タグ:自然治癒力 ( 59 ) タグの人気記事

 私が前に書いた花粉症①②③を読んでいただければ、「ステロイド剤」のおそろしさが、少しはわかってもらえるのではないかと思う。私がステロイド剤を服用しはじめたのは、子供の頃からだ。たぶんこの薬とは30年以上の長い付き合いだと思う。副作用を自覚しはじめたのは、40代になってからのこと。花粉症による諸症状を軽くするために行った鼻の手術が、「アレルギ性気管支ぜんそく」を引き起こす結果となり、かえってひどい状況におい込まれてしまった。「ステロイド剤」は更に増える一方で、後に残されてしまったのは、「ステロイド剤」による副作用。この「ステロイド剤」から脱するためにどれほど苦労したことか、少し書きとめておくことにする。師匠は、よく言われることだが「ステロイドは悪魔の薬。もし服用しているなら、少しでも早く断ち切りことだ」。しかし、わかっていながら簡単には断ち切れないところに、この薬のも持つ「摩性」がある。

 今更言うまでもないことだが、人間は、本当に「痛み」や「苦痛」に弱い。花粉の飛び交うこの季節ともなれば、「鼻が詰まって息も思うようにできない。苦しくて夜も眠れない。目も痒くて痛くて開けていられない」そんな日が何日も続くなら「苦痛」から解放してくれるものがあれば、誰でもすぐに助けを求めるだろう。多少のリスクがあると知らされたとしても、誰もが選びうる道ではないだろうか。それが、「ステロイド」のこわさなのだ。しかし、そのことで生命と同じくらい大切な「自然治癒力」が奪われる。「自然治癒力」が奪われることでさらにステロイドの本当の怖さを知ることになった。薬が効かない。ぜんそくの発作に何度も夜間外来に担ぎ込まれる。関節が突然細菌に感染し高熱にうなされる。胃や腸に潰瘍ができて「激痛」を起こす。あげくの果てには、闘病により身体も心も疲れ果てボロボロな状態。虚脱感、無気力なうつ状態に落ちてドクターストップ。長期にわたる休職。「このままでは、自分の人生は終わってしまう」そういう状態を自覚し感じるようになれば、道は二つにひとつ。人間はどちらかに腹を決めるしかない。私の場合も、そこから「脱ステロイド」が始まった。

 長い前置きとなってしまったが、もし私と同じようなステロイドの副作用から「脱ステロイド剤」を本気でお考えの方がいれば、私は「転地療養」をお勧めする。私が、この「転地療養」にいたる過程を述べると、きっかけはなんと、鼻の手術を2回にわたってやってくれた「耳鼻咽喉科のアレルギーの専門医」その医師にステロイドの副作用を話した。そして、ステロイド薬をつかわないですむ方法を訪ねたところ出てきた答えが、この「転地療養」だったのである。「もし薬をつかわないでアレルギー症状を回避するとしたら、スギ花粉のないところに行くしかないですね。日本にスギの木がないところを探してみましょう」といって探してくれたところが、「北海道と沖縄であった」。もし私に「海水で泳げるところ」という選択肢がなければ、たぶん候補地は、沖縄に絞られていたことだろう。ところが、この「海水で泳げるところ」というのは、私にとってものすごく大切な重要条件のひとつであったのだ。そういう面では、沖縄も条件から外れた。いくら南国の温暖な地とはいえ日本の2月3月は、まだ寒い。とても海水に浸かることさえ厳しい。そこで候補に挙がったのは、常夏の島「ハワイ」だった。もちろんスギ花粉も心配なかった。そして何よりもありがたいことに、意外にも実際に調べてみると滞在費が沖縄より安いことも大きな魅力があった。私がハワイに着いたのは、スギ花粉も飛散量もピークを過ぎていた。本当につらかった。実際のところ飲み薬のステロイド「セレスタミン」は意地でも避けた。しかし、耳鼻科で出してもらった飲み薬や点眼薬は、たぶん抗ヒスタミンか抗アレルギー剤を使用していた。しかし、ステロイドを長年使用してきた者には、効くはずもなく目は赤くただれや鼻も赤く腫れ上がり、鏡に映る顔は、もう自分の顔とは思えない程であった。私は、おもしろ半分によく雑誌やテレビで見るように「ビフォアー」「アフター」の写真を撮ったが、本当に自分でも哀れで絶対に人には見せたくない写真のひとつになった。

 正直なところ、本当には信じられなかった。ぜんそくの発作もついこの間まで続いていた。昼間も咳は止まらずに続いていた。夜もろくに寝ているわけではなく、慢性の睡眠不足。体力も限界がすぐそこまで来ている。そんな時、本当に、私はこのハワイの海で泳げるのか?まるで自信もなく。ただ、もう気持は、「ハワイで死ぬことができたなら、それもまた私の人生。本望だ!」と、割り切らざるをえなかった。着いたその日は、既に日没を迎え、次の日からワイキキの浜辺で泳いだ。目がしみるのも無視して夢中になって泳いだ。ビーチで一休みするとまた泳ぐ。といった具合に、本当に終日、我を忘れて泳いだ。そんな日が3日間続いた頃には、私の身体は、もうすっかり生まれ変わっていたのである。まるで信じられない話だが、たったの3日間で、咳は相変わらず続いていたが、あれ程ただれていた眼もあんなに赤く腫上がっていた鼻も、まるで何事もなかったように修復しているではないか!もちろん、鼻のつまりもないし、朝になると瞼が閉じたまま開かなかった眼が、涙ひとつでることなく治まっているではないか。本当に驚いた。「これはまさに奇跡だ!」心の中で大きく叫びたい衝動にかられたことを、まるで昨日のことのように覚えている。

 「海水」の効能については、もちろん師匠から聞いていた。海水に「浄化作用」があることは、おそらく日本人なら誰でも知っていることだろう。相撲の土俵も塩で清められている。ちょっと気の利いたお店なら、玄関に上がる両脇に「盛り塩」が置かれお清めになっている。お葬式や法事の引き出物にもお清めということで「塩」が付いている。そういう私も師匠のアドバイスから、治療室の四隅、車の中に海水をペットボトルに詰め常備している。以前、花粉症①に涙や鼻水などの生理現象を単なる抗原である「スギ花粉」を洗い流す目的だけではない。「解毒作用」がそこにも働いている。という師匠の教えを紹介したことがある。ただ、出てくるものが毒である以上、「浄化」してあげなければならない。それは、薬をつかわない。天然の浄化作用をつかう。私の「海水で泳ぐ」というのはまさにそういう意味が込められていたのである。私はまた数年後、再度必要からこのハワイに「転地療養」に訪れることになるが、状況は全く同じ、悲惨なアレルギー症状が、ハワイに着いて3日間の海水で泳ぐことにより、痛んだ身体を修復し、元気を取り戻すことができた。1週間もこのような生活を続けることができれば、間違いなく健康な身体を取り戻せることができることを確信した。

