<   2011年 08月 ( 12 )   > この月の画像一覧

☆朝の散歩コースの田んぼ、稲がだいぶ伸びてきました。今年の収穫は、大丈夫だろうか。
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emoticon-0128-hi.gif これからどうなる日本

原発事故の放出セシウム、原爆の168倍 保安院公表

 今朝の朝日新聞の朝刊でこんな記事を見ました。こんなことがあっていいものでしょうか?これは広島の原爆のセシウムが168倍、ヨウ素が2、5倍というではありませんか。これは、これより前に発表された、「ソ連のチェルノブイリの原発事故と同じくらいのレベルか、もしくはそれ以上という、被害状況の最高レベル」というニュースに近いショック度でした。今更のことですが、こんなことがあってはいけなかったのです。一方こんなことがあっても、日本という国は、まだ原子力発電所を全面停止するような方向性は見いだせていません。世界のどこの国よりも、大地震が起こる可能性が高い。そういう国なのに、こんなに脳天気なことをいっていていいのでしょうか?残念ながら、日本という国は、政治の世界は、全く希望がなく、頼みの経済も行く先不安だらけです。でもそれは問題といっても、生命の危機に瀕する問題ではありません。しかし、この環境汚染は、これから先、誰もが背負わなければならない最重要な課題です。まだ、災害復興の問題で、国民はそちらの方に、目を奪われていますが、この放射能による環境汚染は、じわじわと、将来の全国民の生活の全般に影響を及ぼしてくるはずです。残念ながらこの国に将来は、見いだすことが出来にくくなってきました。もう、政治がどうの、経済がどうの、そんな裕著なことをいっている場合ではありません。もし、今の自分に、出来ることがあれば、今のうちにやっていかなければ、きっと後で後悔を残すことになるような気がします。もう人を頼らず、自分で行動するしか、道は開かれないでしょう。
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☆これ何の花だかわかりますか?答えは、オクラの花です。散歩中に見つけました。なんだろうって話していると、通りがかりの散歩中の方が教えてくれました。
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emoticon-0128-hi.gif真夏の昼間のワンちゃんの散歩は気をつけてください!

 晴天の真昼の午後1時のことです。わたしは、遠くから通っていてくれている患者さんを駅まで送りとどけ、家にかえる途中でした。そうしたら、進行方向とは逆に、アスファルトの道路の歩道をワンちゃんと飼い主が散歩していました。いま、外の温度だけでも32度以上です。アスファルトの温度は、まるで鉄板のように、熱い状態になっているはずです。「ちょっとこれって、ひど過ぎませんか?」わたしが、パクちゃんをかっている時には、こんな、ひどい散歩は一度も経験させたことはありません。だって、それだけでも温度調節が大変なワンちゃんです。そのワンちゃんに、真夏の炎天下、しかもアスファルトの上っていうのは、「無謀の三重奏」のようなものです。

 もしかして、ご存じない方もいるかもしれないので、あえて説明させてもらいますが、犬の体温調節できるのは、口、耳の穴、足裏の肉球、この3点です。一番大きいのは口から、夏の暑い時に犬は大きく口を開けて、ハアハアいっていますがあれは、口から外に熱くなった体温を放出していくからです。そして耳の穴。しかしこれはさほど大して効果的とはいえません。特に垂れ耳のワンちゃんは、ほとんど体温を放出できないからです。そして、最後が足の裏の肉球なんです。飼っている人ならよくわかっていることですが、夏場は、人間と同じように、足の裏が、高体温になっています。だから、夏場、熱くなったアスファルトの上を歩かせるのは、ワンちゃんにとっては、まるで拷問のようなものなのです。それでなくても年中、ファーコートをきたワンちゃんは、暑がり屋さんです。家の中でかっているワンちゃんなどは、涼しいところ、涼しいところを選んでは、熱さをしのいでいます。ワンちゃんは、大変な、暑がりです。

 ワンちゃんの飼い主は、そういうことを理解してあげなければいけないのです。犬を本当に愛している飼い主は、夏場は、まだ日が昇らない、早朝の涼しいうちに、散歩に出かけます。しかも、熱くなく芝生のある公園を、敢えて選んで散歩に出かけます。それが、本当の愛犬家なのです。というよりもそれは常識で、わたしたちのような親ばか愛犬家となると、夏休みは、毎日のように、きれいな川に連れて行っては、泳がせてあげるのです。そこまでいかなくてもいいですが、やっぱり、真夏の真昼に炎天にさらされた歩道を、歩かせるなんてことは絶対にやらないでください。そういう飼い主に限って、ワンちゃんの大好きな散歩を、怠りがちですから、ワンちゃんは、散歩に飢えています。ですから、一見喜んで散歩を楽しんでいるように見えるかもしれませんが、実は、信号で止まった時に、つらそうにしている様子が、わかるものなのです。それでもわからないという飼い主がいたのなら、あなた自身が、靴と靴下を脱ぎ、真夏の真昼の炎天下の歩道を裸足で歩いてみることです。そうすれば、あなたのワンちゃんがどんな気持ちで、散歩しているかがよーく、わかるはずですから。
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emoticon-0128-hi.gifこれは最高!
万能ナチュラルメディスン「ビワの葉酒」


