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☆新しいカメラ、「Canon デジタルカメラ PowerShot S100」で撮った八倉治療院の看板と治療室。やっぱりきれいに写ります。
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emoticon-0128-hi.gif 運動器系の強い痛みほど治療しやすい

育児でお父さんが腱鞘炎に?!

 つい最近のことです。30代の男性の方が見えました。利き腕の左手首が腱鞘炎で困っているとのことでした。お仕事は、塗装をやっているということで、半年前から痛みだしたそうです。きっかけは、育児でした。よく産後のお母さんが、育児で赤ちゃんをだっこするので、腱鞘炎で困っているという話は聞くのですが、お父さんが、育児で腱鞘炎というのははじめてだったので、つい笑ってしまいました。でもいいですね。お父さんのそういう理由での腱鞘炎なんて、「微笑ましくて最高です!」こういう話って、世の中のお父さんや男性諸君に聞かせてあげたい話です。そういう気持ちがまず最初に働きました。

 でもよくよく聞いて診察していきますと、この方は、以前から相当ひどい肩こり腰痛がありました。特に1年前くらいに「ぎっくり腰」もやっていました。そんなことからも、首こり腰痛も相当にひどいことがわかります。ですから、こんなに体格のいい男性が、「赤ちゃんを抱っこして育児で腱鞘炎になりました」ってことが、最初から疑問に思っていたんです。やはり、思っていた通り背骨も骨盤も相当ゆがんでいました。だから、実をいいますと、育児は、この患者さんにとって原因というよりきっかけに過ぎなかったのです。最近は、不景気で会社はいっぱいの人数でやっていますので、仕事は、休みもあまりなく、すごく忙しいらしいのです。そういう会社がとても多いのです。実は、こういうことが立派な原因なんです。よくよく見ていくと、腰痛や座骨神経痛など症状がいっぱいでてくるのです。

 この患者さんが、八倉治療院に来るきっかけはなんだったのでしょうか?実はここに来る前は、2軒ほど整形外科の病院に通っていたのです。なんとその半年の間に、激痛に襲われ、3回手首に注射をうちました。その都度効いてはいたようで、その時には楽になったそうですが、しばらくするとまた同じように痛みが走ったそうです。しかし、今度は、お医者さんのほうで、ストップがかかってしまいました。「もうこれ以上、この注射をうっては危険だから、うてません!」といわれてしまったのだそうです。たぶん多くの方が、これはどういうことか、わからないと思うので説明させてもらいます。

ステロイド剤は「天使と悪魔」の両側面を持った薬

 腱鞘炎というのは、筋肉の使い過ぎで疲労してしまっているのです。そうすると特に腱といって筋肉が骨に接続するところを腱というのですが、この部分が炎症起こしてしまっているのです。ですから、いったん痛みだすとかなり激しい激痛となるのです。さて炎症を起こすと消炎剤を投与します。その中でも、最高の消炎効果をもたらすのが、「ステロイド剤」です。鎮痛消炎反応の切り札のような薬です。ところがこのステロイドは、西洋医学では、とても評判のいい薬ですが、実は「天使と悪魔」の両側面を持った薬です。つまり使い方を誤ると大変なことになるのです。ポーカーでもそうですが、「切り札」は、これで勝負は決まったという時、最後に持ってくる札ですから、これが効いてくれないと困ることが起きるからです。だから、お医者さんは、これでよくなると信じてうった注射なのですが、それで治らなかったから、困って「もうこの注射はうてません!」っておっしゃったのです。

 このお医者さんも困ったものですが、まだまだ、このお医者さんは良心的なほうです。実は患者さんのからだのことは、本当に考えないで、「医療」という名のもとで考えられないくらいひどい治療?が行なわれていることも少なくないのです。でも、わたしたちも、いくら相手がお医者さんといっても、いくら相手が病院だからといって、妄信してしまうのもいけないことなのです。やっぱり、冷静になって、自分にとって何が一番大切なのか、どういう方法が一番いいのかを考えてみる必要があると思います。この患者さんも、自分のからだだからといって、無理をし過ぎです。いくら動機は、子供を思い奥さんをいたわるやさしい気持ちからだとはいえ、注射をうって、また同じように無理をしていたら、よくなるものもよくなりません。これでは、いくらお医者さんがよかれて思ってやったことでも、またすぐに、再発するのはやもう得ないことです。その結果、うってはいけないステロイド注射を3回もうたなければならなくなってしまったのです。

