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emoticon-0128-hi.gif 治療者として波動(パワー)を高めていくことの大切さ

わたしは、何年か前に師匠から本を読んだり講演を聴きにいくことを止められていた時期があります。それまでのわたしはどうかといいますと。紀元が21世紀を迎える前は、精神世界の本が隆盛で各地にいろんな方の講演もあって、それらの知識や考え方を頻繁に吸収し、ためになることは何でも取り入れていた時代でもあります。そういう時代だったからこそ,あえて師匠は、わたしに本を読むことや、講演を聴きにいくことを禁じられたのではないかと思うのです。

師匠の理由は、このようでした。「あくまで本に書かれたことや講演は,人の考えです。そうしたものに洗脳されてはいけないのです。特にあなたには、その危険性が高いように思われます。もしあなたが勉強がしたいのであれば、『自然』を見なさい。『自然』があなたの教科書です」補足させてもらうと、どんなに肩書きのある立派な人であっても、やはり人間である以上、間違いは付き物です。それに対して、神が作った自然は、間違いがないというのです。自然をよく観察し、そこからえた知識や知恵は、絶対に正しいものなので、それをあなたの糧としなさい。という教えだったのです。

だから、わたしは、これまで大切に読みあさり集めてきたたくさんの蔵書を捨てました。それから、これまでのように本を買いあさったり講演に聴きに行く習慣もなくなりました。確かに、師匠の言うとおりなのです。やはり、本や講演は、「言霊(ことだま)」というものがあり、そのパワーにどうしても心や魂が揺り動かされてしまいます。だから、無意識のうちに、魂が洗脳されて、「真我(神我)」から、かけ離れてしまうような気がするのです。

でもどうしても捨てきれなかった本もあります。ここに紹介する足立幸子さんの「あるがままに生きる」という本も、もう出版されてから20年以上もたちます。でも、わたしの心に残る一冊ということで手放すことが出来ませんでした。特に波動を高めていくことで、人は自我から、真我(神我)に近づいていくということが、とても共感できるような気がして、捨て去ることが出来なかったのです。基本的には、これは治療の世界でもいえることで、真我に近づいていくことが,治療者としても大切なことなのです。

足立さんの書かれた「あるがままに生きる」という本のなかには、自我をより真我に高め近づけていくには,大切なことが、いくつかあるようです。少し、それをこのように整理してみました。

1、自分の中にあるあらゆるこだわりというものをどんどん取り除いていくこと。

2、ひらめきや直観を信じて、すぐに行動を起こすこと。

3、深い部分の自分が望んでいることをやる。


以上が、足立さんがいわれる波動をあげる3つの条件になるようです。

そういえばわたしも前々から、師匠から同じようなことを言われ続けてきました。「あなたは、頭でっかちで、考えることが好き。だから、一番大切な行動が伴わない。『ああでもない、こうでもない』と考えているうちに、顕在意識にじゃまをされて、神我に近づけないのです」やっぱり、足立さんも同じようなことを言われているような気がします。本当大切なのは「行動する」というこの一点なのです。気づきも大切なことなのですが、人は考えているだけでは何も意味はありません。そのことが,とても分かりやすく書かれているので,この本は、わたしはどうしても手放すことができないものなのです。

最後に、足立さんは、「尊徳と損得」という章でこのようなことを書かれています。わたしの大好きな章のひとつで、その文章を、引用させてもらい,わたしのブログをひとまず閉じることにします。

「とにかくお金は目的ではなく結果で、『徳』という見えないエネルギーで返ってくることもあるということですね。
こんなふうに考えてください。
『得』の方は地球上の銀行の方に貯金しますが、これは肉体が消えた時には持っていけませんね。
ところが『徳』の方は、宇宙銀行に貯金するとお思いになればいいのです。これが肉体がなくなっても、持っていけるのです。
ですからこれからは出来れば、宇宙銀行の方に貯金された方がよろしいのではないかと思います」

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emoticon-0136-giggle.gif 「接して漏らさず」は賢い男女の極意です

先日,ある方の本を読み返していたところ、セックスに関して,このように語っていました。「中国の仙道では昔から『接して漏らさず』という言葉があるのです」「仙道」というのは、仙人という賢人の残した道ということです。ということは、「セックスしても、射精はしてはいけない」ということです。実は、前にもこのようなことは,聞いたことがあって、決して始めてのことではありませんでした。

昔からそうかもしれませんが、女性が,すごく元気で、男性は、とても元気な女性についていけません。夫婦にしてもそうです。たいていは男性の方が、老いてくると元気がなくなり、使い物にならないというのは、ほとんどの男性側の問題です。それに対して、女性は、何歳になっても元気で現役でいられるのはなぜでしょう。それは、やっぱり、男と女では、セックスしたときのスタミナの消耗度が違いすぎます。

その証拠に、女は,何回でもエクスタシーを感じても大丈夫なのですが、男はそんなわけには生きません。2回戦以上に突入するには、それなりの時間と回復を待たなければならないのです。セックスにもエネルギーは大切です。一生のうちに女性も何回排卵するかというのが決められているように、男も一生のうちに,何回,射精できるのかも決まっているのではないでしょうか?「絶倫」は、男も女も夢ではありますが、現実は、そのようには出来ていません。一般的に言って、自ずと限界はあるのです。

じゃあ、先人が残した「接して漏らさず」というのは、どういうことなのでしょうか?もともと「陰陽論」で言えば、女は陰で、男は陽です。宇宙の法則で言えば、陰と陽のエネルギーが、交わり一つになることで、生命(いのち)が生まれ、更にエネルギーが高まるのです。もともと、女性の身体は完璧ですから、宇宙からエネルギーを得ることが出来るのですが、男性は、女性と抱き合うことでエネルギーを吸収することが出来るのだそうです。

