<   2016年 01月 ( 2 )   > この月の画像一覧

e0167411_2013059.jpg

029.gif 天国ことば

・愛してます ついている 嬉しい 楽しい
・感謝します 幸せ ありがとう 許します


「天国ことば」って、ご存知ですか?誰が言いはじめたのか、いろんな人がいろんなところで、「見たとか、聞いたことがある」とかおっしゃいます。私ももう亡くなわれてしまいました小林正観さん著書で、「うたしの会」があるというのを知っていました。「うれしい・たのしい・しあわせ」という頭の文字を取って、「うたしの会」なんだそうです。どれをとっても大切な言葉のひとつひとつです。

わたしは、今回師匠のところに勉強に行ってきて、この言葉を学んできました。もしあの世に天国があるとしたら、生前このような言葉を多く発する方こそ、天国に召されるのではないでしょうか?わたしはそう思って、この言葉の力にあやかろうと決心しました。

師匠は、日頃から、わたしによくこのようなことを教えてくださいました。「人間は、『分け御霊(わけみたま)』といって、生前は、魂はひとつだったものが、神様から分けていただいて、この世に生まれてくるのですよ」とおっしゃっています。分けていただく前の状態を「神我(真我)」といいます。わかれた後の一人一人の魂を、「自我」と呼んでいます。

だから、人間ってもしかすると、はじめは、みんな神様の大きな愛でいっぱいに満たされていたんだろうなって思います。でも、それが自我にわかれてしまったとたん、人が信じられなくなってしまったり、一人一人が、自我が強くなってしまい。ついには孤独な存在になってしまったのだということが、わかりました。

病気の人がよく「イライラしたり。すぐカッとなったり。クヨクヨ悩む」のは、もしかしたら、根底に神様のように広くて大きな愛が持てなくなってしまったからなのではないでしょうか?人がよく悩んだり病気の種として、言われるのが「ストレス」です。確かに病気の原因の大半は、ストレスというこころの問題です。

でも、もし、わたしたち人間の一人一人が、神様ように広くて大きな愛を持っていたなら、みんな孤独から解放され、ストレスや悩みが全部なくなってしまうものなのかもしれませんね。首こりも肩こりも腰痛も起こりません。

師匠がわたしに教えてくれました。「人間は、人の過ちや罪を許すことができないんです。でも神様は、その人が真剣に悪いと思い反省すれば、「ごめんなさい。許してください」のひとことで、罪を許されるというのです。そういう広い愛のことを、お釈迦様は「慈悲」といい。キリスト様は、「アガペー」といい。孔子様は「仁」といわれたのです。それは、つまり、その究極は「神様の愛」なのです。

何を隠そう、そういうわたしも、実は、自我がとても強くて、家の問題から、親戚や兄弟が許せませんでした。ですから、師匠から「大きな声で、天国ことばを、みなさんといっしょに読み上げて見なさい」といわれた時に、すごく抵抗があって、「許します」というひとことが、どうしても言えなくて、言葉に詰まってしまいました。

人はみな、自分が好きな人、愛している人には、「愛します」と言えるのに、どうして、嫌いな人、憎しみを持っている人には、「許します」と言えないのでしょうか?そこに神様と人間に大きな隔たりを感じます。もし天国に召される人がいるとすれば、すべての天国ことばをクリアーした方のみが、天国に召されていけるのではないでしょうか。

また、輪廻転生を繰り返し、また、人間として地球学校に生まれ変わってくるのか?最終解脱がなされるのか?やっぱり、その方のこころの問題がそこにあるような気がします。

わたしは、今は何も考えないで、一日に何回もこの「天国ことば」を声を出して唱えています。意味は、あまり深くは考えません。でも、言葉には「言霊(ことだま)」といって、魂があるはずです。ですから、何百回、何千回、何万回と繰り返していくうちに、自然に、言葉の魂が、わたしのこころを生まれ変わらせてくれるものだと気楽に考えて、この「天国ことば」を唱えようと、決心しました。

果たして、わたしの大胆な試みは、この先どのように、発展していくことでしょう。もしかしたら、人を許し、わたし自身が、トラウマを克服し、孤独から解放されるかもしれません。わたしは、師匠と出会い、感化され、師匠と同じように「神様のお手伝い」を自負しています。

できたら、わたしも師匠と同じように天国に召されたいて願っています。でも、それも大切な目標ですが、まず、その前に今このわたしの生きているまわりの世界を、天国に変えてみたいと願う大胆な野心が、わたしのこころの中にはあるのです。師匠は、そうなることを「神人(かみびと)」とおっしゃっていました。
[PR]
e0167411_17341943.jpg

029.gif 当たり前なんてひとつもないと知ったら、すべてが有り難く思えてきた

やっぱり人間は、自分中心の考え方をしているんですね。だから、こうなって当たり前って、勝手に決めつけて考えているんです。でも、当たり前なんてひとつもないということがわかってくると、すべてが、有り難く思えてくるんです。

病気だって、幸せだって、みんな同じなんです。そう有ることが本当は難しいことなんです。そういうことが、よくわかった人は、何に対しても感謝のこころしかありません。

だから、私の師匠は、よく私に口が酸っぱくなるくらい、言われた言葉が、「求めるものは得られず。これが最初の宇宙の法則なんですよ」って。確かに求めるこころが強ければ強いほど、人は欲が生まれてくるんです。その欲が、自分を苦しめる種となるのです。

お釈迦様は、欲を煩悩(ぼんのう)とされました。実は人間が持っている百八つの煩悩が、人間を苦しめていると悟り、人間を幸せにするために「欲を捨てなさい」と諭されたのです。

そういえば、私がこの治療の世界に入って気づいたことがあります。あまり、よく治らない患者さんほど、ご自分の悪いところばかりにフォーカスされる傾向があるようなんです。どんなによくなってきても、それは当たり前だと思っていらっしゃるようで、ちっとも有り難いなあってお気づきになさらないようなんです。

ところがよく治っていく患者さんは、「ありがとうございます」の連発なんです。「首が回るようになりました。ありがとうございます」「膝が痛くなくなりました。ありがとうございます」よくなっていくところばかりフォーカスされていくので、終いには全部治っているのです。

実は、患者さんも治療者も同じなんです。いつのまにか、よくなって当たり前の考えが常識になってしまい、感謝することを忘れてしまっているのです。だから、時々、神様は、気づかせてあげようとして、病気や不幸を、わたしたちにプレゼントしてくれているみたいなんです。

だから、わたしたちは、不幸なときほど、病気なときほど、「ありがとうございましたって、手を合わせて感謝しなければならないんじゃあないか」と思うときがあります。
[PR]