 これは最高!万能ナチュラルメディスン「ビワの葉酒」です。これを師匠から教えていただいた時に、いわれた師匠の前書きは、今でも忘れることが出来ません。「今から、いろんなケガや病気にもよく効く最高に万能なお薬の作り方を教えます。ビワの葉でつくるんですよ。これは、あなたのために特別に教えますが、あなたが必要な患者さんに教えてもかまいません。ただし、これだけはいっておきます。これを教えると、患者さんは、もう治療院に来なくなりますよ。アハハ………これがあればもう、病院も医者も治療院もいらないんです。ほら『イシャイラズ』ってあるでしょう。これは、それ以上のナチュラルメディスンなんです」こんな話を聞くと、正直な話、ちょっと『内緒にしちゃおうかな?』って気持ちが湧いてきませんか。湧いてこないといったらウソになるかもしれませんね。でもいくら信頼できる師匠からの情報だといって、うのみにするわたしたちではありません。もう5年間くらい、この「ビワの葉酒」を作って試してきました。すでに、必要な何人かの患者さんには教えさせてもらいましたが、その評判もよく、やっぱり、この「ビワの葉酒」は最高だと確信しています。

 師匠が「万能ナチュラルメディスンというだけあって、飲んでも、塗ってもすごい効き目が得られたのです。例えば、手荒れ、肌荒れ、皮膚炎やちょっとした擦り傷、切り傷、虫さされ、など、これをつけたら、本当にすぐ治まってしまいます。それに、教えてあげた、患者さんの中にも、ジンマシンやアトピー皮膚炎、帯状疱疹にも、すごくいい効果がみられたようです。また、わたしは、内服薬としても毎日、用いてみました。昨年、過労から、肝臓と腎臓を痛め、ひどい全身湿疹に悩まされたことがあります。お酒はいっさい飲めませんでしたが、この「ビワの葉酒」だけは、例外として、毎日20ccほど飲み続けました。これを飲むことで、痛んだ、肝臓の組織の修復を手伝ってくれていたのでした。もちろん、「脱薬品主義」のわたしですから、漢方以外のお薬は、いっさい服用していません。それでもこうして、全身湿疹やそれ以外の肝臓からくる症状を克服し、元気で復帰を果たせたのも、この「ビワの葉酒」のおかげだったと思っています。本当にすごいパワーです。少なくとも、薬品の嫌いなわたしですが、この「ビワの葉酒」があれば、下手なお医者さんはいりません。、病気やケガで困っている人や、ぜひ試してみたいという人のために、今回、大胆にもインターネットで情報をお伝えすることにします。

emoticon-0137-clapping.gif ビワの葉酒の作り方

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☆材料……ビワの葉50枚(大小取り混ぜて50枚と考えてください。ビワの葉は、常緑で落葉しません。そのため若葉から、何十年と歳月を経た高齢の葉まであります。出来たら、人間で例えると20代から30代ごろの元気な葉を使用してください。また、これを飲用するわけですから、なるべくきれいな葉を選んでください)ホワイトリッカー35度1、8リッターを2本。梅酒や果実酒をつけるのに使用する4リッターのビンがひとつ必要です。

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☆作り方……①なるべく車の通る道路脇にあるようなビワの葉は避け、きれいなところに生えている。元気な葉を選んで50枚を用意します。②それをきれいな水道水で洗います。このとき洗剤はいっさい使用しません。特に爪をつかって葉の裏の小さな産毛のような毛をきれいに汚れといっしょに洗い流してください。③洗ったら、タオルを数枚つかって、きれいに拭いて水分をなるべく残さないようにします。④あとは、写真のように、よく切れるハサミか剪定バサミで、3センチくらいの間隔で写真のように切っていきます。

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☆あとは、切ったビワの葉を全部、ビンの中にいれ、ホワイトリッカー2本分を注ぎ込み、6ヶ月間そのまま寝かすことにします。期間を忘れないようにするために、ビンに『出来上がり201◯年◯月◯日』とメモ用紙を貼っておくようにしてください。………6ヶ月経ったら、ビンからビワの葉を出してください。これで万能ナチュラルメディスン「ビワの葉酒」が完成です。出したビワの葉は捨ててしまうのではなく、洗濯用のネットに少しずつ入れて、お風呂に入れると、お肌にとてもいいアロマテラピー効果の高いお風呂に変身します。5〜6回は、このようなお風呂が楽しめるはずです。

 よこに小さなグラスがありますが、これが半年(6ヶ月)を経た、「ビワの葉酒」のです。本当はもっと濃い色ですが、わたしたちはこのくらいのグラスに20ccほど取り出し、水で薄めて毎晩飲んでいます。おかげで、これで元気になり、ここ数年、風邪を引いて横になるということがほとんど亡くなりました。本当にすごいパワーのナチュラルメディスンです。
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☆朝の散歩中、この写真を撮っている時に、「この花はなんという花ですか」と聞かれた。わたしは、「確か、『オシロイバナ』だと思いますよ」と答えた。種をつぶすと、女性が化粧をする時につかう『オシロイ』のような粉がでるからだ。何とも色っぽい名前の花だろうか。
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emoticon-0128-hi.gif 今を大切にする断捨離主義