でも、その著者が言うことには、男女が交じり合うといっても、必ずしも、行為に及ぶ必要はないといいます。ただ、「抱き合うだけで二人が一つになるんだ」と思って、じっと抱き合っているだけで、エネルギーの交流が行なわれて、エクスタシー以上のものを感じ合える。男女は更に元気になれるというのです。

そういえば、成熟した女性は、セックスそのものよりも、愛情豊かなキスや抱擁の方が、大切だって言います。確かに、セックスは、一人でも出来ますが、キスや抱擁は、絶対に愛し合う男女が存在しなければ出来ません。そんなことに愛の極意があったことにあらためて驚かされました。
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emoticon-0136-giggle.gif 仇分は、千と千尋が神隠しにあった街
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仇分という街

九分の街は、台北からバスで40分くらい、北上したところにあります。わたしたちは、旅行社のオプションツアーで九分の街を散策しました。正確には「九分」ではなくて「仇分」と書くみたいですが、申し訳ありませんが、活字の変換が難しいので,これからは「九分」で表記させてもらいます。

九分は、昔は家が9軒しかなかったそうです。街からはなれたところに生活していたこの九軒の人たちは、何でも協力し合ったそうです。例えば、街に食料などを買い物に行くときも、九軒分の買い物をしてきて、それを九軒で分け合って生活していたそうです。そこから「九分(きゅうふん)」という名前がついたそうです。ウソか本当か知りませんが、わたしたちのツアーガイドをしてくれた陳さんは、そんなふうに教えてくれました。何となく、「やさしくて親切な台湾の人らしい話しだなあ」って思いました。

九分が、今のように街として発展したのは、二つの理由からです。一回目は、昔、街に「砂金」が発見され、「ゴールドラッシュ」で賑わった頃だそうです。そういえば、宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」の湯屋でも、「顔なし」が砂金を出しては、人の目を注目させる。というシーンがよく見かけられました。九分という街はこうして、歴史の一時期に「金の採掘」ということで「ゴールドラッシュ」で賑わった街なのです。

そして二回目は、宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」という映画の世界的大ヒットが、また、こうして観光客を呼び起こすようになったのだそうです。宮崎駿さんは、このノスタルジックな台湾の九分の街をモデルに、「千と千尋の神隠し」という神秘のロマンに満ちた映画を、つくりあげてくれました。そういえば、この九分の街は、千尋が神隠しにあった街にそっくりなところがたくさん残されています。わたしが紹介した写真以外にも,そういうシーンはいっぱいありました。


ツアーで食事に連れて行ってもらった「九戸茶語」
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この阿妹茶樓の坂は何度とっても絵になります
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阿妹茶樓の入り口の看板です
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九分の街は高台にあって,こんなふうに海が見えます
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正直いって、わたしも「千と千尋の神隠し」を映画館で見たのは、もうだいぶ前のことですので、もうその内容もシーンも,少しぼやけかけていました。でもそれが幸わいして,このノスタルジックな「九分の街」を旅行者の一人として,楽しませてもらうことが出来ました。でも、ここはオプションツアーではなくて、大変でも自分たちの自力で来てみたいところでした。そして、出来ることなら1泊ここに泊まって、九份の街の、昼の顔、夜の顔。そんなところも見てみたかったと思いました。
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emoticon-0136-giggle.gif 八倉治療院開院8周年記念「台湾旅行」
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2007年6月1日は八倉治療院の開院記念日です。今年で開院8周年を迎え、9年目に突入しました。開院8周年記念を祝して、「台湾旅行」に行ってきました。開院と台湾は、何も関連はありません。ただ、旅行好きなわたしたちが、記念日にかこつけて遊びに行っただけのことなのですが。

こういうことは世間によくあることなのでしょうか?わたしの誕生日を治療院の開業の日としたのです。これなら、いくら物忘れが激しいわたしでも。絶対に記念日を忘れることはありません。しかし、それも、いつの間にか、わたしの誕生日よりも、治療院の何周年目なのかの方が、わたしには、重要事項になってしまいました。わたしは子を持つ親ではありませんが、多分、「八倉治療院」は、わたしの分身か子供のように大切な存在になっているのだと思います。そういう意味では、間違いなく、「八倉治療院」は、わたしのライフワークであるのです。

この写真、すごく、ノスタルジックな雰囲気が出ていていいでしょう?場所は、台湾の台北市よりもうわずか北にある「九分(きゅうふん)」という街です。わたしは旅行ガイドでこの写真を見た時に心を動かされました。「この場所にいって見たい!」旅に出かける動機は、こうした一枚の絵ということがよくあります。何かすごく魂やこころを揺さぶられる何かが、存在するものです。今回も、わたし達を旅立たせたのは、この写真と同じような「一枚の絵」だったのです。

台湾に行ったことがある方なら、おわかりだと思うのですが、これは、宮崎駿さんの有名な「千と千尋の神隠し」の舞台の参考となった、町並みのひとつです。その中でも特に「阿妹茶樓(あめおちゃ)」の建物は、ノスタルジックな故都の町並みのロマンを感じさせる建物でした。しばし、わたしたちをくぎづけにさせてくれました。どうですか?すごく感じがいいでしょう。こんな感じのいいお店でお茶でも飲んでみたいと思いませんか?

こんな感じで、しばらくは、ブログは旅行特集ということで、わたしの旅行気分を,皆様にも分けてあげて差し上げたいと思っています。どうぞ皆様方も楽しんでくだされば、わたしはしあわせです。
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