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emoticon-0128-hi.gifどんなにすぐれた治療家でも、症状は治せますが病気は治せません

これまで何人かの患者さんを診させてもらってきましたが、でた結論がこれでした。確かに患者さんはいろんな症状を訴えて治療院に見えられますが、これまでわかってきたことで、確かなことがあるのです。それは人間の身体は、全体がひとつながりでできています。それと同様に、こころと身体もひとつながりなんです。だから、いくら身体ばかり治そうとしても、治るわけがないのです。

病気は、今までその方が生きてきた長い積み重ねの結果です。その考え方や、生き方のどこかに誤りがあれば、結果として、現れるものなのです。だから、いくらその方のお困りな症状を、仮に治させてもらっても、その方が、ご自分の考え方や生き方に誤りがある以上、病気は治らないのです。仮にその時によくなられても、また必ずいつか、その症状も、もどってきます。それは、病気が、今までの考え方、生き方の結果に他ならないのです。

わたしはこれまでに、「病気は気づきのためのメッセージ」であると、何度も言わせてもらってきました。それは治療の世界に入り、大勢の患者さんのこころと身体を診させてもらいながら、感じてきたことなのです。簡単にいいますと、身体に何かつらい症状がある患者さんは、必ず、こころのあり方に何か問題を抱えています。また、逆に、こころに何か問題のある患者さんは、必ずといっていいほど、身体もどこかが病気なのです。

人間のこころと身体の問題は、ずっと昔から、そしてこれから、どんなに生活が変わろうと、科学が進歩しようと、文明が発達しようと、変わるものではありません。昔の人は、実はそのことがよくわかっていて「心身一如(しんしんいちにょ)」という言葉でいい表わしていたのです。つまり、「心身一体」。こころと身体は、ひとつであり、切り離して考えることはできません。ということなのです。

私たちの治療の世界も、やはり同じなのです。どんなにすぐれた治療家がいたとしても、症状は治せますが、病気は治すことができないのです。一時的に、身体を治せたとしても、その方のこころ(考え方、生き方)までは、そんなに容易く治すことはできないからです。いくら科学や医学が進歩しても、病気は、誰にも治せないのです。もし治すことができるとしたら、それは、ご自分でしかないのです。そうです、病気は、ご自分でしか、治すことができないものなのです。
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つい最近まで治療室にかかっていた、かき氷の旗
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emoticon-0128-hi.gifぎっくり腰はどうしてこんなに痛いの?

最近はどうしたことか、ぎっくり腰で見える患者さんが多くて、ぎっくり腰の治療に追われています。そこで少し、最近感じていることをお話しさせてもらいます。患者さんと治療者は、同じ症状に向き合っていることは確かなのですが、少し考えていることに違いがあるものです。

患者さんの気持ちとしては、「どうしてこんなに痛いのかな、わたしの身体は大丈夫なのかな?少しでも楽になりたいものだ」きっとそんな気持ちで、わたしの治療院にやって来られるのだと思います。でも、中には短気な患者さんもいますから、「くそう、何でこんなに痛いんだ」ってこころの中で腹立たしく思ってらっしゃる方もいるんだろうなって思います。

じゃあ、わたしは、どんなことを考えているかといえば、「やっぱりこれは、メッセージなんだろうな?」って思っています。わたしには、はっきり「この方が冒した罪の結果なのだな」って、思うんです。それから、「痛みって、どうして、こんなに有り難いものなのかな?!」って思うんですよ。
 
これはわたしが、きてくれた患者さんたちに、本当に言っていることですから、誤解のないようにみなさんにもお伝えしようと思います。あの、「痛み」って誰も好きな人はいませんよね。辛いし、やりたいことがやれないし、いいことなんてひとつもないって、誰もが思うかもしれません。特にこのぎっくり腰は、痛みが半端ではないですから、辛いことこの上もありません。

でも考えてみてください。ある日突然に起った事故のように感じている人が多いですが、そんなことはありません。必ず、今まで何度も腰痛があったはずなのです。そのサインがあっても、気づかず無理を重ねてきたことが、こういう結果を招いてているだけなのです。これは、なるべくしてなった。ただの結果なのです。そこまでも誰もが、認められるのですが、「有り難いってとんでもないですよね」