 「転地療養」は失われた健康を一時的でも取り戻すということだけでも意味のあることだ。ましてや、ステロイド剤の副作用に苦しむような状況では、離れることを最良の方法とする時もありえる。ただ、いつもこういう方法がとれるとは限らない。だから、家庭にポリタンクのようなものを用意して、夏の間に、「海水」を近くの海から、なるべくきれいな海水を常備しておく必要があるかもしれない。私が、一昨年くらいからはじめたのは、前にも紹介した「海水で眼を洗う」これをスギ花粉の季節には、何回も何回も実行している。この方法で、あのおそろしい「ステロイド剤」の点眼薬をつかわない大変に有力な対応策のひとつにしているのである。嘘だと思えば、実行されたらいいと思う。私は確実に一昨年も昨年もこの「海水」で花粉症を克服したし、今年もこれで乗り切ることを考えている。あれと思われた方もいるかもしれないが、今年つかっている「海水」は3年前に海から汲んできたものである。「エー」と驚きの方もいるかもしれないが、ホントの話。私が使用しているのは3年前からの海水である。水は、とどめておけば腐る。どんなものでも腐敗が始まる。ところが、どうして「海水」は腐らないのか?不思議に思い師匠にそのことについて質問をしたことがある。師匠に言わせると「海水ほど陰陽のバランスが取れたものはない」という。つまり、師匠曰く、「すべてのものにエネルギーが存在する」つまり、陰と陽は、簡単にいうとプラスのエネルギーとマイナスのエネルギー。その二つの相反するエネルギーがバランスが取れているということは、安定したもの「安定した液体である」。安定しているからあえて変化が必要ない。だから腐敗がおこらない。ということらしい。これは本当に私にしてみれば凄い助っ人が現れたようなものである。このようにして、わたしの「脱ステロイド」の第一歩は、「転地療養」から始まった。



人気ブログランキングへ
応援のクリックありがとうございました。これからも鍼灸マッサージの素晴らしさを多くの皆様に伝えていきます。これからも応援どうぞよろしくお願いします。
[PR]
 「天使が死神と取引をしたものは、何だったのだろうか?」それは、私の生命と同じくらい大切なもの。自然治癒力だったのである。「ステロイド剤」は、快適さと引き換えに、少しずつ少しずつ私の身体から自然治癒力を奪っていった。薬の副作用と言っているが、それらの現象は、すべて、自然治癒力が奪われた人が、たどり着く終着点だったのである。ところで、私の鼻炎は、2回も手術をしたのだが、治癒したのだろうか?答えは、治らなかった。「アレルギー性鼻炎」がよくなれば、「アレルギー性気管支ぜんそく」が悪くなる。「アレルギー性気管支ぜんそく」がよくなれば、「アレルギー性鼻炎」が悪くなる。ただそれだけのことだったのである。
 医者がヤブ医者だったわけではない。私の手術をしてくれたお医者さんは、「アレルギー」では、著名な方で、県立の某総合病院の耳鼻咽喉科の主任を任せられる先生だった。人格的にも立派で誰からも信頼されるお医者さんだった。呼吸器科のお医者さんにしても、某市の総合病院を独立して開業された、これまた人格的にも誰からも信頼されるような立派なお医者さんであった。なのに、私にしてみれば、「手術」も「投薬」も何も意味のないことであった。それどころか、薬の副作用に苦しむという現実がまっていた。その危機的状況の中からどれほどの苦労をして這い上がってきたことか、筆舌に尽くし難いものがそこにあったことは事実なのである。ということは、医療の世界では、万能に近いと思われている「現代西洋医学」、強いては人類の叡智、「科学」そのものに限界があることを、そこから感じ取らざるをえなかったのである。
 「抗生物質」や「ステロイド剤」の発見は、これまでの医学の常識を覆す程、画期的な発明であった。今でもこれらの薬は、医療の世界では、素晴らしい薬ということで評価が高い。私達のような専門学校で、体や病気についいて勉強する学生も、これらの薬の作用ばかりを学び、副作用については、「使い方の問題がわるければ…」ということだけで話題にのぼることすらなかった。しかし、臨床(医療現場)はどうかというと、受け手の患者さんの評価は、医療従事者とは異なる場合が多い。私のような場合が、ごくまれなケースではなく、ほとんどが、手術のあと、治療のあと、しかも私のように、術後何年かしてから、このような副作用で苦しんでいる患者さんが多いことも否定できない事実なのである。

 「ステロイド」という薬は、「副腎皮質ホルモン」という別名があるが、本来ならもともと人体に備わっている物質である。ところが、こうしていったん薬として処方されると、もう身体の中では作らなくなってしまう。糖尿病の「インシュリン」も全く同じ。人の身体というのは、バカではない。作らなくても、いいものならもう二度とは作ってくれない。薬を受け入れるということは、よほどの覚悟を持って決断しなければならないことなのである。それを、「苦しまないですむから」、とか「楽に快適な状態になれるから」というのは人間の勝手な言いぐさで、私達の身体は、そういう安易な勝手さが許されるほど、あまい世界ではないことをよく知るべきである。人間も人生も全く同じ。甘いことをいって誘う人こそ注意が必要だ。いい話ほど裏があり用心が必要である。人生の半ばを過ぎた人間なら、「人生そうそう自分にとって都合がいい話はあるはずがない」ことくらいはわかるはずだ。それから、そもそも薬というのは、本来、自然界にある薬草がもとになっている。その成分を分析して、それに近い働きをする化学物質を合成して作られている。だから、正確には薬は化学化合物質である。ところが、私達の大切な臓器、肝臓は、「化学物質処理工場」といわれている。つまり、この化学物質を処理するのがおもな働きなのである。だから、慢性病や、大病を患った場合は、大変なことになる。必ず、肝臓、腎臓などの臓器を痛めることになる。またそれだけではない。私達のように東洋医学を少しでもかじったことがある人ならわかることだが。「陰陽五行」といって、臓器というものは、互いに「相生相克」といってお互いに助け合ったり支配したりされたりというように、互いに関連し合って成り立っている。だから、ひとたび肝臓がやられてしまえば、他の臓器も必ず影響が出てくる。つまり、体全体がやられてしまうのである。そのことは多くの患者さんを見てきた臨床医なら誰もがわかていることである。私達の身体というのはそういう約束で成り立っているのである。だから、多かれ少なかれ、どんな薬でも、薬が人体に及ぼす影響は、必ず「天使」と「悪魔」が共存しているといえる。「投薬」を治療手段とする「西洋医学」についてまわる宿命のようなものと考えた方がいいかもしれない。

