって」といってきました。

 話が遅れましたが、一昨日わたしは、「気づきと感謝」という記事で、動物と人間の視覚の違いについて書かせてもらいました。その中で、「人間以外の動物は、色盲で色が識別できない」と、書いてしまいましたが、事実は、少し違っていました。実際には、犬猫は、錐体は赤と青の2種類あって、光の3原色がそろっていないため、大体の色はわかっても、人間のようには細かく色を識別することはできないそうです。その点が、事実とは違っていましたので、お詫びと訂正をしたいと思います。

 なんで、ヒラリーさんは、わたしのブログに誤りがあることを見つけたのか。と言いますと、かつて、わたしたちが飼っていた愛犬が、ボール遊びが大好きでした。特に好みがはっきりした子で、「赤い色のボール」が大好きで、いつも赤いボールを選ぶんです。そういわれれば、確かに赤い色を識別できていたように思います。だから、わたしがブログに書いた、「犬猫などの人間以外の動物(ほ乳類)の花の見え方に疑問を感じた」と言っていました。それにしても、わたしが、たまたま、ブログに人間と動物の見え方の違いについて書いたのですが、その翌日に、たまたま、コンビニで買った朝日新聞に、わたしのブロブに関連し正しく訂正してくれる記事が載っていたというのは、とても面白い偶然でした。だからわたしは、これを「偶然」といわないで、「必然」と考えるようにしているのです。
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emoticon-0157-sun.gif八日、東海地方梅雨が明ける
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☆こうして、すだれで直射日光を防ぐだけでも、暑さがやわらぐ。
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 昨日、八日に東海地方の梅雨が明けました。梅雨明けは平年に比べ13日早く、過去5番目に早い梅雨明けだそうです。わたしは何となく雨が苦手で、梅雨のシーズンを迎えるとユウツになってしまうほどです。だから、この「梅雨明け」という言葉を、いつも楽しみに待ち望んでいます。

 しかし昨日の静岡の最高気温は、33、7度。いきなり、もう真夏日です。今年の夏はどうでしょうか。やはり温暖化が相当すすんでいますから、去年のように猛暑の夏になりそうな気がします。新聞でもテレビでも、エアコンの設定温度は28度にしましょう。電力を押さえるために節電しましょうと呼びかけています。静岡は、中部電力、浜岡原子力発電所が停止となりました。電力を節電するのは、わたしたちが実行しなければならない責任のような感じがします。でもわたしは、今の状況が嫌いではありません。みんなでこころをひとつに合わせ、協力し合って節電に取り組む。環境のことを真剣に考えはじめている今の風潮は、とても健全のような気がするからです。というより今までが、あまりにも異常だったのかもしれません。

 八倉治療院も夏の暑さ対策にむけて、いろいろ工夫を始めました。特に、すだれ・団扇・扇風機・風鈴なんだか、一昔前まで使われていた懐かしいものがよみがえってきているようです。こんなに物質文明が進んで、どんどん物が移り変わってきたのに、一方でまた、こうした懐かしい物が見直されている。何かとても不思議な気がします。わたしは、子供の頃、夏に「たらい」にお湯をはって「行水(ぎょうずい)」したり、縁側で外気に当たって涼んだ思い出があります。だから、団扇とか蚊取り線香とか、風鈴という言葉を聞いただけで、懐かしい昔の思い出が蘇ってきます。今日は、これから、治療室にかける「風鈴」を探しにいこうと思っています。
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emoticon-0128-hi.gif「気づきと感謝」

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☆人間以外の動物は、このように花を見ている。
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 わたしは師匠とお話しさせていただいていると、いつも驚かされることばかりです。先日師匠にお会いした時、何気ない会話の中で、こんなことをおっしゃるんです。

師匠 「あなたは、この花を見てどう思いますか?」

わたし「はい、黄色が鮮やかで、とてもきれいだと思います」

師匠 「そうですね。ところで、ここにいる猫ちゃんやワンちゃんは、この花がどのように見えているか知っていますか?」

わたし「はい、犬や猫は、多分、色盲だと思いますので、白黒テレビのような感じで見えているのだと思います」

 平成生まれの日本人なら、テレビといえば「カラーテレビ」が常識である。そもそも「カラーテレビ」という言葉自体が、不自然であるかもしれない。しかし、「カラーテレビ」というのは、「白黒テレビ」というものがあったから、生まれた言葉だからだ。わたしは、大学時代も、貧乏学生だったので、バイトして買ったテレビも「白黒テレビ」だった。だから、急に犬や猫の動物と人間の世界は違うのだということが、自分自身の体験から比較して理解することができた。もしかして、この花々の色彩を完全な形で捉えられるのは、人間だけかもしれない。

