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emoticon-0128-hi.gif 「幸せとは、雨や風を防いでくれる家に住めること」

今日外出先で何気なくみていた海外ドキュメント番組の中で、ある修行僧が小僧さん達にこういう話しをしていました。「幸せってなんだと思う?」「それはな、雨や風を防いでくれる家に住めることなんだよ」

わたしは、この言葉を聞いた時、いや〜ビックリしました。いやホントに驚きましたよ。「この言葉、初めてではないな、どこかで聞いたことがあるぞ」って思ったんです。ちょっと考えてみましたが、すぐにそれが、誰の言葉だったのかを思い出しました。

それは、もう何年も前の話しですが、わたしが師匠から聞かせていただいたお話の中で、師匠がいった言葉と、全く同じだったんです。わたしは、今夜は、その言葉の印象が、あまりにも強烈で、何度も何度も繰り返し、しばらく頭の中を離れませんでした。

確かにかにそうなんです。普段は「これで当たり前」って思っていますから、忘れてしまっていて、これっぽっちも感じていないことなんですが、昔を思い出しました。若かった頃、山登りをやっていたことがあるのですが、どうかすると、日程の都合で、どうしても一泊は山小屋におじゃましなければならないときがあって、そういう時だと、一番よく分かりますかね。

一日中、山道を歩いてきて、暗くて寒くなった頃に、くたくたに疲れて、山小屋をにたどり着いて、ホッとした時のあの安堵感。着替えをすますと、すぐにインスタントラーメンを作って、食べて身体を温めて、サラミをつまみにウイスキーでまた体を温める。やがて空腹が満たされ、アルコールでほろ酔い加減になった頃。後はこれで、シュラフにくるまって寝るだけだなって思ったころ。感じるんですよ。

すごく、幸福に満たされるんですよね。「これで、今夜は助かったな。ここは、風もなく雨にも濡れない。寒くもないし、空腹感もない。もう大丈夫。これで助かったな」って、すごく安堵感で満たされ、信じられないくらい、薄暗くて、質素な山小屋の中で、ものすごく幸福感に満たされることって、あるんですよね。

そういう時なら、本当に僧侶や師匠の言葉って、よく分かるんですね。でも今夜のわたしは、本当に素直な気持ちで、その言葉が、そのままこころの中に響いてきました。その時、「やっぱり、わたしは、感謝が足りなかったんだな」って、つくづく感じることができました。
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emoticon-0128-hi.gif 素人でも見つけられる座骨神経痛の見方
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長年、指圧鍼灸の臨床をやってくると、患者さんに対する身体の見方というものがうまれてきます。治療者というのは、まるで職業病ですね。瞬時に人の身体をみては、症状を見つけ出すことができます。

実は、初診の患者さんは、必ず「予診表」に、氏名や生年月日に始まり、いろんな必要な情報の他に、気になっている症状などを書いてもらっています。ところが、患者さんによっては、書いてくださる患者さんと、そうではない患者さんもいます。また、仮に書いていただいても、お話を伺っても、こちらが、聞きたい情報は、あまり聞き出せないことが多いです。

ところが、身体から発する情報は、すごいもので、あまり口から情報をいただけなかった患者さんでも、視診・触診・問診などを少しやっただけで、治療に必要な最低限度の情報は得られてしまうものなんです。ところでこの患者さんは、首肩の凝り、腕や指などのシビレは訴えていましたが、腰痛や座骨神経痛、大腿神経痛などあること自体、自覚症状がなく、ご自身もさほど気に留められている様子はありませんでした。

ところが、この患者さんは、予診の段階から、両側に大腿神経痛や座骨神経痛、それに三叉神経痛があることが分かりました。今日は、ブログのタイトルどおり、冒頭の写真から「素人でも見つけられる座骨神経痛の見方」を教えさせていただきます。

この患者さんの足部に注目してください。足部の甲の部分が上がっていて、ベッドにぴたっと降りていないことがお分かりでしょうか。普通なら、仰向けでうつぶせの状態になった時には、いくら足首が硬いからといっても、普通は、その足部の足首の甲の部分は、もっと力が抜けて、ぴったりとベッドのシーツにくっついた状態になるはずなんです。

じゃあどうして、この患者さんは、ベッドに足部の甲がつかないのでしょうか。それは、下半身全体に、最低でも腰痛や座骨神経痛があるからなのです。特に、座骨神経は、人間の身体の中で一番長い神経で、お尻から始まり足底まできます。足の70%くらいの筋肉を支配しているのです。だから、当然、この膝から下の筋肉は、(後脛骨筋・ヒラメ筋・腓腹筋など)の筋肉は、神経痛がない限り、このような筋肉の拘縮はみられないので、スネの部分から足首にかけて、このようなアーチ状の隙間はできないはずなんです。

もしご自分も、気になるようでしたら、ベッドか畳の上で、身体をうつ伏せにして寝てみてください。アキレス腱が楽に収縮して、膝から下の足部の甲が、ぴったりと、ベッドや畳にくっつくようであれば、あなたは、座骨神経痛の心配はなさそうです。どうぞご安心ください。
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emoticon-0128-hi.gif 「陰徳と陽徳」徳を積むすべての仲間に