 最後に、私が手術後とステロイドによる副作用に苦しんだとき、感染症を起こした。このときも救急車で病院に運ばれたが、今思うと、このときは最高の治療をしてもらえたと思う。これもまた夜中の話。急に私の右足膝関節が痛みだした。関節は、ズボンをまくり上げると、見るからに腫上がっていた。あまりの激痛にこらえるのに精一杯。一歩も動くことができなかった。救急車で運ばれた私は、病院に着くなり関節にたまった水を注射器で抜き取ってもらった。もちろん水は検査に出されたと思う。ただこのとき検出された細菌は、感染力の高いこわい菌ではなかった。あとでわかったことだが「溶血性連鎖球菌」といって子供やお年寄りが感染するような細菌の中でも弱い部類のものだった。だからこそ、私の免疫力=自然治癒力の低下がまねいた結果だといえた。ただ本当によかったのは、医者が、薬をいたずらに処方しなかったということである。ただ安静にベッドに寝かしておいてくれた。痛みは水を抜いたことで落ち着いたが、次には、40度以上もある高熱に襲われた。私は夢遊病者のようにうなされた。そして、氷枕をしてもらったが、体は熱くて熱くて何度も汗をかき、何回寝間着を替えてもらったかわからないくらいだった。でも、この高熱は、私の体が、体温を上げることで、細菌と必死で戦っていたことが、後々、医療を勉強することでわかるようになった。私が自然治癒力というものを見直すきっかけになったのもこうした体験の一つ一つが、「一番大切なものは何か」を教えてくれたような気がするからである。病気とはどういうものか。自律神経の果たす役割。こころと身体の関係。いかに「こころ」が体に関与しているか。いろんな意味で教えられることが多い経験をさせてもらった。少なくても、40代を境に、10年間近く私におこった出来事は、私の意識を大きく変化させた。このことについて私の師匠は、「人間にとって何ひとつ偶然はない」という。問題は、「何が起きてもその経験を生かせるかどうかが問題なのだ」と、おっしゃられるのである。また、こうもいわれた。「人間は、体験しなければ、何もわからない。いくら本を読んで知識は豊富でも、一度体験することに比べたら遠く及びもしない」といわれるのである。「『体験体得』それが、私達の世界の鉄則なのですよ」といわれたことを、きもに命じて、私は、この世界に一生をかけてみるつもりで飛び込んでみたのである。(終わり)
[PR]
 はじめから手術のせいで「アレルギー性気管支ぜんそく」が始まったとは考えなかった。ただ、手術の効果は3年間とは続かなかった。私の鼻は、花粉の季節の訪れとともに、また、もとの症状にもどされていた。原因はいろいろ考えられるが、私の身体の内部環境は、あまり良好ではなかった。また、細菌におかされて鼻粘膜は劣悪なものとなってしまった。よせばいいのに、こともあろうに「レーザー治療」というものが注目され、簡単に手術が可能ということで、再手術に望んでしまったのだ。今思えば、何のためらいもなく再手術に望んだ思慮の足りない自分がおそろしい。ともかく、痛んだ鼻粘膜を取り除き、新しい鼻粘膜を再生するレーザーによる手術は、無事終了した。さて、次に私を待ち受けていた問題は何だったろうか?理解の早い方ならもうおわかりであろう。そう「アレルギー性気管支ぜんそく」の再発である。つまり、いつまでたっても、ただ繰り返しているだけ。何も、「手術」や「投薬」では、何ひとつ問題が解決がなされなかったのである。科学の最先端である近代西洋医学を持ってしてもだめだった。もう、ここまでくれば、いくら馬鹿な私でも、いやという程わかった。もう、近代西洋医学では、私の身体は治せないことが、はっきりと認識することができたのである。

 私は、やがて、もう最悪な状態をまねいてから、ステロイドが「天使」の顔をした「悪魔」だったことを知ることになった。前に私は、薬の作用と副作用について簡単に触れたことがある。作用でいうなら、ステロイド剤程、炎症によく効く薬はない。どんなアレルギーだろうとたいていの炎症なら、これさえあれば、たちどころに問題を解決してくれる。カードにも「切り札」というものがある。これに勝る「切り札」はないわけだから、これを実際につかわなくてもいいわけで、持っているということが相手に伝われば、勝負に勝てるという代物だ。ただ、この「切り札」を出してしまった以上、その勝負に負けは許されない。だから、呼吸器科の医者が、私の肺に炎症が認められた以上、投薬を中止することができなかったのは、仕方がない判断だったともいえる。少なくとも、西洋医学に携わる医療人としては、踏み外すことができないセオリーだったと言えよう。病院から出される薬の注意書きにも「医師の判断なしに自分の判断で中止することがないように」と書かれているのはそのためである。このブログの右側にある「ライフログ」にはいっている。「医者からもらった薬がわかる本」法研の本の中には「ステロイド薬」についてこんなふうに書かれているので引用してみることにする。


☆ステロイド薬(副腎皮質ホルモン)

 薬の中でも、使い方が最も難しいものの一つで、最近による感染症を誘発したり、胃・十二指腸潰瘍、糖尿病、副腎機能の低下、精神障害などを起こすことがあるので、次のことに注意します。

