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emoticon-0128-hi.gif治療が進化するほど、患者さんにやさしい治療になっていく


八倉治療院も8年目を迎えていますが、開業した当初から比べると、治療スタイルも治療方法もすごく変わりました。今でこそ鍼治療に力を入れていますが、私が初めて取り入れて行なった治療は、指圧でした。

もちろん師匠が指圧の先生だったということもあり、私の中では、最初から「指圧」って、特別なものだったんです。それに、最初は、鍼やお灸は、わたしには、とても難しいものだったんです。だから、専門学校の学生だったころは、「指圧」だけでもものにしておきたい。正直いいますと、そう思っていたんです。

だから、指圧の実技の授業は、必死でした。もちろんわたしの場合は、はじめから師匠がいるので、他の学生のように外で修行は、考えていませんでした。はじめからこれ1本で、開業して食べていくつもりでしたから。これだけは、授業中も必死で治療の組み立てを考えていました。3年間で、ものにできるようにしようと考えていたんです。

だから、開業した1年目から、いきなり、肩こり腰痛は、普通にこなしていたし。難しいといわれている「座骨神経痛」だって、平気で治療できたんです。それに信じられない話しかもしれませんが、どの治療院でもやっていなかった、「大腿神経痛」さえも、わたしには、治療できてしまっていたんです。

ただ、わたしの当時の指圧って、すごくひびくし、効果は抜群なんですが、ひとつ欠点がありました。それは、患者さんからすると、すごく痛かったんです。相当、荒療治だったんですね。もちろんよくなっていく時には、痛みもサート退いていくのですが、その過程が、中には耐えられない患者さんもいたことも認めます。

わたしは、八倉流の指圧マッサージを完成させるのに5年の歳月を費やしました。それから、今のような指圧鍼灸治療に取り組んだのは、ここ2〜3年のことなのです。指圧から鍼治療に移行するのには、ほとんど抵抗はありませんでした。なぜなら、治療ポイントのツボが同じだからです。わたしの鍼は、指圧をやったことで、更に上達できたのです。

学校の授業や研修会も大切ですが、実際に患者さんの身体に教わるといいますか、「臨床(りんしょう)」ほど勉強させてくれるものは、他にはありません。それで鍼をうつポイントを覚えていったんです。最初から「経絡経穴(けいらくけいけつ)」ありきではなかったのです。ですから、わたしの鍼は、より実践的です。

でもなぜ、今のスタイルに変わっていったのには理由があります。やっぱり治療でいくら結果を出しても、患者さんに、苦痛や痛みを感じさせてしまってはいけないんですね。たとえ、いくら重症な患者さんほど、痛みが強く、全面に及ぶものであったとしても、いかに楽に治療できるかが、もうひとつの治療家としての腕の見せ所だともいえるのです。なぜなら、痛みで治療を投げ出す患者さんが減ることは確かなのです。

そのために不可欠なのが、鍼でした。不思議の思う方もおられるかと思いますが、鍼は、痛みという点では、指圧やその他の手技に比べて、はるかにやさしい治療といえるのです。

でもわたしは最後まで指圧を捨てることはしませんでした。多分それはこれからも変わらないと思います。指圧の持つ。治療即検査であり。治療即効果の確認だと言えるからなんです。だから、これを鍼を打つまえと打った後の効果の確認としても使えるという。しかも、治療する方も治療される方も、効果が実感できるという治療が、指圧鍼灸治療なのです。だから、最強かつ最高のコンビが指圧鍼灸治療だとわたしは考えるようになったのです。

でもそれは、単なる治療の進化というより、あくまで臨床を大切にしてきた治療家が、目指した患者さんにやさしい治療の結果だったとわたしは思っているのです。
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emoticon-0128-hi.gif 病は原因ではなくて結果である

わたしの師匠は、とても厳しい方である。だから、忠言とはわかっていても、つらくなってしまう時もある。先日わたしが電話で指導を受けさせてもらっているとき、このような話しを聞かせてもらった。