 わたしは、2ヶ月くらい前のある日、本屋さんでふと「断捨離」というタイトルの雑誌を見つけたことから、それに感化されるように、おそうじと身の回りの整理整頓を始めた。考えてみると、家の中は、CDや本や雑誌のたぐい、無駄な衣類に食器類や電化製品といったふうに、不要なものであふれている。5年も6年も一度もつかわれていない。ただそこにあるというだけで、場所を陣取っている物の山。部屋の中も、押し入れの中も、何が入っているのかよくわからないが、わかっていることは、もう何年も前から、ほとんどつかわれていないものが、場所を占拠しているということだ。

 わたしが大好きな老子先生は、「部屋の中で一番大切な物はなんですか?」という弟子の問いに対して、こう答えたそうである。「何も無い空間です」確かに、その通りである。部屋は、何も無い空間があるから、機能するのであって、不要な物でごったがえしているような部屋は、部屋としての機能がすでに失われているといえる。「いっそ、無駄なものは全部処分してしまおう」そんな、気持ちから、わたしの「断捨離」は始まった。

 ところが、いざ断捨離をはじめて見ると、なかなか、思うようにはかどらない。明らかにこれはもう使わない。とわかっていても、その物のひとつひとつには、思い出があったりして、なかなか、捨てられない。ましてや、処分するにあたり、かたちのある物を、壊さなければならない時には、身につまされる思いが、これまたやるせない。未練たらしい自分に、ほとほと愛想が尽きる。そんなわけで、わたしの段捨離は、2ヶ月経っても、なかなかはかどらず、終わらない。多分始めた頃からすれば、だいぶすすんでいるのだろうが、自分が納得いくところを基準とすると、半分もいっていないような気がする。とにかくすごくエネルギーを消耗する作業であるといえる。

 でもわたしは思う、「なんでこんなに物が増えてしまったのだろうか?」物というのは、何も意識しなければ、どんどん増えていくものらしい。「段捨離」をはじめても、「休んでいると、いつの間にか、物は、溜まり、小さな山を形成しはじめる」何とも恐ろしい法則が存在する。わたしのように、いつも決断を後回しにしようとするものには、この整理整頓が、とても不得手であることがわかる。そして、物がなんであれ、たまるということは、本当に好きで求めているのではなく、自分の寂しさを、物を買い求めることで、紛らわしているようである。その証拠に、「必要か、必要でないか?」「好きか、好きではないか?」という、基準で判断すると、ほとんどが頭の中では、「不要」という判断をくだす。でもわかっていながらそれが出来ないところが「段捨離」のつらいところである。

 では、最後に肉体的にも精神的にもきつい「段捨離」をどうして続けているのか?自分でもよくわからないが、人間に与えられた空間は、限られている。もし家や、部屋がいくつもあるようなとこにすんでいるなら、問題ないが、ほとんどの人間は、与えられた空間には限りがある。時間もそうである。人間が、もしバンパイヤーのように永遠の時間を所有することが可能なら、いつでも結論を先延ばしにすることが出来る。ところが、人生には、限られた時間しかない。残念ながら、人生という砂時計は、もとにはもどらないのである。

 だから、段捨離主義は、過去の自分との決別である。どんなに大切にしようとしても、過去の時間はもどってはこない。また、過去の自分にはもどることは出来ない。だったら、その過去を葬り、決別し、「今」という現在に生きるしかないのである。わたしは、「今」を大切に生きるために断捨離を行う。多少苦しい気持ちがあっても、これが自分に与えられた人生を、最も大切にすることにつながるような気がするからだ。くどいようだが、人間は、決して過去にさかのぼり生きることは出来ない。そして未来は、誰にも不確定でそれにすべてをかけることは出来ない。だったら、現在に与えられた「今」を大切にしていこう。そういう気分が、今、僕を「段捨離」に駆り立てている。

見てわかる、「断捨離」 (マガジンハウスムック)

マガジンハウス

 
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emoticon-0128-hi.gif わが家にとってお盆は特別ではない

 今年もお盆が終わりました。父が健在のときは、お盆の祭壇を笹で飾ってくれたり、お盆らしい特別なものを飾ったりしてくれていました。しかし、その父も今は他界していません。今は、ヒラリーさんとわたしの二人だけになってしまいました。考えてみると、わが家は、父・母・つとむ兄さん・パクちゃんと、あの世に召された人の方が多いです。もちろん、お盆は、ご先祖様の御霊をまつるのが、主な目的だと思います。でもやはり、近親者の御霊が、まず頭に浮かび、お供えも、亡くなった人が喜びそうなものをあげます。もしかしたらその辺のところから、父の代と、わたしの代では変わったのかもしれません。