 わたしはよく患者さんにはいうのですが、こういう時には「治療と休養」が必要なのです。治療も整形外科で行なうような治療ではありません。いくら痛いといっても、神経と筋肉の運動器系の問題ですからいくらレントゲンやMRIをとっても異状がうつるわけがないのです。検査は確かに必要ですが、それは、関節の状態を診るのに必要ですが、ほとんどの場合、筋肉と腱と神経の問題なのです。しかもこの場合、腕や手に関する痛みの問題の大本は、頚からです。特に手の指を動かす神経の多くは、斜角筋といって、前斜角筋と中斜角筋の間を神経と血管が通っていてこれが、首こりから硬くなりちょうど挟まれてしまうため起こるおもに神経症状が原因だといわれています。これも「斜角筋症候群」のひとつなのです。それに、これは「腱鞘炎」というよりは、「頸肩腕症候群」なのです。

 「そういうことも知らないで、手首に鎮痛消炎剤を注射していても治りますか?」治るはずはないでしょう。頚から肩から腕から全部コリをとってあげて、はじめて治療といえるのです。そういうのを専門に行なうのが指圧鍼灸の治療院なのです。だから、そういう運動器系の痛みは、専門はどこかといえば、病院でもなく、整骨院でもなく指圧鍼灸の治療院なのです。そして、それを専門としているのが、医者ではなく、柔道整復師ではなく鍼灸・あん摩マッサージ指圧師なんです。でも、そうはいっても確かに治療院ならどこでもいいかといえば、そうではなく、鍼灸・あん摩マッサージ指圧師なら誰でもいいかといえば、そうでもありません。だから、そういう症状でも治療ができる治療院を見つけるのが、本当に難しいことなのですね。

腱鞘炎や五十肩・頸肩腕症候群・座骨神経痛・大腿神経痛・腰痛や膝痛などの運動器系の痛みの症状は、治しやすい疾患の部類

 でも覚えておいてください。本当に治療ができる鍼灸・あん摩マッサージ指圧師にあたれば、骨さえ異状がなければ、筋肉や腱や神経の痛みのほとんどの場合は、治療が可能なのです。しかも、腱鞘炎だけ治してくれといわれれば、そんなに長い時間が必要ありません。腱鞘炎だけの問題でいえば、この患者さんは、1回でよくなりました。ですから、腱鞘炎や五十肩・頸肩腕症候群・座骨神経痛・大腿神経痛・腰痛や膝痛など諦めなくても大丈夫。これらの運動器系の痛みの症状は、程度と期間の長さにもよりますが、治しやすい疾患の部類なのです。
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☆梅ヶ島温泉・湯の島館でいただいた朝食。朝の貸し切り風呂に入って、それから、おいしい朝食、人生には、たまにはこういう一日があってもいいかも。
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emoticon-0128-hi.gif 呼吸法の呼気が、副交感神経モードに導いてくれる

 鍼灸指圧治療院の治療で「呼吸法」を取り入れているところはあまり多くはないと思う。ところが、治療に呼吸法を用いることは、かなり有効な手段である。以前師匠から、「呼吸法において呼気の時、エネルギーは最大限に高められる」と聞いたことがある。これを治療に取り入れ活かすことができないかやってみることにした。治療者は、ただ単に指圧を行なうのではなく、指に体重をのせていく時に同時に、それに合わせ息をはいていくようにした。そのことで、治療効果は普通に治療しているのとではまったく治療効果が違ってくる。やはり、「呼気」で治療者のエネルギーが増大することで、パワーが高められていることがよくわかる。

 最近では、わたしは治療者だけではなく、患者も同様に呼吸法を行なうようにしてもらっている。治療者が圧を加えるのと同時に、「スー」と患者さん自身も息をはいてもらうことにした。すると、患者さん自身が今まで感じていた指圧を受けたときの筋肉の拘縮による神経の強い痛みが、緩和されていくことがわかった。ウソだと思う方は一度試されてみるといい。呼気は、明らかに痛みを緩和していることがよくわかる。これは、どうしてかというと、患者さん自身のエネルギーが増幅し高められたことで、このような現象が起こるのである。とにかくやってみると、呼吸法を積極的に治療に取り入れてみるのは、とても治療に大切なことだということがよくわかった。

