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029.gifあなたの夫は、あなたのお父さんではない
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 もう何年も昔のことです。カナダのヒラリーさんの実家での失敗です。多分初対面の頃の話です。わたしは、義父であるヒラリーさんのお父さんに、何のためらいもなく「ファーザー」と呼んでしまいました。日本では、ガールフレンドの家で、もしご家族のお父さんがいれば、「お父さん」という呼び方で呼ぶことが普通です。そして英語もよく知らないわたしは、そんな調子で「ファーザー(=お父さん)」という単語を選んでいたのかもしれません。ところが、すぐその日、ヒラリーさんを通して、お父さんから「『ファーザー』という呼び方は止めてほしい。出来たら名前で呼んでほしい」というクレームをいただいてしまいました。そうですよね。よく外国映画を見ていても、「ファーザー」なんて言う呼ばれ方をするのは、「やくざのゴッド・ファーザー」か「神父さん」か「牧師さん」しかいません。子供が、「お父さん」と呼ぶときは「ダッド」といいます。ここは遠い外国の地です。子供以外なら、名前で呼び合うのが普通なのです。それ以来、ヒラリーさんのお父さんは、「ハワード」。お母さんは、「バネダッド」ですから、愛称で「バーニー」と呼ばせてもらうようになりました。

 これが日本だと、互いの名前を、ファーストネームで呼ぶことは、極めて少ないような気がします。若いカップルでも、結婚する前は、お互いに名前で呼び合っていたとしても、子供でも出来ると、また急に「パパ」「ママ」になってしまう。この前など、久しぶりにあった友人の女性と話をしていると「うちのジイジイが、どうしたこうした」と言っているので、「あれ待てよ。この人におじいさんがいたっけかな?」と思っていたところ、ようやくそれが、彼女の「おとうさん」のことであることがわかりました。子供のお父さんが、「パパ」だとすると、同居人に自分のお父さんがいるとすると、「ジイジイ」ということになるらしいのです。これって、わたしは、あまり好きではありません。あまりに日本の社会が、子供中心すぎて、なんだかバカバカしくなります。その友人は、自分の生活の中では、当たり前のことだとは思うのですが、なんだか、自分の親に対しても、敬意が感じられないような気がして、聞いていてあまり好ましい感じを受けませんでした。それでは、「お父さん、お母さん」または「パパ、ママ」と呼び合う夫婦ですが、日本ではそれが、スタンダードというか、ほぼ少数をのぞいて当たり前です。

 では、家庭を考えたとき、名前で呼び合うことが多い欧米社会と、「お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん」と役割で呼び合う日本社会とでは、どのような違いが生じてくるのでしょうか?よく、日本が「たて」社会であるのに対して、欧米社会は、「よこ」社会だといわれます。会社などでの上下の人間関係が、家庭でも引き続き上下の人間関係を引き継ぐ形になりかねません。日本も一昔までの封建社会だった頃の人間関係だったなら、それでもうまくいくのかもしれませんが、今の現代社会は、どう転んでも、封建社会とは、いうことは出来ません。本当は、もっともっと欧米社会のように、「個人主義」が徹底していれば、一人一人が、もっと独立した意識をもって生きられたような気がしますが、何となく子供中心の社会が、大人の人間関係にまで影響しあってしまい。役割でしか生きられないような人間関係を構成してしまっているような印象を受けてしまうからです。子供がまだ小さい頃は、親の役割は非常に大切です。でも、子供が大きくなっても、「パパ、ママ」と呼び合うようでは、やっぱりおかしいですよ。あなたの夫は、あなたの父親ではありません。やっぱり名前で呼び合うことが好ましいように思うのですが、その点はいかがでしょうか。やっぱり、夫婦は、名前で呼びあいませんか。
# by yakura89 | 2011-08-10 07:29
合掌から治療が始まる
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治療院の治

 わたしの師匠は、大変きびしい方で、5年前、開業するにあたり、治療院の名前をみていただきました。エネルギー的にみて「八倉治療院」がいいということになったのですが、そのとき、「治療院」の「治」について、このように言われたのです。「治療院の『治』は、治すという文字です。治療院と名乗る以上、看板に偽りがあってはいけません。患者さんが、訴えてこられた症状が、治せないようでは治療院と名乗るべきではありません」と言われるのです。専門学校を卒業して、まだ何も臨床経験がないわたしです。そのわたしに、「治せないようでは、治療院と名乗ってはいけない」とおっしゃるのです。それどころか、またある日はこのように言われるのです。「もし、患者さんが訴えてこられた症状が、治せないようなら、料金はいただいてはいけません」と言われるのです。この言葉に、わたしがどれだけプレッシャーを感じてきたことか、おわかりいただけるでしょうか?