「徳を積む」って、何となく古めかしい言葉になってしまいましたが、「品性や人格を磨く」と同じくらい大切なことばだと考えます。特にこういう「治療の世界」では、欠くことができない、大切な大切なことなのです。

私はこの世界に入って感じることですが、(鍼灸師やマッサージ師、医師や看護師もそうですが、)医療に携わるすべての人にいえることです。「世のため人のためになりたい」そういう動機で医療の世界に入る決意をされた方が非常に多いのです。でも国家試験をめでたく合格したら、そういう決意は消えるのかといえば、そういうことはありません。やればやるほど、それが生きがいとなり、生涯にわたり、「世のため人のために」をつらぬかれる方が、たいへん大勢いらっしゃいます。

つい先日の話しですが、師匠にご指導していただいているときですが、こんな話題がありましたので、みなさんにもご紹介しようと思いました。話題は、いつものことですが、「どうして人は病気になるのか?」ということに始まります。常々、師匠からは、「病気は気づきのためのメッセージ」なんだということはよくいわれています。でもこのようなお話は、その時、師匠の口から、初めてお聞きしました。

師匠曰く、「病ににも5つの段階があって、第1から第2ステージまでは、お金を払えばなんとか、手術なり薬なりで治ります。でもどうしても治らない病気もあるのです」これは、多分、わたしが説明しなくてもみなさんも大方は想像できる病気もあるのではないでしょうか?薬や手術などで治る病気ばかりではありません。むしろ治らない病気、治せない病気の方が多いのではないでしょうか?

また、師匠曰く、「病気は、あくまでも結果なのです。原因は必ず、その病気を引き起こした人の考え方、行いの中に必ずあるはずです。例えるなら、現在の時点で借金があるから、病気が起きているのです。じゃあその借金はどうして返すかですが、お金で治らない病気なら、いくらお金を積んでも仕方がありません。徳を積むことで、あなたの誤った考えを正し、行動を通してこれまでの借金を償わせてもらうのです」

「徳は積む」ということは、簡単にいえば、「世のため人のために何かお役に立てることをする」ということです。でも「徳には、陰徳と陽徳がある」というのです。「陰徳」とは、自分はいいことをやっていても、そのことは誰にも気づかれないし、誰にも知られることはないのですから、誰にも評価されることもありません。しかし、人から、誰からも評価されないと言っても、神様だけがご存知になられる「最高の徳」なのです。

それに対して「陽徳」というのがあります。いいことを行なえば、人からは評価され、そのことで成績や多額のお金が入れば、いくら人助けとなるいい行いだとしても、陽徳なのです。徳であったとして、神様からの評価は、あまり高いとはいえません。私は、今まで「陰徳」に関しては、昔から、師匠に教えられ、私のこころのどこかに意識していましたが、ここに来て「陽徳」という言葉を初めて師匠からお聞きし、何かすごい勇気のようなものをいただいたような気がしました。広い意味でいえば、仕事に関しても、陰徳と陽徳ってあるんじゃないのかなって、わたしは感じたのです。

みなさんの中にもいませんか?いくら仕事とはいえ、報われない仕事っていっぱいありませんか?たとえそれが、世の中のため人のためになるお仕事であっても、世間からの評価も満足なものではなく、それに似合う金銭的な報酬もない。ただ、これが自分に与えられた使命と自覚し黙々と働く。ということが、多分、大多数の方が、そういう認識のもとに一生懸命働いていらっしゃるのではないのでしょうか?でもまた、もう一方では、豊かな名声と評価と報酬を得られる人も大勢いらっしゃることも確かなのです。でもこれも広い意味でいえば、陰徳と陽徳といえるのではないでしょうか。

実は、わたくしは恥ずかしながら、自分の仕事に誇りを持ちながら、一方で不満を感じていました。どうして、自分の仕事は、「困っている人を助けることができなるのに、社会的な評価を得ることができないのだろうか?鍼灸マッサージ師って、どれだけの人が、正しく評価してくださるのだろうか?」そういう不満のような疑問を、いつもこころのどこかで感じ続けていました。

でもこれって、いけないことなんだなあって、師匠のお話を聞いていて初めて気づいたんです。やっぱり、わたしは、「自分では、頭の中で、いろんなことが分かっていると思いながら、実は何にも分かっていなかったんだなあ」って、素直に気づかせてもらったんです。

前にわたしは師匠から、「神様を信じる人ではなくて、神様から信じられる人になりなさい」って何度もいわれたことがあります。もしかしたら、「陰徳」という言葉の中には、そういうニュアンスのひびきがあるのではないのか?最高の治療は、その最高の徳を積んだ人にこそふさわしいものであるような気がします。なぜか、そういう言葉さえ、思い起こさせられるような気がしたのです。

この話しの内容は、師匠がわたくしのためにの何十年と続いているご指導の中から、ほんの少しの内容をかいつまんで話題にさせてもらったものです。だから、ほとんどの方には、ここに書かれた内容が疑問や意味不明なことばかりだと思います。ですから、これは、あくまで、わたしの備忘録として残させてもらうものです。でも、もしかして、「徳を積む」という意味で、これは、もし志しを同じくする仲間の指針となれば幸わいと思い、ご紹介させていただきました。「陰徳と陽徳」その概念だけでもご理解していただけたなら、わたくしの拙い備忘録は、充分に役目を果たせていると信じています。
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