 ところで皆さんは、「呼吸」にも「陰陽」があることをご存知だろうか?以前、ブログでも陰陽の表を載せさせてもらったが、「吸気は陰」で「呼気は陽」である。この陰陽が絶えず変化を繰り返すことで、そこに「生命(いのち)」というものが確かに存在しているのである。もしその変化が途絶えることは、「死」を意味することになる。もうひとつ、最近、「副交感神経」がすごく注目されている。なぜかといえば、現代社会は、ストレス社会ともいえる。このストレスが高じてくると、「交感神経」が優位を占め、なかなか自律神経の切り替えが上手くいかないことが多い。普通は、自律神経には二つのモードがあって、昼間は、交感神経モードが優位になる。交感神経は、昼間、学校で勉強したり、会社で働くためのモードで脳や筋肉を働かせるために血液をそれらの部位に送るように血液がいくようにが操作される。それに対して、夜間は、からだを休ませ、寝ている間、その分、消化活動などで内臓器官には、働いてもらうために血液がいくように操作される。これらは、すべて間脳と自律神経の働きである。
  
 ところが、ストレス社会においては、脳にもストレスが及びこうした自律神経の働きや切り替えが上手くいかなることがある。往々にして、治療院に見えられる患者さんのからだは、自律神経の働きは、本来休むべき夜間に副交感神経モードに上手く転換することができずに、よく眠れなかったり、内蔵の働きが悪くなり、そのまま交感神経モードでいることが多い。そうするとどうなるかといえば、今度は昼間、交感神経に切り替わるはずが、昼間に副交感神経モードになろうとしたりして、完全に自律神経が不協和音を起こしてしまった状態になる。昼間勉強に集中したり、一生懸命に働かなければならない時に、眠くてしょうがなかったりで、しゃきっとしない状態が続く。疲れやすい。集中できない。肩がこったり腰が痛い。からだの調子が変だ。こうした状態を、医師がいうならば、「自律神経失調症」という診断がくだされるのである。

 よく治療中に睡魔に襲われて爆睡してしまう患者さんがいる。これは、治療において副交感神経モードに切り替えてしまうためである。交感神経が亢進した患者さんは、共通して内蔵の働きが悪くなっている。だから、治療は、薬も何も使わないで、昼間であっても夜間モードである副交感神経モードに切り替えてしまうのである。そうすることで、夜になったときも、自然に眠気が襲ってきて、よく眠れるような状態に持っていくことが、治療の大切な目的ということになる。ところで、自律神経の働きにも陰陽がある。「交感神経は陰」で「副交感神経は陽」。だから、これを先程の「呼吸」とうまく結びつけることも治療の技といえる。それは、患者さんの脳の働きを副交感神経モードに持っていきたいのであれば、患者さんにも一生懸命、「呼気」をやってもらうことである。治療者の押すタイミングに合わせ、患者さんにも息をはいてもらう。そうすることで、うまく「副交感神経モード」に持っていくことができる。だから、患者さんが「治療中、眠くて仕方がない」と感じるようであれば、それだけでも素晴らしい治療であるといえる。キーポイントは、「呼吸法の呼気が副交感神経モードに導いてくれる」ということだ。
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☆梅ヶ島温泉・湯の島館の貸し切り風呂。風林火山の「林の湯」。上が湯船で、下が脱衣場の休憩するところ。とてもおしゃれな空間になっています。
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emoticon-0128-hi.gif 台風が教えてくれた家への感謝

 昨日はすごい台風でしたね。みなさんの家は大丈夫でしたか?わたしのところは、台風対策が万全だったので幸わい何も被害がなく過ごすことができました。でも今朝の散歩から帰ったばかりですが、けっこういろんなところに台風の爪痕を見ました。屋根が吹っ飛んでしまった小屋。破れてしまった立て看板。はがれてしまった家の外壁など。わたしが30分くらい歩いただけでもこんなに被害が見つけられるくらいですから、きっと、島田市だけでもけっこうたくさんの被害が生じているのかもしれません。でも、わたしは、この台風でいろんなことを考えさせられました。

 昨日今日は幸い治療院のほうは定休日で、来てくれる患者さんのことを考えなくてもよかったのはすごくラッキーなことだと思いました。そして、昨日はいつもと同じように午前中はトランポウオークで気持ちのいい汗を流したり、お昼を食べて、午後は温泉につかりのんびりしてきました。帰ってきた時には、さすがに雨あしが強くなってきたので、雨戸を閉めながら、「これできっとこの家は大丈夫だな」って確信しました。しかし、昨日は雨戸を閉めながら頭の中で、普段考えないことを考えていました。「こんな時にホームレスの人たちはどうして過ごすのだろうか?こんな時だけでも、学校とか、市民会館などのような公共施設を使わせてもらうことはできないだろうか?」と、ふとそんなことを考えたのです。

