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☆私は花が好きでよく写真に撮っているが、野に咲くこのような花が、とても可憐で美しく感じる。
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029.gif人間だけが自然の法則に反している

 昔から気になっていたことだが、体の不調や故障をを運動不足からだと思い込み、運動やスポーツで治そうと思っている人が多い。はたしてそれは正しいのか?考えてみる必要がある。ついこの間も、わたしが通っている体操の教室に、高年齢の女性が、体の不調があるのにやってきた。「わたし、今日は足が痛いんですけど。がんばります」というのだ。わたしが通っている体操の教室は、確かに体の負担が少なく。ある程度体に疾患や症状を抱えている人でも行うことができる。だから、高齢者も多く、年齢層もどちらかというと高めである。でもこの方は、明らかに膝に疾患を抱えている。同じ教室のよしみで、体を診させてもらったこともあるが、腰痛が顕著で症状的には、座骨神経痛や大腿神経痛がみられた。特に大腿神経痛がひどく、それが原因で膝痛を引きおこしていることは明らかであった。

 わたしの目から見ると、明らかにこの女性は、その日、教室を休んで、家で安静にしていることが望ましいと思われた。指導している先生たちも、「あまり無理をしないでください」とは、いっていたがさすがに、「今日は、お休みにしてください」とは、いえないようだ。しかし、この「痛さ」は、「休養をとりなさい」という「体からのメッセージである」痛みの症状がある時には、体は、どのような状態になっているかというと、首や腰などの主要部位が、筋肉は、収縮して固まったような状態になっている。これを「拘縮(こうしゅく)」といっているが、すべて、運動やスポーツは、筋肉を収縮させることである。「ストレッチ」は違うといわれる方もあるかもしれないが、「伸ばしている筋肉」がある時は、「拮抗筋」といって、その反対の筋肉は「収縮」されていなければならないのである。だから、「痛み」を感じている時は、スポーツは、痛みをさらに誘発し、筋肉にダメージを与えることはあっても、それでよくなることはない。「治療」と「休養」が必要なのである。

 ではなぜ、このような間違えが世の中には充満しているのだろう。わたしのところへ来てくれている患者さんには、「医師」もいるのだが、腰痛が治る前から「先生、何か、いい運動がありましたら紹介してください?」といわれたことがある。わたしは、慌てて「いずれ紹介させてもらいますが、今は、運動という運動は控えてください。少なくても、わたしが『いい』というまでは、運動はやらないでください」と、お願いした。実は、体の専門家である「お医者さん」でさえ、このような思い違いをされている方が多い。ましてや、「素人」である多くの方は、大半が、「スポーツ運動信仰」に取り付かれ、取り返しのつかない「過ち」をおかされることが多いのではないだろうか。実に不安な状況である。

 一方、自然界の動物はどうだろうか。動物も生きている限りは、ケガもすれば、病気もする。たぶん「痛み」を感じることもあるだろう。こういう時は、どうするのだろう?家で飼われているワンちゃんや猫ちゃんなら、獣医さんにみてもらうのかもしれないが、自然界に生きる野生の動物は、どのようにしているのだろうか。とても興味があるところだ。医者も薬もないかれらは、そのような時には、ひたすら自分のすみかから一歩も動かないで、じっと「休養」に専念しているのである。つまり、自然治癒力をが最大限に引き出されるのには、じっとひとつの場所にとどまり、動かないことが、一番いいということを知っているのである。一律に自然界の動物がそのように休養をとることを実行している。それが「自然界の法則」であるからだ。誰に教わったのか、知らないけれど、生まれたときから、「自然の法則」に従い、最善の方法をとっているのである。人間だけが、なぜか、愚かにも自然の法則に逆い、結果、取り返しのつかない過ちを犯している。それは、いったいなぜなのだろうか?とても疑問に思うことがある。
029.gifパクに教えてもらった散歩の楽しみ
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 わたしたちは、かつてパクという名前のゴールデン・レトリバーを飼っていました。この娘は、散歩が大好きで、14年間、毎日3回、1日も欠かさず、散歩をしました。特に朝の散歩が大好きで、近くの河川敷にある緑地公園を一周散歩が日課でした。ただ歩くだけではなく、ボール遊びをしたり、夏は、川で泳いだり、いろんなにおいを嗅いでは、自由に朝の散歩を楽しんでいました。歩くだけなら、多分20分もあれば十分なコースでも、たっぷり、遊んで自然を楽しんだり、ゆっくり休憩をして、自由な時間を満喫していました。わたしたちのスローライフが始まったのも、この頃だったような気がします。そう、ただ歩くのではなく、楽しむ散歩。パクは、わたしたちのスローライフの手本であり、先生でした。だから、今日も散歩中に、素晴らしいものを見せてもらえたのです。