 わたしは、お盆という行事は、とてもいいものだと思っています。だから、毎年、8月13日から15日は、祭壇をだして、多少の日にちの誤差はあっても、夜たいまつに灯をともす、「迎え火」「送り火」は、必ず行っています。ヒラリーさんも、「これはカナダにはないけれど、とてもいい習慣」だと言ってくれます。しかし、お盆には何をあげてとか、お墓参りとか、そういうことはあまり考えません。多分宗教行事は、人間があとで決めたもの、そんなものに縛られなくてもいいのではないか。いつの間にかそんな風に考えるようになったのです。

 先日、わたしの治療院の患者さんが、仏壇にバラの花が飾られるのをみて驚かれました。多分多くの方が、「仏壇にバラの花」と、思う人の方が多いのではないでしょうか。わたしも実は、最初の頃はそうだったと思います。多分、仏壇といえば菊の花がほとんどで、それ以外は、あまりイメージにありません。でも、いつの間にかその考えも変わってしまいました。もし自分が、なくなったとしたら、「毎日、菊の花というのは嫌だなあ。やっぱり、自分が好きな花がいいのではないのかな」という結論に達したのです。それ以来、仏事、ご先祖のご供養は、型にはまらないで、自分の好きなようにやらせてもらっています。

 さて、本題に戻りますが、わたしは、この世で最も信頼できる方から「あの世」について、このように伺っています。「あの世はこの世と違って、時間的、および、空間的な概念が全く違います。むしろ無いと言った方がいいのです。ですから、もしあなたが、パクちゃんに会いたいと思ったら、名前を呼んだら、瞬時に、あなたのもとにやってきてくれるのです」わたしたちは、その言葉を信じています。ですから、父の母もつとむ兄さんも、パクちゃんも、いつでもいっしょです。わたしが、亡くなった家族のことを忘れない限り、家族はいつもわたしたちと共に、どこかでいっしょにいてくれていると思っています。だから、わが家に、特別なお盆というものは無いのです。でも、家に親がいて、子供がいて、というご家庭では、うんと「お盆」というものを大切にされたらいいと思います。少なくとも、家族団らんの「お盆休み」は、しっかりとってください。

 
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☆わたしが毎朝、歩く散歩道。時間によっては、このような日差しが映し出される。
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emoticon-0128-hi.gif病気が「直る・治る・消る」

直る

師匠 「『なおる』ていう字は、いろいろあるんですが、どのような字があるかわかりますか?」

わたしの頭の中では、「治る」というじがすぐに浮かんだ。今のわたしの頭の中は、この字でいっぱいである。治療院を始めてから今日まで、この字で頭の中は、埋め尽くされているかもしれない。そういっても過言ではない。すると、師匠は、ホワイトボードに、3つの「なおる」というじを書いた。

師匠 「まず第一に『なおる』ってこう書きますね。『素直』の『直る』という字です。性格が素直な方は、病気も治りが早い。『医療者が、こうした方がいいですよ』という言葉に、素直に受け止め、誠実に実行しようとする人。やはりこういう方が、早く病気がなおります」

 わたしも、確かにそう思う。わたしは、対患者さんとの関係は、けっこう信頼されている方だと思っている。でもやはり、わたしのアドバイスに対して、それを実行してくれるかどうかは、患者さん自身の性格などの問題にもよる。わたしは時々、困っている人から相談を受け、からだの状態を診せてもらうことがある。特にその対象となるのは、身体の軸、背骨と骨盤のゆがみである。意外とこのゆがみがある人が多い。もしこのゆがみが診られると、身体の重心が狂うために、肩こり腰痛の原因になることが多い。「ほっておけばなおる」という考えもあるが、ゆがみは、これまでの生活に何らかの問題があるから生じたのであり、そういう人が、ただ「ほっておけばなおる」ということは、まずあり得ない。

 事実を伝えるが、それから、受診行動をおこされる方は、正直あまり多くはない。治療が必要であることはわかっていても、だからといって、すぐには受診する気にはなれないらしい。理由は様々で、今までの治療に関する不信感、時間的なゆとり、経済的理由などであったりする。人は過去の経験から判断することが多く。素直に、治療者の意見を受け入れることが出来ないみたいである。仮に、「この人なら」という直感が働いたとしても、決断し、素直に行動に移すまでには、様々な葛藤が生じるらしい。まずそこに、「直る」か、「直らないか」の大きな第一関門がある。

 第二関門があるとすると、どれだけ医療者の指示に従えるかである。多くの患者さんは、過去の誤った生活習慣、からだの酷使、精神的なストレスから現在の症状を引き起こしている。それをどれだけ改められるかが、治癒する方法なのである。これはちょっと厳しいい方かもしれないが、病気や症状は、ほとんどの場合、患者さん自身が、つくり出すものである。痛みや症状は、それを本人に気づかせるためのメッセージである。わたしが考える治療者は、そのからだからのメッセージを患者さんに伝える役目を担っている。でもそれから先は、本人の性格が、大きく道を左右する。やはり師匠がいわれる「性格が素直な方は、病気も治りが早い」というのは、確かである。