 わたしは、とても臆病な性格ですから、このように台風とか、雷とか、ましてや地震や津波などが、こわくて仕方がありません。だから、ヒラリーさんもいなくてたった一人で留守番しなければならないこんな台風の夜は、準備万全にしなければ気がすまないのです。それでも昨日のような強い台風は、情け容赦なく、家に何度も何度も襲いかかってきました。よくあんなに強い雨風を受けながら、壊れないものだと不思議に思うくらい、家はその衝撃に絶え抜きました。こんな時にはじめて「家って有り難いものだなあ」って感じます。普段は、まるで空気のように、またはお日様のように、あって当たり前のような気持ちでいますが、よく考えてみると決してそのようなことはありません。「ああ、こうして、家はわたしたちを守っていてくれていたんだな」そう思うと考えひとしおでした。

 今日は、そういう気持ちがあったのか、朝食を食べる前に、ほうきで家のまわりを掃いたり、雨で汚れた家の窓や玄関を簡単に拭き掃除をしました。何か身体が自然に動いていました。台風は人間にとっては、とんだ暴れん坊で、嫌われていますが、しかし、自然界から見れば、夏の水不足を補ったり、山がその水を貯え、やさしく、豊富な水のめぐみを供給しているということを考えれば、なくてはならないものなのでしょう。こうして考えていくと、自然界でおこっていることは、創造主の人智を超えた深い配慮を感じます。それに時々、この暴れん坊をむかい入れることで、今まで気づかなかった家への感謝が感じられ、台風に対する見方もすっかり変わってしまいました。たぶんこんな気持ちもすぐに忘れてしまいそうですが、時々忘れた頃に、また、台風が思い出させてくれるのでしょう。
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☆静岡市梅ヶ島温泉・湯の島館にある風林火山のひとつ「林の湯」上の湯船は朝入った時に撮ったもの、下の脱衣場から見た湯船の写真は、夜入った時に撮ったもの。これは貸し切りの温泉風呂です。本当にくつろげていい風呂でした。
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emoticon-0128-hi.gif 患者さんをよぶことは治すことより難しい

 実力はあっても新しい治療院にとって何が難しいかといえば、患者さんをよんでくることです。この世の中には、治療院に、患者さんとしてきていただきたい人。「治療をされたほうがいいなあ」と、思われる方は、山ほどいるのですが、実際にきていただくのは、大変に難しいことのような気がします。特に「八倉治療院」はといえば、開院の時に作った看板以外は、宣伝費は一切つかっていません。やっていることは友人から教えてもらったこのブログのみ。そのブログも無料です。紹介してくれるインターネットのサイトも無料のところしか出していません。よく「SEO対策とか、HPを作りませんか?」とかいう電話の声には耳も貸しません。ひたすら「口コミが一番。実力がつけば必ず患者さんは来てくださる」というという師匠のお言葉を信じて、ずっと今日までやってきました。でも最近は、「でもこれって、今の時代、大変な決意かもしれない」と思うようになってきました。治療の技術が上がり実力がついてきたとしても、今の時代はそれだけで患者さんが来るかといえば、そんなわけにはいかないような気がします。逆に、携帯もパソコンもある時代だから、さらにいっそう患者さんを集めることが難しくなっているような気がしてなりません。また、明けることがない不況の嵐が、患者さんの来院行動を確実に妨げているようなのです。特に、「治療院」は、どうしてもそれらの影響をもろにかぶってしまっているようです。

 なぜなら、治療院に来てくれる患者さん立場にたって考えてみると、まるで来てくれたこと自体が奇跡のような気がするくらいです。第一、いくら「肩こり腰痛」が専門の国家資格の「鍼灸あん摩マッサージ指圧師」といっても保険がきかない治療院へ誰が来てくれるでしょうか?大概は、第一選択としては、保険治療のきく、整形外科のある病院や柔道整復師の整骨院に行ってしまうのが普通です。特に最近は不景気が浸透してしまって、わたしたちの仕事を「慰安」と捉える方にとっては、「贅沢」というふうに捉える方が多いのです。確かに、「慰安か治療か?」その境界線が実に曖昧で、患者さんにとっては、その見分けが大変に難しくなっています。実のところ行ってみないとわからない。というのが実状です。それでも、慰安も慰安で意味がないわけではありません。時によっては、人によっては、慰安も大切な時があるでしょう。でもこれだけは確かなことですが、「治療院は、慰安ではやっていけません」また、「治療ができなければ、治療院としてやっていけるわけがない」のです。