①他に適当な治療があるときは、副腎皮質ステロイド薬はなるべくつかわないようにします。

②本剤を使用しているときは、副作用の出現に十分に注意し、ストレスにさらされないようにし、服用 中に事故があった場合は、すぐに処方医に連絡します。

③急に服用をやめると、熱が出たり、頭痛、食欲不振、脱力感、筋肉痛、関節痛、ショック症状が起こ ることがあるので、自分勝手に服用を中止してはいけない。

★重大な副作用

❶細菌などに対する抵抗力が落ちて、誘発感染症や感染症の憎悪がおこることがあります。

②糖尿病や続発性副腎皮質機能不全がおこることがあります。

❸消化管潰瘍、消化管穿孔、消化管出血が起こることがあります。

④膵炎がおこることがあります。

❺うつ状態などの精神変調がおこることがあります。

❻骨粗鬆症、大腿骨や上腕骨などの骨頭無菌性壊死、ミオパチーなどがおこることがあります。

❼連用によって眼圧上昇、緑内障、後のう白内障、中心性漿液性綱脈絡膜症・多発性後極部網膜色素上 皮症がおこることがあります。

⑧血栓症がおこることがあります。

⑨心筋梗塞、脳梗塞、動脈瘤がおこることがあります。

⑩硬膜外脂肪腫があらわれることがあります。

⑪アキレス腱などの腱断裂がおこることがあります。

★以上の黒丸は、私に身体に実際に影響を及ぼした重大な副作用であった。


 もう「セレスタミン」をはじめとするステロイドは、「天使」のようには囁いてはくれなかった。いつの間にか、気づいた時には、「悪魔」の薬と化して私に襲いかかってきたのである。30代の後半から40代の前半にかけて、私は「アレルギー性気管支ぜんそく」以外にも、いろんな病気を経験した。そして、そのために何度も入退院を繰り返すことになった。胃潰瘍・十二支潰瘍。それから、強烈は発熱を伴う感染症。左膝関節感染症。本当に何度入院したことであろう。また、眼圧が高く眼底に異常があるということで緑内障を疑われ、眼科に3年間検査に通った。また左右の両肩を肩関節周囲炎も症状が重く。普通予後が良好なはずなのに左右合わせて6年間ひどい痛みに耐えた。また、胃・十二支潰瘍で入院した病院からの紹介状を持って精神科医を訪ねると、今度は、鬱病と診断された。その頃は、不眠がおこり、いつも身体は倦怠感とたたかっていた。当然、自律神経のどこかが失調していた。また、いつも身体のどこかに神経痛があり、肩、背中、腰、肋間、下肢と常に場所を変えての正体不明の痛みとたたかうことになった。まるで、「悪魔」に取り付かれているとしか思えない何年間を過ごしたことだろうか。しかし、それらはすべて、「悪魔」の薬。「ステロイド剤」の副作用がもたらした後遺症が原因だったことはいうまでもなかった。こうして振り返ってみると、どうして、今ここに私と言う人間が存在するのか不思議に思う程、おそろしい体験を何度も繰り返した。本当に、この恐ろしさは、体験したものにしかわからないことだろう。世にも恐ろしい、本当の話なのである。(つづく)
[PR]
 少年時代は、誰にもコンプレックスのひとつやふたつはあるものだ。私の場合は、「鼻が悪いこと」だった。父親ゆずりの蓄膿症。もう小学校の高学年の頃には嗅覚を失っていた。風邪をひいていなくても年中鼻声で、冬から春にかけて、はなたれ小僧。苦しんでいるのは自分だけ。他人から見れば、別にどうということはないのだけれど、私にしてみれば、誰にも知られたくはない。実に重大な問題。それらの話題は、誰にも触れては欲しくない。私にしてみれば、深刻な問題であり、立派なコンプレクスでもあった。
 それにしても私の少年時代は、花粉症なんていう言葉はなかった。だから、なぜ、冬から春にかけていつも長い風邪を引くのかわからなかった。クシャミは出るし、鼻水は止まらない。頭が痛くて、痛くて。それなのに体温計で測ってみると熱は平熱。なのに私は、風邪だと思っているから、後ろめたさもあったが、学校を休んだ。体育の時間やマラソンを見学をした。それでも私の風邪?は治らなかった。そんなときいつでも私を救ってくれたものがある。「セレスタミン」というお薬だ。それまでは、医者からどんな薬をもらっても治らなかった鼻炎が、この薬に変わってからは、まるで嘘のようにピタッと治ってしまう。どんなに苦しい鼻づまりも、この薬さえあれば大丈夫、何も問題はなかった。昔から「セレスタミン」は苦しい時にいつでも助けてくれる。魔法のような薬。まるで「天使」のような存在だった。それ以来私は、誰よりも「セレスタミン」を頼りにするようになった。耳鼻科の医者も季節がくれば、私には、すぐに「天使のお薬」を処方してくれた。このようにして、私と「セレスタミン」のなが〜いお付き合いが続いた。
 
 もし私にこんな問題が起きなければ、それまで通りずっと、現代西洋医学に疑問を持つことはなかっただろう。これまで通り科学の素晴らしさを信じて疑ったりはしなかった。ところで、大人になってからも私に、鼻炎の問題は無縁ではなかった。普通の人に比べて私の鼻は、見た目にも曲がっていた。だから、鼻の通りは悪く、少しでも風邪をこじらせるようなことがあれば、すぐに蓄膿症になった。ましてや花粉の飛び交う季節となれば、大変なことになってしまったのはいうまでもない。そこで、私のアレルギー鼻炎を治療していてくれたお医者さんの勧めで鼻中隔湾曲症と副鼻腔炎(蓄膿症)の手術をやることになった。私が38歳の頃の話である。手術は成功した。私の鼻は、まるで嘘のように通るようになった。こんなにすっきりするのならどうしてもっと早くに手術をしなかったのか悔やまれる程、私の鼻は生まれ変わった。それにもうひとつ、炎症を抑え、感覚神経を活性化させるというステロイド剤。「リンデロン」を点鼻薬としてつかったところ、私の何十年んと眠っていた嗅覚が、復活したのである。私は、天にも昇るようなよろこびを覚えた。また、そのよろこびは、花粉の季節になってさらに倍増した。花粉が舞い始めるようになってもいっこうに鼻炎の気配はなかった。手術の効果は、私の想像をはるかに超えていた。ところが、いいことはそんなに長くは続かなかった。なんと、鼻の通りがよくなった分、花粉は、今度は鼻腔を通過して気管支を直撃してしまったのである。今度は「アレルギー性気管支ぜんそく」という新たな問題が生じてしまったのである。手術は、ある問題を解決し、またさらにある問題を引き起こした。とにかく私は、40代を前後して6年間「ぜんそく」という新たな問題に直面した。