治る

 一般的に「治る」という字がピンとくる人は多い。ところが、たとえ医療の現場であっても「治る」という言葉は、あまり厳密に語られることは少ない。今から15年前にわたしが師匠に出会い、とても共感したのは、師匠はこの「治る」という言葉を厳密に語られていたからである。

師匠 「人々は、よく病院に行き、病気が治った治ったといいますが、それは、「治った」とは言えません。ただ、薬によって、症状を抑えているだけにすぎないんですね。ですから、その証拠に、季節が巡ってくれば、また同じように病院に通い。同じことを繰り返しているだけなのです」

 わたしはすぐに、自分自身のことを言われているような気がして驚いた。わたしは子供の頃から花粉症を患い。毎年毎年、季節になると耳鼻咽喉科に通った。ところが薬というのは、症状が重くなればなるほど、強さが要求され、過去に用いていた、適当な薬は、無効になってしまう。やがてわたしは、用いてはいけない「ステロイド剤」を用いるようになり、それ以外の薬は受け付けなくなってしまった。やがて症状は、アトピー性皮膚炎、アレルギー性ぜんそくとつぎつぎに重症化し、気づいた時には、ステロイド剤を多量に使用し、「副作用」からそれ以外にも余病を引き起こすはめになった。薬の恐ろしさを知ったわたしは、それ以来、師匠がいわれる。「薬を使用した場合、ほとんどが『治った』とは言い切れない場合が多い」というのが、よくわかるようになった。

 だからわたしは、「急がば回れ」という言葉のように、仮に長い道のりのような気がしても、「投薬なし、手術なし」という方法をとることを考えるようになった。わたし自身が、職業を変え、鍼灸・指圧・マッサージの仕事を進む道を選んだのは、「自然治癒力」を引き出すお手伝いをする仕事であることに、誇りと生きがいを感じるようになったからである。だから、「治る」というのは、厳密にいうと、自然治癒力を用いて、自分自身の症状や病気を克服した時にはじめて用いられる言葉である。ということがわかった。

消る(なおる)

 わたしは、正直、師匠に教えていただく前は、このような字を用いることは知らなかった。師匠から聞いた話では、最高に高度の「なおる」なのだそうです。

師匠 「病気もケガも不幸もそれらはすべて、気づきのためのメッセージなのです。もし、それらの理由から、苦しんでいる人がいたなら、『因果応報』といって、必ず過去において、原因となる何かが存在するのです。それに気づき、認識を改め、行動を改めることで、その結果、病気が治り、不幸をもたらしてきた現象が消えていくのです」

 よく癌などの重病を患ってきた人が、奇跡的にその危機から生還した話を、テレビや本などで知ることがあります。奇跡が起こったのではなく。病気は、起こるべくして起こったのであり、癌が消えたのも、消えるべくして消えたともいえます。本当に不思議なことに、わたしは、信じられないような、事実を体験しました。もし「病気が消る」ということは、物事の真髄を究めた人にしか、与えられるものではありません。そうなれば、最高の治癒と同時に、あらゆる不幸とは無縁の最高の幸福も得られたのと同様なのです。
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emoticon-0128-hi.gifあなたの夫は、あなたのお父さんではない
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 もう何年も昔のことです。カナダのヒラリーさんの実家での失敗です。多分初対面の頃の話です。わたしは、義父であるヒラリーさんのお父さんに、何のためらいもなく「ファーザー」と呼んでしまいました。日本では、ガールフレンドの家で、もしご家族のお父さんがいれば、「お父さん」という呼び方で呼ぶことが普通です。そして英語もよく知らないわたしは、そんな調子で「ファーザー(=お父さん)」という単語を選んでいたのかもしれません。ところが、すぐその日、ヒラリーさんを通して、お父さんから「『ファーザー』という呼び方は止めてほしい。出来たら名前で呼んでほしい」というクレームをいただいてしまいました。そうですよね。よく外国映画を見ていても、「ファーザー」なんて言う呼ばれ方をするのは、「やくざのゴッド・ファーザー」か「神父さん」か「牧師さん」しかいません。子供が、「お父さん」と呼ぶときは「ダッド」といいます。ここは遠い外国の地です。子供以外なら、名前で呼び合うのが普通なのです。それ以来、ヒラリーさんのお父さんは、「ハワード」。お母さんは、「バネダッド」ですから、愛称で「バーニー」と呼ばせてもらうようになりました。

 これが日本だと、互いの名前を、ファーストネームで呼ぶことは、極めて少ないような気がします。若いカップルでも、結婚する前は、お互いに名前で呼び合っていたとしても、子供でも出来ると、また急に「パパ」「ママ」になってしまう。この前など、久しぶりにあった友人の女性と話をしていると「うちのジイジイが、どうしたこうした」と言っているので、「あれ待てよ。この人におじいさんがいたっけかな?」と思っていたところ、ようやくそれが、彼女の「おとうさん」のことであることがわかりました。子供のお父さんが、「パパ」だとすると、同居人に自分のお父さんがいるとすると、「ジイジイ」ということになるらしいのです。これって、わたしは、あまり好きではありません。あまりに日本の社会が、子供中心すぎて、なんだかバカバカしくなります。その友人は、自分の生活の中では、当たり前のことだとは思うのですが、なんだか、自分の親に対しても、敬意が感じられないような気がして、聞いていてあまり好ましい感じを受けませんでした。それでは、「お父さん、お母さん」または「パパ、ママ」と呼び合う夫婦ですが、日本ではそれが、スタンダードというか、ほぼ少数をのぞいて当たり前です。