 では、今現在どのような人が治療院にやってくるかといえば、「いくら病院に通っても、いくら整骨院に通ってもいっこうに良くはならない」という患者さんです。そういう患者さんが、困って困って、探して探して、やっと見つけてこられるのが「第三の選択肢」である「治療院」なのです。人によっていろいろですが、やはり一番多いのは、「口コミによる評判」です。それから、パソコンが使い慣れた方なら、いろんな嗅覚を発揮して、「東洋医学」や「代替医療」「自然治癒力」鍼灸」「指圧マッサージ」などのキーワードを検索してやっと治療院にたどり着いたという方が多いです。でも、この段階での患者さんは、いろんな病院を遍歴されているので「薬漬け」になっていることが多く、それとまた、医療に対して不信感もあるようで心身ともに難しい患者さんが訪れることが必然的に多くなります。治療者の立場からいうと、「何でもっとはやくに来てくれなかったのだろう。もう少しはやくに来てくれれば、簡単に治療できたのに」と思うことがあります。また、高齢者の場合だと、「もう少しはやい段階で来てくれれば、なんとか助けられたのに」と思うケースもあるのです。

 本当にわたしたちが行なっている東洋医学や指圧鍼灸の世界では、どうしようもないと見られる重症患者さんや、慢性的な病気に対して対応していくことはよくあります。それだけ素晴らしい治療力を持っているからです。でもやはり病気は、どんな場合にもはやいにこしたことはありません。はやければはやいほど、治療期間も短くすむことも確かです。でも本来、鍼灸指圧治療が最高に得意とすることは、「未病治(みびょうち)」といって、まだ、病気という名前がつく前の初期の段階で治療が開始できる点です。「肩こり腰痛」を軽く見る人も多いのですが、実際は、どのような病気も肩こり腰痛から始まることが多いのです。そういう意味で「肩こり腰痛は、病気の第一段階」ということがいえます。その段階でしたら、治療は簡単なことです。でも、実際は、この業界では、「肩こりが治せたら、一人前の治療かといえる」という現実もあることも確かです。実際には、わたしが、「患者さんをよぶことは、治すことより難しい」と感じているように、患者さんの多くも「どこの治療院へ行けばいいのかわからない」と思っている患者さんも多いことなのだと思います。
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☆これは最近いった静岡の梅ヶ島温泉、「湯の島館」の貸し切り風呂「風の湯」です。
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emoticon-0128-hi.gif 1週間が経ちました

 今日は6月15日。ヒラリーさんがカナダ・アメリカの旅に出発したのは、6月7日ですから、すでにもう1週間はたったことになります。今頃ヒラリーさんは、ワシントンDCに住んでいるお姉さんのところから、ニューヨークで行なわれる親戚の結婚式にむかっているはずです。わたしはというと、今日は、仕事が終わってから、昼ご飯をつくり、そのあとは温泉に行ってきました。そして今、ビールやワインのボトルを横において、ブログを書きはじめています。けっこう3週間て長いものですね。まだ、1週間ですから、あと2週間もあるわけで、やっと3分の1くらいが過ぎたところです。でも今回は、ちょっと、どこかに一人の時間を楽しんでいるところもあったりして、結構、気楽な空気を満喫しています。ようやく、わたしも人並みの亭主族の仲間入りができたのかもしれません。

 結婚して20年も経っていると、大概は夫婦の関係も疎遠になるらしく、少しでも奥さんからはなれて、自分の時間、自分の生活を求めるのが普通なんだそうですが、わたしたち夫婦ときたら、1日24時間あったとすると、たぶん、20時間以上は、ほとんど一緒です。何をやるにしても、どこに行くとしても、いつも一緒です。だから、わたしたちの友人やご近所などの知り合いは、ほとんどいつも、二人一緒のところしか見ていませんから、たまに一人で行動している時など、「今日は、ヒラリーさんは?」と、声をかけられるのが日常です。たぶんヒラリーの方も、同じようなものではないでしょうか。どうしてそうなってしまうのかといいますと、あまりよくわかりません。ただ、わたしたち夫婦は、男と女の違いはありますが、非常によく似た夫婦で、考え方も趣味も、ほとんど同じようなものなのです。だから、特別、仲良くべったりというわけではないのですが、ほとんど同じようなことを考え、同じような行動をしているだけなのです。