 「ぜんそく」の発作は本当に苦しかった。またそれは決まって、自律神経が交感神経から副交感神経に交替するはずの夜中に引き起こされた。私は、ぜんそくの患者の多くが苦しむように「呼気」は出来ても「吸気」ができず、何度もこれで最期かという苦しみを味わった。そして何度も緊急外来で点滴のお世話になった。それでも間に合わない時には、病院にそのまま入院した。やはりここでも私を救ってくれたのは「ステロイド」だった。ステロイド薬がはいった点滴は、まるで、さっきまでの「このまま死ぬのではないか」と思った程の重体から何度も私を助けあげてくれた。その時も「ステロイド」は私にとってはやさしい「天使」のような存在だった。しかし、それが何回も何回も回数を重ねるたび、私の中である疑問がわいてきた。その疑問というのは、漠然としたものであっが、「私の身体は、本当によくなっているのだろうか?」という疑問だった。私がいつも「助かった」と思う瞬間は、ちょうど、まるで生死に立たされた私を「天使」が「死神」と取引でもして決着を付けているかのように感じられたのである。退院してからも私は、呼吸器科の病院に通った。医師は、レントゲンで経過を観察しながら、肺に炎症の現れである白い影を見ていた。そして、それを私に見せながら「たとえ今、症状が治まっていても、この際完全にこの薬で炎症をたたいてしまっておきましょう」といって渡した薬が、あの「天使の薬=セレスタミン」だったのだ。私は医者のいうままに、恐ろしいと思う程、「セレスタミン」を常用した。私にとっては、「切り札」を普通の札をつかうように毎日のようにきってしまていた。それがその後どうなるかも知らないままに…。不安を感じながらも「セレスタミン」を飲み続けたのだ。(つづく)
[PR]
 世の中には、「知っていると思っていて知らなかったこと」がよくある。私は、この世界にはいって身体のことに関して勉強しているが、毎日が、この新しい発見の繰り返しである。だから、ここは少し老婆心を働かせ、皆さんにぜひ知っていてほしいことを書かせていただく。温泉に入ると血液循環がよくなることは、誰もが感じることだ。ではなぜ血液循環をよくすることが大切なのかご存知だろうか?

 血液の主な成分を3つ覚えてほしい。赤血球・白血球・血小板それらはどんな働きをしているのか。まずケガをした時に、傷口を押さえていれば、たいていの傷はすぐに止まる。これは、止血作用といって、血小板の働きである。血管に傷や破れた箇所があると血小板は、すぐに見つけて駆けつける。そして、そこを塞ぐようにして修復する。血小板によって、私達の血管や身体は守られているといっていい。
 次に赤血球。血液の主な働きは、体中、全身の細胞に酸素と栄養を運ぶ働きである。これを行っているのが赤血球である。人間の身体は、60兆という途方もない数の細胞で出来上がっている。しかし、人間は生物である。動物と言うのは、酸素と栄養がなければ生きていけない。60兆の細胞とて同じこと、いかにこの赤血球のもたらすはたらきが大きいものか想像がつくだろう。ところが、それが上手くなされない場合を考えてみよう。  
 うっ血状態とは、血液が上手く流れていかないそこに止まっている状態をいう。血液が止まっていればどうなる。酸素も栄養も他の組織や細胞に流れていかない。飢えに苦しむ細胞達は、まさに瀕死の状態といっていい。酸素と栄養があって始めて細胞は、働いてくれる。しかし、それがなくては、細胞とて動くことができない。働くことができないのだ。血液循環をよくすることの大切さが、わかっていただけただろうか。
 最後に、白血球。人間の身体は、常に外敵と戦っている。外敵というのは、ばい菌や細菌やウイルス等、病気のもとになっているもののこと。人間が生きていくためには、常にこの外敵と戦わなければならない。身体の中でも同じ、毎日平和に生きていられるのも実は、この白血球のおかげなのである。身体の中に炎症が起きているのは、そこはまさに戦場を意味している。白血球が外敵と戦っているから炎症が起きているのである。また外敵ばかりではなく。外敵によって痛んだ細胞を修復するのもこの白血球の重要な働きなのだ。この白血球の働きのことを人は、「免疫力」とか「自然治癒力」といっているのである。これらを含めて、血液というものが、いかに私達のからだに重要な働きをしているかが、再確認できたのではないだろうか。

 温泉に入っていると、額から顔を伝わってあごの先端から汗が滴り落ちるのがわかる。全身から落ちる汗の量は、相当な量だろう。温泉の働きには、この代謝をよくするという働きがある。「新陳代謝」という言葉がある。古くいらなくなったものが外に出て、新しいものがそこに入ることをいう。古くいらなくなったものを老廃物という。大便、小便、アカ、汗、涙、鼻汁などである。私の師匠がいうには、これらの老廃物は、ただ単に古くなっていらなくなったものというだけではないらしい。それらには、「廃毒作用」が働いているというのである。
 つまり、私達の食生活を考えてほしい。ほとんど口に入ってくる野菜や果物、お米等は、農薬におかされている。どこの農家でも、農薬は人体に悪影響を施すことは知っている。しかし、現代社会において、いかに農薬を使わないで、お米や野菜などの農産物を収穫することの難しさは、作ったものでなければわからないというのである。「農薬も少しくらいは使わないと」いうのが大半の意見のようだ。それだけではない、加工された食品にしても、人工添加物、人工保存料、人工着色料など多くの薬品が使用されている。それらは、人体にとっては毒素にほかならない。師匠は、それらの現実をふまえて、「『花粉症』で目から涙が出たり、かんでもかんでも鼻から多量の鼻水、鼻汁が出てくるのは、それらの毒素を廃毒しているからだ」とおっしゃていたのをいつか聞いたことがある。
 とすると、いままで耳鼻咽喉科で私が受けてきた治療は、何だったのだろう。鼻水をとめ、涙が出ないように押さえる。それが本当に身体のためになっていたのだろうか?答えは「NO」その証拠に、病気は治っていない。だから、次の年も、また、次の年も同じように耳鼻咽喉科に行き同じ治療を、永遠と繰り返しているにすぎない。そのことからも、病気が治らなかったことが証明されている。むしろ、使用した薬が、実は人体には新たな毒素となり、永遠に悪循環が続けられていく。私が、もう現代医学の力には頼らないと決意したのは、そういう背景があるからだ。こうして、花粉症を起こしたのは、スギ花粉が悪いわけではない。むしろ、日本人の食生活が変わったことで身体の中に蓄積された毒素が、免疫システムを狂わせ「花粉症」という現象になって表れているだけなのではないだろうか。