 というのは、わたしにとって師匠というのは、「絶対の存在」なのです。師匠が「こうしなさい」と言われれば、いつも、わたしはなんのためらいもなく、「はい」の二つ返事です。ちょっと古き一昔前の「師匠と弟子」の関係だったのです。でも全く、師匠は、無理難題をわたしに要求しているわけではありませんでした。実は、開業にあたり、大変な力と技を伝授していただいていたのです。多分、一般の方からしてみれば意外なことですが、わたしたちの世界では、「肩こりが治せれば一人前」だと言われています。実際やってみると肩こりというのは、肩甲骨周辺のすべての筋肉のコリをほぐすことで、相当大変な作業であることがわかります。わたしはと言えば、専門学校時代は、全く優秀な生徒ではありませんでしたが、真剣に「治療」ということを考えていましたので、卒業する前に、なんとか、「肩こり」を治すことは出来ました。それに、師匠のおかげで、開業して1年目から、難しいと言われる「頸肩腕症候群」や「「腰痛」「座骨神経痛」「大腿神経痛」の治療が、全くためらいもなく治療出来ていたのです。しかし、「患者さんが、訴えてきた症状が治せないようなら、料金をいただいてはいけません」ということになると、話は別です。こういう無理難題をさらっと言えるのが、わたしの師匠のこわいところです。

矛盾が矛盾でなくなる日がくる

 ところが、案の定、いざ治療院を開業しはじめてから、わたしはさっそくつまずきました。患者さんが要求してくる様々な症状を改善できるだけの力量があるはずはありません。そこで困って、師匠に相談を求めました。「わたしは、今日、腰痛で見えた患者さんを、どうしても治すことが出来ませんでした」すると師匠は、「あなたは、根本的なことを間違えていませんか?、誰が、患者さんの腰痛を治すのですか?あなたはとんでもない勘違いをしています。腰痛を治すのは、患者さん自身なのです。あなたは、患者さんの自然治癒力が働きやすいようにするために、お手伝いをしているだけなのです。勘違いをしてはいけません。あなたが、『治す』なんてとんでもない思い上がりです」と、おっしゃるのです。でもこれって、矛盾しているように思いませんか?わたしは、師匠が、「症状が治せないようでは、治療院ではない」といわれ、「師匠に、一歩でも近づこうとして、一生懸命に、治療してきたのに、これでは、わたしの今までの努力はなんだったのか」と、思えたのです。

 それにしても、確かに「人が人を治す」という言葉には、とても語弊があるように思います。どんな患者さんの症状や病気でも治してしまう師匠でも、「治させていただきました」とは仰っても、「治した」とは、めったに聞かない言葉でした。ところがこれをからだで理解するためには、わたしは相当の時間と、莫大な犠牲を払うことになったのです。一昨年の夏、わたしは努力のかいあって、患者数は、日増しに伸び、毎月記録を更新していました。ところが、自分自身が、疲労に倒れてしまったのです。わたし自身、「患者さんの症状を治す」という意識で、相当無理をしました。以前から師匠に言われていましたように、「人のからだは、神そのものです。あなたが患者さんのからだを治しているのではなく、からだが、あなたに治させているのです」こんな、アドバイスを受けたこともあります。しかし、「治す」と「治させていただきます」という言葉には、すごい意識の差があるのです。

 そういえば師匠に、治療で一番最初に教えていただいたのは、必ず治療をさせていただく前に、患者さんのおからだに対して合掌することでした。「今から勉強させていただきます」という気持ちを込めて、まずは、手を合わせること。これが師匠の、最も大切な教えだったのです。相手は神です。もし患者さんのからだに対して、敬意がないとすれば、たちどころに、治療者自身にも災いが降り掛かってくるのです。医療に携わるものすべての人に該当することですが、よく「悪いものをもらってしまう」というのは、医療者の意識に、問題があるのです。わたしの場合もやはり、見抜かれていたのです。合掌をしても、形ばかりの合掌であることが、心のこもっていない合掌こそ、これほど醜いものはありません。

 それがわかってから、わたしのこころの中で、「治療院の治」と合掌から始まる「勉強させていただきます」「ご病気を治させていただきます」という言葉には、何も矛盾がなくなりました。
029.gif地球の軸がゆがんでいるから地震が起きる
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 わたしは、患者さんのからだを治療する前に、必ずからだの軸を見させてもらっています。具体的にどうするかといいますと、ベッドに仰向けになってもらい。からだの力を抜いてもらい、両方の足首をつかんで引っ張ります。そして、内くるぶしに指をあて、両方の足の長さの違いを見ます。そのどちらかが、違うとどちらかの骨盤が上がっていて、必ず、脊柱(背骨)か骨盤にゆがみがあるという証拠です。足の長さが、1センチでも違うと、からだの重心は、どちらか一方にズレてしまいます。そうすると一生懸命に、首か腰でそれを修正しようとするので、首や腰の筋肉が疲れてしまい、首こり、肩こり、腰痛が起こります。