 もしかしたら、考え方や趣味や行動だけではないかもしれません。お互いに、まったく違った生活環境に生まれ育ちながら、まったく性格までよく似ているのです。あまりに似ているので困ってしまうこともあるくらいです。同じような長所もあるかと思うと、欠点までも同じような欠点を持っていたりします。何でこうまで似てくるのか、それはそれは恐ろしいほどです。だから、行き詰まるところもおなじなのです。わたしが何かの壁にぶつかり立ち止まっているとします。そうするとヒラリーさんもまた同じような壁にぶっつかり立ち止まっているのです。まあ、わたしの方が多少重症なことが多いのですが、「五十歩百歩」「似たもの夫婦」というのは、まさにわたしたちのような夫婦にぴったりの言葉です。

 だから、たまにはこうして夫婦で違う場所に生活してみるのはいいことなのかもしれません。ヒラリーさんも、わたしから解放され、遠くはなれている、お母さんやお姉さんや親戚に会うことは大切な時間です。今日も実は、スカイプで少し話しましたが、やはり、楽しそうです。それはそうでしょう。誰にとっても、親や兄弟は大切なもの。特に、ヒラリーさんのように、家族思いの性格の人は、疎遠でいられるわけがないのです。だから、これからも、こうした機会があれば、時々、家族のもとに帰してあげようと思っています。だからというわけではないですが、わたしも、これからは、一人になった時の時間を、楽しもうと思います。一人でなければ、できないこと、そういうこともきっといろいろあると思うので、これからは、少し、わたしもヒラリーと一緒になる前の自分にもどって、自由の時間を楽しんでみようと思います。でも、今までのわたしは、こういう時に何をしていたんだろう。ちょっとそのようなことを考える自分が、情けないような気がします。でも今夜は、明日の予約も午後からなので、ビールやワインを飲みながら、のんびり読書を楽しもうと思います。
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emoticon-0128-hi.gif 感謝が自然治癒力をひらかせてくれる

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 「宇宙の法則」久しぶりにこのテーマで書かせてもらいます。最近、「治療」をやっていてわたしが意識しているのは「脳の働き」と「エネルギー」のことです。いままでのわたしはどうかと言えば、「骨」「筋肉」「神経」一辺倒でした。自分自身の治療も、かなりそれらを意識して、行なってきました。患者さんに説明する時にも、「運動器系」は、わかりやすいですから、そのように部位を明らかにして説明させてもらいました。いまでも基本的には何も変わっていませんが、やたらと「エンドルフィン」という言葉が多くなったことや。いままでは、「筋肉繊維」とか疲労物質の「乳酸」とかいって、説明させてもらいましたが、「痛みはすべて、脳で感じているのではないか」というようなことを考えるようになってから、治療は「脳」を意識するようになっていきました。こんなことをいきなり書き出しても、治療家ではないみなさんや、たとえ治療家であっても、言おうとしていることが、あまりに突飛で何を言っているのかよくわからないという専門家がほとんどではないかと思います。

 わたしは、1年ぶりに師匠にあってから、師匠の言葉が、頭から離れなくなってしまいました。すこし、自分の頭を整理する意味でも、復習をしてみたいと思います。「物体には、すべて波動というエネルギーが存在する」なぜなら、どんな物体でも、小さく小さく、これ以上小さくすることができないくらい小さくしていくと、「分子や原子」という物理学で対象となるようなミクロの世界に、たどり着きます。少なくとも見えるか見えないかを別にして、物体がそこに存在する以上、「陽子」と「中性子」でできた「原子核」というものがあり、そのまわりを「電子」が回っている。その微細な振動を「波動」といい。動き続けている以上、それは明らかにそこに、「エネルギー」が存在している。ということを認めないわけにはいきません。人間の身体も物体である以上、代謝によって得られる「栄養」意外の「エネルギー」が存在することを認めていかなければならないのです。

 さらに厄介なのは、師匠は「エネルギーには、『意志と意識』が存在する」といった言葉です。「量子力学」事態が難解なのに、この「意志」と「意識」は、ますます持ってわたしの頭の中を混乱させました。「科学」と思っていたことが、どうもそうではないらしくなってきました。もしこれも科学というなら「超科学」です。ただ、わたしは、もともと「ホリスチィック」な考えを持っていまして、「人間のからだそのものが『脳』を中心に全体がすべて繋がっている」というような考え方を持っていました。実際にそうなのです。頚と腰が繋がっていたり、右腕と左足が繋がっていたりというように、身体自体は、「ひと繋がり」というのがこれまでの臨床から得られた成果だと思っています。とすれば、「こころと身体も、ひと繋がりだ」と、一気に、論理の飛躍もあっていいのではないかと思えるのです。