 私は、せっかく老廃物に「廃毒作用」があるのなら、温泉やサウナで思いっきり汗をかいて「廃毒」しようと思っている。さいわい私の近くにある川根温泉は、身体の芯まで暖まるというありがたい温泉。ここで半身浴をすれば多量の汗が出る。また、瀬戸谷温泉には、私の大好きなサウナがある。これまた多量の汗がかける。おそらく花粉症にも効果が期待できるのではないかと密かに期待しているのである。まだ期間が短いので何ともいえないが、少なくとも、「散歩」「湯たんぽ」「温泉」を実行しているここ数日間は、鼻づまりが楽で、朝までぐっすり寝ていられる。今のところ私のたてた仮説は正しいといえる。

 最後に「湯たんぽ」について、患者さんからいわれたことを考えてみた。「私は、湯たんぽでなくて、『電気毛布』を使用しています」と言われた患者さんに対して、言葉に詰まってしまった。今までの話に全部お付き合いしていただいた方はわかると思うのだが、「湯たんぽ」と「電気毛布」は違う。「湯たんぽ」は、足下を暖めるだけで全身が暖まる。つまり、血液循環を促進したからだ。循環がよくなったから、全身が暖まった。つまり、暖めただけではなく、血行を促進したのである。水は下から上へと流れる。火は下から上へと燃える。熱も火と同じように、下から上へと伝わっていく。この性格を利用して。人間の身体に作用をもたらすのである。温泉も、半身浴を勧めるのも、実は、この原理が働くからだ。水は動かないと腐ってしまう。機械は動かないと壊れる。「物事は、動くから、変化するから、そこに生命が生まれる」大切なことは、「変化する」「動く」ということだ。だから、「ゆたんぽ」も身体を健康にするのである。それが、「電気毛布」で体中を同じ温度にしてしまったら、身体は、どう反応するだろうか?むしろ自律神経のコントロールが利かないということで反って苦しむのではないだろうか。機械に任せてしまい、体温調節が上手くいかないでつらい思いをしたことはないだろうか?それに、電気は電磁波の生体に与える影響も考えなくてはいけない。やっぱり、どちらを選ぶかは、ご自分で判断していただきたい。

 以上「そうだ温泉にいこう」は、3回にわたり書かせていただいた。師匠が、前に私に言われた言葉を、少し補足させていただいたが、これで、私がいいたかったことは、ほとんど述べることができたと思う。もしこの点について知りたい、ということがあれば、コメントや質問をお受けしたいと思う。それにしてもこの記事を書きながら、私は、何度も温泉に行って浸かった。地下何百メートルから吹き上げるこの温泉は、まさに、自然が与えてくれた恵みだろう。それ以上に神様の深い「ご慈悲」のような気がしてならない。師匠が前に私に言ったことがある。「神様は、金持ちであろうと貧乏人であろうと、誰に対しても分け隔てをしない。それが、『天の恵み』である」と。日本中に、こうして手軽に日帰り温泉ができて、みんなが楽しめられるようになったのは、もしかしたら、神様のプレゼントかもしれない。そうだとしたら、皆さんも思う存分に温泉を楽しんできてはいかがだろうか。そして、みんなで病気を克服して健康になろうではないか。<終わり>
[PR]
 もう6年前のことになるだろうか。一度だけ、師匠に温泉に連れて行ってもらったことがある。その年は、私が教員をやめて専門学校に合格した3月のことだ。だから、師匠からしたらお祝いをしてくれたのかもしれない。私と師匠の関係はもう20年にもなるが、私は、いつも電話でご指導していただいている。しかし、直接お目にかかったことはあまりない。だから嬉しくて、嬉しくて、忘れられない一日となった。露天風呂に浸かりながら、師匠は、このように言われた。「温泉は、どうして身体にいいのかわかりますか?」たぶん私の答えは、「温泉は、身体の代謝をよくします。それに、血行が良くなることで、血液循環もよくなると思います」まるで私達の会話は、いつも先生と生徒そのものだ。いや実際には、それ以上の差があるのだが。私は、少し緊張まじりに答えた。そうしたら、師匠は、もう私の答えの先を読んでいたように、「そうですね。でもそれでは、家でお風呂に浸かっているのも同じですね」と言われた。確かに、そういわれてみれば…。しかし、私にはそれ以外の答えは、考えられなかった。私の顔をよく見ていた師匠は、「降参ですか?」と、さも言いたそうな感じで、こう言われたのだ。「温泉は、マイナスイオンなんです。だから、気持がいいんです。だから身体にもいいんですよ」それ以来、私は、いつも温泉に入るたびに、師匠に言われたその言葉を思い出すようになってしまった。

 日本人なら温泉が好きな人はたいへん多い。多くの集団に起こる、こうした行動には、きちんとした理由があるものだ。身体にいいことは、みんな頭のどこかでわかっていても理由を説明できる人は、そんなにはいないだろう。日本全国、どこに行っても、いつも温泉は人でいっぱいだ。理屈抜きに温泉って気持いいからみんな入りにくる。でもなぜ気持いいのかって聞かれたら、こんなにわかりやすく答えられる人はいない。マイナスイオンって言うのは、最近よく耳にする。電化製品でもマイナスイオンを売りにしている製品も多い。例えば、エアコン、扇風機、ドライアー、掃除機。一瞬あれと思ってしまうものばかりだ。と言うのは、マイナスイオンと言うのは、もともと自然界のもの。例えば、よく注目されているのは、緑いっぱいの森の中の森林浴。水しぶきを上げる滝つぼの淵近く。本当に気持がいいところ。そんなところに、マイナスイオンが、発生するからだ。電化製品は、そのマイナスのイオンに似せて、似たものを作り出しているだけにすぎない。ところで師匠が言うように、マイナスイオンは、「気持がいい」のはわかるけれど、どうしてそれが身体にいいのだろうか?

