患者さんの体の方が治療家をみて治させている

☆ニュージーランド南島、神々しさを感じさせるマウント・クック。「やっぱり山はいい!」
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029.gif 患者さんの体の方が治療家をみて治させている

 この世界に足を踏み入れた人間でなくても、薄々と気づいている人は多いと思う。医者や治療家など医療に携わる人が、重篤な病気に倒れることが非常に多い。それはなぜだろうか?人の体を一生懸命に治療させてもらって自分が病に倒れるなんて、なんという不条理だろうか。そう考える治療家は多いはずだ。そういう私も例外ではなかった。

 私は昔、師匠との電話で「患者さんのこういう病気を治しました」と報告すると、よく叱られたものだ。しかし、「患者さんのこういう病気を治させていただきました」と言えば何もとがめられることはない。言葉ひとつとっても師匠は厳格だ。「病気を治しました」といえば、必ず「誰が?」と問われる。それで私は、「しまった!」と思う。私の認識が、本物でないことを、その時点で見抜かれてしまうからだ。

 私もかつて治療を始めた頃、よくこんなことがあった。患者さんの症状はどんどんよくなっていくのだが、治療している私の方は、肩や腰が痛くなり、それから、首や腕や脚にも痛みが及んだ。はっきり言うと私の体は、もう患者さん以上にボロボロだったのである。私は、ここ十何年と困ったことがあれば師匠に相談する。師匠は特に驚いた様子もなく「それは、患者さんの病気や症状が、あなたに背負わされただけですよ。だから、患者さんはどんどん元気になってよくなって、その分あなたが弱っていく。ただそれだけのことです」といわれるのだ。実に冷たい言葉のように感じられるが、実は責められるのは私の方だった。師匠は、私が治療家として第一歩を歩もうとした時に、まず最初に教えてくれた大切な教えがある。それを忘れて、私が怠っていただけのことなのである。

029.gif「人の体は、神そのものです」

 これは、師匠に教えられた治療家としての第一歩だった。師匠は、「治療を始めさせてもらう前に必ず合掌し、『これから、勉強させていただきます』と、こころの中で唱えなさい」というのである。しかし、その時には、そんな深淵な意味があるとは思いもかけなかった。

 「体(からだ)」という字は、改めてよく見ると「亻(にんべん)」に「本(もと)」と書く。では「人間のもと」って何だろう。以前、師匠は、「人は神の化身」とも言われたことがある。ここでもやはり、「人の体は、神そのもの」ということになる。もし「神様」を定義させてもらうなら「天と地、宇宙あらゆるものの創造主」ということになる。それは、無神論者でない限り、異議を唱えるものはないはずだ。そして、宇宙には、大宇宙と小宇宙がある。もちろんここで言う「小宇宙」とは、私たち「人の体そのもの」なのである。師匠ならずとも、人の体の造りや働きを知れば知るほど、「小宇宙」にたとえられる意味がよく分かる。だから、神様が作った最高傑作。それが、「人の体」なのである。しかし、その神が、どうして一生懸命に治療を行っている私に罪を背負わされるようなことをするのだろうか。それでもまだ、その意味が理解できずにいた。

029.gif 因果応報の法則を知る

 「なぜ、人は病気になるのか?なぜ、人は不幸になるのか?」やはりそれには深い意味がある。病気、異状現象など、こと生身に起きた現象は、すべてそこには意味が存在する。やはり、「病気は気づきのためのメッセージ」だったのである。というのも、病気や異常現象というのは、すべてが結果である。「結果」には、必ず「原因」があるはずだ。それを、「因果応報の法則」という。「因果」というのは、「◯因◯果」つまり、「原因と結果」それを「因果」という。そうすると「物事には、すべて原因と結果がある。その原因と結果に応じて報いが訪れる」それが、「因果応報の法則」なのである。だから、「病気」は、過去の「原因」に対して、それに応じた報いが起きた「結果」なのである。

029.gif 病気は気づきのためのメッセージ

 確かに病気の原因はそんなに単純なものではない。「原因」にもいろんな種類がある。親からの遺伝の問題。あるいは、知らぬまに憑依(ひょうい)されている場合もある。しかし、最も原因の大半が、その患者自身の生き方や、こころのあり方が問題なのである。それを気づいてほしいために、病気や異常と思われるような現象が体の中に引き起こされるのである。まさに「病は気づきのためのメッセージ」だったのである。人には誰にも欲望がある。それゆえ、知ってか知らでか、罪やけがれを犯しているものなのである。しかし、問題は、「結果」をしっかりと自分の中で受けとめられるかが問題である。それが受けとめられるなら、そのひとには、チャンスが生まれる。後は、こころから「謝罪」をすることである。そして、そのことに気づかせてもらったことに対して「感謝」の気持を表せばいいのである。もちろん、向かう相手は、神様に対してである。神でも仏様でもいい。なんなら山の神様でも、海の神様でもいい。あなたが、最も崇拝している神仏に対して、手を合わせることが出来ればそれでいい。そして、その気持が本物であれば、必ず神様は許されるはずだ。人は人をそう簡単には許せない。しかし、神様は、本当に心から謝罪すれば、必ず許してくだされるのである。

029.gif 霊性を高めることの大切さ

 だから、そういう神様の御こころを理解した上で、治療が行える人でないと、たちまち神様の怒りに触れることになるのだ。多くの治療家の禍いは、そういう自分自身の至らなさから引き起こされる。少なくとも独善から「あなたの病気を治します」と患者さんにいった時点で、その治療者の治療は、終わったことになる。患者さんの体は、治療者の力量を見ぬいている。見抜いた上で、体を治させている。もっというなら、この治療者は、正しいこころで、この患者さんを気づかせるために導ける力があるのか、そういうことまで治療者は、見られているのである。だから、治療者に最も求められるのは、技術力でもなく、知識量でもない。それ以上に、こころのあり方が、正しくなければならないのである。その上で「霊性を高める」そのことが、最も重要な治療者としての条件になる。くどいようだが、治療家が、患者さんの体を治しているのではない。患者さんの体が、治療家に治させているのである。いうならば、体は神そのものである。治療家としてのあなたの力量は、常に患者さんの体に見極められていることになる。
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by yakura89 | 2010-07-10 08:11 | 病気は気づきのためのメッセージ | Trackback | Comments(0)
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