 「病は気から」という言葉を、みなさんはよくご存知です。あの言葉の中の「気」というのは、「エネルギー」のことなのです。漢字には意味が存在します。「気」という字が出てきたら、それは、すべて「エネルギー」のことだなと理解すると、いろんな謎も解けてきます。この「病は気から」というのもそうです。「病は気のせい」というふうに解釈するのではなくて、「その人の『エネルギー』が病んでいるから『病気』になっているんだ」というような解釈が正しいのかと思います。前々回、わたしのブログに「宇宙の波動がめざしているものは『愛』」というようなタイトルで書かせてもらいましたが、その中に「足立育朗さん」という立派な「科学者」なのですが、「超能力者」が登場してきます。この足立育郎さんが、師匠と同じようなことをいっているのです。「物体には、すべて『意志と意識』がある」というのです。そして、さらにその「意志と意識」とは何かというと、足立さんは、「意志は愛、意識は調和」だといわれるのです。

 わたしは、足立さんと師匠が、同じようなことをいっていても別に驚きません。どちらも「超能力者」だからです。どうもわたしのまわりの、知っている人間の中で超能力者といえる人は、ただ一人、師匠しかいませんが、人間は、どうも人間が誰でも持っている「欲」や「エゴ」の部分をどんどん削っていくと、「真我=神我(しんが)」という部分に到達するようです。そうすると、宇宙からのメッセージが情報として入ってくるらしいのです。わたしも、よく宇宙からのメッセージをいただくのですが、残念ながら、わたしの場合は、すべて師匠を通して教えていただいたものです。すべてというのは語弊がありますが、わたしの場合は、まだ、明確に確信を持って断言できないあやふやなところがあるのです。まだまだ、「欲とエゴ」が強すぎるのです。本当に、それらがなくなれば、こんなわたしでも、宇宙からのメッセージや「超能力」をいただけるのではないかと信じています。師匠は、普通の人間では考えられないような力を、「超能力」とも「神通力」ともいわれます。どちらにせよ、わたしたち人間はもともと、「神の分身」ですから、誰にもそのような能力はあるのだと思います。ただ、それを妨げているものがあるとすれば、先程から述べている通り「有り余る欲と、これまた有り余るエゴ的な考え方なのです。本当にわたしの知っている師匠は、まったくといっていいくらい、「欲とエゴ」がない方なのです。たぶん、むかし話題になった足立育郎さんもそのような方なのでしょう。

 話題がそれましたのでもどすことにします。足立育郎さんは、「意識は、調和」とおっしゃいましたが、なにも限定的に考えることはないと思います。わたしは、「意志の愛」と同じくらい、大切に考えていることがあるのです。それは「感謝」です。実はこの「感謝」のこころは、「愛」に匹敵するくらい大切な「キーワード」なのです。感謝があってはじめて、宇宙の波動エネルギーに調和できるのです。むかしから、「治療」を行なっていて、はやく病気が治る患者さんと、なかなか治らない患者さんがいることに気づいていました。その違いはなんだと思いますか?もうおそらくほとんどの方が気づかれたと思いますが、やはり「感謝」だったのです。こんなにまだ、治療家として経験の浅いわたしのようなものでも「ありがとう。ありがとう」と感謝の言葉を連呼してくれる患者さんがいるんです。そういう患者さんは、たとえはじめの状態が、「重症だなあ〜」と思っていても、あれよというまに治られていくのです。

 その反対で、あまりよくならない。経過が悪いわけではないけれど、長引いている患者さんは、それなりの理由があります。こういう患者さんは、タイプとしては二通りあります。ひとつは、いつも、文句や愚痴や他の人の悪口ばかりを言っている人です。もうひとつのタイプは、完璧主義者です。よくも悪くも完璧を狙う人です。ではこの異なるタイプに共通点はあるのでしょうか。実は、ヒントとなるカギは、「欲とエゴ」なのです。前者は、明らかに「エゴ」が強い人です。自分のことばかり考えているので、まわりが見えていません。だから、病気を治す前に、ご自分で「文句・愚痴・悪口」を慎む訓練を行なわなければならないのです。そしてもうひとつの完璧者タイプの人にいえることは、欲です。どうしても完璧を狙おうとする人は、欠けている部分に目をやりがちです。気になるのです。こうなると悪いところしか目がいかないのです。そうなると、なかなか、宇宙を支配している波動エネルギーとは、「調和」できません。ですから、エネルギー的に干渉を受けることになります。それが実は「病気」の実体なのです。