 それは、「環境」の問題になるけれど、私は、昔学校にいる時に環境について勉強して、生徒達に教えていたのでよくわかった。オゾン層って知っているだろうか?地球は、46億年もこのオゾン層によって守られてきた。それは、悪疫をもたらす紫外線Bを、オゾン層がバリヤのような働きをして、私達地球に住む生物を守ってきたのだ。ところが近年、人間がフロンガスと言うものを使いだすようになってから、オゾン層は破壊されるようになってしまった。フロンは、少し前までは、ヘアースプレーやエアコンの冷媒ガスとして用いられた。安いコストで、便利なこのガスは、始めのうちは、重宝がられてきたのだが、やがて環境破壊の原因になることがわかった。しかしその時は遅く、無配慮に処理されてきたために、空気よりも軽いフロンは、やがて、地球の上空。何千メートルのところにある、もともと薄い空気の膜であるオゾン層を、破壊する結果になってしまったのである。そのために所々に、あいてしまったオゾン層の穴の間から、人体に有害な紫外線が、ほぼ地球上全域に降り注ぐようになってしまった。この紫外線Bは、特に皮膚ガンをもたらすことがわかった。つまり、ひとの身体から、免疫力を奪い、皮膚がんから体中の細胞に転移して、様々のガンの発症率を引き挙げる一因となったのである。それから、免疫力の低下から感染病等も増えるようになった。

 環境問題はそれだけではない。電磁波のことをご存知だろうか?送電線の中には、高圧線と言ってかなり高電圧の多くの電流を流している。ところが、送電線の近くに住む住人の発ガン率が高いと言うことがデーター的にわかってきた。電磁波も、同じようにひとの身体から免疫力を奪っているのである。しかし、電磁波が有害と言うことがわかると、家庭にある電化製品はどうなのか?例えば、電子レンジ、照明器具、TV、ラジオ、携帯電話、ヘアードライヤー、電気ひげ剃り機、など同じように電磁波をだしている。それらの安全性はどうなのか。疑問視され始めてきているのである。このように私達を取り巻く環境が、安全なものだと言えなくなっている。そして、発ガン率や疾病率の高さが、それを証明するかのように、上がっていることも私達の不安をなお一層かき立てているのである。

 少し長くなってしまったが、マイナスイオンと言うのは、そうした私達の身体をきれいに洗い流して、免疫力=自然治癒力を引き出してくれる働きがあるのである。まさに天からの恵み。「温泉にいきたい。ゆっくりのんびりとお湯につかって、ひごろの疲れた心や身体を癒したい」そう思って来る多くの人のために見事に、温泉は、自然の恵みを与えているのである。思えば、もしかしたら昔の日本人以上に、現代に生きる私達は、こうした自然の恵みが必要なのかもしれない。子供から大人からお年寄りまで、それを知ってか知らないかはわからないが、日本国中の日帰り温泉は、平日から週末にかけていつでも人でいっぱい。いつも多くの人でにぎわっているである。しかし、私のこの記事を読んで、改めて温泉に行きたくなった人は多いのではないだろうか。<つづく>
[PR]
 治療院に重症の患者さんがみえることがある。昨日も座骨神経痛でみえた患者さんがいた。痛みが強いため、仰向けに寝ても、痛い方の足がまっすぐに伸ばせない。前回は、右足だったのが、今回は、左足に強く症状が現れている。治療中もかなり痛そうな様子である。座骨神経痛の治療は、私にとってそれほど困難な治療ではない。ただ今回は、一つ、重大なミスをしてしまった。それは、次の日の治療の約束をしてしまったことだ。患者さんにしてみれば、痛いから早く楽にしてほしい。治療者の方も、患者さんの痛がる様子を見るのがつらい。早く楽にしてあげたいと思う。ところがここに大変な過ちがある。私たちの治療で一番大切なものは何かというと、休養である。その次が、正しい治療なのである。通常どんな重症の患者さんでも「次の治療は、いつ頃うかがえばいいですか?」と聞かれたとする。そうしたら、いつもなら、「1週間後に来てください」というのが、私のセオリーである。仮に、性急な患者さんがいてとか、早く治療しなければならない事情があるときでも、翌日の約束はしない。「せいぜい3日後にお越し下さい」これが限度だ。では、なぜ1週間後なのか、その理由を説明したいと思う。

 凝りの症状について以前お話ししたことがある。筋肉には、アクチンとミオシンという二つの筋肉繊維があって、疲労、緊張、ストレスが原因となって筋肉が収縮し硬結する。つまり、いずれの原因でも疲労物質である乳酸が、二種類の神経の束を、ベットリとくっ付けてしまうからである。脳の方では、筋肉の繊維を、引き延ばすために、「伸ばせ!」と命令するが、くっついた繊維が伸びることは容易ではない。そこで今度は、非常事態と感じると、発痛物質をだし本人の自覚を促すのである。これが、凝りという症状であり、凝りがひどくてつらいという症状が生じるわけである。前にも説明したが、私の治療は、この二種類の筋肉をいかにして引き延ばすか、緩ませるかが、課題である。でも、硬結した筋肉の繊維を引き延ばす時に、必ずと言っていいほど、発痛物質がまた出てしまうのである。症状が重い患者さんほど、治療する時に痛がるのは、こういう理由からである。肩こりでも腰痛でもただ治してほしいというなら、意外と簡単なことかもしれない。でも、痛くないように治してほしいといわれると、とても難しいのである。それを手伝ってくれるのが、自分自身が本来持っている治す力=自然治癒力なのである。というふうに以前の私は考えていた。 