 では、家庭を考えたとき、名前で呼び合うことが多い欧米社会と、「お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん」と役割で呼び合う日本社会とでは、どのような違いが生じてくるのでしょうか?よく、日本が「たて」社会であるのに対して、欧米社会は、「よこ」社会だといわれます。会社などでの上下の人間関係が、家庭でも引き続き上下の人間関係を引き継ぐ形になりかねません。日本も一昔までの封建社会だった頃の人間関係だったなら、それでもうまくいくのかもしれませんが、今の現代社会は、どう転んでも、封建社会とは、いうことは出来ません。本当は、もっともっと欧米社会のように、「個人主義」が徹底していれば、一人一人が、もっと独立した意識をもって生きられたような気がしますが、何となく子供中心の社会が、大人の人間関係にまで影響しあってしまい。役割でしか生きられないような人間関係を構成してしまっているような印象を受けてしまうからです。子供がまだ小さい頃は、親の役割は非常に大切です。でも、子供が大きくなっても、「パパ、ママ」と呼び合うようでは、やっぱりおかしいですよ。あなたの夫は、あなたの父親ではありません。やっぱり名前で呼び合うことが好ましいように思うのですが、その点はいかがでしょうか。やっぱり、夫婦は、名前で呼びあいませんか。
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合掌から治療が始まる
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治療院の治

 わたしの師匠は、大変きびしい方で、5年前、開業するにあたり、治療院の名前をみていただきました。エネルギー的にみて「八倉治療院」がいいということになったのですが、そのとき、「治療院」の「治」について、このように言われたのです。「治療院の『治』は、治すという文字です。治療院と名乗る以上、看板に偽りがあってはいけません。患者さんが、訴えてこられた症状が、治せないようでは治療院と名乗るべきではありません」と言われるのです。専門学校を卒業して、まだ何も臨床経験がないわたしです。そのわたしに、「治せないようでは、治療院と名乗ってはいけない」とおっしゃるのです。それどころか、またある日はこのように言われるのです。「もし、患者さんが訴えてこられた症状が、治せないようなら、料金はいただいてはいけません」と言われるのです。この言葉に、わたしがどれだけプレッシャーを感じてきたことか、おわかりいただけるでしょうか?

 というのは、わたしにとって師匠というのは、「絶対の存在」なのです。師匠が「こうしなさい」と言われれば、いつも、わたしはなんのためらいもなく、「はい」の二つ返事です。ちょっと古き一昔前の「師匠と弟子」の関係だったのです。でも全く、師匠は、無理難題をわたしに要求しているわけではありませんでした。実は、開業にあたり、大変な力と技を伝授していただいていたのです。多分、一般の方からしてみれば意外なことですが、わたしたちの世界では、「肩こりが治せれば一人前」だと言われています。実際やってみると肩こりというのは、肩甲骨周辺のすべての筋肉のコリをほぐすことで、相当大変な作業であることがわかります。わたしはと言えば、専門学校時代は、全く優秀な生徒ではありませんでしたが、真剣に「治療」ということを考えていましたので、卒業する前に、なんとか、「肩こり」を治すことは出来ました。それに、師匠のおかげで、開業して1年目から、難しいと言われる「頸肩腕症候群」や「「腰痛」「座骨神経痛」「大腿神経痛」の治療が、全くためらいもなく治療出来ていたのです。しかし、「患者さんが、訴えてきた症状が治せないようなら、料金をいただいてはいけません」ということになると、話は別です。こういう無理難題をさらっと言えるのが、わたしの師匠のこわいところです。

矛盾が矛盾でなくなる日がくる

 ところが、案の定、いざ治療院を開業しはじめてから、わたしはさっそくつまずきました。患者さんが要求してくる様々な症状を改善できるだけの力量があるはずはありません。そこで困って、師匠に相談を求めました。「わたしは、今日、腰痛で見えた患者さんを、どうしても治すことが出来ませんでした」すると師匠は、「あなたは、根本的なことを間違えていませんか?、誰が、患者さんの腰痛を治すのですか?あなたはとんでもない勘違いをしています。腰痛を治すのは、患者さん自身なのです。あなたは、患者さんの自然治癒力が働きやすいようにするために、お手伝いをしているだけなのです。勘違いをしてはいけません。あなたが、『治す』なんてとんでもない思い上がりです」と、おっしゃるのです。でもこれって、矛盾しているように思いませんか?わたしは、師匠が、「症状が治せないようでは、治療院ではない」といわれ、「師匠に、一歩でも近づこうとして、一生懸命に、治療してきたのに、これでは、わたしの今までの努力はなんだったのか」と、思えたのです。