 これらの写真は、今朝の散歩で撮ってきた撮れたての写真です。はじめ紫の花がきれいに咲いていたので、例によってわたしは、花に引き寄せられるようにしてようにして写しました。そうしたらどうでしょう。今度は同じ木にオニヤンマでしょうか。トンボがサナギから成虫に脱皮したあとを見ることができました。あまりの美しさに目を奪われ、わたしたちは、何枚も何枚も同じところで成虫の様子を写真に撮り続けました。写真に写っているかどうかわかりませんが、透き通った羽の美しさと言ったら例えようがありません。朝日があったって輝いて見えるのです。そして、しばらく観察していると、前の2枚の羽だけ、ぴくぴくと小刻みに揺らしているのです。多分これは、飛ぶための準備運動なのかもしれません。透き通ったきれいな羽が、揺れるその様子は、この世のものとは思えない美しさです。そして、トンボさんに別れを告げて、20メートルもいかないところで、今度は、きれいな蝶に出会いました。この蝶は、これまたきれいな花根を、わたしたちに何度も何度も見せてくれていたのですが、わたしが、興奮してしまい。手ぶれを起こして、ベストショットを逃してしまいました。最後は、「もういい加減にしなさい」と、いわんばかりに、田んぼの方に飛んでいってしまいきれいに羽を開いた状態を撮ることができませんでした。でもわたしには、十分満足のいく宝物のような写真です。どうですか?これらの写真から、どのくらいわたしたちが、毎日の散歩や人生を楽しんでいるか、わかっていただけるでしょうか。
# by yakura89 | 2011-07-11 09:51 | 島田市
037.gif犬猫2原色、鳥は4原色の世界

☆朝日新聞・2011年7月9日 be in saturdayより
「気づきと感謝」動物に見える色の訂正_e0167411_8231067.jpg

 昨日ヒラリーさんが、朝日新聞の記事から貴重な記事を持ってきてくれました。わたしがいる部屋に入ってくるなり、「ヒデさん、違うよ。ワンちゃんは、赤と青が見えるんだって」といってきました。

 話が遅れましたが、一昨日わたしは、「気づきと感謝」という記事で、動物と人間の視覚の違いについて書かせてもらいました。その中で、「人間以外の動物は、色盲で色が識別できない」と、書いてしまいましたが、事実は、少し違っていました。実際には、犬猫は、錐体は赤と青の2種類あって、光の3原色がそろっていないため、大体の色はわかっても、人間のようには細かく色を識別することはできないそうです。その点が、事実とは違っていましたので、お詫びと訂正をしたいと思います。

 なんで、ヒラリーさんは、わたしのブログに誤りがあることを見つけたのか。と言いますと、かつて、わたしたちが飼っていた愛犬が、ボール遊びが大好きでした。特に好みがはっきりした子で、「赤い色のボール」が大好きで、いつも赤いボールを選ぶんです。そういわれれば、確かに赤い色を識別できていたように思います。だから、わたしがブログに書いた、「犬猫などの人間以外の動物(ほ乳類)の花の見え方に疑問を感じた」と言っていました。それにしても、わたしが、たまたま、ブログに人間と動物の見え方の違いについて書いたのですが、その翌日に、たまたま、コンビニで買った朝日新聞に、わたしのブロブに関連し正しく訂正してくれる記事が載っていたというのは、とても面白い偶然でした。だからわたしは、これを「偶然」といわないで、「必然」と考えるようにしているのです。
058.gif八日、東海地方梅雨が明ける
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☆こうして、すだれで直射日光を防ぐだけでも、暑さがやわらぐ。
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 昨日、八日に東海地方の梅雨が明けました。梅雨明けは平年に比べ13日早く、過去5番目に早い梅雨明けだそうです。わたしは何となく雨が苦手で、梅雨のシーズンを迎えるとユウツになってしまうほどです。だから、この「梅雨明け」という言葉を、いつも楽しみに待ち望んでいます。

 しかし昨日の静岡の最高気温は、33、7度。いきなり、もう真夏日です。今年の夏はどうでしょうか。やはり温暖化が相当すすんでいますから、去年のように猛暑の夏になりそうな気がします。新聞でもテレビでも、エアコンの設定温度は28度にしましょう。電力を押さえるために節電しましょうと呼びかけています。静岡は、中部電力、浜岡原子力発電所が停止となりました。電力を節電するのは、わたしたちが実行しなければならない責任のような感じがします。でもわたしは、今の状況が嫌いではありません。みんなでこころをひとつに合わせ、協力し合って節電に取り組む。環境のことを真剣に考えはじめている今の風潮は、とても健全のような気がするからです。というより今までが、あまりにも異常だったのかもしれません。

