<   2015年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧

アンデスの響きケーナの生演奏
e0167411_20325233.jpg


029.gif 鍼は、わたしの身体の一部になった

私の住んでいる島田市にバラの丘公園があります。そこで毎年、7月の中旬から8月いっぱいまでの金土日曜日に、ビアガーデンが開かれています。今年も、仲の良い友達と誘い合って、行ってきました。この日は、特別にイベントが行われていて、「アンデスの響き、ケーナの生演奏」が行なわれていました。

ケーナとは、主に竹や、その他、動物の骨から作られた笛のことです。50から60センチくらいの長さのもので、6個の穴しか空いていなくて、後は、全くの空洞の何もしかけがないとてもシンプルな構造の笛なんですね。でもその笛の音色は素晴らしく、特に「コンドルは飛んでいく」を演奏された時などには、まるで演奏者の魂が、竹の笛を通して、伝わってくるような感動を受けさせてもらえました。

演奏の合間に、演奏者の方が、このケーナについて、説明やご自身のケーナとの出会いやエピソードなど、いろんなお話しをしてくれたのですが、その中ですごく印象深いお話があったので、ぜひみなさんにも聞いていただこうと思ったのです。いろんなお話をされていたのですが、その中で、わたしが、どうしても聞き流すことができなかったお話は、「この竹の笛が、長い間演奏しているうちに、わたしの身体の一部になってしまった」といわれたことなんです。わたしには、その言葉が、すぐにピーンと理解できました。

ケーナという笛をそういう観点から見ていますと、実に不思議な感じがします。確かに、このただの空洞の竹は、演奏者の呼気がなければ、ただの6つの穴があいた空洞の竹に過ぎません。しかし、ただの竹が、演奏者の唇を通して、呼気という身体のエネルギーが、注ぎ込まれることで、そこに響きというあらたな生命(いのち)が、注ぎ込まれるのです。

わたしには、瞬時に、これは、治療の世界と同じだなって思えたのです。わたしも鍼の治療を行なうようになったのは、かれこれ10年の歳月が流れています。そのうちに、鍼がただの道具とは思えなくなっていたのです。そしていつの間にか、わたしの場合も、最近では、「鍼は、わたしの身体の一部になった」ことを自覚しはじめていたのです。

それに、ケーナの演奏は、わたしの行なっている鍼治療と似たところがあります。わたしも指圧や鍼治療でもよく、呼気を使っているのです。人が息を吐く時には、自然の気という目には見えませんが、身体のエネルギーが、高まっていくのです。ケーナの演奏も同じです。演奏者が、竹でできたケーナに呼気を注ぎ込むことで、身体のエネルギーが響きとなって、素晴らしい音色を生み出すのです。そういう理屈が、わたしにはすぐに理解できました。

治療の鍼も同じです。治療者が、鍼をうつ時も呼吸は、呼気です。やはりそこに、治療者自身の気や目に見えぬ金属の自然のエネルギーを患者さんの身体に注ぎ込むことで、患者さんの患部の負のエネルギーが、正のエネルギーに転換できるのです。しかし、それは一朝一夕に出来ることではなくて、「鍼が、治療者の身体の一部になった」ときにはじめて可能となることなのです。

わたしは驚きました。ただ単に生ビールに誘われて、ケーナの演奏を聴きにいっただけだったのですが、それが、実に鍼治療に似ていることに気づかされたのです。この素晴らしいケーナの演奏は、わたしの行なっている鍼治療と、全く同じ原理で成り立っていることに、あらためて驚かされました。
[PR]
e0167411_16275088.jpg

029.gif 痛さを強く感じる人ほど治りやすい

これは、「どういうことかな?」と思われる人が多いことだろうと思う。普通に考えたら、痛みを強く感じるということは、それほど、症状が強いわけで、それだから、治りにくくなるというのが、普通ではないのかな?というふうに考えがちである。

ところが、臨床でわたしが、患者さんの身体から教えてもらったことは、必ずしも常識で考えられることとは違っていることが多い。また、患者さん自身は、自分の身体のことについて、正しく理解できていないということも言える。

例えば、座骨神経痛で見えた患者さんに、問診の時に、「どちらのお尻や足が痛いですか?」と聞いてみる。もしその患者さんが、「右のお尻のここと、左膝とふくらはぎが痛いです」と、はっきりした答えがかえってきたとする。でもその時の、わたしの判断は、本当は、もとの患側は、右側で、右側の状態はかなり、重症で症状が進行しているんだな」という判断をするのである。

これは、どういうことかといえば、治療者も初心者ならいざ知らず、多くの臨床から、患者さんの症状について学ばせてもらう。すると、必ずしも患者さんは、自分自身の症状について的確に答えることができないということがわかってくるからだ。それを承知でないと、治療もとんでもない勘違いをしたまま、行なってしまうことが多い。

「痛みは、優先順位をつける」身体の最もつらい箇所を、痛みとして本人に伝えることも確かである。だから、患者さんの問診から帰ってくる情報は、何ひとつ無駄なものはない。しかし、それとは別に、「痛み」は、感覚神経の働きが、正常であるから、痛みを感じられるのであって、これが、慢性化したり重症かしてくると、もう痛みとしての情報が、薄れてしまうか、自覚できないということが起きてくる。

治療者は、そういうことも、しっかり押さえたうえで患者さんの状態を判断しないと、きちんとした治療ができないことがある。それにしても、わたしは「痛み」というものから不思議なメッセージ性を感じることが多い。症状が痛いところほど、治りがはやい。逆に痛みが感じられにくくなったところは、危険な状態である。

だから、鍼灸治療を行なうものとして、痛みは悪いものだという考え方は、決してしてはいけないと思っている。その逆に、鎮痛剤や神経安定剤や睡眠促進剤のようなものこそ、使い方を間違えると、治療の妨げになることを、みなさんに知ってほしいと思う。
[PR]