じゃあ違った見方をしてみますね。これは、超ポジティブな考え方ですよ。痛みが、あなたの身体を守ってくれたんです。もうあなたがこれ以上、メッセージを無視して無理ができないように、あなたの行動に、ストップをかけてくれたんです。痛くて動けなかったら、もうあなたは無理ができないでしょう。きっとそこまでしなければ、あなたは、休むことも、気づくことが永遠になかったかもしれません。

自然界の中に生息する動物は、ケガや病気になると。餌があろうとなかろうと、巣から動こうとしません。じっと休んでいれば、身体が自然治癒することがわかっているのです。なのに、生物の中で、最も利口だと思われている人間だけが、どうして正しい判断と行動ができないのでしょうか?

やっぱり、どんな理由を持ってこられようと、愚かとしかいいようがありません。でも、身体は違うのです。やっぱり痛みというのは、私たちが気づかないところで、深い「慈悲」を感じさせてくれるものなのです。やっぱり、人間というのは、わたしを含めて、みんな「ワカランジン」が多いんです。これがわたしが感じている「罪」なんですよ。
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emoticon-0128-hi.gif目には見えない世界を大切にする人の治療

目に見える世界を大切にするのが、近代科学の基本です。そのために「科学的」ということは、「実証」「証明」ということが重要視されます。これはこれで、大切なことだと思います。それでないと、推論や仮定ばかりでは、あまりにも真実が、いい加減になってしまうからです。

でも世の中には、人間の目に見えなくても、確かなもの。明らかに存在するものというのは、たくさんあります。でもこれはどうでしょうか。それこそ世界が二分するほどまっ二つに別れるところがこれなんだと思います。

「魂が存在するかどうか?」「する」「しない」もしかしたら、ディベートのテーマにしてもいいくらいの、大きなテーマだと思いませんか。あるとき、電話で師匠にご指導を頂いている時に、師匠はいきなりこのようなことを言われたんです。「私たち人間は、実は、魂だけの存在なんです。私たちの身体でさえも、実は私たちのものではあり得ないのです」これは実に深い言葉です。

わたしは、こういわれてもべつに驚きもしません。わたしも、「肉体は滅びても、魂は永遠である」と思っていますし、「人生に目的というものがあるとしたら、それは、魂を磨き上げること」それ以外には、あり得ないと思っています。もちろん究極的な意味合いからですが。ですから、「輪廻転生」といって、あるテーマを持たされて、人間は生まれさせられてくるのだと思います。

これは、私が師匠に出会う前から、今よりは漠然としていましたが、はっきり、自分自身の中では、しっかり認識していたことでもあったからです。ですから、普段からよく師匠がいわれる「私たちは地球という学校に生まれてきた生徒のようなものなんです。ここで勉強したことが、次の来世が決まってくるのです。亡くなった時には、この世での成績がはっきり刻まれて、通知表を一人一人が持たされるのです」よくこのようなことを、何度も聞かされてまいりました。

これは、どこぞこの宗教の話しではありません。神的な話しではあると思うのですが、魂の進化、人生の目的という問題では、神は、避けては通られない、大きなテーマなのです。でも私たちが関わっている治療の世界では、ここまでの話しは、まず、不可能です。話題から避けているわけではありませんが、誤解を生じないためにも、話題に上ることはありません。

ただ、治療の世界を考えた時に、エネルギーという問題を避けることはできません。「氣」とは、まさにエネルギーのことであり、これを意識していると、いろんなことに事実が理解できるようになってくるのです。でもこれも、目には見えないし、顕微鏡やMRIでは映像としてうつることはありません。

だから、これも議論の段階では、相当、論議が闘わされそうな気がします。でもいいんじゃないですか?「目に見えない世界」を大切にする人がいても、わたしはそういう世界でこれからも治療を続けていこうとます。そういう意味では、決して科学的だといえないのがわたしの治療です。
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