 この事実は、「整体」などを行う人もよく知っていて、「あなたの肩こりや腰痛は、あなたの背骨や骨盤が歪んでいるからですよ」といって、背骨や体中の関節をボキボキとやっていくわけです。でもよく考えてみると、どうして背骨や骨盤のゆがみが生じるのでしょうか?はじめから、頸椎(首の骨)や腰椎(腰の骨)は、曲がったりゆがだりしているものなんでしょうか?そんなことあるはずはありません。首なら、それを支える筋肉、例えば、胸鎖乳突筋とか斜角筋が左右についていますが、どちらか一方の収縮が強くて左右のバランスがとれなくなった状態です。腰痛も同じで、腰椎を支えている筋肉で重要な、大腰筋が左右についていて、やはり、どちらか一方が、収縮が激しいために左右のバランスがくずれて腰痛が引き起こされるのです。ですから、問題は、脊柱(背骨)や骨盤自体に問題があるのではなく、やはりそれを支えている神経や筋肉に問題があるのです。だから、いくら、背骨や骨盤に歪みがあるとしても、絶対に、人間にとって大切な関節をボキボキならせるような治療は行ってはいけません。それははっきり言って「医療過誤」につながる危険があるからです。

 ではいったい、どうして、左右のバランスを崩すほど、筋肉は、コリを生じるのでしょうか。それは大変に難しい問題です。わたしはこれまで、患者さんのからだを診させてもらってきてわかったことがあります。それは、からだの痛みやコリ、筋肉の拘縮は、どうも筋肉疲労から起こるというよりも、こころの問題やストレスから引き起こされることが多いようなんです。さらにいうなら、からだをコントロールしているもう一人のあなたがいて、もしあなたが、間違った考えをしていたり、間違った生き方をしていると、からだの痛みを引き起こして「NO」と、言っているみたいなのです。簡単に言えば、これが、からだの痛みやコリを引き起こしてしまっているらしいのです。それが、高じてくると、背骨や骨盤のゆがみとなるのです。それを、わたしは、「からだの軸がずれる」と言っています。ところが、こうなると、もうそれを治そうとする「自然治癒力」が働きません。だから、人間のからだには、治療が必要になってくるのです。

 さあ、いよいよ本日の本題に入ります。では、地球に災害をもたらす「地震」はどうして引き起こされるのでしょうか?急にテーマが大きくなってしまったような気がしますが、実はそんなに変わっていません。なぜなら、地球や太陽や月など「宇宙」をつくった方も、「人間のからだ」をつくった方も、実は同じ方がつくられているからです。ところが少しだけ違うことがあります。それは、地球自体が、間違った生き方をしているわけではないのですが、そこに住んでいる人間が、間違った考え方や行いをしていると、地球の軸が狂ってしまうのです。ちょうど人間のからだの軸がゆがんでしまうのと同じ理屈なのです。ところが地球という自然は、「自浄能力」がありますから、その地軸のゆがみを修復修正しようとしています。だから、「地震」というものが発生するのです。

 だから、地球上に地震が起こるということは、そこに住んでいる人間の考え方、生き方にどこか問題があると言えます。もし日本に地震がある時には、そこに住んでいる「日本人」が考え方や生き方に大きな間違いが生じているからなのです。そのせいでしょうか、わたしは、よく近くに出来たばかりの温泉に行くのですが、湯船につかっていると、べつに聞きたいというわけではないのですが、自然にお話が耳に入ってきます。そうすると、お年寄りの方も、お若い方も、「文句」ばかり言っているのです。やれ「湯船が小さい」とか、「お湯がぬるい」とか、「従業員が、怠けている」とか、てんでに好き勝手なことばかり言っているのです。つまり、温泉に対して、「感謝」のこころが、ほとんどと言っていいくらいないようなのです。それを聞いていると「ああ、日本人のこころも変わってしまったんだな」と思わずにいられません。それはそれで、感じ方も考え方も、人それぞれですからしょうがないのですが、問題は、人間は「感謝のこころ」がなくなると、必ず「ストレスフル」になるものなのです。そうすると、自分でストレスをいっぱいつくり出しているようなものですから、必ず、からだは、「NO」のサインとしてからだに痛みやコリを生じさせるのです。