師匠 「ではこの花は、誰のために、何のために色を楽しませてくれているのですか?」

 師匠のお言葉は、いつも、たたみかけるように、襲ってくる。そういわれれば、いくら鈍いわたしでも、師匠のいわんとしていることが理解できた。普段は、当たり前だと思って気づかないところにも「神の意志」が働いていた。「なぜか?」といわれれば、やはり、「わたしたち、人間に特別に、よろこんでもらおう」という「神のご慈悲」であろう。気づこうとすれば、するほど、世界は神のご慈悲に満ちている。

 ただ、わたしたちは、そういうことにも普段、気づかずに生活している。そういえば、ペットにしてもそうだ。人間の子供や孫よりも、自分が飼っているペットに愛情を感じる人は多い。例えあなたが、どんなにやさしくない人間であれ、愛情さえ注ぎ込めば、決してあなたを裏切ることはない。いつもそばにいてあなたを癒してくれる。それが、ワンちゃんや猫ちゃんたちの生まれてきた役割だからだ。どうして、犬や猫たちが生まれてきたのか?それはあなたを癒すためである。これほどはっきりした事実はないのに、それさえ気づかず、幸福に感謝できない人間も多い。

師匠 「神様が、人間に求めていることは、『感謝できるこころ』なのです。頭がいいとか、才能があるとか、そんなことはどうでもいいのです。むしろそういう人間が、名誉や私利私欲に走り、よってたかって、世の中をだめにしてしまっているのです。科学は、どれだけ人間を幸福に導いているといえるのですか。人間は、名誉や欲望のために、かけがえのないのない地球や地上の生物の生命(いのち)を犠牲にし、今まさに地球や人類は、滅びるかどうかの瀬戸際まできているのです。今、わたしたちに大切なのは『気づきと感謝』なのです」

 わたしは、こんなに大切なことが、いつもさらりといえる師匠に感激し、15年以上もご指導を受けてまいりました。師匠は、「感謝」こそ人間の幸福を導く最大の「キーポイント」だといいます。自然が放射能や産業廃棄物の毒などに汚染され、いま求められている、「最高の浄化法は『感謝』だ」ともいわれます。頭の中では、それがどうしてなのか。自分なりにはわかっているつもりですが、なかなか気づきと実行ができないわたしです。

 
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emoticon-0136-giggle.gif ミニトマトの収穫
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 いやあ、楽しいですね。今朝はじめてミニトマトを収穫しました。ごらんのように園芸店で買ってきたミニトマトの苗を、園芸用のはちに植えただけの「ミニトマト」。それでもごらんのとおり立派に収穫できました。ちょっと本格的に家庭菜園をやっている方が見たら、笑ってしまうかもしれませんが、初心者のわたしたちは、とても楽しませてもらっています。

 少し裏話をしますね。何事も経験がものをいう世界です。実際に、つくってみるといないとでは、えらい違いです。はじめはこのトマトの苗は元気がよくて、「これは楽しみだなあ」と思っていました。ところが、ある程度大きくなると、突然、葉っぱが元気がなくなり枯れてしまうのではないかと心配になりました。2番目の写真を見ると、ミニトマトの実をどアップしていますが、よく見ると枯れた葉の様子を見ることができます。そうです、この「ミニトマトちゃん」も大変だったのです。

 元気がない時よく観察してみると、茎が少し傾いていて、浮き上がった方の土が盛り上がっていて根っこの部分が見えていたのです。「そうか、これが元気がない理由かな」と思い、茎の中心に寄せ木を立ててやりました。そうしたら、また元気を出してくれて、今日の収穫に至ったのです。「何だそれだけのことか」と思うかもしれませんが、経験をもとに育てているわけではないので、ひとつひとつが、とてもいい勉強でした。

 このミニトマト、味はとっても甘くておいしかったです。取れ立てで、もうわたしたちのおなかの中に入ってしまいましたが、何かとても「味わって食べている」という感じでした。それに、もうひとついいことは、作るという過程を通していろんなことを学ばせてもらいました。この一粒の実には実に多くのエネルギーが、凝縮されていることが理解できたからです。「土のエネルギー」・「日のエネルギー」・「水のエネルギー」・「木のエネルギー」簡単にわかっているだけでも、もうそれだけのエネルギーが、深く関わってこのひとつの「ミニトマト」をつくっているのです。今回はそのことをじっくり教えてもらいました。やっぱり園芸も楽しいです。
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