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ふたたび妊娠中の女性のこころと身体

 もしかしたら私達「鍼灸マッサージ師」の指先は、医者がいつも使っている「聴診器」のようなものかもしれない。それによって患者さんの身体の様子などいろんな情報を手に入れる。治療しながら、患者さんの身体と「対話」するのが、私達の大きな仕事。そういう感覚で、この前みえた妊娠中の患者さんの治療にあたる。そしたらどうだろう、私は、すごく興味深いことに気づかせてもらった。

 よく「お産」は、「女性だからできること」だと言われる。もし男性だったら、「陣痛」のように何時間にもわたる激しい苦痛を耐えることができない。そこに女性ならではの「強さ」の本質がある。「お産」ができるから女性は「強い」のか。女性が「強い」から「お産」ができるのか。その点は、よくわからないが、どこかその辺に「女性の身体(からだ)、だからできること」があるのではないかと思う。だから、いつもの初診の患者さんを治療できる楽しみに加え「妊婦さん」の身体を診させてもらうことに大変興味があった。

 私が診させていただいた患者さんは、30代の後半の「妊婦さん」であった。出産経験は2回目。さすがに8ヶ月ということでお腹も大きかった。初診ということで、お話を伺うと、「1ヶ月前から突然背中が痛くなり立っていられないほどだった。普段「骨盤ベルト」をしている時には、痛みは和らぐのだが、それでも肩こりがあり、やはり一番つらいのは腰痛かな」ということを話されていた。多分、ほとんどの妊婦さんの共通した悩みであろうと思われた。前に、専門学校時代の授業で、「妊産婦体験ベスト」といって、おもりの入ったベストを着て妊産婦のおかれた状態を体感したことがある。時間が経てば経つほど重くなった。こんなおもりを10ヶ月も身体に身に付けるなんて、なんて過酷なことだろうと思った。まさに、私の目の前の患者さんは、その過酷さを現実のものとされているのだ。だから、肩こりがあって当然。腰痛があって当たり前なことなのである。

 「こり」というのは、若くてもお年寄りでも、ほとんど誰もが体験する状態である。中には、押したり揉んだりすると、「コリコリ」とか「メリメリ」というような音を立てる患者さんもいる。それもひとつの指先が捉える感覚である。ところが、それとは別に、「筋肉の質」というものがある。運動している人とそうでない人の違い。若い人とお年寄りの違い。治療していて、一人一人の違いが、面白いほど、明らかになってくる。不思議なことに、その感覚というのは、言葉では表しにくいのだが、一度治療させてもらった患者さんの身体の状態。「筋肉の質」は、しっかり私の記憶に残される。だから、何週間、いや何ヶ月後に、その患者さんがお見えになろうと前回との身体の状態の変化を、はっきり指摘することができる。そのくらい私達の指先は、優れたセンサーを身につけている。だから、患者さんの「身体との対話」ができるのである。

 私が、治療させてもらった「妊婦さん」は、もちろん「肩こり」「腰痛」などのこりは、もちろんあった。ところが、私が驚いたのは、「筋肉の質」である。言葉は失礼かもしれないが、とても30代の後半を迎えた、女性の身体には思えなかったのである。とても「やわらか」で柔軟性がある。それは10代の女性の「筋肉の質」に感じられたことだ。しかも、運動選手のような「しなやかさ」がある。これはとても驚くべき事実だった。「出産」の過酷さは、その長時間に渡り、激しい筋肉の収縮運動が行われることにある。ある筋肉は、激しく引き延ばされ、またある筋肉は、持続的な収縮運動を求められる。時間が長ければ長いほど、疲労物質の「乳酸」も当然たまってくる。苦しさは、過酷に高まっていくことだろう。それに耐えうるためにも筋肉は、「やわらかく」「しなやか」でなければならないのである。そのために、高齢出産は、危険が伴い、お産は若ければ若いほど有利だとも言える。

 私は、本当に感動してしまった。多分おそらく、これは私の仮説だが、おそらく大体「出産」を控えた「妊婦さん」の身体の「筋肉の質」は、このような状態になっているのではないだろうか。だから、女性は、「出産」という過酷な試練に立ち向かえるのではないだろうか。ホルモンによって赤ちゃんが育ちやすいように胎盤が用意される。そのために「つわり」の起こる。これと同じような働きで、「筋肉の質」も10代のような「やわらかく」「しなやか」な状態に変化するのであろう。もちろん「ホルモン」を通してこのような身体に少しずつ変化していく。そのホルモンのはたらきに命令をくだし、調整させていくのは、「自律神経」と同じ「間脳」である。つまり、そこには、人間の力を超越した「自然の摂理」が働いている。もっとわかりやすくいうなら、神様が、「出産」という宿命を持った女性に対して、「産み」易い身体になるように応援してくれているのである。そこに、私たち人間を想像した「創造主」の「やさしさ」が感じられるのである。そう考えるのは、私だけであろうか。もし、この仮説を裏付けるためには、もう少し、複数の「妊婦さん」の身体を診させてもらわなければならないだろう。

 それにしても昔、師匠が私に「人間の身体は、神そのものです」と話されたことを思い出す。人間が窮地に立たされる時、ある時はこのように「やさしく」応援してくださったり、また、ある時は、「病気」という形で、私たちに強い「警告」を発してくださる。以前、「病気は気づきのためのメッセージ」という記事で書かせてもらったことだが、そこには、私たちに、「はやく気づいて欲しい」という。神様のやさしい「意志」というものが感じられるのである。私たち「鍼灸マッサージ師」というのは、患者さんの身体と「対話」するのが仕事。といったのは、治療を通して、いろんな情報を得るからだ。時には、それが、意味のある深い「メッセージ」を感じるときがある。私には、師匠の「私たち人間の身体は、神そのものです」といった言葉が、とてもわかるような気がするのである。