 八倉治療院も夏の暑さ対策にむけて、いろいろ工夫を始めました。特に、すだれ・団扇・扇風機・風鈴なんだか、一昔前まで使われていた懐かしいものがよみがえってきているようです。こんなに物質文明が進んで、どんどん物が移り変わってきたのに、一方でまた、こうした懐かしい物が見直されている。何かとても不思議な気がします。わたしは、子供の頃、夏に「たらい」にお湯をはって「行水(ぎょうずい)」したり、縁側で外気に当たって涼んだ思い出があります。だから、団扇とか蚊取り線香とか、風鈴という言葉を聞いただけで、懐かしい昔の思い出が蘇ってきます。今日は、これから、治療室にかける「風鈴」を探しにいこうと思っています。
# by yakura89 | 2011-07-09 09:30 | 島田市
029.gif「気づきと感謝」

「気づきと感謝」_e0167411_11431537.jpg

☆人間以外の動物は、このように花を見ている。
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 わたしは師匠とお話しさせていただいていると、いつも驚かされることばかりです。先日師匠にお会いした時、何気ない会話の中で、こんなことをおっしゃるんです。

師匠 「あなたは、この花を見てどう思いますか?」

わたし「はい、黄色が鮮やかで、とてもきれいだと思います」

師匠 「そうですね。ところで、ここにいる猫ちゃんやワンちゃんは、この花がどのように見えているか知っていますか?」

わたし「はい、犬や猫は、多分、色盲だと思いますので、白黒テレビのような感じで見えているのだと思います」

 平成生まれの日本人なら、テレビといえば「カラーテレビ」が常識である。そもそも「カラーテレビ」という言葉自体が、不自然であるかもしれない。しかし、「カラーテレビ」というのは、「白黒テレビ」というものがあったから、生まれた言葉だからだ。わたしは、大学時代も、貧乏学生だったので、バイトして買ったテレビも「白黒テレビ」だった。だから、急に犬や猫の動物と人間の世界は違うのだということが、自分自身の体験から比較して理解することができた。もしかして、この花々の色彩を完全な形で捉えられるのは、人間だけかもしれない。

師匠 「ではこの花は、誰のために、何のために色を楽しませてくれているのですか?」

 師匠のお言葉は、いつも、たたみかけるように、襲ってくる。そういわれれば、いくら鈍いわたしでも、師匠のいわんとしていることが理解できた。普段は、当たり前だと思って気づかないところにも「神の意志」が働いていた。「なぜか?」といわれれば、やはり、「わたしたち、人間に特別に、よろこんでもらおう」という「神のご慈悲」であろう。気づこうとすれば、するほど、世界は神のご慈悲に満ちている。

 ただ、わたしたちは、そういうことにも普段、気づかずに生活している。そういえば、ペットにしてもそうだ。人間の子供や孫よりも、自分が飼っているペットに愛情を感じる人は多い。例えあなたが、どんなにやさしくない人間であれ、愛情さえ注ぎ込めば、決してあなたを裏切ることはない。いつもそばにいてあなたを癒してくれる。それが、ワンちゃんや猫ちゃんたちの生まれてきた役割だからだ。どうして、犬や猫たちが生まれてきたのか?それはあなたを癒すためである。これほどはっきりした事実はないのに、それさえ気づかず、幸福に感謝できない人間も多い。

師匠 「神様が、人間に求めていることは、『感謝できるこころ』なのです。頭がいいとか、才能があるとか、そんなことはどうでもいいのです。むしろそういう人間が、名誉や私利私欲に走り、よってたかって、世の中をだめにしてしまっているのです。科学は、どれだけ人間を幸福に導いているといえるのですか。人間は、名誉や欲望のために、かけがえのないのない地球や地上の生物の生命(いのち)を犠牲にし、今まさに地球や人類は、滅びるかどうかの瀬戸際まできているのです。今、わたしたちに大切なのは『気づきと感謝』なのです」

 わたしは、こんなに大切なことが、いつもさらりといえる師匠に感激し、15年以上もご指導を受けてまいりました。師匠は、「感謝」こそ人間の幸福を導く最大の「キーポイント」だといいます。自然が放射能や産業廃棄物の毒などに汚染され、いま求められている、「最高の浄化法は『感謝』だ」ともいわれます。頭の中では、それがどうしてなのか。自分なりにはわかっているつもりですが、なかなか気づきと実行ができないわたしです。