 人間の「脳」は実は、宇宙という大コンピューターがあるとするとそれを受ける「端末機」のようなものです。そして、人間の「脳」は、もともと「愛と調和」というテーマで動いていますから、「ポジティブ」な考え方が大好きなのです。特にわたしの知る限りでは、「楽しい・嬉しい・気持ちがいい・しあわせ」こんな感覚感情が大好きなのです。「ありがとう。ありがとう」といっている人には、よいことしか見えていませんから、その通り、よい方向にしかむいていきません。ところが「心配」や「恐れ」を抱いている人には、やはり、そのように悪い方にしかむいていかないのです。よく師匠がいうことには、「10のうち1つでもよくなれば、そのことに感謝できれば、あとの9は、自然に神さまが、この人はよくわかっているからといって、さっと残りの9を治してくれる」とおっしゃっています。やはり、「感謝が自然治癒力をひらかせてくれる」ことに間違いないようです。それが今回の「宇宙の法則」のひとつです。
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誕生日は感謝の日

 つい先日のことですが、6月1日に、わたしは58回目の誕生日を迎えました。わたしくらいの年齢になると、正直な話、あまり、誕生日が嬉しくありません。「ああ、年を重ねるといいますが、ある時点を境に、年齢がひとづつ若くなっていったらどんなにいいのになあ」と、勝手なことを考えては、ため息をついていました。ところが、今年の誕生日は少し違っていました。誰かがいっていました。「誕生日は、感謝する日だ」って、そうですよね。もともと、誕生日は、まず第一に、母に感謝する日です。わたしも最近は、お母さんになる人のお手伝いをさせてもらっていますので、妊娠出産が、どれをどれほど女性にとって大変なことかよくわかるようになってきました。やはり、出産や育児のことがわかってくると、父や母に感謝しなければいけないということがよくわかってきます。やっぱり、「誕生日は、感謝する日」なんだと思います。

 それにしても、考え方を変えると、世界はすべて変わって見えてくるものです。「もう58歳」と思っていた、この年齢も、考えるとすごく嬉しいことです。ついこの間、中学校の同窓会のお便りが来ていました。ちょっと驚いたのは、もうすでに病気かなにかで亡くなっている人の数が大変に多いのです。特に同窓生ですと、お名前もお顔もよく知っている人なので、大変なショックでした。だから、58歳まで生かさせてもらっている自分は、なんて幸せなことだと思います。特に、昨年のように、地震や津波の被害で、若い人からお年寄りまで、無作為に多くの被害者が出たことをニュースで毎日のように知らされると、あらためて生かされることの幸せというものを改めて考えさせられるような気がします。

 だからわたしは、誕生日でも「またひとつ生かさせてもらった」そんなふうに思うようになったのです。そうすると58歳という数字は、とても価値のある数字に思えるのです。それから、誕生日だからって、プレゼントを期待したり、お祝いしてもらおうなんて、そこから間違っているのではないか、誕生日は、むしろ家族や友人に感謝して、こちらからプレゼントしたり、お世話になっている方をご招待するくらいの気持ちが必要なんではと考えました。実際に実行したかどうかはわかりませんが、そのくらいの発想の転換は必要なんだと思います。

 でもひとつだけ実行したことがあります。それは、誕生日に父や母のことを考えていたら、自然とご先祖さまのことを考えるようになってきました。父や母、その上に、さらに父の父や、父の母というように、ご先祖さまを仮に7代くらいに絞ってって考えたとします。そうすると最低でも1000人以上のお父さんお母さんが必要になってくることがわかります。しかし、これだけでもすごいことです。この内の誰か1人でも、お父さんお母さんがいなかったとします。または、違っていたとすると、わたしは、この世に存在していなかったということになります。やっぱり、「誕生日は、あらためて、自分を生かさせてくれた人々の存在を知り、感謝する日なのだ」ということを改めて考えさせられました。ささやかですが、仏壇に、お花を買ってきてあげさせてもらいました。誕生日はいつも受け身で、何もしないわたしにとって珍しい出来事でした。
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