誕生日は感謝の日
つい先日のことですが、6月1日に、わたしは58回目の誕生日を迎えました。わたしくらいの年齢になると、正直な話、あまり、誕生日が嬉しくありません。「ああ、年を重ねるといいますが、ある時点を境に、年齢がひとづつ若くなっていったらどんなにいいのになあ」と、勝手なことを考えては、ため息をついていました。ところが、今年の誕生日は少し違っていました。誰かがいっていました。「誕生日は、感謝する日だ」って、そうですよね。もともと、誕生日は、まず第一に、母に感謝する日です。わたしも最近は、お母さんになる人のお手伝いをさせてもらっていますので、妊娠出産が、どれをどれほど女性にとって大変なことかよくわかるようになってきました。やはり、出産や育児のことがわかってくると、父や母に感謝しなければいけないということがよくわかってきます。やっぱり、「誕生日は、感謝する日」なんだと思います。
それにしても、考え方を変えると、世界はすべて変わって見えてくるものです。「もう58歳」と思っていた、この年齢も、考えるとすごく嬉しいことです。ついこの間、中学校の同窓会のお便りが来ていました。ちょっと驚いたのは、もうすでに病気かなにかで亡くなっている人の数が大変に多いのです。特に同窓生ですと、お名前もお顔もよく知っている人なので、大変なショックでした。だから、58歳まで生かさせてもらっている自分は、なんて幸せなことだと思います。特に、昨年のように、地震や津波の被害で、若い人からお年寄りまで、無作為に多くの被害者が出たことをニュースで毎日のように知らされると、あらためて生かされることの幸せというものを改めて考えさせられるような気がします。
だからわたしは、誕生日でも「またひとつ生かさせてもらった」そんなふうに思うようになったのです。そうすると58歳という数字は、とても価値のある数字に思えるのです。それから、誕生日だからって、プレゼントを期待したり、お祝いしてもらおうなんて、そこから間違っているのではないか、誕生日は、むしろ家族や友人に感謝して、こちらからプレゼントしたり、お世話になっている方をご招待するくらいの気持ちが必要なんではと考えました。実際に実行したかどうかはわかりませんが、そのくらいの発想の転換は必要なんだと思います。
でもひとつだけ実行したことがあります。それは、誕生日に父や母のことを考えていたら、自然とご先祖さまのことを考えるようになってきました。父や母、その上に、さらに父の父や、父の母というように、ご先祖さまを仮に7代くらいに絞ってって考えたとします。そうすると最低でも1000人以上のお父さんお母さんが必要になってくることがわかります。しかし、これだけでもすごいことです。この内の誰か1人でも、お父さんお母さんがいなかったとします。または、違っていたとすると、わたしは、この世に存在していなかったということになります。やっぱり、「誕生日は、あらためて、自分を生かさせてくれた人々の存在を知り、感謝する日なのだ」ということを改めて考えさせられました。ささやかですが、仏壇に、お花を買ってきてあげさせてもらいました。誕生日はいつも受け身で、何もしないわたしにとって珍しい出来事でした。