 だから、八倉治療院には患者さんがいっぱいきてくれるようになるのです。ところが、八倉治療院では、人間のからだの軸は治すことが出来ますが。地球の軸までは治せません。そこに住んでいる人間のからだの軸がずれると、今度は地球の軸がゆがんでずれるようになります。それを修正しようとして起こされるのが「地震」ですから、それを防ぐためには、やはりそこに住んでいる人間のこころが「正常」になるしかないのです。どうですか「地球の軸がゆがんでいるから地震が起きる」というお話がわかっていただけたでしょうか。
セミ魂でいきましょうか
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 これはなんだかわかりますか。セミの抜け殻です。夏になるとこのような抜け殻が、庭の木によくくっついているのを見ます。ところで、セミの一生について知っていますか?セミは、どうも7年間ぐらい土の中で生活するらしいのです。卵から孵化してこの抜け殻のような幼虫になり、そして7年間、暗い土の中で7年の歳月を過ごしているらしいのです。そして、セミの寿命は、わずか7日間というではないですか。わたしは子供の頃、この話をはじめて、母から知らされました。そうしたら、セミが何とも哀れで、それ以来、大好きだった昆虫採集から、セミをはずすことにしました。

 セミの一生を、「哀れ」と見るか、「すごい」と見るか。その人の見方次第ですが、やっぱり、セミってすごいですよね。たった7日間のために、7年間、じっと土の中で、その日がくるのを待っているんですよ。そして生まれてきたら、すごいじゃないですか。今日もセミたちは、私の家の庭で、ものすごい勢いで鳴いているんです。「セミ時雨(しぐれ)」っていいますけど、本当にあの鳴き方は、半端じゃない。「7日間を精一杯き抜くぞ」って感じが、ひしひしと伝わってくるんですね。セミは、「鳴く」っていいますが、あれは鳴いているんですかね。わたしには、精一杯、7日間の命を「謳歌」しているように感じられて仕方がありません。セミはセミなりに、精一杯、人生を楽しんでいるんですね。これが、「セミ魂」ですよ。そう思うと、セミよりももっと長い寿命をいただきながら、十分に人生を謳歌できない中途半端な自分の生き方のほうが、何か哀れに思えてくるのです。

 話は変わりますが、わたしは昨日の地震で大変ショックを受けました。わたしは、自分を勝手に「神様のお手伝い」だと思っていますから、神様から、いろんなメッセージをいただきます。ところが昨日の地震は、どう考えても、あまり、いいメッセージとはいえません。わたしはおかげで昨日は、大変なショックを受け、落ち込んでいました。でもまた、今朝、セミさんたちの存在を考えてみると、やっぱり、「落ち込んでいてはいけないな」って思えるようになったんです。もしかしたら、東海地震は、もうすぐ起こるかもしれない。もしかしたら、多くの人間がそのことで、大切な命を奪われるかもしれない。そして、もしかしたら自分もその中の一人になるかもしれない。しかし、セミさんのように、たった7日間の命を精一杯に楽しもうとして生きている生命もいることを考えたら、やっぱりこうして、今を生かさせていただいているということは、大変ありがたいことではないかと思うのです。わたしたちも、悩んでもどうしようもない「不安」なんかにおびえていないで、これからは「セミ魂」でいきませんか?
# by yakura89 | 2011-08-03 07:36 | 島田市
よみがえってしまった東海地震への恐怖_e0167411_20165670.jpg

よみがえってしまった東海地震への恐怖

 昨夜の地震は、本当にすごかったですね。島田市では震度4でした。時間も、ちょうど深い眠りについた頃、眠りから引き戻されるような感じで、最悪の目覚めとなりました。結果的には、どこもそんなにたいした被害もなく、ことなきを得た感じではあるのですが、やはり、やがてくるだろう東海地震の恐怖がよみがえり、多くの人を不安な気持ちにさせたのではないでしょうか。

 昨日は、揺れが収まってから、身支度をして、近くの小学校に避難してみました。近所の方は、誰も避難する様子はありませんでしたが、小学校には、校舎も体育館も電気がついており、万一に備えて、市役所の職員の方が、避難救助の準備を始めていました。どうも大丈夫そうだったので、すぐにわが家に戻りましたが、その後は、興奮してしまい、すぐには眠れませんでした。テレビでは、東名高速道路の一時的な交通規制の様子や、緊急体制をとる県庁庁舎内の様子を映し出していました。つい、もしかして東海地震がきた時には、こういった感じで被害状況などの報道が全国や海外にも報道されるのだろうかと、来たる東海地震が想像されるような気がしました。それに、今まで漠然としていた恐怖が、現実味を帯びてしまい、ますます不安な気持ちになってしまいました。

 ところで、もし大地震がこのように人が寝静まった夜中などに起こったとしたら、本当に安全に避難できるでしょうか。昨日、一応は身支度を整え貴重品をかき集め、避難はしましたが、けっこう時間がかかってしまいました。もし揺れが続いていたら、きちんと冷静に安全な避難行動がとれていたか、本当に疑問です。もしかという時に困らないように、普段からもっともっと、現実的な準備をしていかなければと思いました。今日は、午後から、地震の準備に何が必要なのかを考えてみました。明日からは、具体的に準備をはじめていくつもりです。
# by yakura89 | 2011-08-02 20:47 | 島田市