 それにしても、確かに「人が人を治す」という言葉には、とても語弊があるように思います。どんな患者さんの症状や病気でも治してしまう師匠でも、「治させていただきました」とは仰っても、「治した」とは、めったに聞かない言葉でした。ところがこれをからだで理解するためには、わたしは相当の時間と、莫大な犠牲を払うことになったのです。一昨年の夏、わたしは努力のかいあって、患者数は、日増しに伸び、毎月記録を更新していました。ところが、自分自身が、疲労に倒れてしまったのです。わたし自身、「患者さんの症状を治す」という意識で、相当無理をしました。以前から師匠に言われていましたように、「人のからだは、神そのものです。あなたが患者さんのからだを治しているのではなく、からだが、あなたに治させているのです」こんな、アドバイスを受けたこともあります。しかし、「治す」と「治させていただきます」という言葉には、すごい意識の差があるのです。

 そういえば師匠に、治療で一番最初に教えていただいたのは、必ず治療をさせていただく前に、患者さんのおからだに対して合掌することでした。「今から勉強させていただきます」という気持ちを込めて、まずは、手を合わせること。これが師匠の、最も大切な教えだったのです。相手は神です。もし患者さんのからだに対して、敬意がないとすれば、たちどころに、治療者自身にも災いが降り掛かってくるのです。医療に携わるものすべての人に該当することですが、よく「悪いものをもらってしまう」というのは、医療者の意識に、問題があるのです。わたしの場合もやはり、見抜かれていたのです。合掌をしても、形ばかりの合掌であることが、心のこもっていない合掌こそ、これほど醜いものはありません。

 それがわかってから、わたしのこころの中で、「治療院の治」と合掌から始まる「勉強させていただきます」「ご病気を治させていただきます」という言葉には、何も矛盾がなくなりました。
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emoticon-0128-hi.gif地球の軸がゆがんでいるから地震が起きる
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 わたしは、患者さんのからだを治療する前に、必ずからだの軸を見させてもらっています。具体的にどうするかといいますと、ベッドに仰向けになってもらい。からだの力を抜いてもらい、両方の足首をつかんで引っ張ります。そして、内くるぶしに指をあて、両方の足の長さの違いを見ます。そのどちらかが、違うとどちらかの骨盤が上がっていて、必ず、脊柱(背骨)か骨盤にゆがみがあるという証拠です。足の長さが、1センチでも違うと、からだの重心は、どちらか一方にズレてしまいます。そうすると一生懸命に、首か腰でそれを修正しようとするので、首や腰の筋肉が疲れてしまい、首こり、肩こり、腰痛が起こります。

 この事実は、「整体」などを行う人もよく知っていて、「あなたの肩こりや腰痛は、あなたの背骨や骨盤が歪んでいるからですよ」といって、背骨や体中の関節をボキボキとやっていくわけです。でもよく考えてみると、どうして背骨や骨盤のゆがみが生じるのでしょうか?はじめから、頸椎(首の骨)や腰椎(腰の骨)は、曲がったりゆがだりしているものなんでしょうか?そんなことあるはずはありません。首なら、それを支える筋肉、例えば、胸鎖乳突筋とか斜角筋が左右についていますが、どちらか一方の収縮が強くて左右のバランスがとれなくなった状態です。腰痛も同じで、腰椎を支えている筋肉で重要な、大腰筋が左右についていて、やはり、どちらか一方が、収縮が激しいために左右のバランスがくずれて腰痛が引き起こされるのです。ですから、問題は、脊柱(背骨)や骨盤自体に問題があるのではなく、やはりそれを支えている神経や筋肉に問題があるのです。だから、いくら、背骨や骨盤に歪みがあるとしても、絶対に、人間にとって大切な関節をボキボキならせるような治療は行ってはいけません。それははっきり言って「医療過誤」につながる危険があるからです。

 ではいったい、どうして、左右のバランスを崩すほど、筋肉は、コリを生じるのでしょうか。それは大変に難しい問題です。わたしはこれまで、患者さんのからだを診させてもらってきてわかったことがあります。それは、からだの痛みやコリ、筋肉の拘縮は、どうも筋肉疲労から起こるというよりも、こころの問題やストレスから引き起こされることが多いようなんです。さらにいうなら、からだをコントロールしているもう一人のあなたがいて、もしあなたが、間違った考えをしていたり、間違った生き方をしていると、からだの痛みを引き起こして「NO」と、言っているみたいなのです。簡単に言えば、これが、からだの痛みやコリを引き起こしてしまっているらしいのです。それが、高じてくると、背骨や骨盤のゆがみとなるのです。それを、わたしは、「からだの軸がずれる」と言っています。ところが、こうなると、もうそれを治そうとする「自然治癒力」が働きません。だから、人間のからだには、治療が必要になってくるのです。