ある若者が師匠の治療を受けにきた時のことである。患者さんの症状を治療することはいとも容易いことなのだが、あえて師匠はその方のことを思い、忠言をされるのである。

師匠曰く「あなたは、お金ひとつとっても感謝のこころが足りないんです」若者曰く「自分で稼いだお金です。それを人からとやかく言われる筋合いはありません」師匠曰く「あなたの言っていることは正しいです。でも、『病はあくまで結果なのです』そのことは、あなたは、否定することもできないのですよ」

このように言われると、返す言葉がなくなります。わたしも師匠との会話の中で何度このような、経験をしたことかわかりません。よく人は、病気を原因として考えがちです。厳しい現実社会の中では、よく病気は、原因として扱われます。退職、休学など、理由として説得力があるのは病気です。

ところが、実際は、病気はあくまで結果であり、原因ではあり得ないのです。師匠は、病気の原因を、このように分析されています。「1割が、身体の扱い方の問題。1割が、食事の取り方の問題。そして、残りの8割が、こころのあり方の問題です」と言われるのです。

つまり前回、お話しさせてもらいましたように「病は気から」なのです。つまり、「気」とは想念というエネルギーの問題なのです。「想念」とは、「こころのあり方」「考え方」のことです。想念は、エネルギーですから、「正」と「負」どちらにも働くのです。

「プラス」に働いている時には、病気は起こりようがありません。「マイナス」に働いているときに、結果として、人は病気になるのです。ですから、いかに、人は、プラス思考が大切なのかがわかります。「ポジィティブ・シンキング」と「行動」が、実際にエネルギーとなって、その人の人生を左右するのです。

だから、病気ひとつとっても、それを気づかせていただけるのですから、「感謝」しなければいけなかったのです。でもそういうことまでは、余程の人でない限り人は気づけません。更に師匠は、こうも言われるのです。「想念」の「念」は、「今」の「心」と書くんです。「あなたの、今、現在の心のあり方が大切なのですよ」ってね。
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emoticon-0128-hi.gif「病は気から」の「気」ってなんだろう?

ことわざって、バカにならないですよね。「病は気から」と言うのは辞書で調べてみると、「病気は、その人の心の持ち方しだいで軽くもなるし、また重くもなるということ」だそうです。これって、みなさんの経験からしてあたっていませんか?

「脳梗塞」をおそれる人は、「脳梗塞」になります。「ガン」をおそれる人は「ガン」になります。皮肉なものですが、おそれたり心配すると、その通りになってしまうんです。これが世の常と言うものです。

わたしの師匠は、「想念は、エネルギーである」と言われます。「想念(そうねん)」、つまり、「人の『思い』や『考え方』は、実現の方向にむかうエネルギーとなる」って仰っているんです。もちろん、「おそれ」「不安」「心配」というのも「ネガティブ」な想念ですから、これも、皮肉なことに、実現のための原動力となるのです。だから、人の想念は、いつでも「ボジティブ」でなければいけないのです。

「気」は、「氣」とも書きますね。つまり、「エネルギー」のことなのです。だから、「病は気から」というの時の「気」って、つまり、「想念」のことをいうのです。だから、「病気は、その人の心の持ち方や考え方が、もとで、起きているものなのである」と言うのが、本当の解釈なのだと、わたしは思っています。

また、大切なことは、「病気は、今までのその方の、想念や行動が起こした結果なのです」ですから、これを認め、行動が改まらない限り、「病気は、治らないのです」どんなに素晴らしい医者や治療家に出会い、治してもらったとしても、それは、治ったということにはなりません。

それが証拠に、想念や行動を改めない限り、その方の人生において、何度でも病気は襲ってくるのです。「薬」や「治療」や「手術」で「病気」は治るものではありません。まずは、第一に「病気は、気づきのためのメッセージ」であり、根本である「想念」の「心の持ち方や考え方」のどこに間違いがあったのか?それを知る必要があります。

そして、その人が本当に気づいたのかどうかは、その人の行動が、それを裏付けます。行動に通して、現れたとき、それははじめて本物となり、そこまできてはじめて病気は治るのです。「治る」という字は、「直る」とも書きますが「消る」とも書くそうです。「消る(なおる)」と書かれたとき、はじめて「病気はなおった」といえるそうです。本当に難しいことですが、これが、この世の真実なのだと、わたしは思います。
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