 ぎっくり腰のような、どんなに痛い腰痛でも2、3日間、安静に寝ていれば、必ず楽になるはずである。特にぎっくり腰というのは、患部の炎症である。炎症を起こしている場合は、治療することにより、更に炎症を誘発させ、治る力が働く前に悪化させてしまうからである。人間の体のシステムというものはすごく良くできているもので、こういう時には、血液の中にある白血球が、静かに炎症を治めてくれるからである。今回の場合は、炎症までは考えないが、筋肉もまた、休養をとることで自然に弛緩する。収縮された筋肉がまた伸びていくことがわかっている。その時間が、最低3日から1週間なのである。だから、人間の体というのは、無理をしなければ、回復するようにシステムが出来上がっている。自然に回復するように神様がつくってくださっているのである。自然界の動物に過労はない。過労しても彼らは必ず休む。休むことで、また元気な体に回復することを彼らは、知っているからである。ところが、一番賢いはずの人間が、最も愚かである。「自分の体には、治す力がある」それだけの理屈が理解できていないようである。何かと理由を付けて、自分の体を痛めつけ、「痛くなった、動かなくなった」といっては、あわてて騒ぎ立てているからである。
 そういう私も今回は、治療を主として考え、自然治癒力を従と勘違いしたことに、大きな過ちを犯したのだ。さいわい、私とこの患者さんには、強い信頼関係があるので、これからも治療は続けていただける。だが、必要以上に発痛物質を誘発して、患者さんにつらい思いをさせてしまったことは、反省として忘れてはならないことである。
[PR]
 最近、暗いニュースばかりが聞かれる世の中で、「世のため、人のために」を真剣に考えている人の集まりがある。特に若い人たちのそういう集まりは、とても活気があって気持がいい。私の通っていた鍼灸マッサージの専門学校は、普通の学校と違って、学歴、職歴、年齢が様々である。だが、総じて高校を卒業して進学してくる現役さんが多く、年齢的にも、とても若々しい集団で構成されている。特に、三療師といって、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の3つの資格が取れるのは、県下で一校しかないため、集まってくる学生も優秀な人材が多い。元教師だった私も、ほとんど私の教え子くらいの人達と一緒に勉強してきたが、本当に、若い人達からいろいろ教えられることが多い毎日だった。
 医療系の学校は、いろいろあるが、この学校のいいところは、「西洋医学」と「東洋医学」の両方を学ぶことができたことだろう。両方の勉強をやるということは、当然、その違いを知ることになり大変いい勉強になった。3年間も勉強すると、学生の中にも、西洋医学派と東洋医学派に分かれる。時々、お互いに、どちらがいいか、主張し合うわけだが、その議論を聞くのが大変面白かった。私たちの学校では、圧倒的に西洋医学派が多く、どちらかというと東洋医学派は、片隅に追いやられることが多かった。確かに、学問としての西洋医学は、科学そのものであり、説明も理論的で説得力があった。それに引き換え東洋医学は、古典に基づいているため経験主義的であり、懐疑的にならざるを得ないところもあった。当然若い人が多い、学校では、西洋医学派が多いのもやもうえないことである。学問としては、私自身も西洋医学に軍配を上げた。
 ただ、それぞれの医学を役割という観点から見ると、どちらに軍配が上がるだろうか。私は、薬剤投与が中心の西洋医学の医療のあり方に、いささか懐疑的な疑問を持っている。薬剤投与は、病気に対して対処的である。その場だけ窮地を救ってくれるが、根本の問題は、なにも解決されず、時期がくれば、また同じような問題を繰り返すだけである。それだけではなく、薬には、必ず副作用の問題が生じ、マイナス面も同様に考えていかなければならないからである。また、人間が本来、体の中に備わっている「自然治癒力」に対して薬は、間違いなくマイナスの要素として働いている事実があるからである。少なくとも、自然治癒力に働く力としては、東洋医学の方が優れている。それゆえに、「統合医療」を主張するアンドリュー、ワイル博士のように、西洋医学も東洋医学もそれぞれの得意な領域で、医療の役割を果たす。ということで、これからの医療が、それぞれの人に合ったものを、より多くの人に役立てていこうという観点から、新しい医療が始められているのである。まさにいい意味での融合である。
 
 ということで、私は「西洋医学派」でもなく、「東洋医学派」でもない。あなたのいう医療の根本は何ですかと聞かれたら、「自然治癒力派」ですと答えたい。最もアンドリュー、ワイル博士に近い考え方である。
[PR]
 前に師匠から、医者も含めて、治療家は、はやくに亡くなる人が多いということを聞きました。現に今年、私の近所の開業医が、一人亡くなりました。まだ50代の若さです。また、同じく50代の開業医が、ガンで入院しました。また、二人程、同業者が、体の不調から、一人は休業、一人は閉業です。そうして見ると、師匠がいわれたことは、本当なんだな、ということを実感しました。そういう私も、体調不良から、何度も師匠に、注意を受け、治療してもらいました。
 その原因は、治療者の心構えが、問題だといわれるのです。例えば、師匠と電話でご指導して頂く時、「今日は、患者さんの座骨神経痛を治しました」と、報告します。そうすると、早速、「あなたが、治したんですか?」と必ずいわれます。しまったと思った時には、もう時既に遅しです。次に、「誰が、治したんですか?」もちろん、「患者さまの自然治癒力です」「そうですか?では、あなたは、治させて頂いたんですね!」「はい、そうです」このような会話が、何遍となく繰り返されます。
 師匠は、「治す」という言葉に厳密です。これから、さらに不可解な会話が続きます。正直言って、私にも分からないことだらけで、聞いた言葉が、何年かして、体験を通して、ふと気づかされるということがほとんどです。人の体は、肉体だけではないというのです。その奥には、エーテル体?、幽体、霊体など、様々な様相を呈しているというのです。だから、人の体を、治療させて頂くというのは、恐ろしいことなのだといわれるのです。
 「では、自分の身を守るにはどうしたらいいのですか?」という質問の前に、「治療する前に、必ず手を合わせ、『勉強させて頂きます』といいなさい」と言われるのです。つまり、師匠の考えは、「人の体は、神様が作った最高傑作。神そのものだ」というのです。また、「病気、不幸現象は、神様が、その人に、気づいてほしいことがあってのことだと言われるのです。「病気は、神様が、その人の成長を願って、気づきを与えるための一つの試練」「病気は、こころの問題だ!」と言われました。
 こうして、師匠のお言葉を引き出してくると、鈍い私でも、少しくらい、「治す」という意識が、いかに間違えを引き起こすかがわかってくるのです。今の私は、長い時間をかけて、師匠にご指導いただき、これだけのことを、理解しました。
 
 ひとつ、すべての人の体は、小宇宙と同じ。奥の深いもの。治療家として、人の体に向かい合うときは、敬虔なこころを持って接すること。

 ひとつ、神様の深い慈悲を知らず、「治す」は、治療者としての思い上がりの何ものでもない。「治す」はその方、ご自身の問題。私たちのお役目は、あくまで、その方の自然治癒力を引き出すお手伝いを、させて頂くだけである。

 以上のことを、いつも忘れず、こころにいい聞かせている。
[PR]