 さあ、いよいよ本日の本題に入ります。では、地球に災害をもたらす「地震」はどうして引き起こされるのでしょうか?急にテーマが大きくなってしまったような気がしますが、実はそんなに変わっていません。なぜなら、地球や太陽や月など「宇宙」をつくった方も、「人間のからだ」をつくった方も、実は同じ方がつくられているからです。ところが少しだけ違うことがあります。それは、地球自体が、間違った生き方をしているわけではないのですが、そこに住んでいる人間が、間違った考え方や行いをしていると、地球の軸が狂ってしまうのです。ちょうど人間のからだの軸がゆがんでしまうのと同じ理屈なのです。ところが地球という自然は、「自浄能力」がありますから、その地軸のゆがみを修復修正しようとしています。だから、「地震」というものが発生するのです。

 だから、地球上に地震が起こるということは、そこに住んでいる人間の考え方、生き方にどこか問題があると言えます。もし日本に地震がある時には、そこに住んでいる「日本人」が考え方や生き方に大きな間違いが生じているからなのです。そのせいでしょうか、わたしは、よく近くに出来たばかりの温泉に行くのですが、湯船につかっていると、べつに聞きたいというわけではないのですが、自然にお話が耳に入ってきます。そうすると、お年寄りの方も、お若い方も、「文句」ばかり言っているのです。やれ「湯船が小さい」とか、「お湯がぬるい」とか、「従業員が、怠けている」とか、てんでに好き勝手なことばかり言っているのです。つまり、温泉に対して、「感謝」のこころが、ほとんどと言っていいくらいないようなのです。それを聞いていると「ああ、日本人のこころも変わってしまったんだな」と思わずにいられません。それはそれで、感じ方も考え方も、人それぞれですからしょうがないのですが、問題は、人間は「感謝のこころ」がなくなると、必ず「ストレスフル」になるものなのです。そうすると、自分でストレスをいっぱいつくり出しているようなものですから、必ず、からだは、「NO」のサインとしてからだに痛みやコリを生じさせるのです。

 だから、八倉治療院には患者さんがいっぱいきてくれるようになるのです。ところが、八倉治療院では、人間のからだの軸は治すことが出来ますが。地球の軸までは治せません。そこに住んでいる人間のからだの軸がずれると、今度は地球の軸がゆがんでずれるようになります。それを修正しようとして起こされるのが「地震」ですから、それを防ぐためには、やはりそこに住んでいる人間のこころが「正常」になるしかないのです。どうですか「地球の軸がゆがんでいるから地震が起きる」というお話がわかっていただけたでしょうか。
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セミ魂でいきましょうか
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 これはなんだかわかりますか。セミの抜け殻です。夏になるとこのような抜け殻が、庭の木によくくっついているのを見ます。ところで、セミの一生について知っていますか?セミは、どうも7年間ぐらい土の中で生活するらしいのです。卵から孵化してこの抜け殻のような幼虫になり、そして7年間、暗い土の中で7年の歳月を過ごしているらしいのです。そして、セミの寿命は、わずか7日間というではないですか。わたしは子供の頃、この話をはじめて、母から知らされました。そうしたら、セミが何とも哀れで、それ以来、大好きだった昆虫採集から、セミをはずすことにしました。

 セミの一生を、「哀れ」と見るか、「すごい」と見るか。その人の見方次第ですが、やっぱり、セミってすごいですよね。たった7日間のために、7年間、じっと土の中で、その日がくるのを待っているんですよ。そして生まれてきたら、すごいじゃないですか。今日もセミたちは、私の家の庭で、ものすごい勢いで鳴いているんです。「セミ時雨(しぐれ)」っていいますけど、本当にあの鳴き方は、半端じゃない。「7日間を精一杯き抜くぞ」って感じが、ひしひしと伝わってくるんですね。セミは、「鳴く」っていいますが、あれは鳴いているんですかね。わたしには、精一杯、7日間の命を「謳歌」しているように感じられて仕方がありません。セミはセミなりに、精一杯、人生を楽しんでいるんですね。これが、「セミ魂」ですよ。そう思うと、セミよりももっと長い寿命をいただきながら、十分に人生を謳歌できない中途半端な自分の生き方のほうが、何か哀れに思えてくるのです。

 話は変わりますが、わたしは昨日の地震で大変ショックを受けました。わたしは、自分を勝手に「神様のお手伝い」だと思っていますから、神様から、いろんなメッセージをいただきます。ところが昨日の地震は、どう考えても、あまり、いいメッセージとはいえません。わたしはおかげで昨日は、大変なショックを受け、落ち込んでいました。でもまた、今朝、セミさんたちの存在を考えてみると、やっぱり、「落ち込んでいてはいけないな」って思えるようになったんです。もしかしたら、東海地震は、もうすぐ起こるかもしれない。もしかしたら、多くの人間がそのことで、大切な命を奪われるかもしれない。そして、もしかしたら自分もその中の一人になるかもしれない。しかし、セミさんのように、たった7日間の命を精一杯に楽しもうとして生きている生命もいることを考えたら、やっぱりこうして、今を生かさせていただいているということは、大変ありがたいことではないかと思うのです。わたしたちも、悩んでもどうしようもない「不安」なんかにおびえていないで、これからは「セミ魂」でいきませんか?
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